ふわふわ10 ふわふわ幼女VS森羅万象の魔術師
「きちんと覚悟ができたら、顔を出せって言ったと思うんだけど?」
翌日、部屋を訪ねた私に、ライオネットくんは心底呆れたような顔をして言った。
「魔法を教えてください」
「その本で練習しろって言ったよね?」
ライオネットくんは、私の手元に視線を落とす。
私はココアと魔法大全をまとめて抱き抱えている。ココアは本の硬い感触を最初は嫌がっていたが、もう諦めたようだった。
ココアには気の毒だけど、こうしないと持てないのだから仕方ない。この本、分厚過ぎる。
とりあえず、ライオネットくんの質問に答えないといけないけど……。
「……見てたんだよね? じゃあ、わかるでしょ?」
「ああ、君が城の庭を魔法で吹っ飛ばしたところは見ていたけど? それがどうかした?」
「だから! 魔法の練習ができなくなっちゃったから! 教えてって言ってるの!」
「それが人にものを頼む態度かな?」
「魔法を教えてください、お願いします!」
やけくそになって私は叫ぶ。
本当は昨日の今日でここに来る気なんてなかったし、ライオネットくんにもらった魔法大全でとりあえず魔法の特訓をしようと思ったのだ。
だから、重たい魔法大全を広げながら、広い中庭で、魔法を地面に向かって打った。地面が消し飛んで、人ひとり入れるくらいのクレーターができた。
ものすごい音を聞きつけて、衛兵さんとメイドさんがかけつけてきた。ものっすごく怒られた。私は泣いた。
心がへし折れた私は、魔法が練習できる場所を用意して欲しいなんて厚かましいことは当然言えず、部屋ですすり泣きながらココアを吸った。ココアはものすごく迷惑そうだったけど吸った。
そして、ココアを吸いながら考えに考え抜き、仕方なくライオネットくんを頼ることにしたのだ。
「なんで僕なのさ? 他の宮廷魔術師を当たればいいだろう?」
「だって、あの人たちの特訓は無理だし……」
「僕が扱う元素魔法を扱いたいなら、君が出会った宮廷魔術師の特訓を全部乗り越えることが最低条件だけど?」
「ライオネットくんも変態だったの!?」
「宮廷魔術師なんて全員変態だよ」
躊躇なく肯定するようなことじゃないと思うんだ。
「わかったら、他の宮廷魔術師のところに行ってくれないかな? 僕だって暇じゃないんだ」
ライオネットくんは、話は終わったという感じで椅子に座り、読書を始める。
でも、私にはライオネットくんしか頼れる人がいない。ここで諦められない。だって、他の宮廷魔術師の特訓ってめちゃくちゃ痛くて苦しい修行か、変態チックなのしかないんだもん。
諦めないぞー、という念を送りつつ、部屋に残る私。完全に無視して、読書を続けるライオネットくん。
10分ほど粘ってみるが、ライオネットくんは一切反応してくれない。それよりも、ココアと魔法大全を抱える腕が限界だ。私はとりあえず、ココアを足元に下ろす。
ふと、私は魔法大全を開いてみた。そして、じっと開いたページを見つめてみる。それから、ぺらぺらとページをめくり……よし、これにしよう。
「砂塵よ、凝集せよ。肥大し、堅牢なる岩となり、彼の者を打ち砕け。ロックブラスト!」
私が突き出した掌の先に、巨大な岩石が出現。それはそのまま、勢いよくライオネットくんに向かって射出される。
ライオネットくんは、無造作に片手を岩石の方に突き出した。ライオネットくんに直撃する直前で、岩石は砂へと変化し、空中へとけていく。
「何のつもり?」
「魔法の練習!」
魔法大全で、次に試したい魔法を探しながら、私は堂々と宣言する。
「つまり、魔法を無力化できる僕を、魔法の的にするってことかな?」
「だって、魔法教えてくれないし」
「わがままもこのレベルになると正直ひくね。サイコパスじゃないか」
サイコパスって言葉、この世界にもあったんだ。
いや、わかってる。私だって自分がやってることは正気の沙汰ではないということくらい。
でも、ここですごすご引き下がったら、魔法の練習を禁止されてる私が魔法を覚える方法がなくなってしまう。
それに、ライオネットくんは昨日散々、私のことバカにしたし! 私の魔法くらい軽くいなせるはずだし!
ライオネットくんも私にいじわるしてるんだから、これでもおあいこのはずだ。きっとそうだ。
「それは大気に内包されし白銀の刃。冷気によりその姿を現し、飛来せよ。アイスニードル!」
私の手のひらから、今度は巨大なつららが打ち出される。ライオネットくんは、それに向けて手をかざし、さっきと同じように霧散させた。
さすが性格はいじわるだけど、宮廷魔術師。私なら見ただけで、大騒ぎしながら逃げ出すような魔法を受けても、顔色一つ変えてない。
これならもっと強い魔法を練習しても大丈夫そう。次はどれにしようかな。
なんて、のんきに考えていると。
「仕方ないね。そっちがその気なら、少し痛い目にあってもらおうか?」
ぞくっと、悪寒が背中をかけぬける。慌てて、視線を魔法大全からライオネットくんに視線を移す。
ライオネットくんは、本を閉じて椅子から立ち上がっていた。こちらに向かって突き出した手には、六角形の幾何学模様が浮かび上がっている。
六角形の頂点には、火・水・風・土・光・闇が顕現している。これが何なのかは、さっぱりわからない。ただ、一つわかることはある。
これ絶対ヤバイやつだ。
「待って待って待って! ご、ごめんなさい! もうしないから!」
「お手本を見せてあげるんだよ? これが全属性の魔法を極めた者だけが自在に行使できる元素魔法だ。人生で多くても一回しか体験できない貴重な魔法なんだよ?」
「それって食らったら死ぬってことだよね!?」
「では身をもって味わってもらおうか」
幾何学模様が回転する。それぞれの頂点に顕現していたものが混ざり合い、融け合う。
やがてそれは虹色の光へと変化して――私に向けて、打ち出された。
速い。よけられない。これ、私死んだ。
「ひぐ――っ!!」
ふわぁ……キラキラキラ……。
私に直撃した虹色の光は、まるでオーロラのように柔らかく広がると、ゆっくりと光を失いつつ空気の中へと消えていった。
気づいたら、私は床に座り込んでいた。目から温かい液体が伝い落ちている。あと、なんか下着のあたりもあったかい気がする。
「自分のスキルも把握してないのかい?」
ライオネットくんが呆れた様子でため息をついた。
スキル? あ、そうか、ふわふわ……レベル2で、魔法攻撃拡散っていうのを覚えたんだ。
じゃあ、今の私って、魔法を食らっても大丈夫なんだ。
「君の魔法が僕に通用しないのと同じように、僕の魔法も君には効かないというわけだ。条件は同じだね」
ライオネットくんがまた、さっきとは違う幾何学模様を出現させる。魔法の知識なんてなくても、一目でわかる。
さっきより、巨大で複雑な魔法陣。絶対、さっきより強い魔法だ。
「あ、あの、もうやめ――」
「別にいいじゃないか。どうせ効かないんだから。君だってそう思って、僕に魔法を打ったんだろう?」
「あ、謝るから……」
「君も遠慮なく魔法を撃ち返していいからね。いくら魔法を食らっても、お互い平気なんだから。MPが続く限りはね?」
びくっと、身体が震える。そ、そうだ。ふわふわを使うと、MPが減っちゃうんだ。
ということは、ふわふわが切れたら私は……。
考える間もなく、私に向けて無数のレーザーが放たれる。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
「一撃の威力と、消費MPは関係がないみたいだね。ヒット数の多い魔法を使うのが一番効果的だね」
こ、このサイコパスぅぅぅぅぅ!! 人に向かって躊躇なく魔法を使うなんて! ふわふわがなかったら死んでるよ、私!
こんなところにいられるか! 私はココアと逃げるぞ!
「ドアが開かないぃぃぃぃぃっ!!」
「逃げられないように魔法で結界を張っておいたよ。ああ、でも魔法で破壊したら逃げられるかな? 君がドアを開けるより早く張りなおすけどね?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「ほら、君も早く魔法を使いなよ? 僕が練習相手になってあげようって言うんだからさ? 遠慮しなくていいんだよ? そもそも君から始めたことだったよね?」
にこにこ笑いながら、さっきと同じ虹色のレーザーをぶっぱなしてくるライオネットくん。ゴリゴリ削れる私のMP。
「誰か助けてぇー!!」
「防音も完璧にしといたよ。誰か来ても結界のせいで入れないけどね」
「ひぐぅ! ココアぁー!」
最後の希望だと思って、ココアに助けを求める。
ココアは毛づくろいをしていた。あぁ、これはあれだ。まったく助ける気とかないやつだ。
そうこうしているうちに、私の体を覆っていた光が消えた。
MP切れだ。
虹色レーザーを連発していたライオネットくんが魔法陣を消して、こっちに近づいてくる。
「ま、まさか、ほ、本当に殺したりしないよね? ライオネットくん?」
「当たり前でしょ。君は勇者だし、例え勇者じゃなくても人殺しなんてよっぽどのことがないとしないよ」
私がドアにすがりつくようにしながら尋ねると、ライオネットくんは呆れたように笑った。
だ、だよね……本気で殺されるかと思ったけど……よ、よかった。
と思っていたら、突然、ライオネットくんの全身が黒いもやで覆われた。
「するのはお仕置きだけだよ。僕は全属性の魔法が使えるんだけど、中でも闇魔法にはこういうときに便利な魔法が多いんだ」
ライオネットくんを覆うもやはぐにゃぐにゃと変形していき、やがて無数の手に変わった。
何十本もの手が、私にむかってのびてくる。
「な、何をする気――きゃあああああ!!」
無数の手は、私の体を掴んで、空中に持ち上げると
「きゃはははははは!! あははははは! や、やめて! きゃははは!!」
えげつないくらいくすぐってきた。
「じゃあ、しばらく反省しててね」
ライオネットくんは何事もなかったかのように、椅子に座って読書に戻る。
しばらく!? しばらくってどれくらい!?
「い、息できない! ひゃはははは! 許して! やめてー! ごめんなさい!」
必死に謝るが、ライオネットくんは眉一つ動かさない。
こ、こんなの我慢するとか無理! 息できない! 死んじゃう! あう、そこはダメなとこ……。
「ココアー! 助けてココア! あはははは!」
「ナァーオ」
ナァーオじゃなくて助けてよ! どう見てもピンチでしょ!
「心配しなくても、ちゃんとやめてあげるから。これ読み終わったらね」
読み終わったら!? その本めちゃくちゃ分厚いんだけど!? 300ページくらいは絶対あるよね!? まだ半分くらいしか読んでないよね!!
「ごめんなさぁぁぁぁぁぁい!!」
***
結局、本当にライオネットくんは本を読み終わるまで私を解放してくれなかった。
解放された後も、私はしばらくまともに呼吸もできず、ちょっと回復した後もマジ泣きした。
そして、今は部屋に戻り、全力でココアを吸っている。
絶対仕返ししてやる、あの鬼畜魔術師。そのためにはMPだ。MPを増やさなきゃ。
「ふしゅー! ふしゅー!」
「ナァーオ……」
ココアが迷惑そうな顔をした。けど、ココアが助けてくれなかったのも悪いんだからね!!
***
三ヶ月という時間は、案外あっという間に過ぎた。
その間、私が何をしていたかというと、朝はココアを吸い、昼はライオネットくんに挑んで泣かされ、また夜はココアを吸う……そんな毎日だった。
三ヶ月頑張っては見たものの、結局ライオネットくんには勝てず仕舞い。しかも、お仕置きの内容も日替わりだったので、私は結局、ありとあらゆる辱めを受けさせられた。
あのサイコパス魔術師、いつか絶対復讐してやるんだから……。
でも、今日の私は機嫌がいい。だって、明日、ジェシカさんが王都に帰ってくるという手紙が届いたから。
「だから、ジェシカ様を出迎えに、賤民街に行きたいと?」
「うん!」
メイドさんの問いかけに力強く私は頷く。
「しかし、ジェシカ様がお帰りになるのは明日ですよ? 今日出かける必要もないと思いますし、出迎えに行かなくともグリフィーネですぐ王宮までいらっしゃると思いますが」
「だって、観光もしたいんだもん!」
冒険者ギルドでの一件があったので、私はこの王宮で軟禁状態だった。獣車に乗って通り過ぎたのと、冒険者ギルドにちょこっと顔を出しただけで、ローズクレスタの街を全然見て回ってない。
ジェシカさんが帰ってきたら、すぐ冒険に出るかもしれないし……私だって、ちょっとくらいお出かけしてみたいのだ。
あとサイコパス魔術師のおかげで、恐怖とかへの耐性ができたのもある。死ぬよりひどい目に何度も遭わされた。こっちは幼女だぞ、ちくしょう。
「それに、私、勇者だもん。魔王を倒しに行かないといけないのに、街の中も歩けないんじゃダメだと思う」
「それはもっともですが……わかりました、私から国王陛下に報告して許可を取って参ります」
「そんな大げさな」
「あなたは勇者というご自分の立場をもう少し理解するべきかと」
ココアを抱っこしながら私が苦笑すると、メイドさんはこめかみに手をあてて溜息をついた。
このメイドさん、私が庭を吹っ飛ばしてからというもの、私に対する当たりがきつい。毎日、ライオネットくんにボコられ、泣きながらココアを吸う私をものすごく白い目でにらんでくる。
魔法大全を渡したのもライオネットくんだし、それで練習しろと言ったのもライオネットくん。私をボコるのもライオネットくんなんだから、悪いのはライオネットくんのはずなのに。
ライオネットくんって言いすぎてなんかゲシュタルト崩壊してきた。
「では、行ってまいります。許可が下りたら、多少金銭の準備もできると思いますので」
金銭……お小遣いくれるってことかな? やった! 確かに私、お金なんて持ってないから、このまま街に行っても困っちゃうもんね。
私はワクワクしながら、部屋を出て行ったメイドさんの帰りを待つのだった。
***
結果的に、許可は出た。お小遣いももらえた。私は、喜び勇んで三か月ぶりにお城を出た。
そして、今――
「うひぃぃぃぃぃぃぃぃ!? 死ぬぅぅぅぅぅ!!」
グリフィーネの背中で特濃の後悔を味わっていた。
落っこちてもふわふわ浮けるから大丈夫。そんな甘い見通しで、移動手段にグリフィーネを選んだ十分前の自分をぶん殴ってやりたい。
前と同じなら平気だった。ただ背中にしがみついてればいい。今思うことは、ジェシカさんってグリフィーネの操縦上手かったんだなぁ……ということだ。
私がココアを抱えて背中に乗ると、最初はグリフィーネも調子よく飛んでいた。しかし、何が気に入らなかったのか、突然私を振り落とそうと暴れ始めたのだ。
私は慌てて手綱を引っ張り、制御しようとした。でもグリフィーネはますます暴れるだけだった。
片手には手綱、片手にはココア。実質足の力だけで背中にへばりついている私を、急旋回で落っことそうとするグリフィーネ。
大人しくて賢い個体だから、私でも大丈夫ってメイドさん言ってたのに!
「お願い止まってぇぇぇぇぇぇ!」
顔を涙と鼻水まみれにしながら叫ぶが、グリフィーネは止まらない。それどころか、突然縦ロールを開始した。
真っ逆さまになる私の体。ふーっと、気が遠くなりかける。しかし遠心力のおかげで、私の体は落っこちることはなく、グリフィーネが縦ロールを決めた後も、私の体はその背中に無事乗っていた。
そして、今度はグングン急降下を始めるグリフィーネ。ふわぁ、と体が浮き上がる感覚。どんどん地面が近づいてくる。
無理、死ぬ。これ死ぬ。絶対死ぬ。
私が完全にパニックに陥ったところで、グリフィーネは急停止。地面にぶつかる手前で、バサバサと翼をはばたかせて、ふわりと地面に着地する。
「はー……はー……はー……」
呆然と、ただ呆然と、私はしばらくグリフィーネの背中に乗っていた。
無理。もう無理。二度と乗らない。帰りは歩いて帰る。
無意識にぽろぽろと涙が零れ落ちる。力が抜けて、私はどすーん、と地面に落っこちる。普通は大けがするところだが、ふわふわのおかげで痛くない。
一方、空中で私の腕から抜け出したココアは、くるっと体を捻って華麗に着地。そして、グリフィーネの方は、鋭いくちばしを私の顔にこすりつけてきた。
やばい、食われる。逃げないと。でも、全然力入んない。
「だ、大丈夫!?」
誰かが、声をあげて駆け寄ってきた。私と同じくらいの歳の女の子だ。
女の子は私の体を抱き起こしながら、心配そうに顔を覗き込んでくる。
グリフィーネはまだ私の頬にくちばしをこすりつけているし、ココアはのんきに伸びをしていた。
「ぐす……た、食べられちゃう……」
「え? グリフィーネは人間を食べたりしないよ?」
泣きながら私が訴えると、女の子は困惑した様子でそう言った。
「それより、すごい音したけど、怪我してない? 痛いところある?」
「ぐす……してない……痛くない……」
「あんなに派手に落っこちたのに?」
女の子は目を丸くしていた。確かに、受け身もとらずあの高さから落ちたんだから、怪我してない方がおかしい。
ふわふわのスキルのおかげだけど、今それを説明できるだけの元気が私にはなかった。
「えっと、立てる?」
「力入らない……」
「やっぱり、足折れてない?」
「折れてない……大丈夫……」
「じゃあ……えっと、支えるね? よいしょ」
女の子は、私に肩を貸して立たせてくれた。私は半分おぶさるような形で、体を支えてもらう。やばい、尋常じゃないくらい足が痙攣してる。
その痙攣しまくってる足に、ココアが体をこすりつけてくる。グリフィーネは相変わらず、くちばしを私のほっぺに押し付けてくる。
直後、私を支えてくれていた女の子が、急にバランスを崩した。
「ふわぁ……」
「え? うわ!? ちょっとぉ!?」
突然の出来事に、私の体はようやく力を取り戻す。さっきまでとは逆に、慌てて私は女の子の体を支えた。
「あっ!? ご、ごめん……なんか、すごくふわふわで……」
ここでもか。おのれ罪深いふわふわめ。いや、ふわふわに罪はないか。
「生まれつきの体質なんだ、これ」
「だから、さっきからずっとグリフィーネと猫がくっついてるんだね」
「え? 食べようとしてるんじゃないの?」
「グリフィーネは草食だよ?」
なに!? この顔で!? 完全に肉食の顔してるじゃん! ワシなのに!
私がびっくりしていると、不意に女の子が微笑んで言った。
「なんか、本当にもう大丈夫そうだね。いきなりグリフィーネが店の前に降りてきて、乗ってた人が落っこちたからびっくりしたよ」
「うん……グリフィーネに乗ったら、いきなり暴れだしちゃって……」
「珍しいなぁ。グリフィーネってすごく大人しいのに。子どもでも普通に乗れるんだよ? 私だって乗れるし」
なんだって? やばい、この世界の幼女強い。
「本当にすごかったんだよ……横とか、縦とかにぐるぐる何回も回って……」
「ぐるぐる回る? 求愛ダンスみたいに?」
「求愛ダンス?」
「オスのグリフィーネは、空をぐるぐる回ってメスにアピールするんだよ。それを求愛ダンスって言うの。こんなふうに回ったり、こんなふうに回ったり」
女の子は身振り手振りで、グリフィーネの求愛ダンスの動きを再現してくれた。うん、大体さっきのグリフィーネがしていた動きと同じだ。
ふと嫌な予感がして、私はグリフィーネに鑑定のスキルを使ってみた。
______________________
名前:カストロ
種族:グリフィーネ
年齢:3歳
職業:家畜
Lv:20
HP:274/274
MP:120/120
攻撃力:192
防御力:180
素早さ:302
かしこさ:98
【スキル】
飛行(Lv2)
【備考】
魅惑
______________________
備考になんか書いてある。魅惑……あぁ……そういえば、ふわふわのLv4に魅惑付与ってあったな。
え? つまり、グリフィーネを魅惑しちゃったから求愛されてたってこと? うわぁ……。
グリフィーネがくちばしをこすりつけてくるのを、すごく複雑な目で見ていると、不意に女の子が私の手を握った。
「うわ、ふわふわ……」
「え? あ、だから、その、そういう体質……」
「あの、あなたってどこから来たの? 名前は?」
女の子が勢い込んで質問してくる。心なしか、目がキラキラしていた。
私はすごく、すごーく嫌な予感がして、鑑定のスキルを発動させる。
______________________
名前:サーシャ・アルフヘイム
種族:人間
年齢:10歳
職業:商人
Lv:1
HP:20/20
MP:0/0
攻撃力:12
防御力:15
素早さ:18
かしこさ:128
【スキル】
算術(Lv1)
話術(Lv1)
【備考】
魅惑
______________________
どうやら、私は幼女を魅惑してしまったようだ。
いや、待って!? 同姓同名なんですけど!? あと賢いよこの子! ジェシカさんの2倍賢いよ!
「ねぇ、名前は?」
私に魅惑されたサーシャちゃんが栗色の目をキラキラ輝かせながら、私を見つめてくる。
いや、私もサーシャなんだけどね? ややこしいな、くそう。
「サーシャ・アルフヘイム……」
「わぁ、私もサーシャ・アルフヘイムだよ? 私はサーシャ・アルフヘイム30なんだけど、あなたは?」
「わ、私は番号ないよ?」
「え? 番号ないんだ? じゃあ、よその街から来たんだね? どこから来たの?」
サーシャちゃんに聞かれて、私は何と答えたものかと迷う。
来た場所は王宮なんだけど、それを言っちゃうと話がややこしくなっちゃうよね。王族と勘違いされるかもしれないし。
正直に話したら、お城でお世話になってる勇者なんだけど、それを言っちゃうのも面倒な気がする。
じゃあ、聖域の森から来たって話をするのも、経緯を説明するのがちょっと大変だし……。
「け、結構遠くから。明日お姉ちゃんがここに来るから迎えに来たの」
結局、嘘ではないけど本当でもないことを言ってごまかすことにした。
「そうなんだ? お姉ちゃんが来るのは明日なんだね。今日はこれからどうするの?」
幸い、サーシャちゃんは特に違和感を持たなかったようだ。というか、それほど興味もなかったように感じる。
それは助かったんだけど、ねぇ、サーシャちゃん。どうして、私の腕にさりげなく腕を絡めて来てるのかな? 初対面の人との距離感バグってるよね?
魅惑を解く魔法……魔法大全にあったと思うけど、ライオネットくんとの戦いでは使ったことないから呪文覚えてないや。あとで調べて、きちんと解かなきゃ。
「賤民街を見て回って、宿もここで取ろうかなって――」
「じゃあ、私が案内してあげる!」
食い気味にサーシャちゃんがそんな提案をする。その両腕はがっちりと私の腕をロックしていた。
魅惑を解いてあげたいけど、こんなにがっちりホールドされてたら魔法大全を荷物から出せない。っていうか、これ解いたそばから魅惑かかっちゃうよね?
「そ、そんな、悪いよ……」
「全然悪くないよ! パパに言うから、一緒に来て!」
お断りしようとする私をぐいぐい引っ張るサーシャちゃん。せめて、パパに言ってくるから待ってて、だったら魅惑を解いてあげられたのに!
サーシャちゃんに引きずられながら、グリフィーネにほっぺをくちびるでむにられつつ、ココアを従えて私がやってきたのはアクセサリーを売っている移動式の屋台。
店主は優しそうなおじさんで、カウンターごしに向こうから声をかけてきた。
「大丈夫かい? すごい落ち方してたけど」
「あ、はい、大丈夫です……」
「ごめんね、すぐ助けようと思ったんだけど、娘が先に飛び出していっちゃって」
「パパ! この子、賤民街を見て回りたいんだって! 私、この子の案内する約束したの! いいでしょ?」
パパさんが話すのを遮るようにサーシャちゃんが私の腕を引きながら言った。
い、痛い。肩がとれそう。っていうか、いつの間にか約束したことになってるし。
「いいけど、日が暮れる前に帰ってくるんだよ?」
「うん、わかった!」
パパさん聞き分けが良すぎませんか? 身元もわからない子どもと、自分の娘を遊びに行かせていいんですか?
「サーシャちゃん、行こ! パパ、このグリフィーネはサーシャちゃんのだから、預かってて!」
「わわ! わかったから、引っ張んないで、サーシャちゃん!」
「よしよし、どうどう。立派なグリフィーネだなこれは」
話がわかりすぎるパパさんがグリフィーネを屋台につなぐのを視界の端で確認しながら、私の初めての観光は、サーシャちゃんに引きずられるようにして始まったのだった。