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ふわふわ9 魔法の修行と宮廷魔術師

「魔法を使いたい、ですか?」


 ジェシカさんが修行の旅に出た翌日の朝。朝食の席で私が投げかけた質問に、メイドさんは少し驚いたような表情を浮かべていた。


「う、うん! 私にも使えるかなって!」

「そうですね……勇者様は鑑定のスキルが使えるほど、かしこさのステータスが高い方ですし、訓練すれば使えるようになるのではないでしょうか? 王宮には、指導ができる宮廷魔術師も多くいますし、よろしければよい方を見繕いますが?」

「本当!? お願い!」

「かしこまりました。では、何名かピックアップして参ります。昼頃に声をおかけしますから、それまでお部屋でお待ちください」

「ありがとう! ココア、行こう!」


 私はメイドさんにお礼を言ってから、ココアと一緒に、駆け足で部屋に戻った。

 魔法を覚える。ジェシカさんがいない三ヶ月の間、何をするべきか。私が子猫吸引をしながら、一晩かけて考えた答えがそれだった。

 う、うん、したよ……吸引……他にすることもなかったし、時間もったいなかったし……。

 とにかく、私の打撃は全く攻撃力がない。武器を装備することも考えたけど、素手じゃないと相手の武器を掴んで捻じ曲げることができない。

 じゃあ、どうやって攻撃するかと考えたときに、思いついたのが魔法だったのだ。魔法なら、腕力とか関係なさそうだしね。それに、今の私はMPがいっぱいあるから、魔法もたくさん使えるはず。


「宮廷魔術師かぁ……冒険者ギルドでも、一回名前を聞いたけど……どういう人たちなんだろうね、ココア? 怖い人なのかな?」

「ンナァー……」

「もー、愛想悪いよ、ココア。昨日、吸ったのまだ怒ってるの?」


 まあ、私だって一晩中――結局六時間くらい吸い続けたのは、やりすぎたかなとは思ってるけどさ。二時間くらい吸ったあたりから、意識が朦朧として、気づいたら時間が経ってたんだよね。


「もし怖い人たちだったとしても、がんばらなきゃ。ジェシカさんもがんばってるんだから」


 ココアが励ましてくれないので、私は自分で自分を励ますことにする。もう二度と、悔しい思いをしなくて済むように、今のうちにできることをするんだ。

 とりあえず、メイドさんが言ったお昼まではたっぷり時間がある。そして、今、私にできることは……。


「というわけで、吸引させてね、ココア」

「ふしゃー!!」


 出会ってから初めて、ココアに顔を引っかかれた。

 ふわふわのおかげで、全然痛くなかった。消費したMPは――もちろん、そのあとの吸引で回収した。


 ***


「宮廷魔術師の方は、どなたも国を代表する超一流の魔術師。その中でも選りすぐりの方をご紹介します。ただ……それゆえに、みなさまくせが強いですので、お気をつけください」


 それが、メイドさんが宮廷魔術師のピックアップリストを手渡してくれたときに添えた言葉だった。

 そして、私は今リストの一番上に名前があった宮廷魔術師「灼熱業火の魔術師 フレア」の部屋の前に立っている。

 どう考えても、炎系の魔法を使う人だよね。ギルドでも、ファイアボールっていう魔法を使ってた人がいたなぁ。あれ、私も教えてもらったら、使えるようになるのかな。

 不安半分、期待半分で、私は目の前のドアノブを握った。


 ジュウ……。


「――あっつぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


 そして、そのまま手を抑えながら七転八倒する。

 やけどした! これ絶対やけどした! なんで!? なんで、ドアノブが焼けるように熱いの?


「なんだぁ、騒がしいねぃ?」


 私が絶叫していると、ガチャリ、と向こう側からドアが開かれる。

 立っていたのは、赤い瞳の女性だった。あまり手入れをされているように見えない、無造作な黒い長髪には、ところどころ真っ赤なメッシュが入っている。

 肌着は着ておらず、上は丈の短いノースリーブのジャケット、下も革製のホットパンツを履いているだけで、小麦色の肌を大胆に露出させている。豊満なバストがジャケットからこぼれそうになっていたが、本人にはそれに構うような様子もない。


「うぅぅ……フレアさんですか?」

「そうだが、もしかしてお前が勇者かい? 聞いてはいたけど、ちんちくりんだねぃ。で、やけどしたのか。これでも握っときな」


 ぽいっと、フレアさんは私に向かって、植物の葉っぱを投げてくる。

 薬草かな? 言われたとおりに握ると、やけどした手の痛みがちょっと和らいだ。うわ、これすごい効果だ。


「どいつもこいつも、部屋に入ろうとするたびにやけどしやがるから常備してるのさ。いっぱしの火属性魔法使いなら、これくらいじゃやけどなんてしないんだけどねぃ」

「わ、私、今から魔法を習おうと思って……」

「聞いてるよ。けどね、私の修行は厳しいよぉ?」


 フレアさんは、私を見下ろす緋色の瞳を獰猛に輝かせた。


「火属性魔法を使う上で一番重要なのは、火と一体化することさ。お前がドアノブでやけどしたのは、私の部屋が灼熱地獄になっているからだ。熱に耐えられる体を作らなきゃ、自分の魔法の熱で自分が参っちまうなんて、情けないことになっちまうからね」


 すっと、フレアさんはドアの前から動いて、部屋の中を私に見せる。フレアさんの部屋には無数の暖炉があって、そのどれもが赤々と燃え盛っていた。入口から離れているここでも、凄まじい熱気が漏れ出ている。


「私に魔法を習いたいってんなら、この部屋でまず一週間、何もせずに過ごしてもらうよ? ヴァンパイアを倒したとか聞いたけど、これに耐えられる根性はあんたにあるのかねぇ?」


 ずいっと覆いかぶさるようにして、フレアさんは私の顔を覗き込んでくる。

 これくらいできないようじゃ、魔王を倒すなんて夢のまた夢だよ。そう言っているように、私には感じた。

 私はゴクリと唾を飲み込んで、


「はい、無理だと思うのでやめておきます」

「……は?」 

「し、失礼しましたぁ!」


 私は足元のココアを抱き上げると、ポカンとするフレアさんを置いて、全力ダッシュで逃げ出した。

 ドアノブでやけどしちゃうくらい、熱い部屋で一週間? こんなのは修行とは言わない。処刑だ。きっと、現代科学は私の判断を肯定してくれることだろう。

 大丈夫、紹介してもらえた宮廷魔術師は他にもたくさんいるんだから! こんな異常な人に習う必要はないはずだ!

 幸い、フレアさんは私を追いかけてくるようなことはなくて、私はリストに載っている次の名前を確認するのだった。


 ***


「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……はぁ……」


 私は激しく息を切らせながら、長い長い螺旋階段を登っていた。

 宮殿の端にそびえ立つ塔。その一番上にある部屋に、次の宮廷魔術師「疾風迅雷の魔術師 クリスフォード」がいるらしいのだ。

 それにしても、なんて長い階段なんだろう。何でも、ローズクレスタで一番高い建物らしいけど……こんなの、上り下りだけで体力を使い果たしちゃうよ。


「ナァーオ」


 一方で、ココアはぴょんぴょんと身軽に階段を駆け上がっていく。うぐ、猫の体力はすごい。急がないとって思うけど、もう足が動かないよ。


「……あっ、そうだ」


 ふと、私は自分のスキルのことを思い出す。そうだそうだ、私にはあれがあったんだ。


「ふわふわっ!」


 両手を万歳して叫ぶと、私の体がふわっと地面から離れる。ちなみに、ポーズには何一つ意味がない。

 私の体は、塔の最上階を目指して、ふわふわと浮き上がっていく。えへへ、これは楽チンだ。

 ……まあ、浮き上がるスピードが遅いのが難点だけど、歩いて登るよりは速いからいいよね。


「着いた!」


 しばらくして、私はようやく、クリスフォードさんの部屋の前に到着する。まったく、こんなに苦労して来たんだから、次こそまともな人だといいな。まあ、後半苦労してないけど。

 今回は警戒しつつ、ドアノブをゆっくりとひねる。うん、大丈夫。今回は熱くない。


「お、お邪魔します!」

「やぁ、ようこそ。かわいい勇者さん」


 私が部屋に入ると、安楽椅子に腰掛けていたローブ姿の男性が、穏やかな微笑みを私に向けた。

 長く伸ばした金髪に、切れ長な目から覗く緑色の瞳が印象的な男性だ。顔立ちは整っているけど、口元や目元にうっすら刻まれたシワを見ると、年齢は40歳くらいだろうか。

 椅子の前に置かれているデスクには、分厚い書物が整理されて並べられている。そばに置かれた棚には、風車のような道具がたくさん並んでいた。

 何というか、すごく学者って感じの人だ。でも、よかった。この人はまともっぽい。

 クリスフォードさんは、安楽椅子から立ち上がると、私を歓迎するように両手を広げた。


「僕はクリスフォード。風属性の魔法が得意な宮廷魔術師だ。魔法を教わりたいらしいね?」

「は、はい! 私、魔王を倒しにいかないといけないんで!」

「勇ましいね。でも、ここまで昇ってくるのは疲れただろう? 少し、休憩するかい?」


 や、優しい! 紳士だ! フレアさんとは全然違うよ!

 少し感動を覚えながらも、私は首を横に振る。


「大丈夫です! それより、早く魔法を覚えたいです!」


 フレアさんからは逃げてしまったけど、早く強くなりたいという気持ちは本物なのだ。ジェシカさんだって、私がこうしている間に頑張っている。私も負けてはいられない。

 すると、クリスフォードさんはにっこりと笑って、


「素晴らしいね、若者の情熱というものは。いいだろう、では早速魔法の修行を始めようか。今から塔の屋上に向かうけど、大丈夫かな?」

「だ、大丈夫!」


 また登るのか、という嘆きは心の奥底に押し込んだ。ここは塔の最上階なんだから、屋上っていっても、登るのはちょっとだけのはずだしね。

 クリスフォードさんは、そんな私の返事に微笑みながらうなずくと、先に立って歩き出す。

 屋上へ向かう階段は、螺旋階段ではなくて普通の階段だった。そして、私の予想通り、少し登っただけで、私たちは屋上への扉の前にたどり着く。


「……うわぁ」


 扉を開いて、外の光景を見ると同時に、私はため息を漏らした。

 眼下に広がる、街を取り囲んだ長大な城壁と、その上にはためく無数の旗。石造りの町並みと、その間を走り回る水路を、獣車や船が行き交っているのがよく見える。

 グリフィーネの上からでは見る余裕がなかった、ローズクレスタの壮大な景色。強い風に髪を弄ばれながら、私はうっとりと立ち尽くした。


「いい景色だろう? ここはローズクレスタで一番、見晴らしのいい場所だからね」


 そんなふうに言いながら、クリスフォードさんは前に進み出て、屋上の縁へと近づいた。

 ローブと長い金髪が風にたなびいて揺れる。その後ろ姿が妙に気高くて、ローズクレスタの背景と合わせて、まるで一枚の絵画みたいに私は感じた。


「さて、とはいえ観光に来たわけではないんだったね? 風属性の魔法を扱う上で重要なのは、風と一体化することだ。風の流れを全身で感じ、それを自分の思うがままに操ることが、風魔法の真髄なんだよ」


 一体化……フレアさんも同じようなことを言っていた。似たような言葉なのに、クリスフォードさんが言うと安心感がまるで違う。

 この人にだったら、ついていける気がする。よし、私は風の魔法をがんばって覚えよう。なんとなくだけど、ふわふわのスキルのイメージと合ってる気もするし!

 私に背を向けたまま語り続けていたクリスフォードさんは、そこで、おもむろにこちらを振り返った。


「だから、最初は風を全身で感じる修行を始めるよ」


 バサっ。


 ……クリスフォードさんは着ていたローブを脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になった。


「……は?」

「さあ、君も服を脱ぎなさい」


 風に長い金髪をたなびかせながら、とても綺麗な笑顔を浮かべて、クリスフォードさんは告げる。

 しかし、下の方では同じように風に揺られて、ゾウさんがぷらんぷらんしていた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

「どうしたんだい? 早く魔法を覚えたいんだろう? ほら、早く脱いでこっちに来なさい」

「やだぁぁぁぁぁあぁぁぁぁっ!!」


 ゾウさんがぷらんぷらんしながら、こっちに近づいてくる。

 変態だ! 変態だぁ! これならフレアさんの方が100倍よかったぁ!


「困ったね、みんな最初はそうなるんだよ……羞恥心なんて、魔法の習得には邪魔にしかならないのに」

「来ないで! 来ないでぇっ!!」

「大丈夫だよ。すぐに癖になるから」

「大丈夫じゃなーい! 逃げるよ、ココア!!」


 私は足元のココアを抱き上げると、クリスフォードさんを擦りぬけるようにして、屋上の縁に向かって走る。

 塔の螺旋階段を駆け下りる体力なんてもう残ってない。だから、この場から逃げるには――


 私は塔の縁に足をかけると、思いっきり踏み切って、空中に体を踊らせた。


「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 突風を受けて、着ていたワンピースのすそがめくれ上がる。私は片手でココアを抱えたまま、それを残った手で必死に押さえつけた。

 地面がものすごいスピードで迫ってくる。こ、怖い! だけど、これならさすがに追ってこられないはずっ!!


「素晴らしいね、君は。まさか、自分から風の中に身を躍らせるとは」


 と思っていたら、私のすぐ隣をクリスフォードさんが落下していた。


「ひぃぃぃぃぃぃっ!? なんで来てるのぉぉぉぉぉぉぉ!?」

「生徒の訓練に付き合うのは、指導者として当然のことだろう? しかしもったいないな。服を着ていなければ、もっと全身で風を感じられたのに」

「やだぁ! 来ないで! 来ないでぇ!」

「ほら、もっと集中するんだ。風がどういうふうに流れているのか、どんな強さで吹いているのかを肌で感じて」

「集中なんかできるかぁぁぁぁぁぁぁ! ゾウさんしまえぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 お願いだから少しくらい隠してよ! 全部さらけだしてるから、ばっちり目に入っちゃうんだよぉ!!

 逃げないと! とにかく逃げないと! この変態から距離をとらないとぉ!


「ふ、ふわふわぁ!!」


 スキルの発動を念じると、落下する速度がガクンと下がる。


「おぉっ! 君は飛行系のスキルを持っているのかい? だがもったいない! 使うなら、私のように、着地ギリギリまで粘って――」

「他の宮廷魔術師をあたるから、あなたにはもう教えてもらわない!! さようなら!!」


 私はスキルの力で、ふわふわと空中を飛び、クリスフォードさんと距離をとる。

 まさか、他の宮廷魔術師もこんなのばっかりなの? そ、そんなことないよね!?


「それは残念だ! 気が変わったら戻ってきて欲しい! 僕は待っているからね!」

「待ってなくていいからぁー!!」


 二度とあの塔には近づかないことを心に誓いつつ、私は必死に逃げ出したのだった。


 ***


 私はあれから、めげずに宮廷魔術師の訪問を続けた。


 三人目、白銀凍結の魔術師、グレシア。


「氷属性の魔法を扱うには水のように静かで、氷のように揺るぎない精神が必要です。まずは、この剣でお互いのふとももを刺し合う訓練から」

「そういう趣味はありません!!」


 四人目、深緑豊穣の魔術師、オスカー。


「地属性の魔法に必要なのは、全てを受け入れる寛大な心だ。今から、森に行って目に付いたものを全て腹に納める修行を――」

「私、グルメですからぁ!!」


 五人目、閃光堕刃の魔術師、パステル。


「光属性の魔法で最も重要なもの! それは輝き! さあ、生まれたままの姿になって、全身で日の光を感じますよ!」

「この人も変態だぁー!」


 六人目、深淵奈落の魔術師、ミスティア。


「ふふふ、いいわね、その猫。猫はね、闇属性魔法の触媒として最適なのよ……」

「ココアはだめぇぇぇぇぇっ!!」


 七人目、大慈大悲の魔術師、セレスティーナ。


「回復魔法に求められるのは愛。愛のみです。さあ、愛し合いましょう」

「宮廷魔術師は変態ばっかりかぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 修道衣を脱ぎ捨てて、おっぱいをぷるんぷるん揺らすセレスティーナさんから全力で逃げ切った私は、膝に手をついて息を整えていた。

 リストに名前があったのは八人。残ったのは森羅万象の魔術師、ライオネットだけ。も、もうこれは諦めた方がいいんじゃないだろうか。一日中ずっと逃げ回ってばかりだったから、もう本当に足が限界だよ。


「ナァー……」


 小さく足元で鳴いたココアも「もうやめたら?」と言ったような気がした。

 んー、だけど……。


「ごめん、ココア。ここまで来たんだから、最後までやってみるよ。ジェシカさんも頑張ってるんだから」


 ここで諦めたら、何も変えられない。魔法を覚えても、何かを変えられる保障はないけど、それでも前と同じは嫌だった。

 できることはやるんだ。最後の一人もまともじゃなかったら……もう諦めるしかないけど。

 私は意を決して、最後の宮廷魔術師、ライオネットのいる部屋へと向かう。


「お、おじゃましまーす……」


 ライオネットの部屋は宮殿の中にある、何の変哲もない場所にあった。私は、恐る恐るそのドアを開いて、中に入る。

 中は一見して、書斎のようだった。今まで訪ねた宮廷魔術師たちの部屋に比べて、随分狭いように感じる。

 部屋の主は、開いていた本をパタンと閉じると、くるりと私の方を振り向いた。


「僕のところには来ないものだと思ってたんだけどね。懲りないよね、君も」 


 サラサラとした短い金髪に、髪と同じ金色の瞳。ところどころに金色の刺繍が入った、白を基調としたローブ。

 あれ……この人……。


「子ども?」

「君だって子どもに見えるけどね?」


 私がキョトンとすると、その少年は皮肉るように笑った。

 歳は私と同じくらい。なんていうか……ヘルメスくんとよく似ている気がした。


「あなたがライオネットくん?」

「くん付けで呼ばれたのは久しぶりだよ。あと、人に名前を尋ねるときは、自分から名乗るものじゃないの?」


 むっ、さっきからイヤミな子だな。

 今までの宮廷魔術師は、変態変人だらけだったけど、対応は丁寧な人が多かったのに。

 まあでも、私は大人ですから、大人の対応しますけどね。


「サーシャ・アルフヘイム。勇者だよ」

「あぁ、よくある名前だね。君で何人目だったかは覚えてないけど」


 むぐっ! かっちぃーん! 名乗らせておいて、人の名前バカにするとか信じられない!


「話は聞いてるんでしょ! 魔法教えてよ!」

「それが人にものを教わる態度なのかい? 随分高飛車だね、勇者様はさ」

「高飛車なのはどっちよ!」

「わからない人だね。君は生徒で、僕は先生だよ? 君がそういう態度なら、別に僕は君の相手をする必要もないんだ。暇なわけじゃないしね」


 冷たく言い放つと、ライオネットくんはくるりと私に背を向けてしまう。

 な、なんて嫌な子だ! ふ、ふんだ! 私だって、別にあなたなんかに教えてもらいたくなんかっ!

 ……でも、ここで帰っちゃったら、魔法を教えてくれる人が誰もいなくなっちゃう。メイドさんに、別の人を紹介して欲しいって頼めなくもないけど……。


「ま、魔法を教えてください……お願いします……っ!」

「なんだ、ちゃんと頼めるんじゃないか? と思ったら、随分目は反抗的だね」


 椅子を回転させて、くるりと振り返りながら、ライオネットくんはいじわるに鼻を鳴らす。

 悔しい。悔しいけど、仕事をしてたときに経験した理不尽な思いに比べたら、これくらい!


「すいませんでした! 私に魔法を教えてください!」

「めんどくさいけど仕方ないね。一応、君に魔法を教えるのは、王様の勅命だしさ」


 私の態度にライオネットくんはようやく満足したようだった。

 耐えろ私、魔法を覚えるまでの辛抱だ。魔法を教わったら……絶対仕返ししてやるんだ……。


「さて、魔法を教える前に、君に質問がある」

「質問?」

「君は魔法使いになりたいのか? それとも、魔法が使いたいだけなのか? どっちだい?」


 ライオネットくんの質問の意味がわからず、私は何度か瞬きする。

 それって、どう違うんだろうか? 私が答えられずにいると、ライオネットくんは続けて口を開いた。


「魔法を使うだけなら簡単だ。正しい呪文と、その魔法の効果さえ知っていれば、呪文を唱えるだけで魔法は発動する」

「え? それって、呪文と効果さえわかれば、私でも今すぐに魔法が使えるってこと?」

「理解が早いじゃないか。試してみる?」


 ライネットくんの提案に、私はぶんぶんと首を縦に振った。

 こんなに簡単に魔法が使えるなんて。今までの苦労はなんだっただと思えてくるくらいだ。他の宮廷魔術師が言ってたような修行はまるでいらないじゃないか。


「君、知っている魔法はあるかな?」

「えっと、見たことがあるのは、ファイアボールっていう魔法と、アイスニードルっていう魔法かな……」

「なら、ファイアボールにしようか。僕に向けて手をかざして、こう唱えるんだ。凝集せよ、紅蓮の炎。ファイアボール」


 凝集せよ、紅蓮の炎……か。な、なんだか恥ずかしいな。厨二っぽいというか。


「って、ライオネットくんに向けて使えってこと? 大丈夫なの?」

「ど素人が余計な心配しなくていいから、やってみなよ。大事なのは、呪文を正しく発声することと、魔法のイメージをしっかり持つことね」


 ぬぐぅっ! もうちょっと言い方とかないのかな! こっちは一応心配して言ってるのに!

 ……こうなったら、すごいの打ち込んでびっくりさせてやるんだから。イメージをしっかり持つこと、だったね。よし、あのときみた炎の弾丸をしっかりとイメージして……。


「凝集せよ、紅蓮の炎! ファイアボールっ!!」


 私が手をかざして叫んだ直後、目の前に巨大な火球が出現した。

 で、でかい! 私があのとき見た、何倍もの大きさだ! って、こんなのが当たったらただじゃすまないよ!?

 慌てて押し止めようとしたけど、発動した魔法は止まらなかった。渦巻く巨大な炎の塊は、勢いよく私の手を離れて、ライオネットくんに向けて疾走する。


「だ、ダメ! 逃げてぇ!」

「へぇ、ど素人とは思えない威力じゃないか」


 迫り来る火球を見ても、ライオネットくんは微動だにせず、でも少し嬉しそうな表情を浮かべる。

 そして、火球が衝突する直前、さっと右手を振り払うように動かした。


 その瞬間、私が放った巨大な火球は、ライオネットくんの目の前で完全に消失した。


「え……?」

「これが、魔法使いだ」


 呆然とする私を、ライオネットくんが嘲笑するように見つめていた。


「今、君が使った魔法はなかなか大したものだよ。そのあたりのモンスターなら一撃だろうし、魔法が使える程度の冒険者だって、ひとたまりもないだろうね。けど、魔法使いには通用しない」

「な、何が違うの! 魔法が使えるのと、魔法使いって!」

「魔法使いは、魔法を作り出す。今、僕は君の魔法を消し去る魔法を作り出して使ったんだ。呪文を唱えなかったのは、そういうスキルを持っているからだけどね」


 ライオネットくんの言っていることの意味が、私にはよく理解できなかった。

 困惑して何も言えずにいる私に、ライオネットくんは挑発的な眼差しを向けて、


「君は僕に魔法の使い方を聞いて、思ったはずだよ。こんなに簡単に魔法が使えるなら、他の宮廷魔術師が君にさせようとしたような修行なんて、いらないんじゃないかって」

「な、なんでわかるの!?」

「あんなに必死に逃げ回っていたからね。それくらいは考えるだろう?」

「なんで逃げ回ってたの知ってるの!?」

「魔法で見てたからね。右往左往する君はなかなか傑作だったよ」


 け、傑作ぅ!? 私は毎回必死だったのに、それ見て笑ってたのか、この子は!

 っていうか、見ていたなら助けてよ! そう叫ぼうとした私を遮るようにして、ライオネットくんは口を開いた。


「魔法使いの戦いは、君が思うように単純じゃない。呪文だけ覚えて、いい加減なイメージで魔法を放っても、簡単に対応されてしまうんだよ。今僕がやったみたいにね」


 その言葉には妙な凄みがあって、私は思わず口をつぐむ。


「さっきも言ったけど、その辺りのモンスターを倒すくらいなら、今君が使った魔法で十分すぎる。ただね、君が倒そうとしている相手は、その辺りにいるモンスターなんだっけ?」


 少しずつ、ライオネットくんが言おうとしていることが理解できてきた。

 そして、ライオネットくんが言葉の裏に隠している感情も。これは――怒りだ。


「わかっているとは思うけど、魔王は僕よりも遥かに強いよ? むろん、魔法使いとして見た場合の話でね。宮廷魔術師の放つ魔法でさえ、魔王は今僕が君に対してしたように、簡単にかき消してしまうんだ」


 私は、無意識のうちに視線を足元に落としていた。顔を上げることができなかった。

 ライオネットくんの顔を直視するのが怖かった。


「魔法使いを相手に、魔法でダメージを与えるには、相手の理解を上回る魔法を作り出さなければならないんだよ。一目でどんな魔法なのか見抜かれるようじゃ、お話にならないんだ。だから、本当の魔術師は自然を理解することにこだわる。よりリアルで複雑なイメージを構築して、時には魔法の中に自然を混ぜ込む。例えば、魔法でつくった石に混ぜて、本物の石を混ぜて飛ばすみたいな感じかな。複雑でよりリアルな魔法であるほど、理解するのは難しく、対抗できないものになるんだ」


 もちろん、そんなに単純なものではないんだけどね……とライオネットくんは付け足してから、


「君が出会った宮廷魔術師たちはみんな、君を魔法使いに育てようとしていたよ。魔王を倒せる魔法使いにね。そのために、自分たちが血反吐を吐くような研究の末に身につけたものを、惜しげもなく君に与えようとしていた」

「…………」

「僕たちでは束になっても魔王には敵わない。でも、勇者の君ならばと思ったようだよ。自分たちの全てを君が受け継いでくれれば、魔王すらもしのげるんじゃないかって。けなげだよね。僕にはとても真似できないよ」

「…………」

「ただ、君にも同情するんだよ、勇者」


 何も言えず私が黙り込んでいると、不意に、ライオネットくんの声音が優しくなった。


「一方的に、そんな想いを押し付けられても迷惑だよね、はっきり言って」

「――っ!」


 心臓を握りつぶされたような気分だった。

 わかっていた。宮廷魔術師の人たちは、誰ひとりとしてまともではなかったけど、熱意だけは本物だった。真剣に、本気で私に魔法を教えようとしていた。

 ただ、私はその強すぎる熱意についていけなくて、逃げ出したのだ。ここまでして魔法を覚えたいなんて思ってない。それなりに魔法を使えるようになればいいだけで、命懸けの修行までしようなんて思ってない。

 ジェシカさんが頑張ってるのに負けられないとか、そんなことを思ってたくせに! ジェシカさんは命懸けで頑張ってるの、わかってたくせに!

 情けなくて、ぎゅっと唇を噛み締めてうつむくしかできない私の足元に、どさっと分厚い本が投げつけられた。


「この世界で普及している魔法を属性ごとにまとめた、魔法大全だ。それぞれの呪文と効果が簡潔に記してあるよ。持っていくといい」


 私はゆっくりと顔をあげる。ライオネットくんは、そんな私を、あざ笑うような目で見つめていた。


「魔法を使いたいだけの君には、おあつらえ向きのものだろう? 安心してくれ。愚直に呪文を唱えて魔法を使い続けるだけでも、何となく魔法への理解は深まっていく。君はなかなかかしこさが高いようだから、才能はありそうだしね」


 言葉の端々に混じる皮肉に、今は腹が立たなかった。私は、ただ惨めに、足元の分厚い本を拾い上げる。


「いつか壁にぶつかって、君にきちんと覚悟ができたらまた顔を出すといいよ。今度は、君を魔法使いにしてあげるから」


 覚悟……そう、覚悟だ。圧倒的に、足りないもの。また私は、悔しい思いをしたいのかっ!


「絶対、戻ってくるから」


 本を抱きしめながら、何とか一言だけ絞り出す。

 今からもう一度、他の宮廷魔術師たちの修行を受けに行く勇気はない。ここまで言われたのに情けないとは思うけど、それだけはどうしようもなかった。

 だけど、自分の甘さだけは嫌というほど思い知った。ライオネットくんは、魔法を使い続けるだけでも強くなれると言った。なら、まずはそれを目指す。

 ライオネットくんが言う壁にぶつかったときは、今より心も強くなれているかもしれないから。


「口だけなら何とでも言えるからね」


 くるりと、ライオネットくんは私に背を向ける。もう話すことはないというように。そして私にも、もう何も言うべきことはなかった。

 踵を返すと、強い決意を胸に抱きながら、私はジェシカさんの部屋へ戻ったのだった。

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