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股ぶれの極意 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 先輩は「頂点」というものについて、考えたことはありますか? 図形的な意味でも、立場的な意味でもです。

 いずれも角によって成り立つこの部位は、色々なものが溜まります。ゴミであったり、力であったり。

 人間の身体にしてみても頭部はいうに及ばず、手足の先は生活をする上で酷使されますし、腕と身体が交わる脇の下は人体の急所のひとつ。両足の角たる股に至っては、種存続のための重要器官が用意されています。そして言い回しでも、「曲がり角」は転機を表す意味あり。「角が立つ」というのも、関係を悪化させる力が発揮されることを指します。

 私たちは、今でこそ豊富な知識に手軽に触れ、集めることができますが、その多くが先人からの借り物に過ぎません。先の時代に生きた人々は、ひょっとすると「角」に至った存在で、私たちにまで伝えきらなかった「力」の在り方を知っていたのかもしれません。

 ――ちょっと漠然とした表現に、終始し過ぎましたかね? それじゃ身体の角のひとつ、「股」を巡る昔話をひとつ、お届けしましょうか。


 時は戦国。武家たちは日々鍛錬を行い、いつ来るか分からない戦の時に備えて、腕を磨いていました。

 刀、槍、弓といった武具の扱いももちろんですが、馬に乗って駆けることもまた大切な技術のひとつ。遠乗りに流鏑馬やぶさめに、戦う者ならではがおさめる技が多くあったといいます。

 とはいえこの時世では、馬を使った一騎打ちは限られた条件下で行われがちなもの。大半は集団戦と鉄砲の火力がものをいい、馬そのものも実用的な面より、大将格の権威の誇示として扱われることが増えてきていたとか。


 その風潮の中、とある武家の一人に少々、おかしな騎乗をする男がいました。

 彼は馬にまたがる時、鞍のひとつもつけません。野生の馬にその場で乗ったわけではなく、小さい頃から家で育ててきた、彼のための馬です。


「下手に道具を挟むと、ナマの呼吸が分からなくなる。股で直に感じなければな。本来なら布一枚隔てるすき間すら惜しいが、さすがに許されまい。下は履いてやるから、これ以上の心配は無用だ」


 そう話しながらも、彼は走る馬の上で腰を浮かせ、弓を引き絞ります。本来、足の踏ん張りどころとなるあぶみがなくては、とても維持できない姿勢。それを彼は自らの足で馬の胴体を挟み込み、その力で身体を固定させながら、射に持ち込むのです。


「ばかげている。稽古ならいざ知らず、四方から襲われる戦場であのような方法が通じるものか。仮にうまく操れたとしても無駄に足腰を消耗するし、もし馬から降りざるを得ない事態にでもなれば、満足な働きなどできまい」


 そんな評価を下す人が、大半だったようです。彼自身は稽古が終わるたび馬の頭にほおずりしながら労うほど馬を気に入っていて、馬自身も自分から顔を寄せに行くほど、彼に懐いていたそうですね。


 やがて彼自身も戦へ出る機会が増えます。その傍らにはやはり、いつも乗っている馬の姿がありました。陣で待機する時は、周りの目を考えて形の上では鞍を乗せた状態にはしています。

 しかし勝利が見えてきたり、逆に出陣する時が迫ったりすると、彼はこっそり物陰に移動して、鞍を外しにかかったそうです。たいていは前者であり、後者であっても実際に彼自身が出ずに済む場合は多くありました。しかし、ついにその鼻先を敵に合わせなくてはいけなくなった時、彼らは前評判を覆す働きを見せたのです。

 

 彼らが一軍の先頭を切って走り出しました。ただでさえ小兵の多い日本のこまたちの中でもひと回り小さい彼の馬。彼自身が大柄であることも手伝い、その姿は玩具にまたがった子供のように見えないこともありません。

 ですがその体躯に、鎧をまとった彼と槍、更には弓矢を抱えながらも、重さにこたえるような姿は見受けられなかったとか。突撃しながら頃合いのよい距離まで近づくと、彼はいつものように腹で馬の周りをぎゅっと抑えながら、弓を構えて矢継ぎ早に射かけます。彼の脇の騎馬武者たちもそれに続き、一時いちどきに100を超える数の矢が、眼前の敵の一軍を捉えます。先陣の者たちがひるむのが見えました。

 もう相手との距離は30間(およそ50メートル)。惜しげもなく弓を放り出した彼は、槍を構えて敵軍を突き崩しにかかります。たちまち乱闘と相成りました。

 

 将を討つには、まず馬から――という格言がありますが、それは必ずしも戦場では当てはまりません。

 先にも話したように、馬を持つというのは、限られた人間としての権威を見せる点もあります。優れた馬は生かしたまま、手元に置いておきたい。先に将を討ち果たして、主を失った馬をいただくというのも戦う目的のひとつとなり得たそうです。

 所有している人も考えることは同じで、多くの将がわざわざ下馬して戦闘を行う理由の一端は、ここにあったと見ている説もあるとか。

 その点、例の彼は馬から降りることなく、布のように広がった敵陣の真ん中を断ち割っていきます。迫る敵兵を片っ端から槍で薙ぎ払っていきますが、徒歩の相手ゆえにどうしても視線が下を向きがちに。その彼の身体を目掛け、矢や槍で視界の外から狙う者が大勢います。

 

 ですが、そのたびに馬がぽーんと人より何倍も高く跳ぶことで、直撃をかわしていきます。乗っている彼の死角から放たれる矢、繰り出される槍はことごとく空を切りました。見た限り、彼が馬の腹を叩く様子はなかったのですが、まるで跳ぶ瞬間が分かっていたかのように、騎乗の姿勢は崩れません。

「ならば」と、着地際を狙って槍を繰り出す雑兵たちもいました。飛び上がり、まともに着地点を変えられないだろうその馬体に、容赦なく穂先を突き立てんと目論んだのです。

 されどこれも通じない。身体が降り始めた際、馬はにわかに四本の足を空中で激しくばたつかせたのです。そのひづめに蹴り飛ばされ、槍が弾かれたのならまだいい方で、柄がぼきりと折れたり、蹴る強さに負けて横倒しにされたりすることも、珍しくありませんでした。悪いと、馬と彼を足した重さの下敷きにされてしまい、二度と立ち上がれなかった者もいたとか。


 なおも突き進む彼らを、止められる者はいませんでした。彼らが開いた傷口へ、後から後から続く者たちが入り込み、どんどん症状を重いものへと仕立てていく。不利を悟った敵軍が退却し始めた時には、すでに相手の半数近くが動かぬものとなっていたそうです。

 もはや彼と馬の働きを、いぶかしむ者はありませんでした。敵を前にして怖じないばかりか、まるで目が前後左右のすべてについているかのごとく。あれだけ暴れたにも関わらず、人にも馬にも目立った外傷は見られませんでした。。

 ただ、まったくの無事とはいきません。戦が終わった時、馬の背にまたがっていた彼の股の生地がすっかり破れ、ふんどしが丸見えになっていたのです。鞍をつけないままの奮戦ぶりを、雄弁に物語っていました。


「股で感じ、取り入れることが何より肝要。ずっと直に触れていれば、自分を馬とすることができよう。わしに言わせれば、馬も自分もおもんぱかっているように見えて、様々な装具を用い、かえって互いの距離を遠ざけているように感ずる。

 たまには直に尻を置き、股でふれることも要るだろう。この身、上のみならず、下にも口がついておる。出すばかりでなく、取り入れることも考えねばな」


 彼は冗談めかして、そう笑っていたとか。

 この言葉を受けて、彼の騎乗を真似した者もいたそうですが、普段の鍛錬でもまともに乗りこなせない者が半数。残りの半数も、いざ戦となると馬の方が落ち着かないことが多かったとのこと。どうにか走らせることができても、彼が見せた縦横無尽の働きには、及ぶべくもなかったそうです。

 

 彼は長く戦場で働き続けましたが、自分の愛馬が世を去ったのを機に後方へ下がり、軍の指揮を執ることに専念し始めました。

 彼は長らく子供に恵まれず、年を経てからようやく一子が誕生し、非常に可愛がっていたそうです。この頃にはすでに惣無事令が出され、大きい戦が起こることも少なくなってきた時期。息子が成人次第、彼は隠居する心積もりでいました。

 家督を継ぐ時を考え、まずは馬に乗る準備とばかりに、彼は仕事がない時には、自分が馬になって息子を上に乗せつつ、屋敷内を巡ることがありました。その光景をほほえまし気に見守る女房達でしたが、数日後の明け方、彼と息子の姿が見えなくなります。

 家中を探しても見つからず、どうしたものかと困っている折に、玄関から平然と二人が姿を表します。両者ともに服を汚していますが、父親たる彼の汚れ具合は、もはや泥まみれだったとのこと。何があったのか尋ねても、「鍛錬だ」と返されるばかり。

 

 それ以降、「鍛錬」を行う時の父子は、決まって朝に家にいないのです。彼ららしき姿を家の外で見かけたという声は、ちょくちょく目にするのですが、にわかには信じられません。

 息子を背に乗せ、四つん這いで走る父の速さは、まるで本物の馬のよう。更に息子が腹を蹴ると、家よりも高く跳び上がったとか。その姿はまるで、父の愛馬が生きている時の姿にそっくりだと、あの戦ぶりを知っている者は感じたそうです。

 証言について、本人たちからはついぞ肯定の言葉を得ることはできませんでした。が、ひょっとしたら息子は、幼くして股ぶれの極意を得たのかもしれない、と一部の者たちは語ったとか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 凄っ!!! 特に馬が空中で足をばたつかせて、ひづめで蹴り飛ばすところなんて! いや、まぁ、後の父と息子の「鍛錬」も、もの凄かったけれども……(笑)(もちろん騎乗している方もですが) まさに人…
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