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天空ノ箱  作者: 臼-
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光と闇と其の狭間

僕は、四季を目や肌で感じる事の出来る日本に生まれて良かった。然し此の4つの季節と言うモノが人間の感性を豊かにしてくれる分、感受性も知らず知らずの内に培われ身にシミ付いてしまうのだ。所が、表現力と言うのは性格的な分野が関わっている為に、発動と受動が必ずしも連動・連結するとは限らない1つの個性と言う枠に納まっている。其の枠には、目には見え無いが、窓や扉が在る…と、僕は考えている。そして全ての窓や扉は、個人の其の時々の感情に依り扱い方も開閉も自由だ。だが、其は自覚に依り操作出来る事では在るが、其の場合には相当の神経と柔軟性を要す。また其の自覚が無い侭に、無意識に発動する場合に於いても、二通りのmissionが在ると考えられる。静と動、+−。此は、科学的には個人的な測定は勿論、其のメカニズムを形として立証するのは極めて困難だが、受動エネルギーに依り正確な数値では無くても、感覚的な温度は体感する事は可能で在ると言えるのでは無いだろうか…。但し、その接続構成が様々で在るのは言う迄も無いが、其の一つ一つは常に生で在り死では無い。なんで、僕が一体何を言いたいのかと言うのは、四季は四季で在るが、正確には4つには分類されず無数のパターンが在ると言う事だ。更に、日本では、春→夏→秋→冬が順番にループされていると感覚で捉えられているからこそ、季節毎の体感や感受性が豊かに成る訳だ。此は、日本人、又は四季の在る国ならではの特権だ。なんで、結論的に四季に依り培われた心身は、貴方の無数の発受動の根源、所謂、感受性と個性の源と成っている。貴方は、窓も扉も開閉も操作も、無意識なのか?意識的なのか?自由の比重はどちらに多いと考えますか?



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