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第二話 五月

 佐々木が訪ねてきたのは、天井の足音があってから二日後のことだった。

 大学の友人の彼は、思い出したようにたまに僕の家に遊びに来る。その日も彼はアパートに上がり込み。部屋の隅に置いてあったゲーム機のコントローラを握っていた。

 三階連続でゲームに負けたあと、ふと天井のことが話題になった。何か生き物が天井に住み着いているというと、佐々木は目を細めた。

「不動産屋や大家さんに相談した方がいいぞ」

 彼はそう言ったが、すでにアパートを契約した不動産会社には連絡をとっていた。けれどまともに取り合ってもらえず、どうにもぞんざいな対応をされた。大家さんはというと、そもそも遠方に住んでいるそうでほとんどアパートの管理はしていないそうだ。そういえば賃貸の契約をした時も、大家さんとは顔を合わせたことが無かった。

 そんなことを佐々木に話すと、彼はあからさまに顔をしかめた。長身で筋肉質な彼が不機嫌な顔を見せると、それだけで迫力があった。

 気に食わない、と呟いた彼と僕は、どうにかして生き物を対処できないかと考え始めた。

「やっぱり不動産屋に動いてもらわないと駄目だ」

 そう言ったのは佐々木だが、言って動くようでは僕が連絡した時に何かしてくれていた。そう言うと彼は首を横に降った。

「口で言ってもダメだ。動かないと行けない状況にするんだよ。例えば実際にねずみがいることを写真で見せるとかな」

 そして佐々木は天井への行き方を聞いてきた。彼は携帯で写真を撮るつもりだった。僕は不動産屋の対応に腹が立っていたこともあり、佐々木の意見に賛成だった。

 僕は佐々木に頷くと、部屋の隅の物置を開けた。物置は二段になっており、どちらの段にもダンボールや着ていない服が散らばっている。僕は二段目のその上のほうを指差した。天井の、指差した先の羽目板だけが色が違い、押せば外れるようになっている。入居するときに教えてもらったことだ。天井内の修理をする際にはここを通って行うそうだ。

 佐々木は羽目板を外し中を覗き込んだ。しかしすぐにしゃがむと何度もくしゃみをしだした。

「……ほこり臭い」

 咳き込む佐々木の上の、開けられた天井より白い埃が雪のように落ちてきた。埃は佐々木の頭の上にも乗っており、彼の黒髪がうっすらと白くなっていた。頭の埃を払ってやろうと近づいた僕は、その鼻先にカビ臭い匂いを感じた。天井裏から漂ってくるその匂いは、埃だけでなくもっと湿っぽい湿気のような混ざっていた。

 佐々木は持っていたハンカチで口を覆うと、もう一度天井裏を覗き込んだ。彼の後ろから僕は見守る。

「何かいるか?」

「暗くてわからん。何か明かりはないか?」

 ハンカチを当てているせいか、佐々木の声はこもって聞こえた。僕は物置の一段目から懐中電灯を引っ張りだした。佐々木は電灯を後ろ手で受け取ると、電気をつけたうえで天井裏に回した。何度か腕を回して佐々木は天井裏を探っていたが、すぐに諦めて座り込んだ。

「駄目だ。どうにも臭くてたまらん」

 言った直後に佐々木は派手にくしゃみをした。そして埃まみれの顔を何度も拭った。埃を払う度に何か生臭い匂いが僕の方に漂ってくる。鼻に入るだけで、何故か気持ち悪くなるような腐った匂いだった。カビだと思っていたが、本当にそれだけなのだろうか?

 くしゃみをしながら佐々木は懐中電灯を渡し、そして羽目板の方に視線を向けた。見に行くか? と彼は目で問いかけていたが、僕は首を横に振った。羽目板より漂う匂いだけでも、僕のやる気を削ぐには十分だった。

「足あとはあったの?」

「分からない。埃っぽくて目を開けるのもきついぞ。それになんか臭うしな」

 言う度に彼の肩から埃が落ちる。佐々木が袖で拭うと、その手が白い粉でべっとりと汚れた。見かねた僕はベット横のタンスよりタオルを取り出し、彼に手渡した。何度か拭うとようやく見た目には綺麗になったが、佐々木の顔はげっそりと沈んでいた。

「悪い。なんかすごく気持ちが悪くなった」

 言うが早いか、佐々木はふらつきながらトイレの方へと歩いて行くと、戸を閉めた。心配になって彼の方に近づくと、うめき声と何かが流れるような音が聞こえた。中の様子は分からないが、どうも佐々木は吐いているらしい。何度かのうめき声のあとトイレの排水音が聞こえ、彼は扉から出てきた。

「大丈夫か?」

 そう尋ねた僕に佐々木は頷いたものの、彼の顔は真っ青だった。明らかに彼の様子は普通では無かった。天井を見る前まではいつも通りだったので、その変化に僕は異様なものを感じた。

 佐々木は壁に手をつきながら体を屈め、僕の方を見た。

「悪い。今日はもう帰るわ」

 苦しそうな口調に僕は頷くことしかできなかった。彼のカバンを持ってきて渡すと、力なく腕が垂れ下がりつつも、佐々木は受け取った。そして背後の玄関の方へ彼は振り向いて歩き出したが、その途中でふと足を止めた。

「そういえば隣って誰か居るのか?」

「誰も住んでいないよ」

 佐々木は振り返り、眉をしかめた。

「本当か? 天井から明かりが漏れていたぞ?」

「……え?」

 僕は佐々木の顔を凝視した。嘘や冗談を言っているような顔ではなかった。それに佐々木はこんな時にふざけるような人では無かった。

「天井を除いた時に、奥のほうから光が出ていたんだよ。明かりをかざしてみたら、そこの羽目板が外れていたんだ」

「羽目板、というと物置の?」

 僕は佐々木が天井裏を覗き込んだ、あの穴を思い浮かべた。佐々木は頷き、僕の顔を見返した。

「そうだ。たぶんそこから部屋の明かりが出ていたんだろう」

「もしかして2つほど隣の部屋かもしれない。あそこには人がいるし」

 僕は201号室のお婆さんのことを思い浮かべながら答えた。しかし佐々木は首をひねっている。

「……違うと思う。距離的にそんなに離れていなかったぞ。たぶんすぐ隣だ」

 僕は少しだけ、背筋が冷たく思えた。きっと佐々木の気のせいだ、と口にしたかったが、佐々木の口調が嫌に真面目なため、見間違いとか勘違いとはどうしても思えなかった。

 隣は誰もいない。はずだ。では佐々木の見た明かりはなんだったんだ?

「悪い。変なこと言ったな。気にしないでくれ」

 佐々木は早口で言うと、もたつきながらも玄関へと歩いていった。僕は一歩遅れてついていく。けれど頭の中では佐々木の言葉がぐるぐると回っていた。

 佐々木は靴を吐いて立ち上がると、再びよろめいた。

「おい。駅までおくっていこうか?」

「……すまん。ちょっと頼む」

 佐々木はカバンを持って玄関の戸を開けた。扉の外は真っ赤に染まり、空には鮮やかに夕焼けが広がっていた。佐々木に続いて僕も外へ出る。戸締まりをして佐々木を振り返ると、相変わらず彼の顔色は悪かった。

「どうしたんだ佐々木。いくらなんでもおかしいぞ?」

「わからん。どうしようもなく気持ち悪いんだ。……ちょっと肩貸してくれないか?」

 首をかしげながらも僕は言われるまま、佐々木に肩を預ける。そのまま狭いアパート前の通路を歩く。そのまま階段を降りようとしたが、目の前の扉が開き立ち止まる。

 階段の前の201号室から出てきたのは、見知ったお婆さんだった。

「あら、今からお出かけ?」

 お婆さんは朗らかに笑いながら尋ねた。

「ええ、ちょっと」

「そう。お先にどうぞ」

 お婆さんは後ずさると、道を譲ってくれた。僕と佐々木は会釈をして前を通り、階段を降りた。足を下ろすと二人分の足音が聞こえる。元々赤い階段は夕焼けの明かりを浴びて、血のような真紅に染まっている。階段を降りきったところで、横の佐々木が僕の方を振り向いた。

「なあ。さっきのお婆さん俺たちを変に思っていなかったか?」

「変って?」

「肩組んでいるんだぜ? 変に見えるだろ?」 

 佐々木が真面目な顔をしていうので、僕は思わず笑ってしまった。

「そんなこと、気にするようなことじゃないだろ?」

「……そうだけどさ」

 顔をしかめたまま小さく佐々木は小さく呟いた。僕は一笑するように声をあげた。

「たぶん佐々木を気遣って何も言わなかったんだよ。気にするなよ」

「……うーん」

 納得しかねるのか、首をかしげる佐々木を引っ張りつつ、僕は駅へと向かった。

 裏野ハイツから駅までは七分ほどの距離だ。駅の近くは繁華街のようになっていて、裏野ハイツの辺りとは違い、人通りが多く活気がある。まして夕方ということもあって、会社や学校からの帰宅者で昼間以上に歩行者は多かった。駅手前のコンビニまで来る頃には、佐々木の顔色はだいぶマシになり、肩も借りず平気出歩けるくらいには回復していた。

「もう大丈夫だ。あとは自分で帰れる」

 駅の正門まで来たとき、佐々木は言った。そして今日のことを色々と詫たあと、駅の中へと消えていった。

 見送った僕はそのまま裏野ハイツへと戻る。頭の中には隣の部屋のことがあった。

 佐々木とともに駅に向かったとき、202号室の方にも目を向けたが、明かりはなく窓は暗いままで何の代わりもなかった。佐々木が天井を探ってから、気分が悪くなって帰るまで五分か十分ほどの時間しかない。もし202号室にだれかいたなら佐々木が見た直後に明かりを切って隠れていた、ということだろうか。それともやはり佐々木の気のせいだろうか。

 悶々と考えているうちに気がつけば、裏野ハイツの前まで来ていた。太陽は建物の影に沈み、辺りは闇が濃ゆくなっており、空には薄雲の中を星がまたたいている。僕は自室に戻るため階段に足を踏みだす。軋んだ金属音が耳に届き、ふとでかけた時のことが頭をよぎった。

 佐々木と僕は201号室のお婆さんと出会い、そのまま階段を降りた。階段は僕と佐々木、二人分の足音しかしなかった。

 ということは、あのときお婆さんは階段を下りていなかった。

 階段の登る足が止まった。昼間の暖かさが残るというのに、僕の体は冷気でも当てられたかのように悪寒が走った。


 お婆さんはあの時、どこに行こうとしたのだろうか?


 裏野ハイツの2階には三部屋しかない。お婆さんの部屋と僕の部屋。そして空き室のはずの202号室だ。僕達が出ようとしたとき、お婆さんは僕が外出することを見ていたので、僕の部屋へ向かおうとしていたわけではない。とすると行き先は一つしか無い。

 僕は足を止めたまま、二階の通路を伺った。お婆さんのいる201号室にだけ明かりがついていた。普段通りの、何ごともない光景であったが、僕は階段を登る足を、踏み出すことができなかった。

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