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三話

 突然、鍋焼きうどんが食べたくなり、深夜のコンビニで買い物をしてきた。

 冷蔵庫の中が空っぽだったため、ついでに次の休みまでの食材を大量に買い込んできた。

 そんな重い荷物を両手に抱えながら真っ暗な家路を進む。

 アパートの階段をあがり、トビラの並ぶ廊下へたどり着く。

 とたんに、廊下に充満する酒のニオイが鼻についた。

 部屋を出てきたときにはなかったものだ。

 原因と思われるものはすぐにわかった。

 ボクの部屋のトビラに寄りかかり座っている人物、それが発生源だ。

 ブラウスにパーカーを羽織ってスキニージーンズを履いた姿は、シンプルで飾り気もない。

 背中まである長い黒髪を後ろでひとつに束ねている髪型も、シンプルな印象を強くしている。

 そこに、伏せ目がちにした長いまつげと切れ長の目、放たれる射抜くような視線が加わってしまい、厳しく冷たい印象になっている。

 ほっそりとしたカラダと白く透き通った肌もあり、白い着物でも着せれば『雪女』と呼んでも過言ではないだろう。

 その人物には見覚えがあった。

 部屋の右となりに住んでいる女性だ。

 ボクはこの女性を『お隣さん』と呼んでいる。

 そのお隣さんが、真っ白い肌や顔を異常なほど赤く染めている。

 酒がはいっているのは明らかだった。

 そして、お隣さんの足元にはプルプルと震えている半透明のチワワがいる。

 ボクにだけ見えるというわけではない。普通の犬のようにダレの目にも見えるらしい。

 近づくボクに気が付き、お隣さんは立ち上がってこちらを見た。

 六缶パックの缶ビールを手にしている。

 チワワもこちらをにらんだ。ボクに対して警戒の姿勢をとり、威嚇しほえる動作をしている。

 ボクが目の前に立つと、

「おかえりなさい」

 お隣さんがこちらを見ながら冷たい声で言う。

 冷たい声だが、これがお隣さんの通常の声色なのだ。

「カギは?」

 吐く息が酒臭い。

「右のポケットです」

 両手がふさがっているボクに代わって、お隣さんはポケットをまさぐりカギを取る。

 そして、扉の鍵を開けた。

「おじゃまします」

 部屋へはいったが玄関に上がる直前でピタリと止まる。

「彼女さん、来てるの?」

 足元に有った女物の黒いパンプスを指差しながらいう。

「いえ、来てませんよ」

 確かに彼女の靴だが、いつからあったのかはわからない。数日前かもしれないし、数ヶ月前かもしれない。

 気が付いたら玄関に置いてあったので気にせずに放置していたのだ。

 お隣さんが靴を脱ぎ、揃え、室内へとはいっていく。

 ボクが靴を脱ぎ、彼女の靴を下駄箱へしまっていると、居間で電気がついた。

「しょっぱいものがいい」

 ボクが聞くことをわかっていたかのように先回りして答えてくる。

「ボクは鍋焼きうどんを食べますけど」

「じゃあそれつまむ」

 お隣さんは缶ビールをテーブルの上にならべた。

 ボクは、アルミの鍋焼きうどんをガスコンロにかけて、温まるのを待つあいだに買ってきたものを冷蔵庫などへ片付ける。

 仕事でまずい酒を飲んだ日はいつもボクのところへクチ直しにくるのだ。

 お隣さんは詳しい話をしないので、ボクも詳しい話を聞かない。

 箸二膳と温まった鍋焼きうどんを居間へ運ぶと、お隣さんはテーブルにシリコンの鍋敷きを用意して待っていた。

 チワワが興味を持ちテーブルに乗るが、すぐにお隣さんが手で払いおろした。

 鍋焼きうどんとビールの載ったテーブルをはさみ、向かい合うように座る。

 ボクが鍋焼きうどんを食べて、お隣さんがビールを飲みながらときどきこちらへ箸を出してくる。

 そこに一切の会話はなかった。

 まもなくお隣さんは、鍋焼きうどんの具を数個とビール二本目の半分程度で満足してタタミへ寝転んだ。

「そういえば――」

 天井に向かいお隣さんが話し始める。

「ちょっと前に彼女さんに浮気相手だと思われた」

「へぇ……」

 驚かなかったわけではない。

 寝不足のせいで感情を出すのが面倒になっている。

 むこうもそれをわかっているかのように気にせず言葉を続ける。

「『泥棒猫』なんて初めて言われたよ」

 お隣さんは、クチの片端だけを持ち上げてちいさく笑った。

 そうしてまた、無言の時間が流れ、ボクが食べ終えるころには、お隣さんはかすかな寝息を立てていた。

 普段の冷たい表情からは考えられない穏やかな寝顔をしている。

 チワワはお隣さんのお腹の上で伏せていた。少しでも近づいたら噛み付くぞと言わんばかりにボクを凝視している。

 この状態のときに実際にボクがお隣さんの近くにいくとチワワは、立っていれば足首に噛み付き、座っていればのど元に喰らいつく。

 痛みはないがあまり気分のよいものではない。

 眠るお隣さんがまぶしくないように電気を消した。

 部屋が真っ暗になり、窓からの月明かりだけになる。

 そんな暗い中でもチワワは同じ光量を持って半透明だ。

 いつもならこのまま暗闇の中でチワワとにらみ合ったまま朝を迎える。

 だが、この日は違った。

 チワワが突然振り返り、立ち上がり歩き出した。

 行き先を視線だけで追っていくと、チワワは押入れの障子に向かいほえている。

 ボクも立ち上がり、チワワの横を抜け、障子を開いた。

 ボクが確認するより先に、チワワが駆け寄った。

 そこにはボクの彼女のバッグがあった。

 なかを見ると、十五センチ程度のペティナイフがはいっていた。

 ピンク色の柄が特徴的なナイフは彼女の家で見たことがある。

 ――ボクに料理でも作ってくれるつもりだったのだろうか。

 ナイフをバッグへ戻し、押入れの奥へと戻した。

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