私小説事件
――だめ、書けない。
わたしは携帯を放り出すと、ベッドに身を投げた。この時期のお布団は最強、なんて言うけれど、今はすっかり冷えきっていて、わたしに手厳しい。ああ布団よ、我が愛しの君。あなたまでも、わたしをのけ者にしたもうか。文学の神をを失った今、わたしにはあなたしかおらぬというのに。……なーんちって。
某高校の二年生、受験生一歩手前の三月。新文芸部部長のわりに貫禄がないわたしだけれど、部員から原稿を催促するときだけは、充分に圧力を出せる。というかむしろ、怖がられている。ささやかな、地元のコンクールで佳作をとったのが唯一の自慢。言ってしまえばそれだけだけど、わたしは結果を気にしていない。だってわたしは、単に書くのが好きなだけだから。
長時間ごろごろしていると、お布団があたたかくなってきた。うむ、ぬくいぬくい。ってこれ、元はわたし自身の体温だけどね!
さて、困った。
正確には、さっきからずっと困っている。
いつもなら何も考えずに書ける、あまーいラブストーリーが、いつまでたっても降りてこないのだ。
とは言え、こんなことをしていても、部長の自分が設定した締め切りを延ばせるはずもなく。とにかく書かなきゃ。そのままの姿勢でむんずとケータイをつかみ、再び画面とにらめっこする。映るのはわたしの顔。……わたしの顔? あ、電源電源。スマホに変えてから、たまに忘れちゃうのよね。横にあるボタンを押すと、ぱっと現れるロック画面。何もセキュリティーを設けていないこれは、ちょんとさわるだけで解除できてしまう。
フォルダ上に並ぶ、書きかけの物語たち。結末はちゃんと考えてあるのに、どうしても書けない。
原因は分かりきっている。――失恋だ。
ほぼ、一目惚れだった。そう言うのが、わたしのあの終わった恋を表すにはふさわしい。
文芸部誌での世界観に魅せられ、
部活動紹介での低い声に惹かれ、
初めて会ったときの会話のユーモアに笑い、
それぞれ別の個性として、素敵だな、と思っていた。
……なのにそれが、すべて同一人物だったと知ったときの衝撃たるや。しかも、自覚するまでにはかなりの時間を要した。それまでにも、気づかない方が不思議なイベントは沢山あったのに、ほんとうに鈍感馬鹿だ。好きな本を訊いたり、苦手教科の宿題を教わったり、お祭りとか行かないのかなあと考えたり。そんなこんなで自分の恋心に気づいたのは一年生のとき、文化祭の始まる三日前。つまり、約半年後。
でも、結局その壮大な片思いは成就しなかった。昨日、先輩たちは卒業してしまった。告白すらできず、わたしの幼稚な恋は静かに幕を下ろした、というわけ。
恋愛小説が書けないのも、その失恋のショックが大きい。あんなに自分を占めていたものが、突然なくなったのだから、当然だ。それでなくても、わたしは、気分が作品に反映されやすいところがある。
あーあ、自分で語って自分で悲しくなってきた。
もう切ってしまおうと思い、親指を動かす。
しかし、それを制するかのように、バイブレータが作動した。
――メール受信、相手は――
震える手で画面にふれる、初期設定のままで表示されるメール本文、かすかに唇が動く。
わたしは飛び起きると、近くにあったマフラーだけは身につけ、走り出した。
土曜日の午後三時、まだまだ日は高い。
*
「……おせーよ」
「す、みませ、……でも、これでも走って、来ました」
「及第点」
何が及第点なのかは分からないが、息を切らせたわたしの目の前に居るのが、紛れもなく先輩だということだけは、分かる。
――今から学校に来い。
先輩が寄越したメールは、それだけだった。
「髪、ぼっさぼさ」
「え、うわっ」
きゃー、と内心焦りながら、急いで整える。くくっていないわたしの髪は、マフラーの端からぴょんぴょん飛び出ていた。
「……ほんっと、何考えてんだろうな」
「はい?」
髪を直し終え、何かをつぶやいた先輩に聞き返した。
「ま、いいんだけど」
ぽん、と頭に手を置かれる。思わず、目を閉じた。
「でも、どうしたんですか? 急に」
「ああ。ちょっと、一言だけ」
そのまま、髪を撫でられる。
「迷ったんだが、やっぱり言いたくてな。もう遅いだろうけど」
正直、混乱している。
だって、こんなこと、されたことなかったから。
「驚くなよ、……あー」
待って、タンマ。
手が離れたかと思うと、今度は自身の頭を抱えた先輩。その表情はちらりとしか見えなかった。でも、その状況を把握するのには充分で。
「ね、先輩」
「何だこのやろー……、」
「女の子って、変なところで鋭いんですよ」
「……ああ?」
少々ぶっきらぼうに答える先輩。
わたしは、かわいいなあ、と思いつつ。
「だって先輩、わたしとおんなじ表情してるんですもん」
とだけ、答えた。
*
「うっわ」
後輩のアイちゃんが声をあげた。
新入生歓迎号を刷り上げ、製本が終わったところだった。時間が中途半端に余ってしまったので、それぞれ好きな作品を読んでいる。アイちゃんはわたしの作風を気に入ってくれているようで、毎回わたしの分から読んでくれる。
「お気に召しませんで?」
「いやいや、いつも通り素晴らしいんですけど、でもあの」
やけに言葉を濁すアイちゃん。続きを促すと、言いにくそうに、
「いつもより、かなり甘すぎません?」
どうやらやはり、わたしは作品に気分が現れやすいようだった。




