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黒い手と光の槍

作者: 川犬

この作品は、2014年度の学園祭にて配布した小説です。一部、加筆修正が加えられています。

 ピ――――――ッ

 この音を聞いて、俺の中から何かが壊れる。じわじわと全身から汗があふれ出てくる。

 『手術中』と書かれたプレートの明かりが消える。

 扉から眉間にしわを寄せている医者が出てくる。俺はゆっくりと立ち上がり、医者の反応を待つ。

 それから医者は首を重々しく横に振った。

 その瞬間、全身から力が一気に抜け、俺はどさりと床に膝をついた。

「ああああああああ」

 何もする気が起きない。何もかもがどうでも良くなってきた。

 ははははは、これから俺はどうすればいいんだ? ははははは。


 俺には絶望しかなかった。



「ッァアア!」

 俺は飛び起きた。カチッカチッカチッと時計の針が動く音が聞こえる。時間は正午を少し過ぎたぐらいだ。

 薄暗い部屋。少し散らかっている机。たくさんの漫画が入っている本棚。倒れている写真立て。

 そこが俺の部屋だって気づいた頃には気分は落ち着いてきていた。

 さっきのが夢で本当によかった。

 冬なのに全身汗びっしょりだ。その汗が冷えて寒くなってきて俺は床に落ちている布団を拾って纏った。

 しばらくそうしていても、時間がただただ経過していくだけなので、俺は寒さに耐えながら布団から脱出することにした。

 俺はタンスから衣服を取り出し、着替える。それから、朝食か昼食か分からないような食事をして、家を出る。

 母さんは慌てながらも家から出てきて、俺に向かって手を振っていってらっしゃいと言った。母さんは満面の笑みだった。

 高校二年生の冬。空はどんよりと曇っていた。昨日の夜に見た天気予報によると明日辺り雪が降る可能性が高いらしい。雪が降るならるいと一緒に雪だるまを作ろうかな。

 るいってのは誰かというと俺の彼女だ。二年前からいろいろあったけどずっと付き合っている。

「よいしょっと」

 俺は錆びたフェンスを飛び越えて、『いつもの場所』に向かう。

 錆びれたブランコ、シーソー、滑り台、砂場。

 曇っているせいかいつも以上に寂れているように俺の眼には映っていた。だがそんな公園には似つかないような少女がブランコに佇んでいるのが見える。

 俺はその少女に近付く。

「るい」

 俺の声に気付いたるいは、こっちを向いて俺を認識したのかにこりと微笑みながらブランコから降りた。

 きれいな瞳。白い肌。微かに茶色い髪は背中まで伸びていて風で少したなびいている。

「幸也君ーおはよ!」

「おはよう、るい」

 るいはとてとてと俺のところに近付いてきた。俺は丁度撫でやすい位置に頭があったので撫でてやった。るいはえへへと微笑んで気持ちよさそうにしている。

 ちょっとしてから、るいは撫でている俺の手を取った。るいの手はひんやりしていた。

 るいの手を暖めるかのように手を握り返す。

「ね、ブランコ座ろ!」

 俺は無言で頷き、るいに手を引かれてブランコに座った。

 手は繋いだままだ。

「ねね、この前あったことなんだけどさー」

 それから俺とるいは夢中になっていろんなことを話し合った。るいがちょっと前にあった出来事だとか、俺が見た映画の話だとか、友人の話だとか。

 るいが笑顔になるたびに俺も笑顔になる。俺はこの時間が他の何よりも大切であり、幸せに感じられる時間であった。

 ずっとこのままでいたい。でも、そういうわけにはいかない。

「――っていうことがあったんだって!」

「ははは、それはすげーな。……っとそろそろ時間大丈夫か?」

 いつの間にか辺りは暗くなりつつあり、気温が下がり涼しくなってきた。

 るいは公園に設置されている時計に視線を向ける。

「あ……もうこんな時間」

 るいは目を伏せた。

「お別れの……時間だね」

「何悲しそうな顔してんだよ。また会えるだろ」

 俺達はブランコから降りた。

 相変わらず暗い表情のるいの頭を俺は再度撫でてやる。

 るいの家庭は厳しいらしく、門限が午後六時なんだそうだ。それを破るとしばらく外出が禁止されるらしい。だから、一緒にいられるのは大体暗くなり始める今ぐらいまでが限界だ。

 俺はるいの頭から手を離した。

「そうだよね。また会えるもんね」

 るいは俺から離れる。俺は公園の出入り口へと歩み、最後にもう一度振り返ってるいに手を振った。

「じゃあな、また明日」

「うん! 幸也君じゃあねー!」

 俺はるいと別れ、自宅へと向かうことにした。



 るいと別れてから数分、住宅街が広がる道路を歩いているとこんな声が聞こえてきた。

「――もう一度確認するが今回のターゲットは井江るいで合っているな? ああ。そうだ。……了解した」

 凛とした声。その声がるいと発するのを俺は聞いた。

 今回のターゲットがるい?

 思わず歩みを止めて声のした方を向く。

 黒いローブを纏った人が電柱に寄り掛かりながら、スマホを耳に当てて電話しているのが見えた。

「安心しろ、私が失敗するわけがないだろう。今回も成功させてみせるさ」


 ――成功させてみせる?


 どういうことだ。何を成功させてみせるんだ? るいに関する何かなのか?

 俺は全身から冷や汗がぶわっと出てくるのが分かった。相手はフードを被っていて顔は見えないが声は女性そのものだったので、おそらく女性だろう。

 俺は声をかけてるいをどうするのか聞き出そうかと思った。だが、黒ローブの女が電話を終え、電柱から離れてさっき俺が歩いていた道を歩みだすのを見て、聞き出そうとするのを止め、こっそりと後を追うことにした。

 黒ローブの女はスタスタと歩みを進めていく。辺りはすっかり暗くなっており、注意深く見ていないとローブの黒色が闇に紛れてしまいそうだ。

 黒ローブの女が歩むスピードは意外と速く、ついていくのがやっとである。そして、行き先は間違いない。完全にあの公園だ。

 黒ローブの女はるいに関する何かを成功させてみせると言っていた。まあ、るいが公園に残っているとは思えないから、無駄足になるのは明らかだが。それでも、あの女を見過ごすわけにはいかない。

 成功させてみせるとはどういう意味なのか。……俺にとって良い意味ではないような気がする。

 公園が見えてきた。

 黒ローブの女は歩みを止めない。俺も音をたてないように歩み続ける。

 公園の中にあの女が消えていくのを見て、俺は公園の入り口付近まで来た。入口から公園の中を見る。

 るいを探すあの女の姿が見えるのだろう、と俺は思った。

 だが、現実は違った。

「それまでだ」

 俺は自分の眼を疑った。俺の瞳に映ったのは、黒ローブの女がるいの姿を探しているものではなく、るいと黒ローブの女が対峙しているところだったからだ。

「……え? 誰?」

 るいは突如現れた目の前の黒ローブの女に目を向け、体の動きを止めている。困惑しているような表情をしていた。

 なんで、るいがいるんだ? 帰ったんじゃないのか?

 俺は腕時計で時間を確認した。

 午後五時半。門限は六時だからまだ時間に猶予はある。

 黒ローブの女はフードをゆっくりと外す。そこからショートカットでボーイッシュな女の横顔が見えた。

 それと同時に黒ローブの女の左手が光りだし、光の玉のようなものが生成される。

「お前は本来ここにいるべきではない。消えてもらうぞ」

「……」

 光の度合いは徐々に強くなる。

 その光の玉がいったい何なのか、その光の玉をどうするのかを考える前にはもう足が動いていた。黒ローブの女はるいに光の玉が生成されている左手を向ける。

「――シュートッ!」

 その発言と同時に光の玉は黒ローブの女の左手から離れ、るいの方へと飛ぶ。

 るいは両手を顔に押し当てて、その場で固まっていた。

 俺はそんなるいと光の玉の間に何とか入り込み、手を広げて光の玉を受け止めようとする。

「ァアッ!」

 光の玉は腹に直撃する。痛みはなかった。

 ふわっと身体が一気に軽くなる感覚。まるで重たい鎧を脱ぎ捨てたかのような。

 それだけではない。

「……え?」

 目の前には俺の身体があった。その身体はプツリと糸が切れたかのようにどさりと倒れ込む。

 俺は慌てて今の自分を見る。

 俺の身体は半透明になっており、地面が透けて見えた。

 どうなってるんだ……これ。

「おい君、何やってるんだ!」

 黒ローブの女が驚いたような表情で倒れている俺の身体に駆け寄ってくるのが見える。

「くそ! なんでこんな時に邪魔が!」

 黒ローブの女はぴくりとも動かない俺の身体を起こし、手を俺の胸に当てる。そして、目を閉じた。

「――リターン」

 女が何か言ったかと思いきや、突如、俺の半透明の身体は女の方へと引き寄せられ始めた。

「うお! なんだこれ!」

 強い風なんて吹いていないのに、後ろから何かに押されているような。前から何かが俺を引っ張っているかのような。

 とにかく、俺は抵抗することもできず、どんどん黒ローブの女の方、俺の身体へと引き寄せられていった。

 ある程度まで引き寄せられた時には俺の視界は暗転し、意識が朦朧としてくる。

 このままじゃ気を失ってしまうことが自分でも分かった。

 だがどうすることもできなかった。


 俺の意識は途切れた。



 寒い。

 冷たい風が俺の顔を突き刺すように撫でる。

 俺は寒さを凌ぐために体を丸めようとする。

 だが、その過程で今俺が寝ている場所がベッドの上ではないことが分かった。

 下はゴツゴツとしていて、枕と思わしきものはなんだか生暖かい。

 確か俺はるいを助けるために、身代わりになって、それでいろいろあって気を失ったんだっけ。

 だとしたら、今どこにいるのだろう。あれが夢じゃないなら、自宅のベッドではないことは確実だ。

 俺はそうっと目を開けた。

 視界に入ったのは街灯に照らされた夜の公園だった。

 俺は眼をゆっくりと擦る。まだ眠気は完全には取れない。

「お、目が覚めたか」

 すぐ真上から黒ローブの女の声が聞こえ、俺はビクッと肩を揺らした。

 すぐさま、声のした方を見る。

 俺の顔を覗き込もうとしているボーイッシュな雰囲気を醸し出している整った顔がそこにはあった。

「どわわぁ!」

 すぐ近くに顔があって、俺はびっくりして思わず起き上がろうとするが、その際にゴツンと女のおでこと俺のおでこが勢いよくぶつかってしまう。

「きゃあっ」

「いてぇ!」

 俺はあまりの痛みに両手でおでこを抑えようとして、どこかから転げ落ちた。

 さらに腰や腕にも痛みが生じる。二次災害だ。

 その痛みに耐え、俺は何とか立ち上がった。

 それと同時に、俺の身体からザザーと何かがずり落ちる。

 音のした方向に目をやると、黒ローブが地面に落ちているのが見えた。どうやら、俺が寝ている間、この黒ローブが俺に被さっていたらしい。

「いったいな……」

 そんな風に言う女の姿はというと、黒いシャツに短パン姿だった。冬にその服装は俺なら流石に耐えられない。

 ちなみに女は長椅子に座っていた。俺は長椅子から落ちたようだ。

 ……とりあえず今の状況からするに、俺が気を失っている間、女が俺に寒さを凌げるように女自身の黒ローブを俺に被せ、膝枕をしながら、目が覚めるのを待っていたらしい、ということは推測できた。

 徐々におでこの痛み、腰、腕の痛みは引いてくる。そして、目も覚めてきた。

 目が覚めてくるとはっきりと思い出すことが出来た。この女が不思議な力でるいを攻撃しようとしていたことをはっきりと思い出すことが出来た。

 怒りが込み上げてきた。頭に血が昇っていくのが自分でも分かる。

「おい、お前。るいに何をしようとした」

 るいにぶつけようとしていた光の玉を俺が受けたら、身体と精神が分離したんだ。ターゲットであるるいにあんなものをぶつけたらどうなっていたことか。

 女は自分のおでこを片手で押さえていたが、そこから手を離した。

「私の名前は『お前』じゃない。クロ、だ」

「いいから、るいに何をしようとしたか答えろよ」

 俺の中の怒りはさらに燃え上がった。

 クロは、はぁと溜息を付き長椅子から立ち上がる。

「ったく、目が覚めるまで待ってやったのになんだこの仕打ちは……。まあいい、君は井江るいとはどんな関係だ?」

「るいは俺の女だ」

「今でも、恋人同士なのか?」

「当たり前だろ! というか俺の質問に早く答えろよ。ケンカ売ってるのか? オイ」

 なんだ。今でも恋人同士なのかって質問は。そうに決まってるだろ。

 俺は肩を震わせる。クロはそんな俺をなだめるかのようにこう言った。

「まあ落ち着け。私は君の敵ではないから君に危害を加えるつもりはない。そして本当にすまないがもう一つだけ私の質問に答えてはくれまいか? そうしたら、君の質問に答えよう」

 俺は無言でクロを睨んだ。

 クロはそれを肯定と受け取ったのか、勝手に話し始める。

「質問は、君には井江るいはどんな風に見えているのか、だ」

 るいがどんな風に見えているかだって?

 クロの質問の内容は明らかにおかしい。今でも恋人同士なのかだとかどんな風に見えているのだとか。

 そのことについて疑問には思うが今はそんなこと気にしていられない。俺の質問に答えさせるのが最優先事項だ。

「るいは俺にとっては世界で一番かわいい女性のように見える」

「ふむ、幸也には井江るいがそう見えているのか……そうか」

 そのクロの発言が、瞬間的に俺の中の炎をさらに盛り上がらせた。

 なんで俺の名前をクロは知っているかというのはどうでもいいが、その後の発言にはカチンときた。

「そう見えているのかってなんなんだよお前! 何度も言うけどな、お前はるいに何をしようとしたんだよ! 早く俺の質問に答えろよッ!」

「だから落ち着け。答えよう」

 クロは少し間をあけつつ、続けた。


「井江るいは、既に死んでいる」


 重みのある発言だった。俺はクロが何を言っているのか理解できないでいた。

 全身からぶわっと汗が噴き出る。

 喉が渇く。

 心臓の鼓動は加速する。

 そんな俺の様子をクロはじっと見ながら、ため息をついた。

「気が付いているはずだぞ、幸也も。井江るいは一年前に既に死んでいる」

「……は?」

 何を言ってるんだこいつは何を言ってるんだこいつは何を言ってるんだこいつは何を。

 理解できない。意味が分からない。

 俺の中の何かが崩れ落ちる音が聞こえた気がした。

「だから、井江るいは死んでいる」

「でも、見エルヨ? ちゃんと触れラレルよ? 死んでるわけナイダロ」

 死んでる訳無いだろ。ふざけたことを言うな。

「私はゴーストバスターだ。知らないだろうから説明するが、基本的な仕事内容は人間に害を及ぼす霊を天界へ強制的に送還させることだ」

 死んでるわけナイダロ。ナイダロ。死んでる訳無イ。

「井江るいは悪霊だ。そしてその被害者は、幸也。君だ」

 被害者が俺? ナンデ?

「君の母親から依頼が入ったんだ。『一年前に亡くなった彼女のことを何度も口にしながら毎日学校にも行かず、勝手にどこかに行ってしまう。日に日に痩せていく。お願いだから助けてください』とな」

 そう言いながら、クロはポケットから紙切れを取り出し、光の玉を生成し紙切れを照らしながら、俺に見せてきた。

 そこには先ほどクロが言っていたことが書かれていた。

 俺はその紙切れを奪い取ろうとするが、クロはすぐに紙切れをひっこめてしまったせいで、奪い取ることが出来なかった。

「くそ、クソクソクソ。それを寄こせ!」

 俺は諦めようとせず、なおも紙切れを奪おうとクロに襲い掛かろうとする。

 クロはそれをひょいと避けた。

 俺の視界からクロが消える。かと思いきや、激痛が俺の腹を襲った。

 腹に何らかの攻撃が当たったのだろう。

「ああああああッ!」

 痛い。痛い痛い痛い痛い。

 あまりの激痛に俺は立っていられなくなり、膝をガクリと落とした。

「現実から目を背けるな」

「……ッくぅ」

 俺の視界がぼやける。たぶん、俺は泣いているんだ。

 なんで俺は泣いているんだろう。あまりの痛さに俺は泣いているのか? クロがるいの存在を消そうとしているのに俺が無力なあまりに何もできそうにないから泣いているのか? それとも別の理由があるのか? 分からない。

 こちらに歩み寄ってくる足音が聞こえる。そして、俺の目の前でその音は止まった。

「一日だけ、時間の猶予をやる。明日一日で自分の気持ちと決着をつけろ。明後日午前一時に、井江るいを天界へ送還する」

 今度は足音が遠ざかって行く音が聞こえた。

 俺はどうしようもないくらいに泣いていた。

 膝をついて泣いている俺と、クロが纏っていた黒ローブだけがしばらく夜の公園に佇んでいた。



 朝になって俺は目を覚ました。

 周囲を見渡すとそこは自室であることが分かった。

 もしかして昨日のアレは夢だったのか? と思ったが、その期待はすぐに打ち消された。黒ローブが、カーペットが敷かれている床の上に無造作に放置されているのだ。

「……」

 昨日、あれからどうやって家に帰ってきたのか覚えていない。ただ、帰る前までずっと泣いていたってのは覚えている。

 俺は朝食を食べる気にはなれず、牛乳だけ飲んで家を飛び出した。

 母さんがいつもみたいに俺を引き留めようとしたが、俺は力尽くで突破した。背後で、母さんの悲痛の叫びが聞こえたような気がした。

 頭の中はるいのことでいっぱいだった。

 昨日、俺が気を失っている時に、もしかしたらクロがるいを消してしまっているのかもしれない。

 そんな気がしてならなかった。

 俺はいつもの道を駆け足で進み、フェンスを越えて、公園の前まで来た。

「はぁっ……はぁっ……」

 一旦、呼吸を整えるために公園の前で立ち止まる。

「すー……はー……よし」

 俺は入口から中に堂々と入った。

 いつもなら俺の存在に気付いたるいが迎えに来てくれるはずだ。

 しかし、迎えは無かった。

 錆びているブランコ、シーソー、滑り台、砂場。俺は公園のすべてを見渡す。

 しかし、るいは見当たらなかった。

「るい……?」

 いない?

 いないのか?

 もしかして、本当にクロに消された? 消されちゃった? なあ、消されちゃったのか?

 俺はたまらなくなって大声で叫ぶ。

「ッおい、るい! どこだよ! いるなら返事してくれよ、頼むよ……」

 俺はガクリ、と膝をつき、両手を地面につけた。

 思わず両手に力が入って爪の間に土が入ったが、そんなのはどうだって良い。

 だって、るいはもう――

「――幸也君? どうしたの?」

 俺はハッとなって顔をあげた。

 きれいな瞳。白い肌。微かに茶色い髪は背中まで伸びていて風で少したなびいている。

 俺の眼には、はっきりと困惑してこちらの顔を覗いているるいの姿が見えた。さっきまでこの公園にはいなかったはずのるいの姿が見えた。

「るい!」

 俺はるいに抱きついた。

 るいはびっくりするくらい冷たかった。

 そんなるいを俺は暖めるかのようにさらにきつく抱きしめる。

「ん、幸也君……いたいよ」

「へ、あ。ああ、ごめん」

 るいの苦しそうにしている声を聞いて、俺はるいからそっと離れた。

 るいは死ぬほど真っ白い頬を少しだけ赤らめていた。

「幸也君、いきなり、だ、抱き付いてきてどうしたの? 何かあった?」

 そんな感じに照れているるいを見て、俺はふふっと微笑む。

「な、何がおかしいの?」

「いや何でもない。それよりさ、お話ししようぜ。いつもみたいに」

 そう言いつつ、俺はるいをブランコへと誘導した。

 るいはそれに従い、俺とるいはブランコに座る。ブランコは少し軋む。

 俺とるいはそれからずっとしゃべり続けた。

 お昼を過ぎてもしゃべり続けた。お腹が空いても気にしないでしゃべり続けた。だんだんと暗くなってきてもしゃべり続けた。るいの門限の時間が迫ってきてもしゃべり続けた。門限の時間を過ぎてもしゃべり続けた。るいは帰る気は無いようで、お互いずっと笑いあいながらしゃべり続けた。死ぬ気でしゃべり続けた。

 ずっとこのままでいたい。今まで俺はそう思っていたが、それを実行はしなかった。

 だけれど、今の俺はそれを実行しようとしていた。

 クロが消しに来る? それなら、俺がクロからるいを守ってやる。絶対に守ってやる。

 るいを消そうとしてくるあいつは俺の敵だ。あいつは俺の味方だって言っていたけど、そんなのは嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。俺の味方だっていうなら、俺を悲しませるようなことはしないはずだ。だから嘘だ。嘘だ。嘘だ。

 俺は何かに憑りつかれたかのように笑顔でるいと会話を続けていた。喉はカラカラで、お腹が空いて頭がクラクラしていたが、そんなのはどうでもよかった。

 自分が何を話しているのかも分からなかったが、それでも話し続けた。るいはずっと笑顔でそれに相槌を打ったりしてくれた。

「いい加減目を覚ませ、幸也」

 頭に強い衝撃が来ると共に、俺の視界からるいが突然消える。次に俺の視界に映った景色は、荒れ果てた地面だった。口の中に砂が入ったのか少しじゃりじゃりする。

 さっきの声は間違いなくクロだ。ああ、るいを守らないと。

 俺はるいを守るべくすぐに立ち上がろうとしたが、今度は体中に強い衝撃が来た。

「ッガァア!」

 俺の身体は光り輝く縄のようなものでぐるぐる巻きにされて身動きが取れない状態になっていた。

「現実を見ろ、幸也!」

 クロの叫び声が脳内を走り抜ける。

 俺はなんとかクロの叫び声がした方向へ首を向けた。

 そこにはクロとそれに対峙しているるいの姿があった。

 るいは一年前と同じ服装で、足が透けていて、胸部にはぽっかりと穴が開いていた。その穴から黒い手がうじゃうじゃと何本も生えてクロを襲おうとしている。

 クロは襲いかかる黒い手目掛けて光の玉を放っている。光の玉と黒い手は相殺するが、その分、穴から黒い手がさらに生えてクロを襲った。

「君は、井江るいのこんな姿を見て可哀想だとは思わないのか! 早く天界へ送ってあげようとは思わないのか!」

 るいはずっと無表情でクロのことを攻撃している。

 俺と会話している時もるいはずっと無表情だ。俺が何を話しても何も返事をしてくれない。ただ、隣にいて俺に黒い手を伸ばし俺から何かを吸い取っているだけだった。

 でも俺はるいがそばにいるだけで十分だった。るいとのやり取りを想像しているだけで楽しかった。

 そう、全部俺の想像だ。るいとのやり取りは全部架空の出来事だ。

 るいがもう死んでいる? そんなのは知っているさ。だって、一年前、この公園を一緒に出ようとしたときに車にはねられて、重体になって、それの手術に失敗して抜け殻となったるいを目の当たりにしたんだからな。

 でも、るいは居てくれた。変わり果てた姿でこの公園に居てくれた。

 そんな変わり果てた姿になってもるいはるいだ。俺の最愛の人だ。

 だから、例えるいが悪霊になっていたとしても、そんなのはどうだっていいんだ。俺はるいがそばにいてくれるだけでいいんだ。

 俺はクロに想いをぶつける。

「可哀想なわけあるかよ! るいを天界に送ってしまったら俺とるいは離れ離れになってしまうじゃないかよ!」

「そうか、君は何か勘違いをしているようだな」

 クロはそう言いつつ、少し大きめの光の玉をるい目掛けて解き放った。

 その光の玉に当たった黒い手はすぐに消滅し、るいを貫いた。

 るいはよろめき、胸部にぽっかりと空いた穴から黒い霧のようなものが勢いよく噴き出た。

「……おい、てめえ! 早くこれを解除しろ! おい!」

 俺は必死でジタバタしたが、光の縄は解除されなかった。

「魂というのはな、本来あるべき身体に宿っていない状態でこの世に留まっているとそのうち無自覚で周囲から生のエネルギーを吸収するように変化していく」

 るいはこの世のものとは思えないような悲鳴を上げた。

「クソ! クソッ! クソッッ!」

「井江るいは、元は善良な霊だったがこの世に留まり過ぎた。それ故に、生のエネルギーを吸収するような悪霊となってしまった」

 君は、悪霊となり周囲に危害を加えている井江るいの気持ちを考えたことがあるか? 君自身に危害を加えている井江るいの気持ちを考えたことがあるか? と、クロは続けた。

「は?」

 それは……考えたことなかった。

「井江るいが日々やつれていく君をどんな気持ちで見ているか考えたことあるか」

 考えたことなかった。今まで自分のことばっかりで全然そんなことを考えてもみなかった。

「井江るいは君がやつれてここで朽ち果てることを望んじゃいないはずだ。ちゃんと学校に通って勉強して友人と遊んで新しい恋をして楽しい毎日を過ごしてほしいと思っているはずだ」

 俺はいつの間にか抵抗をやめていた。手はぶるぶると震えていた。

「ちゃんと井江るいを見送ってやろう。天界で幸せになってもらおうじゃないか」

 るいの方を見る。

 ぽっかりと空いた穴からゆっくりと黒い手が再び生え出してきている。

 クロはそれを見て会話を止め、再び光の玉を生成しようとしている。

「……」

 俺は縛り付けられたまま動かないでいた。

 クロの言っていることは正しい。そして俺は間違っている。

 そんなことは理解していながらも、るいへの依存を俺は絶ち切れないでいた。

 だって、それでもるいと別れることになるんだぜ? 今度こそ一生会えなくなるんだぜ?

 そんなの辛すぎるじゃないか。

 クロは光の玉を生成し、るい目掛けて飛ばす。しかし、いくらるいに当ててダメージを与えても、すぐさま回復してしまう。それは今まで俺から奪った生のエネルギーが膨大であることを意味する。

「クッ……これじゃあ埒が明かないな。それならば」

 クロはさっきよりもるいから距離を取り、ブツブツと詠唱し始めた。すると、クロの手から光り輝く槍が形成されていく。あれで一気に大きなダメージを与え、とどめを刺すつもりなのだろう。

 さっきまでの俺なら叫び散らし何とか暴れまくって縛り付けられている物を解いて、るいを守りに行っただろう。だが、今の俺はなにもできないでいた。

 このまま俺が動かなければ、るいは天界へ逝ってしまう。

 そっちの方がるいは幸せなんだ。だから、このままでいいんだ。そう、自分に言い聞かせる。

 と、さっきよりも力強く身体を締め付けられていることに気が付いた。

「……ッ」

 俺の身体はクロの光の縄で縛られているのではなく、いつの間にか地面から生えた黒い手によって縛りつけられていた。

 荒々しく乱暴に俺の身体を縛り付けてくるそれの数は徐々に増えていく。

 そして、俺の身体から力がどんどん抜けていくのが手に取るように分かった。視界もぼやけていく。

 このまま、クロに助けを求めなければ、俺、死ねるのかな。それでもって、るいと一緒に天界に行けるのかな。

 そしたら天界で俺はるいとずっと一緒だな。毎日遊んで毎日笑い合う。絶対楽しい。

 楽しい。

「幸也!」

 突如、クロの声が聞こえてきた。

 なんとか気力で顔を持ち上げると、クロがこっちの状態に気付いて、光の槍を持ったまま駆け寄ってくるのが見えた。

「間に合って……くれッ!」

 クロは俺の元まで来て詠唱を始めた。

 すると、束縛が徐々に弱くなって、最終的には完全になくなったのを感じた。

「良かった……」

 クロはほっとした表情で俺の顔を覗いてすぐさま、るいの方へ向き直ろうとする。

 だが、向き直ることは無かった。

「ぐゥァッ」

 目の前にいるクロの足がゆっくりと宙に浮く。

 視線を上にあげると、二本の黒い手がクロの首を絞めているのが見えた。

「ァアアアアッ」

 ガラン、とクロの手から光の槍が落ちる。それは俺の目の前に落ちる。クロは黒い手を外そうと必死にもがいていた。

 このまま俺が動かないでいればクロは生のエネルギーを全て吸収され、絶命するだろう。そうすれば、俺とるいだけが残る。

 それでいい、とは思わなかった。

 俺が死ぬのはいい。だが、るいが人を殺すところを見るのは嫌だ。

 るいが人を殺すのを俺が止めなければいけない。止めなければダメなんだ。

 俺は震えあがった手でなんとか落ちている光の槍を手に取る。力強く握り締める。

 眼から滝のように涙があふれてくる。これからすることは、今までの俺の想いとは正反対のことだ。俺自身を裏切る行為だ。

 俺は涙を拭いながら気力を振り絞って立ち上がった。

「るい……」

「……」

 るいは俺の方を見向きもしない。ずっと、無表情の青い顔をクロに向けている。

 そんなるいの黒い穴に狙いを定め、光の槍を構える。

「ぁぁあああああああああああああああッ!」

 俺は眼を閉じて直進した。

 槍が何かに突き刺さる感触が俺の手に強く伝わる。ドサリ、と何かが落ちる音とけほけほっと咳き込む音が聞こえた。

 眼を開けるのが怖い。でも、変わるために開けなければならない。

 ゆっくりと眼を開けるとるいがすぐそこにいた。るいの黒い穴に光の槍はちゃんと突き刺さってしまっていて、そこから黒い霧がものすごい勢いで噴き出て消えていった。

 俺は思わず槍から手を離し、へたり込む。

 るいは苦しんでいる様子もなく、立ったまま俺の方を見ていた。黒い霧が噴き出る度に存在が薄くなっていくのが見て取れる。

 直感的にるいは天界に逝ってしまうのだなと理解してしまう。

 ああ、やってしまった。

 るいはどんどん存在を薄くしていく。いつの間にか光の槍は消滅しているのに、黒い霧の噴出は止まらない。

 そして消える直前にるいは俺の方を向いてやさしく微笑んだ、ように俺には見えた。

「今までありがとうね、幸也君。寂しいと思うけど、……じゃあねっ!」


 そんな風に言っていたのだと思う。


「幸也……」

 クロがゆっくりと近づいてきて、俺の手をやさしく包み込むように握った。

「大丈夫だ。君の選択は間違っていない。これでよかったんだよ」

 クロは俺の手から手を離し、立ち上がる。

「明日から君の新しい人生が始まる。君はそれを存分に楽しむんだ。それが井江るいの救いになる」

 肩がほんの少しだけ軽くなったような気がした。


 

 その次の日から俺は学校に登校していた。

 登校する前、両親は学校に向かうための支度をしている俺を見て泣きわめいていた。そんな両親に俺は土下座をして今までのことをすべて謝った。

 学校に到着して、かなり前に家に届いていたプリントに書いてある教室に入ると教室にいる人々がこっちを見て、なにやらひそひそと会話をしていた。

 俺はそんなのは気にしない。一年近く休んでいたんだ。そんな俺が突然学校に来るようになったって言うのなら、びっくりするのも仕方がない。

 俺はひそひそと会話をしている一人に話しかける。

「なあ、俺の席はどこだ?」

 その人は、ビクッとなりつつも丁寧に教えてくれた。

 俺はありがとうとお礼を言いつつ、席に座る。

 クロには感謝しきれないくらい感謝しているが、一つ心残りがある。それはクロにまだ感謝の言葉を伝えられていないことだ。

 クロはあの後すぐにどこかに行ってしまい、俺は感謝の言葉を伝えられずにいる。だから、もし次どこかで会ったときは絶対に伝えようと思う。

 俺は一限の準備をしようとバッグの中を見る。だが、バッグの中はノート類しか入っていなかった。

 教科書買ってないもんな。無くて当然だ。隣の人に見せてもらおう。

 そう思って俺は隣の人の方を見た。

 その人を見て俺は動きを止めた。

「やあ、元気してるか?」

 ショートカットでボーイッシュな少女は黒ローブではなく制服を着ていた。

「く、クロがどうしてここにいるんだ?」

 クロはぷくっと頬を膨らませる。

「ひどいな。私は元からこの学校の生徒だぞ」

「まじか!?」

「ああ、まじだ」

 そうだったのか。一年間休んでいたせいかクロがこの学校の生徒だなんて知らなかった。

「ふふ、あははは!」

 俺は笑いをこらえ切れず、吹き出してしまった。

「な、なにがおかしい? 私の顔に何かついているか?」

 クロは困惑した表情を浮かべる。

「いや、そうじゃないんだ。俺、さっきまでさ、クロに感謝の言葉を伝えてないなーってずっと思っていたんだよ。で、いつになるかわからないけれど、次に会う時に絶対に感謝の言葉を伝えようって心に誓ったばかりなんだ。なのに、そのクロが真横にいるなんてな!」

 俺は大きく息を吸って、吐く。

 感謝の言葉を伝えよう。

「ありがとう、クロ」

 俺はクロにはっきりと伝わるような声で言った。もともと周囲から注目を浴びていたのに、さっきよりもさらに視線を感じた。

 クロはちょっと恥ずかしそうにしていた。

「感謝されることにはあまり慣れていないから照れるな。ん……どういたしまして」

 糸がプツンと切れるように周囲が騒めき出す。

 えー、なになにー? 二人は知り合いなのー?

 幸也くんが休んでいた間、クラスのみんなで手分けして幸也くんの分のノート作ってあげていたんだよー! はいこれ、どうぞ!

 おい幸也! やっときたか、心配させやがって。もう休むんじゃねえぞ!

 俺とクロの周りがあっという間に埋め尽くされてしまった。クロはどう対応すればいいか困っている様子だ。

 俺は一人一人の質問にちゃんと答えてあげようとしたが、クロに関する質問に答えようとすると、わ、私のことは秘密だぞ! 絶対に洩らすなよ! とクロが慌てふためく。そんなこと、分かっているよと俺は返す。

 しばらくすると、先生が入ってきて、皆散り散りになった。

 

 るい。そっちはどんな感じだ? こっちは、るいが悲しまないようにるいの分も元気にやっていくつもりでいる。

 もう、大丈夫だ。今まで俺の隣に居てくれてありがとう。


 俺は走り出す。新しい人生という名の道をしっかりと踏みしめながら。





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