あなたの名前を、私はまだ知らない
今回は珍しく恋愛ものです。
しかし好き嫌いが別れる曲者かも。
よければ読んで下さいヽ(^。^)ノ
ある冬の日――
私は、恋をしました。
ある冬の日、私はいつものように学校から帰っていた。
通学路である住宅地に通る一本の道は先週から降っている雪で覆われている。一歩踏みしめるごとにぽきゅっぽきゅっと何とも言えない雪の軋む音がする。私はこの音が好きだ。だからわざと歩幅を縮めて歩いてみたりする。
そんな密かな楽しみを満喫していると、突然後ろから声をかけられた。
「あのう」
「ぬぉうっ!?」
完全に一人だと思っていた私は女子らしからぬ声をあげて勢いよく振り向いた。
きっと超絶ブサイクな顔になっていただろう。一生の不覚。
「え、えぇと……」
私の背後で若干引いた顔をしていたのは、制服を爽やかに着こなした男子生徒だった。
うちの学校の制服とは違うものを着たその人は、少し長めの明るい色の髪で、変わった色の目をしていた。
子供みたいに雪の上を歩く姿とブサ顔を見られた私は混乱して、ヤンキーに声をかけられたのかと思ったが、どうやらヤンキーではないらしく、彼は優しげな顔で私に尋ねた。
「これ、君のだろう?」
「え?」
彼の言葉と共に差し出されたのは花柄の傘だった。白や水色やピンクの花が散りばめられた可愛らしい傘で、まだ新しかった。よくよく見ると、それは2、3日前になくした私の傘だった。
「あっ!」
「当たりみたいだね」
私の反応をみて、彼はふわりと優しく笑った。何だか、不思議な雰囲気の男の子だ。
私の左胸につきゅんと妙な痛みが走った。
「ありがとう…でも、どうして……」
私のものだってわかったの? と声に出さなくても彼には理解できたらしく、ぽつりと答えてくれた。
「さあ……何となく、かな」
肩をすくめて、彼は自分でもわからないといいたげに笑った。
灰色のマフラーに顔をうずめて笑う彼は、何だか雪のようだった。
どうしてそう思ったかはわからない。
彼の肌が白かったからかもしれない。
理由はわからないけど、彼は雪のような人だった。
これが、私と彼の出会いでした。
その日から、私と彼は毎日同じ場所で同じ時間に会うようになった。
ここで会おうと約束をしたとかじゃなくて、彼と私の通学路が途中まで一緒だから、たまたま会うだけ。たまたま会ったから、何となく一緒に帰るだけ。
会って、一緒に帰ってどうでもいい話をして、別れ道で別れる。
本当に、それだけ。でも、私の心は何だかほわほわして、顔が熱くなったり、落ち着きがなくなってしまったりする。
「今日はね、お昼にホットココア飲んだの」
今日も、他愛のない会話をする。
「とろっとしてて、甘いけどちょっと苦くて、とってもおいしかった」
「そうなんだ」
「あなたは、今日何があった?」
彼は、少し考え込む。
「俺は……特に変わったことはなかったな。でも、昼休みに食べたカップケーキが、ちょっと焦げてたけどおいしくて、コンビニで買った紅茶とよくあった」
鼻の頭を赤くして、彼は笑みをこぼした。
私は前を向いたまま聞いた。
「カップケーキって、彼女の手作り?」
「まさか。俺、彼女はいないし。友達が食べたいって言ったから、自分で作ったんだよ」
「えっ、本当? 料理できるんだ!」
「好きなだけだよ。趣味程度」
そのあともいつものように友達や学校でのことを話し続けて、別れ道で別れた。
私は、彼が私の通学路とは反対の道を歩いていくのを見送った。
金髪がふわふわと揺れているのが眩しかった。
今日は、4つわかったことがあった。
1つ、彼は甘い食べ物が好き。
2つ、料理も好き。
3つ、彼には、彼女がいない。
「~~~っ!」
私は、足が地面から離れて身体が浮いていくような感覚になった。
彼には申し訳ないけど、3つ目は私にとってとても嬉しい情報だった。
私は忙しなく動く心臓をもて余して、雪を蹴って駆け出した。
分かったこと4つめ。
私は、彼に恋をしたようです。
次の日も、私は同じ場所、同じ時間に彼とあった。
鞄の中に、手作りのクッキーを忍ばせて。もちろん、彼のためのクッキー。
私はいつもより鼓動を高鳴らせて、彼と歩いた。
雪を踏みしめた音を楽しむ趣味は、いつの間にか忘れていた。
「今日、体育の授業でバスケやったんだけど、俺の友達が顔面でボール受け止めちゃってさ、鼻血すっごい出してたよ」
彼は軽快に笑う。元気に笑う顔にも、静かに笑う姿にも、私はどきどきしてしまう。今日は重大な任務もあるので、余計にどきどきする。
壊れそうなくらい心臓をばっくんばっくんさせつつ、私は思いきって切り出した。
「あっ、あのね!」
「ん? 何?」
彼が首を傾げる。金色の髪がさらりとこぼれる。
彼の仕草にいちいち緊張しながらも、私はちょっと大きすぎる声でいった。
「私ね、今日クッキー作ってきたの!」
「えっ……」
彼は、何でかとても驚いたような顔をした。ようなって言うか、確実に驚いていた。
私はそんなに料理のできない女の子に見えるのだろうか。料理は小学生の頃から得意なんだけど。
「と、友達に作ったんだけど、余っちゃったから……」
照れ隠しに適当な言い訳をしつつ、鞄の中身をあさった。
ノート、教科書、ペンケース……
「……あれ?」
私はあることに気がつき、少し乱雑に鞄を探った。
――ない。クッキーがない。
「ごめん。ちょっと待って」
彼のために作ったはずのクッキー。確かに、持ってきたと思ったのに。
教科書やノートを開いてまで探したけど、クッキーはどこにもなかった。
何てことだ。浮かれすぎて忘れてきてしまったらしい。
「……ごめん。忘れちゃったみたい……」
何て馬鹿なの、私……せっかく作ったのに……。
私が地面を見つめて落ち込んでいると、頭にポンと何かが乗ってきた。
見上げてみると、彼が私の頭を撫でていた。優しい手つき。
「謝らなくていいんだよ。君のせいじゃない」
明らかに私のドジのせいなのに、彼はそう言ってくれた。
でも、眉尻を下げてちょっと寂しそうに笑っていた。
私のクッキー、期待しててくれたのかな。
「本当にごめんね。また作って持ってくるから」
「……うん。ありがとう」
彼はまた微笑んだ。とっても、優しく。
また次の日、同じ場所で同じ時間に彼を待った。
今日は少し遅れているらしい。
雪がちらちらと降るなか、何分か待っていると、私が来た道とは反対側から彼がやって来た。
「あ……っ」
私はすぐに彼に声をかけようとした。けど、すぐに踏みとどまった。
彼の隣に、別の男の人がいた。彼と同じ制服を着ているから、多分彼の友達なのだろう。
彼より10㎝ほど背が高く、目付きがちょっと悪い、不良っぽい人。片目に眼帯をしている。もしかして、昨日話していた、バスケットボールを顔面で受け止めちゃった人だろうか。
そんなことを考えていると、彼と目があった。
「あ……」
「………」
私を視界に入れた彼は、友達らしき人と話しながらこっちに歩いてくる。
今更友達がいるから気まずいと逃げ帰るのもばつが悪い。というか、無視したと勘違いされたら嫌だ。
「テメェ、次俺の顔にボールぶつけたらマジでブン殴るからな」
「あれはお前の自業自得だろうが。俺のせいにするな」
どうやら彼の友達は目付きだけでなく口も悪いらしい…怖い……。
不良っぽい人に少しビビりつつも、私は目の前まで来た彼に声をかけた。
「あの……」
彼のほうに一歩踏み出る。
けれど――……
彼は私の横を通り抜けた。
「え……」
思わず、私は疑問の声を漏らした。
ざくざくと雪を踏みしめ、彼は友達らしき人と歩いていく。私と歩いていたはずの道を。
「お前、ボールがぶつかったくらいで怒りすぎなんだよ。一日越しで根に持つとか何なの。バカなの?」
「じゃあテメェの顔にぶつけてやろうか!? むしろメリこませてやろうか!?」
「うるさい」
何もなかったみたいに、会話を続けながら彼は私から遠ざかっていく。
私は、追いかけることもできず、その場に立ち尽くしていた。
彼が歩き去ってしまうのをただ見ていた。
彼が曲がり角を曲がっていくのを見送って、私は一人呟いた。
「どうして……?」
そう。どうして。どうして、彼は私を無視したのか。
あれは、気付かなかったとかじゃない。目があった。声をかけた。
なのに。
彼は私の横を通りすぎていった。何もいないみたいに。
あの優しい彼が。
どうして? 友達がいたから恥ずかしかったの?
そんなわけない。そんな理由で彼があんな態度をとるはずがない。
どんなに考えても分からなくて、彼に他人みたいな態度をされたことがショックで、私はずっと雪の降る寒空の下で立ち尽くしていた。
翌日、私はぼんやりといつもの帰り道を歩いていた。
雪を踏みしめると、ぽきゅっぽきゅっと音がする。その音さえ、心にズキズキと響いてくるようだった。
今日も雪が降っている。ぼたん雪がゆっくりと舞い落ちていて、天使の羽のように見える。
こんなポエマーみたいなことを考えてしまうほど、私は落ち込んでいるらしい。
はあ、と溜め息をついた。
そのとき――
「なあ、君」
「!!」
とても聞き覚えのある声が、背後から飛んできた。
私は、最初出会った時と同じように振り返った。
「やあ」
そこには、灰色のマフラーをした彼が立っていた。
「………」
彼の姿を見た私は、唇を噛み締めた。
「どうして」という懐疑心と、「どの面さげて」という物騒な気持ちをこめて。
すると、彼は私の表情の意味を汲み取ったのか、はっきりとした声でいった。
「昨日はごめん。無視してしまって」
彼は、いつものようには笑ってはいなかった。眉を潜めて、私を見据えていた。謝っているのだから当たり前かもしれないけど、妙な違和感を感じた。
見たことのない彼の表情に戸惑いながらも、私は尋ねた。
「どうして……私のこと無視したの?」
聞かずには納得できない。もしかしたら私にとって辛い答えが帰ってくるかも知れなかったけど、聞かないではいられなかった。
尤もな質問をされた彼は、一瞬躊躇うような素振りを見せた。
けれど、ひとつ息を吐くと、決心したような目付きで私を見た。
そうして、言った。
「昨日俺といた奴……アイツが、君のような子が苦手だったから」
「……は?」
私は、心の声をそのまま口にした。
何それ。どういう意味?
わからない。彼の言いたいことが。
「私のような子って、どういう意味?」
一人で雪踏んで遊んでる変な子? 出会ったばかりの男の子を好きになる惚れやすい子? プレゼントを忘れちゃうような子?
友達がそういう子を嫌いなくらいで、あなたも嫌いになってしまうの?
私が質問を重ねると、彼は顔をしかめた。
嫌そうにしかめたんじゃない。すごく辛そうに、歪めた。
「答えてよ。私、すごくショックで……」
今にも涙が出そうなのに。あなたに無視されただけで、こんなに。
「ねぇ、どうし……」
「ごめん。アイツには君が見えないんだ」
私が言い終わらないうちに、彼が理解できないことを口にした。
「………見え、ない……?」
声が、震えた。
「……さっきから何言ってるの?」
私はまた尋ねた。
尋ねたくせに、聞きたくない気がした。
唇を震わせる私に、彼は鞄から何かを取り出して渡してきた。
それは一部の新聞だった。
「何?」
「いいから、見て」
仕方なく彼から新聞を受け取り、示された記事を見た。
記事の見出しは『轢き逃げで女子高生死亡。飲酒運転か』というもの。被害者の写真も載っていた。
その女子高生の名前は――……
「……何なの、これ」
「三週間前の新聞記事」
「違うよ。どうしてこんなウソつくの?」
「嘘じゃない。全部事実だ」
彼は顔を歪めて、それでも淡々と答えた。
「君はもう、三週間前に……」
「やめてよ!!」
絶望の一言をもらしそうになった彼に、私は掴みかかった。人の襟首を掴みあげたのは初めてだ。初めてが好きな人なんて、どうかしてる。
「何で…何でこんなことするの……? こんなでたらめ記事まで作って……意味わかんないよ……!」
私は同じような質問を何度も繰り返した。
私が期待する答えを待って。
けれど、彼はいつものように笑ってはくれなかった。
彼の冷たい手が、茶色のコートの襟を掴んでいる私の手に重なる。
「本当にごめん。会ったとき、すぐに言い出すべきだった。俺の判断が間違っていた」
判断? 何の? まだ変なウソをついているの?
私の頭は、すでに正常に機能していなかった。
「君が気付いていないってことは分かっていたのに……どうするのが君にとって一番いい選択なのか分からなかった」
「……何の話? 分かるように話してよ……」
彼が少し俯いて困ったように笑んだ。
「さっきやめてと言ったのは君だろう? この場合、俺はどう答えたらいいんだ?」
「どうって……」
「君は死んだんだ。三週間前に」
当然のことのように告げられた言葉は、私には重すぎた。
「……ウソ」
「嘘じゃない。さっきも言った」
「……ウソよ。ウソウソウソ!! だって!!」
私は大声を上げて彼の肩を揺さぶった。
「私はあなたに触れてる! 足だってちゃんとあるし、雪の道に足跡だってついてるもの!!」
激情にかられる私とは対照的に、彼は冷静に言った。
「俺に触れるのは、俺が幼い頃から“そういう体質”だったから。足があるように見えるのも、足跡がついているように見えるのも、君が君の死を自覚していない証拠だ。俺には君の足が見えない」
「……っじゃあ、私たちの会話は!? いつもその日あったことを話してたよね!?」
「君は毎日同じことを話していたよ」
「え……――」
私は固まった。
――どういうこと?
「お昼にホットココア飲んだんだろ?」
「っ……!? どうして、それを…!」
「とろっとしてて、甘いけど苦くて、おいしかった」
「……っ…」
私は驚愕した。困惑した。
その話をした覚えはない。それは、今日あったことで――…
……今日?
「……ねえ、今日は何日だっけ」
彼が、私を見つめて尋ねた。
私は、恐る恐る、答えた。
「2月……8日……」
「――今日から3月だよ」
これが、認めなければならない事実というものなのでしょうか。
「……ウソ、じゃ、ないんだね……」
「…ああ……」
彼は、ゆっくりと頷いた。彼の赤くなった鼻がマフラーに埋もれて隠れる。
私は自分の足元を見た。足は、なかった。
その事実を見たとたん、私はしっかりと自覚した。
私は、死んだ。
全てを思い出した。こうなる前のことの全てを。
三週間前、いつもは友達がと帰る街の通りを一人で帰っていたこと。
途中で本屋に寄ったこと。
その帰りに、大型トラックが突っ込んで来たこと―――
私は、死んでいたんだ。
「――私、本当に…死んじゃったんだね……」
びっくりなんて表現じゃ足りないほど驚きだけど、本当に死んでしまったんだ。知らないうちに。
目から涙が零れた。
やっとわかった。一昨日、鞄のなかにクッキーがなかった理由が。
勝手に作った気になって、勝手に持ってきた気になっていただけだ。
幽霊が料理なんてできるわけない。当たり前だ。
私がクッキーを作ってきたと言ったとき、彼が驚いていたのは、そのことを知っていたからだろう。
「ばっかみたい」
涙声で、笑いながら自分を詰ってみた。
余計、辛くなった。
彼は何も言わなかった。不思議な色の瞳を静かに揺らして私を見ていた。白い肌に瞳の色が映えて、雪の中で宝石が光っているようだった。
ああ、何て綺麗なんだろう。
何で、生きているうちにこの人に会えなかったのだろう。
「ねぇ」
「なに?」
私は笑って尋ねた。
「……どうして、私に声をかけてくれたの?」
本当は、聞かなくてもわかっていたことだった。彼が私に関わった理由。
彼は、“私みたいな子”を放っておけない、お人好しなんだ。
「そうだなぁ……」
少し考え込むようにそう言って、彼は私を指差した。
「君が、本屋に傘を忘れていったから」
「え?」
予想していたのとは少し違った答えに、私は首を傾げた。
彼が指差したのは、私ではなく、私が持っている花柄の傘だった。
「本屋……」
手元の傘を見て、私はまた思い出した。
私が死んだその日、私は本屋に寄って、そこにこの傘を置き忘れてしまったのだ。大好きなケータイ小説の立ち読みに夢中になって、棚に立て掛けていた傘の存在を忘れていた。今思い出した。
そしてそのとき、立ち読みする私の横で四人くらいの男子生徒が騒いでいたことも。背の高い目付きの悪い人を、金髪の男の子がうるさいと注意していたことも。そのとき、彼に「すいません」と謝られたことも。
「……会ってたんだね……私たち……」
嬉しくて、悲しくて、私は笑いたいのか泣きたいのかわからなくなってしまった。
「……うん。そうだよ」
彼は優しく笑って頷いた。
長い金の睫毛がきらりと光って、とても綺麗だった。
「あのさ」
私は静かに呟いた。
「何……?」
彼は静かに首を傾げた。
彼に聞きたいことはまだいっぱいあった。
いつ私が死んだことを知ったの?
どうして傘を届けてくれたの?
なぜ私たちはこんなかたちで出会ったの?
――私のことを、どう思ってる?
けれど、私の口から出てきたのは
「その金髪って、自毛?」
そんな、くだらない一言だった。
もっと色々大切な質問があったのに、なぜかそんな問いかけをしてしまった。
突拍子もない質問に、彼は一瞬、きょとんとした表情をした。けれど、すぐにからからと笑いだした。子供のように。
「うん。うん、そう。自毛だよ。父さんがイギリスと日本のハーフなんだ」
彼はマフラーに顔をうずめて笑った。
私も笑った。
「やっぱり。染めたにしては、綺麗だなって思ってたの」
「そうか? 学校では先生に黒に染めろってよく言われる」
「勿体ないよ。そんなの」
また、彼がふふと笑う。
「それ、友達にも言われた」
「友達って、昨日一緒にいた人?」
黒髪の、目付きの良くない人を思い出した。
「あ、うん。それそれ。友達っていうか、幼馴染みだけど。顔怖いけど悪い奴じゃないよ」
「どんな奴?」
「馬鹿で短気だけどいい奴」
「何それ」
私は笑った。
いつの間にか、いつもみたいに普通の会話をしていた。
何でもないみたいに。何もなかったみたいに。
でも私は何でもないことない。
ここで彼と笑ってちゃいけない。
だってもう、死んでるから。
「あなたの友達のあの人」
「うん?」
「私みたいな子が嫌いなんだよね」
私の言葉に、彼は笑みを消した。
「幽霊が、苦手なんだ」
「………うん」
小さく、だけどはっきりと彼は頷いた。
冷たい風が私と彼の間に吹いた。
その風のせいか、鼻の奥がジンとして、視界がくもった。
幽霊でも、冷たさとか感じるんだ、なんて思った。まだ、自分の死を受け入れられてないだけかもしれないけど。
「寒いなぁ」
雲ばかりの空を見上げてそう言った。
私がそう呟くと、目の前の彼が急に腕を広げた。
何のアクションだろう、と思っていると、その腕は私の背中に回り、私は抱き締められた。
「……―――っ」
抱き締められたというより、包み込まれた感覚に近かった。
少女漫画のワンシーンみたいに熱烈な抱擁じゃなくて、例えるなら、母親が子供を抱き締めてるときみたいな。
とっても、優しかった。
「……あったかい?」
私を包み込んだまま、彼は小さく言った。優しい声だった。
あまりにも優しくて、私は返事をすることが出来なくて、彼の腕の中で頭を縦に振った。
「よかった」
安心した彼の吐息が、耳にかかる。
自分の身体が熱くなるのを感じた。
心臓がどくどくと鳴いているように感じた。
もう、胸がいっぱいいっぱいになって、私は私のこの気持ちを彼に伝えたくて仕方なくなってしまった。
でも―――
「あなたはとってもあったかいね」
「うん」
「生きてるんだね」
「うん」
「ねぇ」
「どうしたの」
私は、彼の顔が見えないように、目の前の茶色のコートに顔をうずめて尋ねた。
「私の身体はあったかい?」
「―――」
彼が息を吸い込んだのを、聞いた。
「私の心臓の音が聞こえる?」
「……」
「今ね、すごくどきどきいってるの。こわれてしまいそうなくらい」
「………」
私の肩を抱いている手が、小さく、震えた。
私の肩が、震えていたのかもしれない。
「……俺には――…」
彼は言う。
「君の、体温も、心音も、伝わってこない」
君を、抱き締めることができても。君は、死んでいるから。
そう言われた気がした。
「ああ―――そっか」
私は小さく笑った。
「私のこの気持ちは、あなたには届かないんだね」
こんなにも胸が張り裂けそうなのに。
あなたの体温は、心音は、私に届いているのに。
あなたの鼓動が、とても穏やかなことは、伝わってしまっているのに。
正反対の動きをする私の鼓動は、あなたに届かない。
「ごめん」
そう謝る声すら優しくて、私は少しだけ、少しだけ、泣いてしまった。
なんて切ない恋だろう。
小説に出てくる切ない恋は好きだった。けど、実際なってみると、こんなことあってたまるかチクショーと思う。
でも、と私は思う。
もし、こんな特殊な出会いでなければ、きっと私は彼を好きにならなかった。
もしも私が普通の生きている女子高生で、彼が幽霊の見えない男子高生だったなら、私はこの気持ちを知らなかったんだろう。こんな恋を知らなかったんだろう。知らずに、生きていっていたんだろう。
人生の最後に、こんな素敵な人と出会えるなんてこと、きっとない。
「……最後に教えて」
私はゆっくりと彼から離れて、彼の顔を見上げた。
彼の赤褐色の瞳が、微かに揺れていた。
「……何を?」
雪みたいに、触れれば消えてしまいそうな彼の手を握り、私は笑っていった。
「あなたの名前を、私はまだ知らない」
本当にびっくりなことだけど、私は出会ってから一度も、彼の名前を聞いていなかった。
自分の名前は教えていたのに。
きっと、彼はわざと自分の名前を教えなかったのだろう。
「ああ、そうだったね」
私の質問に、彼は優しく微笑んだ。
とけていく雪のように、切なそうに。
そして、私の手を握り返し、そっと呟いた。
「俺の名前は――雪村弥生って言うんだ」
そう言った彼の声は、降る雪に埋もれそうなほど、静かだった。
「ユキムラ……ヤヨイ」
「うん。白い雪に村と書いてユキムラ。珍しいだろ」
「……そうだね…でも、弥生くんにぴったりの名前だね」
「え、どうして?」
雪が降る白い景色の中、彼の金色がさらりと輝いた。
「だってあなたは、雪のような人だから」
ある冬の日。
私は、恋をしました。
雪のような人と、
雪のように儚い、
恋をしました。
ある冬の日、ある雪の道に、彼は立っていた。
一人そこに立ち、雪の降る空を見上げていた。
さよならも言えなかった少女を想って。
「おい、雪村」
自分を呼ぶ声に、彼は振り向いた。
彼の背後には、彼の幼馴染みである黒髪の青年が立っていた
「何だ。お前か」
自分の幼馴染みを見て、彼は溜め息をついた。
「何だじゃねェよ。先に帰るなら言えよ、似非秀才」
「うるさい。残念なイケメンが。黙って花屋についてこい」
「テメェ……って、え? 花屋? 何しに行くんだよ」
「花買いに行くに決まってるだろ、ボケ」
「ボケェ!? 誰が!?」
彼は怒り喚く幼馴染みにくるりと背を向け、白い道を歩いた。
歩く度に雪の軋む音がする。この音が、彼は好きだった。
「何の花を買おうかな」
「決めてねェのかよ」
「うっさいなあ。……そうだ、紫苑にしよう。そうしよう」
「シオン? 何だそりゃ」
幼馴染みの問いには答えず、彼は雪の道を進んだ。
「時季外れだけど、あるかな」
彼女と共に歩いた道を。
紫苑の花言葉「君を忘れない」
END
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ハッピーでもバッドでもないエンドでした。
人によって見え方が違ったかな?
雪村弥生は管野緑茶の前作「NEVER」の副主人公でした。
弥生の友達として出てきた黒髪で背が高く目つきの悪い青年はNEVER読んだ方なら誰だか分かると思いますうふふ……
そうです、国島白羅くんでした。NEVERの主人公様でした。
この二人を出さなきゃ満足できない病気なんです。
今度は阿志田くんや狩脇くんも出したいです。っていうかこの二人の話が書きたいです。いつか書きます多分。
この小説の主人公の女の子の名前は実は決まってません(笑)
また何か投稿させていただきますのでよろしくお願いします。