プロローグ・4
総毛立った。
タマラを抱き締めたままの少年は体のバネをフルに踊らせて横に回転、涎がべったり付いた手のひらを真横に突き出す。
ベキャッ!
凄まじい音を立てて掌打がサブマシンガンのドラム缶に突き刺さり、凹ませた。
げ。
大慌てになったのは大音響を立ててしまった両者だ、それで立ててしまった音が引っ込む訳でもないのに、体を縮こまらせて辺りの様子をうかがう。
しー。
幸い化け物は他の兵士達に向かったようで、廊下の向こうで断続とした銃声と悲鳴が凄い勢いで遠ざかって行く。
遠心力に振り回され、何が起きたのかすらわかってないタマラは顔を上げると、建物にいる兵士達とは違う服装をした金髪とモアイが壁に背中を付けていた。
「坊主、言葉は通じるな?」金髪が声を潜める、顔は便秘が三日目続いていると今にも言い出しそうなほど怖い。
コクリと頷く少年、コクコクとタマラ。それを見て毒気を抜かれたような表情の金髪は顎で廊下から離れるように通路の奥を示す。
「話はとりあえずここを出てからだ、異議のある奴は?」
あるはずがない。
「薄着の子供二人だ、どうする?」モアイが喋った。
「車でも探すしかないな、一台や二台くらいあるだろ」
「あれがうろつき回る中でか」
あれ。金髪のこめかみに冷や汗が一筋。
「あのー」
少年が肘から先を上に曲げ、控えめな声をあげた。
「駐車場なら知ってるんだけど」
幸いにして、研究所内の騒ぎを聞きつけて持ち場を離れたのか、駐車場に見張りはいなかった。
エンジンのかかったジープが獰猛な唸り声を上げ、薄暗い空間をライトが照らす。
運転席に乗り込んだ金髪が他の三人を手招きする、大人が前で子供は後ろだ。
「ん、どっかから取ってきたそりゃ?」
何時の間にか少年がパンパンに詰まった背嚢を背負っており、それをジープの荷物台に放り込んでいたのだ、如何にも重そうな外見に反してあまりにも平然としていたので気付くのが遅れた。
「近くの倉庫から拝借してきた」
「火事場泥棒は頂けねーな、後で抜き打ち検査だ」
ニヤリと、共犯者の笑みを浮かべた二人だが、次の瞬間にハッとした表情をする。
白い迷彩服を脱いだモアイがそれを後部座席でタマラに放り投げたのだ、あらわになったインナーシャツはそこから見てもわかるほど筋肉が盛り上がっている。
「使え」
下着すらない薄着に裸足、こんな所にまで暖房が効いている訳がなく、後部座席に縮こまったタマラはまるでチワワのように全身を震えさせていた、金髪が慌ててジープの暖房をオンにする。
迷彩服を被ったタマラは傍にいる少年にすり寄った、同じような薄着なのだ、寒くないはずがない。
「いや、俺は・・・」
一旦口篭った少年だが、紫色の瞳と目が合った途端に考え直してタマラと一緒に迷彩服を被る、いくら大人のサイズでも並んで坐った二人にはとても足りないので、タマラは少年の膝に横座りになって迷彩服を被った。
思い出した。
ペチカに火が点いたばかりの時、タマラを毛布の中に手招きする大きな熊さん。誕生日にやってきた大きな熊さん。
体が芯から暖まるボルシチ。両手一杯のピロシキ。
まだ子供のタマラには手が届かないように、棚の上に上げられたウォッカ。
ある夜、タマラが起き出すと、ペチカの前で両親が水割りを片手に寄り添っていた。起き出した娘を見て二人は彼女に手招きして、三人でタマラが再び眠りに落ちるまでラジオの音楽を聞いていた。
パパ、ママ。
喉の奥から、震える声がこぼれた。
ようやく心が解凍され、思い出ばかりが目元から溢れだしてくる。
三人は、何も言わなかった、タマラを膝に乗せた少年が彼女の頭に手のひらを載せ、運転席にいる金髪は静かにジープを前に進ませる。
ゆっくりと駐車場のシャッターが上がり、外から光が差してくる。
「ひゅー!見ろよ!」
湿っぽい空気を吹き飛ばすかのように金髪が快哉の声をあげる。
迷彩服の下からゴソゴソと顔を上げ、タマラは潤んだ眼をジープの外に向け――大きく目と口を開いた。
「わあ」
金髪は何故かどうだと言わんばかりに満面の笑み、モアイはうっすらと目を細め、少年は何故かカチンコチンに硬直中。
一ヶ月に見る久々の、雲一つない、透けるような青いグラディエーション。
積雪に負けじと自己主張をする、どこまでも伸びる黒々としたアスファルト。
世界が。