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プロローグ・3

その直後、研究所で最も状況を把握できた場所は広々としたスペースで監視カメラをモニターしている警備室ではなく、人一人がようやく這って進める狭さのダクトだった。

複数の人間が騒ぎ出した、暢気ないびきはそれに気付かない、泣き出す子供、室内で控えめに響くアラート音、ガチャガチャとぶつかり合う銃器の音――禍々しいシグナル達がダクトを伝いながら混じり合う。

それらが示す事実は一つだ。地蛇三號の体が電撃に打たれたかのように一瞬跳ね上がり、手足が今までと比べて数倍俊敏な動きでダクトの中を掴み始めた。



残響は、建物のみならず、それを遠くから監視している人間にも届いていた。

ドサリ。

樹林の上に溜まっていた雪が地面に落ちるが、金髪を短く揃えた男は左手に構えた望遠鏡をぴくりとも動かさずに研究所に向けていた。雪地に合わせた真っ白な迷彩スーツを着込み、肩には同じく白く塗ったカラーリングのサブマシンガン(PP-19)

研究所が位置する荒野の終わり、針葉樹林の中。布地から金具まで真っ白のテントを拠点として構え、右手に持ったカップの中身からはまだ湯気が立っている。

コーンポタージュを一気に飲み干してあちーと舌を出していると、ゴソゴソと音を立てて鉄のような男がテントから這い出してきた、動きのせいか服装と武装が同じ相方とはまるで受ける印象が違う。カッチリとした迷彩服と裏腹に寝癖が付いているのを金髪はあえて見過ごした、ジャパンで言う武士の情けという奴である。

「状況は?」

外見を裏切らない鋼のような声に、金髪は肩をすくめて望遠鏡を手渡す。

「さあな、少なくともSQUID(イカ)がテレポートしてきたって訳じゃないようだが」

「・・・お前の冗談は時々わからん、映画か?」

「けっ、ちったあ教養付けれ野蛮人が」

相方の悪態を無視し、男は望遠鏡を覗く。

盆地の底、針葉樹林に囲まれるように建物がひっそりと潜んでいる。汚れ一つない壁はまだ新しく、屋根に積もった白雪とほとんど見分けがつかない、上空から探せばさぞかし苦労する事だろう。窓に垂れ下がったツララはそれだけで壁に穴が開けれると思うほど尖っていた。

とどのつまり、ここ数日でとっく見飽きた、特に変わりのない風景だ。

見た目だけは。

「・・・おかしい」

望遠鏡を覗いたまま呟く。

「ああ、お前もそう思うか?」

どうとは言えないが、引っ掛かるのだ。

何かが起こっている。

「突入だ」「行くか」

しばらくして、スキーに乗った二人組が森の中から飛び出した。フードを被り、ゴーグルとマスクで顔を隠したその姿はとんと見分けが付かない。


あるいは、研究所にとって招かれざる客の三人が感じたのは同じ事なのかもしれない――目に見えずとも、耳に聞こえずとも、ヒーローコミックの開幕で主人公に到来するなんらかのアクシデントのように、これから人類に起こる変化、その前触れ。

そしてそれを引き起こしたものがあるとすれば一ヶ月前、人類の頭上に降り注いだ流星群に違いなく――その事実が同じ場にいない三人の判断を一致させた。



音を立てて出入り口のロックが外れた。

それからしばらく、呆けたようにドアを見ていたタマラだが、それが微かな駆動音を立てて断面を晒して行くのに気付いて初めて我に帰る。

ドアが内に開く動きはスムーズで、どうしてこんなに閉じ込められたのか一瞬疑問に思ってしまうほど軽い。

――。

それでも立ち上がり、軽い目眩を感じた彼女が出入り口に歩き始めたのはここから逃げ出そうとしていたからではない。

何もわからないのが怖かったのだ。

そして病院のような白い廊下に出た途端、いきなり肩を掴まれる。

ハッとして視線を向けると、そこには一ヶ月ぶりの人間がいた。

軍服に身を包み、タマラが初めて見る本物の銃を肩にぶら下げた兵士。焦ったような、混乱したような表情。見れば廊下内でも他の子供達が兵士達に抑えられている。

それを見てタマラが思ったのは一つだ。

――彼らは何を怖がっているのだろう?

腫れ物に触るような手つき、村長の家に飾った熊の剥製に初めて手を当てた時の事をタマラは思い出した。まるで子供の中に服を着た猛獣がいるような――

その時、廊下の先で悲鳴が上がった。

まるで傷口に塩を刷り込まれたような、聞く者の神経を削り取るような凄惨な金切り声。聞いた者全てが例外なく凍りつき、銃声が聞こえた段階になって兵士達が弾かれたように騒ぎが上がった方へと駆け付ける。

何がなんだかわからなくなった、置いてけぼりになっていた子供達だが、その中で黒い髪をした少年が呟く。

「・・・逃げよう」

さざなみのように言葉と意志が皆の間に広がった。走り始める少年を先駆けに、子供達が一人、また一人と兵士達が走り去ったのとは逆の方向に足を動かし始める。

黒髪の少年が傍を横切った時の事だ。

タマラはガシッと少年の服を掴んだ。


忍び込んだ警備室から全ての部屋のロックを外すという計画はことのほか上手く行った。

どんな施設でも倉庫はすぐさま雑然になるものだ、お役御免となったカメラや服装はぐっちゃんぐちゃんの仲間に入り、小型のメモリーだけを持ち出した少年は子供達の中に紛れ込んだ。

あとは子供達を扇動し、どさくさ紛れに逃げるだけだ。

しかしそれを実行した直後、後ろから服を掴まれた地蛇三號はつんのめり、何事かと振り返る。

紫色の瞳と目が合う。

そこには一人の少女がいた。

咄嗟の事だったのだろう――横切る少年の裾を握り締めた少女の表情は茫洋としていて、何故反射的に手を出したのかと自分でも何がなんだかわからない、と書いてある。

あるいは少年が少女の父親と同じ、この辺りではほとんど見ない東洋人の肌色と顔立ちをしていたからなのかもしれない。

しかし少年にそんな事を知る術があるはずもなかった。

(振り払え)

間諜(スパイ)としての教本が地蛇三號に囁きかける。

(後ろ足を引っ張る輩は迷わず排除しろ)

今更言われるまでもない、工作員の基本中の基本。

裾を掴んできた手は如何にも華奢で、それを振り払うのはチリ紙をゴミ箱に捨てるよりも簡単な事だった。

それでも彼は馬鹿にしたような鼻息を一つ、裾を掴んでくる手を握って走り出した。

二人の背中では、悲鳴と銃声がまるで波のように押し寄せてきていた、少女が手を引かれながら振り返る。


少女は今初めて、世界で何が起こっていたのかを目にした。


それは兵士達を全て平らげ、子供達に取り掛かる所だった。

それは人型ではなかった、人間の腕は二本しかないし、枝毛のように途中から別の腕が生えてもいない。人間の膝はそれぞれの足に一つしかないし、関節は後ろにしか曲がらないはずだ。人間の頭は丸くて小さいはずだ。

見慣れた患者服がそんなものを包んでいた。穴だらけだ。

人間で言えば顔のど真ん中に開いた巨大な穴、パクリと丸ごと飲み込まれる子供。

それは一人の人間が消えるプロセスとはとても思えない、まるで現実のない光景。

ポカンと見ていた他の子供だが、それが彼に覆い被さるのを見てようやく事態を飲み込めた。

「うあああああああああああ!」

彼の残した金切り声が伝染する。

それはまるで黙れでも言うように泣き叫び始めた子供に覆い被さった、ひと一人を飲み込むのに数秒もかからず、頭部に当たる箇所以外はさほど大きくもないそれのどこに人体が入るのかすら謎だ。我先に逃げる子供が次々と餌食になり、その速度に振り返った少年が目を剥く。

這裡(こっちだ)!」

少年がタマラの知らない言葉で叫びながら彼女を曲がり角に引っ張りこんだ、茫然自失としたタマラはそこでようやく我に返った。

「――――――――――!」

タマラは目を見開いた、全身が強張る、彼女の口を押さえる手が力強くて全く悲鳴が出ない。

形容できない何かは二人のいる通路を通り過ぎて、向こうに逃げた子供に襲いかかっていた。悲鳴の波が遠ざかって行く。

ふー、ふー・・・。

目に涙を浮かべ、ガクガクと震えながらタマラは背後から自分を押さえ付けるように抱き締めた少年を振り返る。

再び目が合い、少年が人差し指を唇の前に立てた。

事態を飲み込めたタマラがゆっくりと頷くと彼は口に当てた手を離し、手のひらにべったりと付いた涎が糸を引く。


少年の肩を、誰かがポンと叩いた。

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