1:集合
桜庭琴葉――つまり僕だ――は部屋を出た途端に夏を感じた。蝉の音に包囲される。三秒もしない内に背中に汗が滲む。気だるさが一気に増す。
桜庭家はマンションの八階にある。普通の3LDKだ。あと両親と妹がいる。リアル妹だから可愛げはないが。
階段を使う気にもなれなかったのでエレベーターを動かすボタンの逆三角形側を押す。ドアが開く。今度は1と書かれたボタンを押す。エレベーター独特の体に感じる違和感を受けながら下に降りていく。毎日続ける作業だ。夏休み初日くらいサボれると思ったのになぁ。
そして茹だるような暑さの中、熱したアスファルトをカツカツと踏みながら学校へと向かう。多分アスファルトの前世はドM。たまにやって来る風には青春?とかいうやつを感じない事もないが彼女と二人乗りなんかしてる連中が横を通ると自分がいかに灰色の青春を送ってるかがよく分かる。多分あいつらは風になんか青春を感じない。レベル1とレベル50では、やって来る経験値が同じでも次のレベルまでの経験値が全然違うからな。もっと分かりやすく言えば魔王を倒した勇者がスライムを倒すか冒険を始めたばかりの勇者がスライムを倒すかみたいな感じ。ぷるぷる。
そんな訳で校門前だ。補習が行われる場所は、どうやら自分達の教室らしい。てっきり特別教室のような場所があるのかと思ったが、教室以外は大概部活動で使用中らしい。それにしては人気がないが。
一年三組、つまり僕らのクラスは二階。階段を一段踏みしめる度に足が動きたくないと訴えてくる。お前はニートか。そんな足を引きずりようやく教室前へと辿り着く。――ドアを開いた時、僕は思わず呆然としてしまった。
クラスメートが全員集合していた。
顔見知りの一人が「よう!」と手を振ってくる。そしてへらへらしながら彼は言う。
「いやー、俺らで話し合った結果、教師のミスだったんじゃね?みたいな結論が出たんだよなー。お偉いさんから決められたカリキュラムもあるしな。で、誤魔化す為に補習と名目を付けて生徒を集合させた、と。」見れば、彼は何人かの男子生徒と向き合い話し合っている体系だった。他の人間もまるで休み時間かのように固まって話し合ったり席を立ち歩き回ったりしている。
ああ、成る程な。顔見知り――村重の言葉は確かに納得のいくものだった。
だから一応
「その可能性は高いよね。最近の教師は手口が汚いよ……」
と返しておいた。自分の推理が肯定されたのがよほど嬉しかったのか、ドヤ顔された。うぜぇ。そして自分の席に着く。腰が重いな……起立が怖い。まんじゅうこわい的な意味じゃなく普通に。そんな事を考えていると唐突に、
「桜庭が最後だよ?どんくさいなぁ」
そんな生意気な台詞が後ろから聞こえた。腕時計を見る。あ、十分遅刻。いつもの事だが……遅刻も高校生の特権だろ。知らんけど。
そして振り向く。振り向き様にデコピンされる。舐めきられてるやん。
僕の視界の先には、女の子の姿があった。三咲美紗である。髪は高めの位置でポニーテール状に結んである。なかなかに整った顔は充分美少女に分類していいレベルだ。背は平均より少し高い位で、脚がかなり長い印象を受ける。陸上部ではかなり輝いてるらしい、僕の小学校の時からの腐れ縁だ。
――まあ何事も面倒臭がっている僕は、彼女の何事にも全力な姿勢にこっそり憧れていたりするのだが。あとおっぱいそこそこでかい。
「いきなりデコピンは無いだろッ――そこそこ痛いんだぞ?」
「なんだかんだ言って平気そうじゃない。さすがのあたしだって本気で嫌がることはしないわよ?」
まあ、それは事実だ。以前僕の祖母が亡くなって落ち込んでしまった時には、いつものふざけた調子を封印して慰めてくれたし。なんだかんだ言って根は良い奴だと思う。計算じゃなさそうなのも高ポイントだな。他人との関わりは面倒だが、三咲と話すのはあまり面倒くささを感じない。
「……まあいい。とりあえず後は担任を待つだけか?」
と、僕がそう言った所で、教室のちょっと立て付けが悪いドアが、つっかえつっかえ開く音がした。担任はこの重大なミスにどう責任を取るのかと考えていると、三咲が耳元で囁いた。
妙にくすぐったい感じ。まあ青春。スライムべスくらい。だって只の腐れ縁だし。
「あれ……教頭先生じゃない?」
若干の不安を孕んだ声だった。それもその筈、あの教頭はかなりの変わり者……というよりは変人扱いだ。この間の全校集会でも、教頭の話が始まったかと思えばいきなりライブを始めて最後には全生徒に近い人数がタオルを振り回し踊る大騒ぎになったのだ。あの教頭は他の教師からも危険人物として扱われているらしい。
見た感じ初老の男といった印象だが、目には未だ若い光を宿した「無駄に」生き生きしている教頭が教壇に立ち辺りを見渡す。
すると一気に場の空気がざわつく。一種のカリスマかね。こいつの人柄を知っているからだろう、様子を見る限りどんな祭りが始まるかワクワクしているか、もしくは不安がっているかでざわめきの種類が別れているな。
そして堂々と入ってきた教頭に続き、おどおどとしながら若い教育実習生が入ってくる。小太りの頼りなさそうな男だった。
そして教頭はいきなり懐からマイクを取り出すと(四次元ポケット疑惑)、こう宣言した。
「はい、それでは補習授業の説明を始めまーす!みんな!楽しみかなー?」
場が凍った。