06 戦場の花
「閣下!我々に構わないでください!どうか!お戻りください!」
全く忠実な部下だ。よくこんな関係を築けるものだ。本当に感心する。
ローランド卿は部下の制止を無視して、月明かりの照らす中、ゆっくりとカニバーリェス卿の前に来ると、左膝を地面につけて跪いた。背後から、ほとんど悲鳴に近い声がした。
「閣下!おやめ下さい!」
両手を地面につけてためらいながらもおそるおそる屈んだ。途中、はらりと垂れ下がった黒髪を、右手で耳にかけた。
女みたいなやつだ―――。カニバーリェス卿はその様子を、瞬きもせずに見下ろしていた。ローランド卿はずっと無表情のままだ。相当屈辱のはずだが、決して表に出さない。士官学校の頃からしかこいつのことは知らないが、こいつのこういう所、昔っから本当に嫌いだ。大嫌いだ。見ていると、本当に腹が立つ。だが、ローランド卿の肩が小刻みに震えているのを見て、可笑しくなった。
そして、ローランド卿は上目づかいに、ちらっとカニバーリェス卿を見ると、頭を下げて目を閉じてブーツにキスした。イギリス軍が息を飲むのが分かった。カニバーリェス卿は急に苛立ちを覚えた。何に腹が立つのか分からない。
ローランド卿がブーツから顔を離そうとした。その瞬間、カニバーリェス卿は思わず、その足でローランド卿の顔を蹴っていた。一瞬、自分が何をしたのか分からなかった。だから蹴った張本人であるくせに狐につままれたような顔をしていた。他人からすれば、なんて滑稽な男だろう。
衝撃でローランド卿が背中から倒れた。スペイン兵の制止を振り切ったイギリス士官が駆け寄り、閣下、と涙声で叫んだ。顎の骨を砕いたような感触ではなかったが、歯ぐらい折れたかもしれない。岩場にうずくまって、せきこんでいる。
ローランド卿は呻いて、口を押さえてふらつきながら立った。目には涙が見えた。だがその涙は恐らく屈辱から来たものではない。単に、痛みから来たものだ。
ローランド卿はカニバーリェス卿に向きなおるとくぐもった声で言った。
「お前のためじゃない・・・俺のためでもない」
彼を支えていた部下が閣下、と呟いて涙を流した。ローランド卿は口元を覆う手を離し、部下の背中に手を回してなだめるような仕草をした。なぜ、奴の方が慰めている?
唇の端が切れて、彼の顎をつたう鮮血が絹糸のように見える。カニバーリェス卿はますます苛立ちを覚えた。しかし難しい顔をして、部下に水の補給をさせ、イギリス軍を拘束するように命令した。一瞬、奴が見かけの儚さと裏腹に頑丈な奴で良かった、と思った。