40 さやけき祈り
少年は店の外に出て、暗い道を逃げ出した。
「おい、待て!」
海がすぐ下に見える、石で出来た小さな橋の上でようやく追いつき、腕をがしっと掴んだ。
「放せ、海賊め!」
少年が振り向いた。恐怖というよりは怒りの表情だ。シアーズはびっくりした。
「あ……悪い、俺の知ってた奴にそっくりだったから、つい……」
「何だよ、あんたの知り合いってガキなわけ?」
「違うよ、そいつが子どもだった頃にそっくりだったんだ」
少年は臆する様子もなく、じっと真っ直ぐにシアーズの目を見つめている。瞳の色は違うが、この目――。
「なあ、お前どこに住んでるんだ?」
貴族の子にしては、着ている物がみすぼらしすぎる。だが、どうしても引っかかる。
隠す様子もなく、少年は答えた。
「俺とあんたがさっき入ってた酒場」
「お前、あそこの酒場の子なのか?」
少年が頷いた。
「母さんとあそこの酒場の裏に住んでる」
シアーズはいよいよ確信を深めた。数年前、ローランド卿はあの酒場で働いていたメアリーという名の女中と恋に落ちた、と噂で聞いたことがある。その時は奴はそんな素振りも見せなかったし、デマだと思った。第一、あいつが恋なんて、ちょっと非現実的だとも思った。仕事においての人選は抜群だったのに、そういう色恋事はからきしだったからだ。しかも貴族でもない女と。
「もしかしてお前の母さん、名前はメアリーっていうのか?」
少年はくすっと笑った。
「ハズレ。メアリーは俺の母さんのお姉さんの名前だよ。伯母さんはずっと前に死んじゃったらしいけど」
「死んだ……?何で」
そうか、恐らくウィルとの仲が噂されたのはそのメアリーという女中だ。だったらウィルはその妹と恋仲になったということか?まさか、身代わりに?あいつは、そんなことをする奴だったか?
「知らない、母さんは絶対教えてくれないんだもん。お前には早すぎるわよ、とか言っちゃってさ。でも絶対父さんは何か知ってるんだ」
父さん――。ああ、なんて聞きたくない言葉。
「お前の父さんて、もしかして――」
心臓が体から飛び出たみたいにバクバクする。体中が脈打っているかのようだ。こめかみが熱い。気持ち悪い。今すぐこの場から逃げ出したい。
「ウィリアム=ローランド卿か?」
少年は一瞬ぽかんとした。しかし、すぐにいたずらっ子のような顔になった。父を誇らしげに思っているようだった。
「ふうん、海賊の間でも有名なんだね、俺の父さん」
「海賊……」
「とぼけんなよ、その格好、どう見ても海賊だろ。それに、あんな酒場に来るやつなんて、どうせロクな奴じゃないんだから」
当然だとでも言うように少年は腕を組んでみせた。生意気な口調で彼は喋った。
安堵とも悲しみともつかない声で、シアーズはゆっくりと語りかけるように言った。
「俺は、お前の親父をよく知ってるよ。そっくりだな。あいつはこんなにお喋りじゃあなかったが」
ふと少年の顔を見ると、大きな目でシアーズを見ていた。口が開いている。
「父さんのこと……よく知ってるの?」
「え、ああ、まあな。昔、一緒に仕事をしたこともあった」
意外な疑問の投げかけにシアーズが戸惑う。少年が下を向いた。
「どうした?」
「俺、父さんのことなんにも知らない。前に一回、会ったことがあるけど、あんまり話もしてないんだ。母さんはあまり父さんのことを話そうとしないし……嫌ってるわけじゃあないみたいなんだけど。俺がもう少し大きくなったら、メアリー伯母さんのことも教えてくれるって言うけど、どうだか」
一度しか?ウィル、お前はこいつを貴族として、ウィリアム=ローランド卿の子として育てるつもりは無かったってことか。どうして。この世を生きていく辛さは、お前が一番よく知っていただろう?特に、こいつみたいに混じった血の人間が生きていく道は、茨道よりも険しいことを。
「俺だって自分でいろいろ調べたりしたんだ。でも、ああいう所に来る奴は、皆父さんのこと全部悪く言うんだ」
少年が悲しそうにした。初めてこの少年が、僅かだが心を覗かせた気がした。
「そうだな」
それは仕方ない。あいつは海軍だったんだから。しかも、海賊を『裏切った』。




