19 鏡の破片
すっかりスペイン軍は上官に対してひいている。だがカニバーリェス卿は別のことを考えていたようだ。
「なっ……貴様、仮にも貴族の身分でありながら、なんという……」
ローランド卿は呆れた。そういや、こいつはグレもしない反抗期もないつまんねえガキだったな。いつまでもいい子ぶりやがって……万年優等生が。頭の中は、きっとくだらない教養やお行儀でいっぱいなんだろうよ。
「悪かったな、これでも貴族なんだよ。それじゃ、いつまでもてめえの恨みごとにつき合ってる暇はねえからな、とっとと済ませようぜ」
横で固まっていたスペイン兵は、他の司令官の命令で海へ向かって行った。二人は広場の裏にいた。さっきまで大勢がそこを通っていたのに、今は他には誰もいない。
二度あることは三度ある、というが、ローランド卿にそのつもりはなかった。早くしないと、イギリスへ帰れなくなる。今までと人が変わったかのように軽快なステップを踏んで、確実にカニバーリェス卿を壁の方へ追い詰めた。狙いを定め、剣を弾いた。久々に聞く快い音だ。カニバーリェス卿は、何が起こったか分からない様子で、眉をひそめて、ただ荒い息をしていた。相手の喉元へ剣の切っ先を突き付け、ローランド卿は優しく微笑んだ。カニバーリェス卿の目が見開かれる。
「言い残す事は?」
「……え?」
一瞬の静寂が訪れた。
「俺だって鬼じゃねえ。靴の裏まで舐めろとも言わねえさ」
カニバーリェス卿は、無言だ。というより、何も言えないようだ。
「さっきので全部?じゃあ、もういいか」
ローランド卿はそう言うと、カニバーリェス卿の首を刺した。幼い頃から共に学び、競り合ってきた仲だったのに。こいつは俺を分かってくれた、数少ない人間の一人なのに。いつから狂ってしまったんだろう。今、こうして断ち切った後も、何も思わない。フェルディナントを憎んでいたから、というわけではない。いや、むしろ感謝している。人のぬくもりを、一番最初に教えてくれたのは、フェルディナントだった。俺が身勝手な理由でシアーズ伯爵を殺した時も、慰めてくれたのはこいつだった。何より、身分なんて気にせず、傍にいてくれた。……俺とお前の間に、海さえ……海さえなければ。
切っ先が何か硬いものに当たった。聞こえた呻き声とともに剣を抜くと、カニバーリェス卿の体が壁に沿ってズルズルと崩れ落ちた。同時に、人の足音が聞こえた。どうやら一人のようだ。こっちへ来る。




