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飛べないペンギン

掲載日:2026/10/18


「両翼、尾翼よし。風向、風量、共によし!」


 どこまでも広がる青の中、白い雲が流れていく。モコモコとしたちぎれ雲の間から、元気な声が響いている。


「ローラー回転数正常。姿勢制御装置、異常なし!」

 黒く細身の翼に取り付けた、薄膜を広く展開する。白い骨組みは綿魚の軽骨だ。前回の反省から、軽さだけでなく柔軟性も重視した。硬いだけでは、衝撃で折れてしまうから。


「いてて……」

 前回強打した胸の竜骨突起がまだ痛む。折れてなくて本当に助かった。ひときわ強く吹いた風に、一度頭を強く振る。雑念を追い払い、いざ征かん!


 小さな丘の天辺から、ペンギンは駆け出した。飛び込むように腹ばいになると、腹に付けた補助輪たちの助けも借りて、ぐんぐんと加速する。

 じきに緑の丘は終わる。その先は青。何もない絶壁だ。


「離陸(テイクオフ)!」


 このままでは落下する。そんなギリギリで、ようやくペンギンは両翼の膜を操作した。尾翼の角度を微調整し、最後に途切れる地面をひと蹴り――


(やった……!)


 ふわっと柔らかな風が、己を宙へ持ち上げた。

 広い広い、空の世界。

 己の両翼に感じる、確かな風の抵抗が心地よい。


(まだ、油断しないぞ)


 即座に姿勢制御装置を稼働しようとし、胸にずきりと痛みが走った。わずかに動作が遅れたその瞬間、


ビュオオオオオ――――


 突発的な、上昇流。

 身体はいとも簡単に突き上げられ、回転し、錐揉みするように落下していく。


「……九百九十八回目。試験飛行(フライト)、失敗」

 プランプランと、命綱の先端で、虚しく宙に揺られながら。ペンギンは悔しくて、なんとか涙を飲み込んだ。


「おいおい、お前も懲りないなぁ」

 そんなペンギンの頭上から、野太い声が降ってきた。見上げると命綱の先、飛び出した元の小さな島から、大きな頭が覗いている。


「さっさと上がってきたらどうだぁ?」

「……放っておいてくれ。僕は今、忙しいんだ」

 ペンギンはまた下を向く。落ち込んでいるんじゃない。懐から取り出した冊子に、今日のデータを書き込むのだ。


「おーい。唯一の友達相手に、それはないだろぉ?」

 上からの声は止まなかった。それどころか、ぐいと身体が引き上げられる。あっという間に景色が動き、気づけば柔らかな草地の上へと放り出されていた。


「千回やっても、変わんねぇだろ。いい加減、諦めたらどうだ?」

「……まだ、九百九十八回目だ」

 仰向けに倒れる自分を見下ろす相手に、ペンギンはブスッと告げた。

 緑の巨大な体は、爬虫類が立ち上がったような姿だ。立派な牙、尾の先には鋭いトゲがついている。腕はない。代わりに一対の翼が、今は大きな体の両側に、折りたたまれるように収まっていた。


「大差ないだろ。そんな小細工するくらいなら、素直に"飛行機"使ったらどうだ?」

「それは――」


 "飛行機"。

 それは、「飛べない」者たちのために開発された補助道具。


「飛べない」――それはこの世界では、まともに生きられないことを表していた。



***

 世界は空でできていた。

 

 シュワシュワと蒸気が湧き上がる雲の大地。

 足場といえば、ポツポツと浮かぶごく小さな浮島があるのみだ。だから大半の生きものは、空を飛んで生きていた。


 翼、滑膜、羽に翅……飛べることが当然の世界で、「飛べない」ことは"烙印"だ。



「――なあ。何がそんなに気に入らないんだ?」


 双足竜(ワイバーン)――僕の唯一の友人、ログは、僕の後をついて話しかけてきた。


(姿勢制御装置自体に問題はない。空中での咄嗟の操作に、僕自身が追いつけなかった)


 友人の言葉は無視して、僕は体に付けた装置を一つずつ外していく。これから失敗原因の究明と、新たな改良を考えねば。


「やっぱ金かぁ? 確かに"飛行機"は高いが、障害者申請すれば、補助金でんぞ」

 僕が広げた機器のひとつを、ログは無遠慮に持ち上げた。翼の先は鉤爪になっており、ペンギンの翼なんかより、遥かに器用なのだ。


「それとも"障害者枠"が苦痛ってか? 確かに、就業制限とかも多いしなぁ」

「それ、返して」

 奪われた機器を取り返そうと、ペンギンは黒い翼を伸ばした。しかしログは、機器を掴んだままの鉤爪をさらに高く持ち上げる。


「分かるぜ。だけどお前にはオレがいる。ちゃんと助けてやるからよぉ」

 ああ、掲げられた機器にすら、届かないこの翼。

 細くて硬い、黒の翼。風を掴んで飛ぶことはない。ログみたいに先が鉤爪になってる訳でもなく、ひたすらに不器用だ。


「別にいいよ。放っておいて」

 取り返すことは諦めて、僕は残りの機材を手早く集め、風呂敷に包んでいった。場所を変えよう。といっても、この小さな浮島は、歩いて5分もすれば反対側に辿り着いてしまうのだが。


「……困ったら、いつでも言えよ」

 立ち上がった僕に、ログは小さくそう言った。そして奪った機器を、そっと押し付けるように返してくれた。




***

「ペンギン、おかえり」

「今日も遅かったわね。ご飯、温め直したわよ?」


 真っ黒な体に、白い顔とお腹がチャームポイント。並ぶとそっくりな大小の二羽が、ペンギンを出迎えた。

 昼間、試験飛行を繰り返した浮島の周囲には、立つのが精一杯な小さな足場がたくさん浮かんでいる。それらを渡った先(飛べないペンギンには命がけの跳躍だ)に、ペンギンの自宅はあった。


 乾いた草で編んだ籠を伏せたような形の家。その一室で、食事を終えたペンギンは、自分のベッドに伏せていた。ピラリと嘴でくわえたチラシを持ち上げる。


『あなたらしさを大切に。つながる輪』

 それは夕食の席で母から渡された、支援団体のチラシである。


『『飛べない』方々と支援者の集まりだそうよ。心配なら、お母さんも一緒に行くわ』

『ペンギン。金のことは心配ない。欲しいなら、飛行機だって最新型を……まあ、さすがに中古にはなるが』


 ふわふわの羽でそっと僕の頭を撫でる母。父だって、ぎこちないなりに、僕を気遣ってくれている。

……優しい両親だ。先日まで、僕の試験飛行だって、黙って見守ってくれていたのだ。どれほど我慢してくれていただろう。


 渡されたチラシと両親。僕の視線は両者をしばらく行き来した。両親たちの黒くて広い翼に、丸っこい白ふわボディ。


(なんで僕の翼は、こんな棒切れみたいなんだろう――)


「……分かった」


 長い沈黙のあと、僕が絞り出した返事に。両親が息を緩めるのを感じた。だから本当に申し訳ない。だけど、最後のワガママだ。


「あと2回だけ。千回目の試験飛行で、終わりにするから」

 そしたらきっぱり諦めて、母と一緒に支援団体へ向かおう。父と一緒に、飛行機のカタログを見に行くんだ。



***


 九百九十九回目の試験飛行の日。

 残り二回のチャンスに備え、入念に準備した。


「気をつけろよ」


 ログが腹回りの命綱のベルトをキュッと締め直してくれる。気の良い緑の友人は、僕の話を聞きつけて、手伝いに来てくれたのだ。


「ありがとう」

「おうよ。んじゃ、行ってこい!」


 とんと背中を軽く押され、僕は丘を駆け始めた。下り坂。両側にピンと突きだした僕の翼に、取り付けた翼膜がバタバタと風をはらむ。

 体を持ち上げる揚力を感じ、しかしギリギリまで耐える――今だ!


 ちょうど追い風に掬われるように、僕はふわりと浮き上がった。そのまま姿勢制御装置を起動。


「すげぇ、すごいぞ! ペンギン、お前飛んで――」

 背後でログが出した大声は、それ以上聞こえなかった。


バサササササ――

ザザッ「ガァーッ」「グゥア」「ガガ」ザザザー


 衝撃、回転、煽られ飛ばされ、またいくつも衝撃が――


 気づけば姿勢はめちゃくちゃで、僕は上を仰いでいた。


(雁の群れ……)


 大勢の羽ばたく翼に、僕はあっけなく巻き込まれ、下へ落下を開始した。

 さらに悪いことに、


ぶちり――


 度重なる試験飛行で、ついに限界が来たのだろう。使い込まれた命綱が、根元付近でぶっつり切れた。


「ペンギン――!」


 友人の悲鳴が、雁の群れのさらに向こうから。それも一瞬で遠ざかる。


(ああ……)


 このまま、落ちて死ぬのだろうか。

 雲海の下、遙かなる闇の底には、死の世界が待ってるという。


「おや、坊や」


 巨大な羽ばたき音と共に、僕の体は落下を止めた。


「危ないところだったね」


 飛び立った浮島くらい巨大な体。四枚の翼が交互に羽ばたき、ゆったりと空を進んでいく。

 虹色にきらめく鬣を揺らしながら、僕を救った相手は、首だけでこちらを振り返った。


「あなたは、大龍?」

「左様。そなたは、クロツノメトリの奇形児かい?」

 不躾に僕の体を上から下へ眺める大龍。だけど、それほど嫌な感じはしない。


「坊やは……もしかして歩行者(ウォーカー)かい?」

「ウォーカーって何?」

 地響きのように大龍の体が揺れた。どうやら笑っているようだ。


「飛ばずとも、その足でしっかり生きる者共のことだ。敬意を表し、我は歩行者(ウォーカー)と呼んでいる」

 それは初めての感覚だった。

 「飛べない」ではなく「飛ばない」。「飛べない」ではなく「歩く者」。大龍の表現は、聞き慣れないものだった。


「さぞ苦労したことだろう。おいで。よい場所へ連れてってあげよう」

 蔑みも嘲りもない。まっすぐな眼差しを向ける大龍に、僕は黙って頷いた。




***

 大龍に運ばれた先は、それはそれは大きな浮島だった。


「坊やの足で丸一日歩いても、反対側にはつかないよ」


 本当に、驚きだ。

 いつも試験飛行を繰り返した浮島は、地元では大王島と呼ばれるほど。だけどその実、5分も歩けば渡りきれる。


「すごい……端が見えないや!」


 大気が振動した。

 背後で大龍が笑ったのだ。


「飛ぶ必要なんてない。君のその立派な足で、歩いて生きていけばいい」

「ここでは皆そうしている。仲間もたくさんいるからね」


 どこまでも続く草原に、一本の道が伸びている。その先にはたくさんの家、畑、そして様々な生き物が"歩いていた"。


「あら、君。新入り?」

 近くにいた者達が、こちらに向かって駆けてきた。最初に話しかけてきたのは、鮮やかな青い羽をもつ僕より小さな鳥だった。


「住むところ決まってる? よかったらうちに来ない?」

 よく見ると青い鳥は、羽が片方しかなかった。


「何言ってんの。そんなことよりご飯だろ。君、何が好きかな。アレルギーとかは――」

 割り込んできたのは、四つ足の竜。ドスドスと足音を立てるものだから、土ぼこりが立っている。竜の誇りと呼ばれる翼には――穴がいくつも開いていた。


「働かざる者食うべからずっちゃ!」

 驚いた。いつの間にか真下に、翼鼠が立っていた。


「お前、何かできることは?」

 責めるようなキンキン声に、思わず体が縮こまる。

 「飛べない」僕にできる仕事なんて――


「ランバ! ダメでしょ。彼、怖がってる」

「そうよ。段階を踏んで説明しないと――」

 固まる僕を庇うように、青鳥と竜が間に立った。


「ごめんね、驚いたよね。あたしはルルゥ。こっちの竜がパンタンで、あっちのクソ鼠がランバ」

「クソ鼠ったぁなんだっちゃ!」

 翼鼠のランバが怒って腕を振り上げている。腕と体の間には、立派な翼膜が広がっていた。


「安心して。ランバも飛べない。高所恐怖症だから」

「っちゃ! 飛べなくても仕事はできる。それでお前は――」


 うるさい島の住民にもみくちゃにされ、僕は目を回していた。


(でも皆、楽しそう――)


 皆が自分の足でしっかりと生きる姿に、僕はほっと力が抜けた。




***


 しばらく、幸せだった。

 僕は結構体力がある。それから、小難しいことを気長に考え続ける根気。手先は器用ではないけれど、そこは翼鼠のランバがよく手伝ってくれた。


「助かったよ。しばらく手作業だったから」

 鶴のお婆さんはそう言って、ふかし芋を分けてくれた。織り機の回転軸が折れて困っていたのを、僕とランバで修理した。


「この修理屋ランバさまに、お任せあれっちゃ!」

「ほぼペンギンの指示だったけどねぇ」


 ふんぞり返るランバの隣に、いつの間にやら青鳥のルルゥが立っていた。


「あがり? 久々に飲みに行こーよ」

「パンタンは?」

「少し遅れるけど来れるって」


 島での生活は、忙しいけど充実していた。こうして合間に食事に行ける友人もいる。

 飛べないものしかいない島。ある程度は自給自足しているとはいえ、それでも足りないものがある。そうしたものは、理解ある支援者たちが、空を飛んで運んできてくれた。


「ご両親と離れて寂しくないか?」

 酒の席で、大きな図体のパンタンが、こそっと僕に囁いた。


「大丈夫。手紙もやり取りしてるし――」

 基本、「飛べるもの」はこの島に立ち入り禁止。無用な軋轢を避けるためで、外とのやり取りは支援者たちが介してくれた。

 もちろん、希望すれば「飛行機」を手配してもらえる。頻繁には無理だけど、たまになら両親の元へ帰ることだってできるのだ。


 同じ境遇の友人たちに、理解のある支援者。仕事も、娯楽だってある。こんな場所に連れてきてもらって、僕は本当に幸せ者だ。


 だけど、だけど――





「一日じゃ無理だけど」


 二日と半分も歩けば、島の端から端へたどり着いてしまった。

 まっすぐな小道、整然と並ぶ家々。島の縁はどこも、緑の草原で覆われていた。


――どこも同じような景色ばかり。


 見上げると、雲が形を変えて流れていく。


(同じものなんて、一つもない)


 常に色形を変えて、流れ行く雲は、世界の広さを教えてくれる。そして自分は――


(少し大きくなっただけで、変わらない)


 自分も。置かれた環境も。


 贅沢だって、ワガママだって、分かってる。

 だけど飛べない自分は、この小さな島から出られない。


 飛行機を使っても、予め申請し、誰かに手伝ってもらい、決められた道程を時間と労力、金をかけて、行かねばならない。


(苦しい)


 どうしようもなく苦しかった。


 かたり、と物音がした。

 振り返ると、クローゼットの戸が開き、機材がいくつか落ちていた。試行錯誤を重ねた、僕が空飛ぶための機器。そっと拾い、片付けようと引き出しを開く。――いつも身につけてたせいでボロボロの、記録冊子が目に入った。

 

 パラパラとページをめくる。

 最後の書き込みは「999」。試験飛行の数はそこで終わっていた。


(最後飛行(ラストフライト)――)




***

 つけるのは最低限の装備のみ。


「ついに千回目……」


 なぜか笑いが漏れてしまう。

 それは終わりの見えない挑戦が、ようやく終わることへの安堵だろうか。


「離陸――」


 言いかけて、はたと足を止める。

 腹の周りに留めた金具。そこから伸びた長い紐。


(命をかけて飛び出せば、この翼も覚醒して飛べるんじゃ――)


 ペンギンは留め金を外した。

 そして思い切り、駆け出した。


 過去一番に体が軽い。

 命綱すら置き去りにして、ペンギンは駆ける。駆ける。

 力強く地を蹴って、虚空へ――翼がしっかりと風を捉え―― 




――――落下する。



 落ちるペンギン。

 雲の大地を突き抜けて、受け止めるものはなく、深く深く、深い闇の中へどこまでも。落ちていく。





 ペンギンは気がついた。

 闇の中、自分が飛んでいることを。


 そこは冷たくて、身体を動かせばはっきりと抵抗がある。その冷たい抵抗を翼で押せば、進む。


 もっと押す。進む!

 進むのだ。


 もっと、もっと……


 一度見えた光に向かってまっすぐに……冷たい世界から飛び出した。


 空気。


 無意識に止めていた息を大きく吸って。飛び上がった先の、硬いゴツゴツとした足場を蹴って登っていく。


 これ以上登れないところまでくると、ペンギンは一度空を見上げた。先ほど自分が落ちてきた、雲が流れる青い空。


 そして下に目を向ける。

 恐る恐る、断崖の下を覗けば、頭上よりもはるかに青い。

――冷たい、知らない空が広がっていた。


 ゾワリと足先から頭に向かって怖じ気が這う。


 ここには誰もいない。この先、何があるかも分からない。両親も友人たちも、知る人は誰もいない未知の世界だ。


(だけど――)


 ペンギンは飛び込んだ。

 水でできた空へと、矢のように一直線。

 信じられないスピードで、青から深い青、藍色から闇色へ、ぐんぐんと水の空を飛んでいく。


(もっと飛びたい……!)


 もう、上に帰ることはできないかもしれない。

 だけど今は、ただひたすらに、衝動のままにこの翼を動かしたかった。



 ぐんぐんと、さらに勢いを増し――やがてペンギンの姿は闇へと消えた。






 ここは海。海しかない世界。

 そこで初めてペンギンは、自由に飛べるようになった。



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― 新着の感想 ―
ペンギンのまっすぐ憧れに向かう姿勢に感動したし、拍手を送りたい! 自由っていうのは最初から手にしているものではなくて、挑戦し続けた先にあるものなんだと改めて考えさせられました!!
鳥人間ではなく、鳥ペンギン……。 いや、ペンギンはそもそも鳥。 前に前に進みたいという想い。ペンギンにとっては称号も意味がなかったのですね。 そして挑戦したからこそ辿り着いた世界なんですね。
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