聞見奮闘録
大学卒業の日、聞見描は一人、校門の前で立ち止まっていた。
スーツのポケットには、黒紙社の内定通知。
「雑誌を作る人間になる」
それが、子供の頃からの夢だった。
活字が好きだった。
写真が好きだった。
人の“瞬間”を切り取る仕事がしたかった。
そして、黒紙社――通称ブラックペーパーに入社する。
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初出勤
黒紙社のビルは古かった。
階段を上がる。
ドアを開ける。
――白い。
部屋が真っ白だった。
「……火事?」
視界が霞む。
鼻が痛い。
反射的に入口の消火器を掴む。
(えっと、ここ引いて……)
「おいおいおいおい!!」
背後から腕を掴まれる。
振り返ると、くたびれたスーツ姿の男。
先輩社員、橋本
「朝から会社爆破すんな」
「はへ?」
ただのタバコの煙だった。
30人規模の編集部。
窓は開かない。
灰皿は山盛り。
この日、聞見は
“消火器カチコミ新人”
として社内デビューした。
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スポーツ部門配属
「よし、聞見。お前スポーツな」
編集長・長田。
無精髭。
声がでかい。
常に怒っている。
「ゴルフ大会やってるから行ってこい!撮影と取材!数こなしてナンボだ!」
「はひぃ!!」
カメラとノートを抱え、飛び出す。
二時間後。
「お、早いな!よし見せろ!」
聞見のノート。
―健康のためにやってるよ
―旦那に誘われてねぇ
―今は私が姫ってやつ?笑
写真。
芝生の上で、楽しそうに
ゲートボールする老人会。
長田の頬が震える。
「聞見ぃぃぃ!!」
「はい!!」
「これゴルフじゃねぇだろ!!」
「……え?」
初めて、自分がミスを犯したと理解した瞬間だった。
そこから始まる日常。
「社会舐めてんのか?」
「時間舐めてんのか?」
「カメラ舐めてんのか?」
毎日、舐めている。
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煙がきつい。
目が痛い。
聞見は自腹でガスマスクを買った。
編集部で一人、
ガスマスクを装着してパソコンに向かう。
橋本が笑う。
「おもしれぇやつだな。」
机にアンパンを置く。
「飯くらい食え」
「いえ、自分のミスで効率落ちてるので……」
橋本は黙って聞く。
聞見はぽつりと言う。
「いつか、自分の雑誌を作りたいんです」
橋本は笑わない。
「ならもっとやれ」
肩を叩いて去る。
その背中は、優しかった。
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七年後
取材で転ぶ。
締切を飛ばしかける。
写真を撮り忘れる。
録音ボタンを押していない。
怒鳴られ、
やり直し、
また怒鳴られ。
でも。
少しずつ。
「これは良いな」
「写真上手くなったな」
「原稿、まともになったな」
怒られる回数より、
褒められる回数が、
ほんの少し増えた。
七年。
聞見は、まだ“新人の延長線上”だった。
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企画書大会
黒紙社が新雑誌を出す。
社員総出で企画書を出す。
聞見が出したのは、
『月刊クレーンゲーム』
誰もが鼻で笑った。
「ニッチすぎる」
「売れねぇ」
「ゲームセンターだぞ?」
だが、三本に残る。
最終審査。
しかし――
美容部門編集長・瀬古が局長・五間と水面下で動く。
内定は美容誌。
スポーツ部門、沈黙。
長田が怒鳴る。
「そんなやり方あるか!!」
橋本も言う。
「フェアじゃねぇ」
聞見は何も言えない。
手に持った企画書が震える。
その時。
ひらり。
一枚の写真が落ちる。
それは高校時代。
同級生がクレーンゲームで
取れた瞬間
横で大喜びする一人
驚く顔の一人が写った写真
それを拾った男。
「……いい写真だ」
取締役・黒働
「私の資料には無かったが?」
空気が変わる。
三日後。
発表。
「新雑誌は――月刊クレーンゲーム」
聞見は立ち尽くす。
長田が泣く。
「あの消火器新人がなぁ……」
スポーツ部門が笑う。
橋本が言う。
「俺たちは夢を記録する側だ」
「だが、たまには主役も悪くない」
聞見の目から、涙が落ちた。
ガスマスク越しではなく、
初めて、素顔で。
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後日
編集部の机に、新しい看板。
月刊クレーンゲーム 編集長補佐
聞見 描
ペンを握る手が、震えていた。
でも今回は、失敗の震えじゃない。
“始まり”の震えだった。




