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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第5章 第七管理区画・第99世界

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第14話 拒絶――全員が正しいから噛み合わない

 息苦しさで目が覚めた時、誠二はもう驚かなかった。


 胸へかかるやわらかい重み。

 頬に触れている熱。

 後頭部のあたりへ回された腕の感触。

 四度目にもなると、意識が浮上するより先に状況が分かる。何に顔を埋めているのかも、誰に抱えられているのかも、いちいち確認する必要がない。必要なのは、まず息を整えることだけだった。


 ゆっくりと呼吸を継ぎ直しながら、誠二は少しだけ顔を持ち上げようとした。だが、後頭部に添えられた手が軽く動いて、その動きを半分だけ止める。強くではない。逃がさないというより、まだそこでいい、くらいの加減だ。


「起きた」


 すぐ頭の上から、眠気を引きずった声が落ちてきた。


「起きました」


 誠二も、埋まったまま答える。

 この距離だと、自然に声が小さくなる。


「苦しい?」


「少し」


 そう返すと、頭上で小さく息が動いた。

 それから、リュシアが言う。


「でも、良いでしょ?」


 前は「嫌だった?」だった。

 いつの間にか、そちらへ変わっている。

 そして今日は、それに答える側の迷いもほとんどなかった。


「……良いですね」


 正直にそう言うと、抱えている腕の力がほんのわずかだけ強くなった。

 強くなったと言っても、締めつけるほどではない。

 ただ、返答を受け取ったと分かる程度の近さが増す。


「そう」


「はい」


「なら、もう少し」


 リュシアは平然と言う。


 誠二は少しだけ笑った。


「そこは即決なんですね」


「今のは、そうするところ」


「基準がだいぶリュシア寄りです」


「私のだから」


 その返しに、誠二はもう一度だけ笑った。

 起き抜けの体温と、胸元の柔らかさと、こういう短いやり取りが重なると、たしかに少しだけ人間へ戻る感じがする。今日の会議は昨日より重くなると分かっている。全員が席に着いたあと、本格的に口を開けば、悪くなる方向へしか転がらない可能性が高い。だからこそ、この数十秒が妙にありがたかった。


 ようやく、リュシアが腕を緩める。

 完全には離さない。

 だが顔を上げて息をしやすくするには十分だった。


 近い位置で目が合う。

 寝起きのせいで、いつもより少しだけ柔らかい顔をしている。

 それでも視線の芯は相変わらず速い。誠二が今日の朝からもう少し固くなっていることくらい、たぶん見れば分かるのだろう。


「今日は重い」


 リュシアが言う。


「ええ」


「行く前に、シャワー浴びるといい」


 その勧め方が、妙に具体的だった。


「そんなに分かりますか」


「分かる」


「もう固いですか」


「もう固い」


 短く言ってから、リュシアは口元だけ少しだけ意地悪く緩めた。


「重いまま行くと固まる」


「それはそうかもしれません」


「固くていいのは、そこじゃない」


 その一言で、誠二は完全に目が覚めた気がした。

 顔を上げて、思わずそのままリュシアを見る。


「朝からそれ言いますか」


「今だから言う」


「ずいぶん余裕ですね」


「余裕あるようにしてる」


 その返しは少しだけ、いつもより本音に近かった。

 重い案件の朝だからこそ、わざと軽く刺して、誠二を戻そうとしている。そういう意図が、今はもう分かる。


「ありがとうございます」


 誠二が言うと、リュシアは目を細めるだけで返事はしなかった。

 代わりに、最後に一度だけ髪へ触れてから身体を離した。


 熱いシャワーを浴びると、たしかに少しだけ呼吸が戻った。

 水気を拭いながら、誠二は自分でも苦笑した。

 固くていいのはそこじゃない。

 ああいう言い方をされると、嫌でも笑う。

 笑った分だけ、会議前の張りつめ方が少し削れる。


 小さめの案件確認室へ戻ると、リュシアはもう椅子へ座っていた。机へ上半身を半分預けた姿勢で、やる気があるようには見えない。だが結晶板に並ぶ資料はすでに整理済みだった。


 ドイツ。

 日本。

 英国。

 アメリカ。

 ソ連残存政府。

 東方エルサレム共和国。


 その下に、昨日の会議の要点が並んでいる。

 裁きではない。

 講和でもない。

 延焼停止のための会議。

 その定義だけは、どうにか共有の外縁へ乗せた。

 今日は、その先だ。


「今日は壊れそうですね」


 誠二が言うと、リュシアは頷いた。


「かなり」


「昨日は、何の場かを決めればまだ止まった」


「今日は中身」


「ええ」


「全員、自分の正しさを持ってる」


「そこです」


 リュシアはそこで少しだけ目を上げた。


「誠二」


「はい」


「正しさを止めに行かない」


「ええ」


「燃える流れだけ見る」


「分かってます」


「それでいい」


 短い。

 だが、必要なのはそれだけだった。


 会議施設に入ると、昨日より空気が悪いのがはっきり分かった。

 誰もが、今日はいよいよ本題だと知っている。

 つまり、それぞれの理屈を出さなければならない。

 出せば噛み合わない。

 噛み合わないと分かっていても、出さないわけにはいかない。

 そういう日の空気だ。


 主会議室の楕円卓は昨日と同じ場所にある。

 だが、同じ部屋でも、そこへ座る人間の顔つきが違えば別の部屋みたいになる。

 昨日は探り合いだった。

 今日は拒絶が前提だ。


 ドイツ側は最初から整っていた。

 姿勢も書類も声の温度も、全部が“自分たちは勝者であり、その位置からしか話さない”と示している。ベルリンで見た冷たさが、そのまま会議室へ持ち込まれていた。


 日本は相変わらず表に出しすぎない。

 だが昨日よりも、損得を測る目の動きが速い。

 海軍側と陸軍側の論理差は見える。見えるが、いまはそれを内部で喧嘩させる段階ではない。帝国として、まずどこまで譲るかを計っている。


 英国は嫌そうだった。

 露骨にではない。

 だが“また一つ帝国実務を重くする議論が来る”という顔を隠していない。

 理念を否定しているのではなく、それを現場へ落とすコストを先に見る国だ。


 アメリカは重たいまま静かだった。

 呼ばれたから来た、という顔を崩さない。

 だが、その余裕自体が場を圧迫している。

 できるのに、まだ役割を引き受ける気がない国の、独特の距離感だった。


 ソ連残存政府は、もはや隠す気もなく硬かった。

 彼らにとってこの会議は、いまの線を固定しにくる装置にも見える。

 その警戒が国家感情として座っている。


 東方エルサレム共和国は、昨日よりさらに張りつめていた。

 国家として扱われるならこの会議にいる意味がある。

 管理対象として処理されるなら、この席そのものが罠になる。

 だから一語一句に神経が立つ。


 会議が始まる。


 最初にドイツが口を開いた。


「確認したい」


 声音は静かだ。

 だが、譲る気は微塵もない。


「延焼停止という定義は承知している。だが、その定義が勝者に拘束を課すための新しい言い換えであるなら、我々は受け入れない」


 昨日より一歩進んだ。

 法廷ではないことは分かった。

 その上で、今度は“実質的拘束”の可能性を先に潰しにくる。

 かなり正しい反応だ。

 そして、かなり面倒だ。


 日本が続く。


「海は既に回っている」


 海軍側の代表が言う。


「余計な拘束で護送、接触、補給が重くなるなら損だ」


 そこへ、陸軍側の視線も重なる。

 海の論理だけではない。

 帝国全体として、実務を重くするなら意味がない。

 それが日本側の立ち位置だ。


 英国は、いかにも英国らしく返した。


「帝国実務を机上で止めるなら、この会議は敵より有害です」


 言葉が整いすぎていて、かえって本音がよく見える。

 港、船腹、保険、航路、補給、植民地行政。

 その一つでも止まるなら、会議など敵に等しい。

 それが英国の正しさだ。


 アメリカは腕を組んだまま言う。


「役割を押しつけるな」


 短い。

 だが、それで十分だった。

 この会議が、いずれ保証人や最後の均衡役を求める形になるなら、その負担をアメリカへ持ってこようとする。彼らはそこを最初から潰しに来る。


 ソ連残存政府の代表は、ほとんど吐き出すように言った。


「敗者固定の会議など認めない」


 そこにある怒りは分かる。

 延焼停止という名であっても、現状線を受け入れさせるなら、それは敗北の制度化にしか見えない。


 東方エルサレム共和国は、そのあとに続いた。


「国家承認を空文化するような枠組みであるなら、我々は参加の意味を失う」


 そこもまた正しい。

 会議体の名目で国家の上位へ管理を置くなら、薄い主権はさらに薄くなる。

 彼らにとってそれは国家であることの死に近い。


 会議室の空気は、一巡しただけで詰まった。

 誰も怒鳴らない。

 だが、全員が自分の正しさで拒絶している。

 悪意のぶつけ合いではない。

 だから余計に切りにくい。


 誠二は、そこでようやくはっきり掴んだ。

 悪意なら、まだ敵として処理できる。

 だがこの場にあるのは、それぞれが持つ正しい現実だ。

 ドイツの勝者論理。

 日本の実務合理。

 英国の帝国維持。

 アメリカの負担拒否。

 ソ連の敗北拒絶。

 共和国の主権防衛。

 全部がそれぞれの位置で正しい。

 だから噛み合わない。


 正しさを止めようとすると、会議は壊れる。

 止めるべきなのは、正しさそのものではない。

 その正しさが再戦、誤認、報復へ変わる流れの方だ。


 誠二は口を開いた。


「皆さんがそれぞれに正しいのは承知しています」


 何人かの視線が動く。

 挑発ではない。

 だが、軽い迎合でもない。


「勝者が自らを縛る理由は薄い」

「海が回っている以上、余計な拘束は損になる」

「帝国実務を机上で止めるのは有害だ」

「役割の押し付けは拒否したい」

「敗者固定は認めない」

「国家承認の空文化は受け入れられない」


 一つずつ、あえて言葉にして並べた。

 各代表の顔がわずかに動く。

 自分の理屈を理解している者がいるかどうかは、この段階ではかなり重要だ。


「だから噛み合わない」


 短く切る。


「悪意ではありません。正しさがぶつかっている」


 ソ連代表が低く言う。


「だから何だ」


 誠二はすぐに返した。


「だから、正しさを変える話はまだしません」


 そこに少しだけ空気が揺れた。

 “まだ”と入れたこと。

 今はやらない。

 だが永遠に棚上げもしない。

 その曖昧さが、少なくとも今日の場を壊しにくくする。


「止めるのは、正しさではない」


 誠二は続ける。


「その正しさが誤認と再戦に変わる流れです」


 日本側が少しだけ姿勢を変えた。

 英国も同じだ。

 実務に落ちる言葉へ変わったと感じたのだろう。


「たとえば」


 誠二は資料を開かず、口頭だけで言う。


「海上で接触した時、何が起きたか記録が残らない」

「国境で摩擦が起きた時、どこまでが局地でどこからが越境か曖昧」

「移動民が流れた時、誰が保護し誰が追い返し誰が利用したか残らない」

「核実験も通知されず、何が実験で何が先制準備か読み間違える」


 英国側の視線が少しだけ深くなる。

 日本も聞いている。

 アメリカは無表情のまま。

 ドイツは静かに待ち、ソ連は硬い顔を崩さず、共和国は息を殺している。


「正しさを争う前に、燃える導線を分ける必要がある」


 それが今日の着地点になるはずだった。


 ドイツ側が口を開く。


「つまり、我々に譲歩を求めるのではなく」


「延焼要因の識別です」


 誠二が返す。


「勝者論理の放棄ではなく」


「勝者論理が事故へ変わる箇所の切り分けです」


 ドイツの代表は、そこで初めて少しだけ黙った。

 完全に満足しているわけではない。

 だが、少なくとも“何を切られそうなのか”は昨日より明瞭になった。


 日本側は言う。


「海を止めない前提なら、話は聞ける」


 そこへ英国が重ねる。


「机上の正しさではなく、燃えやすい現場から先に見るなら、まだ意味はある」


 ソ連側はなお硬い。

 だが、昨日のように“何の場か分からない”段階ではなくなっている。

 敗北を飲ませるための場なのか、延焼導線の管理なのか。

 少なくとも、その違いくらいは明確になった。


 東方共和国の代表が静かに言う。


「その切り分けが、国家の扱いを曖昧にしないなら」


「そこは切りません」


 誠二は即答した。


「今日、切るのは燃える導線です。主権と正統性の本体に踏み込めば、場が壊れる」


 その言葉で、共和国側はようやく少しだけ呼吸を変えた。


 会議の後半は、合意よりも分類に近かった。


 何が燃料か。

 何が着火点か。

 何が報復口実になるか。

 どの海域が最も誤認を生みやすいか。

 どの国境線が局地戦から越境戦へ移りやすいか。

 難民と移動民の流れがどこで武装勢力と混じりやすいか。

 核関連の不透明さがどこで最も危険か。


 誰も譲らない。

 だが、誰も退席もしない。

 それが今日の限界であり、今日の成果でもあった。


 会議が終わった時、誠二は椅子の背へ身体を預けたまま、しばらく立てなかった。

 全員、自分は間違っていない顔で壊しに来る。

 その感覚がまだ身体に残っている。

 しかも、それはただの感想ではなく、この場の現実そのものだった。


 戻ると、報告区画の扉を開けた瞬間に、リュシアがこちらを見た。

 机に胸を乗せたままだったが、その目だけで十分に察したらしい。


「顔、重い。固い」


 開口一番、それだった。


 誠二は苦笑した。


「そこまでですか」


「まず熱いシャワー」


「報告は」


「それからでいい」


 命令に近い口調だった。

 だが、ありがたかった。

 会議室の冷えた空気がまだ身体に残っている。

 頭から熱い湯をかぶる方が先だと、自分でも分かる。


 シャワーを浴びると、少なくとも肩のあたりに残っていた張りつめた冷たさは少し剥がれた。

 戻ると、リュシアはさっきと同じ場所にいる。

 机の上には小瓶とグラスが二つ。

 もう、隣へ座るのに確認はいらない。


 誠二が席へ着くと、リュシアが自然に隣へ来た。


「お疲れ」


「お疲れさまです」


 軽く合わせて、一口飲む。

 喉を通る熱が、ようやく会議場の空気を少しだけ遠ざける。


「で」


 短く促されて、誠二はグラスを見たまま言った。


「全員、自分は間違ってない顔で壊しに来ます」


 リュシアはすぐに返した。


「そういうの、一番面倒」


「かなり」


「悪意なら、まだ切れる」


「ええ」


「正しさの方が燃える」


「はい」


 その一言で、今日一日の本体はほとんど言い尽くされていた。


 しばらく黙って飲む。

 隣の温度は静かだ。

 今日はその静かさに、かなり救われる。


「どこが一番重かったの」


 リュシアが訊く。


「ドイツでもソ連でもなく」


 誠二は少し考えてから言った。


「全員です」


「うん」


「誰が間違ってる、で切れない」


「そう」


「だから、余計に疲れます」


 そこで誠二は、ほとんど無意識に少しだけ身体を傾けた。

 大きくではない。

 肩が触れるか、触れないかくらいの距離を、自分の側から詰める。

 それが初めてだと気づいたのは、寄ったあとだった。


 リュシアは何も言わなかった。

 視線も変えない。

 そのまま、当たり前みたいに受ける。

 そして次の瞬間には、肩越しに手が回っていた。


 引き寄せられる。

 今度は朝みたいな冗談めいた流れではない。

 疲れた人間を、戻る場所へ入れ直すための動きに近い。


 誠二の額が、リュシアの肩から胸元へ軽く触れる。

 そこまで来て、ようやくリュシアが低く言う。


「今日はここ」


 それだけだった。

 だが、それで十分だった。


 誠二は少しだけ息を吐いた。


「……助かります」


「知ってる」


 短い返し。

 そしてもう一方の手が、髪の上を一度だけゆっくりと撫でる。

 撫で方が、いつもより少し丁寧だった。


 そのまま仮眠室へ移る。

 もう、二つの枕は完全に自然だ。

 部屋へ入って並んだ寝具を見ても、立ち止まる必要はない。


 ベッドへ入ると、さっきの続きみたいにリュシアが近い。

 誠二も抵抗なくその近さへ入る。

 胸元へ額を預ける形が、そのまま落ち着く位置になる。


「今日はここでいい」


 リュシアが言う。


「はい」


「もう考えない」


「努力します」


「努力じゃなくて寝る」


「そうでした」


 少しだけ笑ってから、誠二は目を閉じた。


 会議室。

 勝者の理屈。

 敗者の国家感情。

 帝国実務。

 役割拒否。

 主権の薄い国家。

 全部が、自分は間違っていない顔で並んでいた。


 正しさを止めることはできない。

 止めるべきなのは、その正しさが燃える流れへ変わるところだ。

 今日掴めたのは、そこまでだった。

 だが、そこまで掴めたことにも意味はある。


 髪へまた軽く指が触れる。

 撫でるというより、眠りへ落とすための小さな確認みたいな触れ方だった。


「リュシア」


「ん」


「ありがとうございます」


 一拍だけ置いて、返事が来る。


「いい」


 その一言のあと、誠二はようやく肩の力を抜いた。

 胸元に埋まったまま、呼吸がゆっくり深くなる。

 会議の冷たさはまだ頭の奥に残っている。

 だが、ひとりで抱えている時の重さとはもう違う。


 そのまま、誠二は静かに眠りへ落ちていった。

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