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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第5章 第七管理区画・第99世界

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第3話 接触――日本が見つけ、英国が沈める

 その時、会議室の扉が短く叩かれた。


 入ってきたのは若い士官だった。日英どちらの軍服でもない、一瞬判別がつかないほど慌てている。だが、報告の文言は短く整えられていた。


「偵察機より報告」


 部屋の空気が、ほんの少しだけ引き締まる。


「潜航跡らしいものが確認されました」


 “らしいもの”。


 まだ確定ではない。

 その曖昧さが、逆に嫌だった。


 山口が一歩だけ前へ出る。


「位置は」


 士官が海図の一点を示す。船団予定航路から、少しだけ外れた場所。だが“少しだけ”が一番危ない。


「英国側へは」


「既に通報済みです」


 スマーヴィルの顔から、笑みの気配が消えた。柔らかい顔つきのまま、目だけが冷たくなる。


「来たかもしれん」


 山口が、ほとんど独り言みたいに言う。


「ドイツですか」


 誠二が訊くと、山口は海図を見たまま答えた。


「この海を狙うなら、まずあそこだ」


 “あそこ”の一言で十分だった。


 Uボート。

 原油船団。

 紅海入口。

 日英混成護衛。

 そして、その少し外側で見ているアメリカ。


 まだ何も起きていない。

 けれど、起きる前の静けさには独特の重さがある。

 海図の上では一本の線がずれるだけで済む。現実では、そのずれが帝国を咳き込ませ、国家を荒らし、核保有国の判断まで雑にする。


 誠二は会議室の窓から外の海を見た。

 青い。

 静かだ。

 静かだからこそ、止める場所が要る。


 喉が詰まれば、全部燃える。

 その輪郭だけが、アデンの熱の中でくっきりと立ち上がっていた。


 最初に動いたのはスマーヴィルだった。


「私は戻る」


 即座にそう言い、英側連絡士官へ二言三言だけ指示を落とす。確認も、気負いもない。海にいる提督が、持ち場へ帰る時の速度だった。


「接触の更新は比叡を経由で構わん。英側処理へ切り替える」


「了解しました」


「ソナー優先。無駄に海面を騒がせるな」


 そこまで言って、スマーヴィルは誠二へ視線を向けた。


「会談はここまでです、観察官殿」


「その方が自然ですね」


「海の上では、席順より持ち場の方が長い」


 短く残し、スマーヴィルは会議室を出た。英側連絡士官だけが窓口として残る。扉が閉まると同時に、説明の場は処理の場へ変わった。


 山口は海図から顔を上げた。


「昼戦艦橋へ上がります」


 短い指示だった。

 それで十分だった。


 比叡の昼戦艦橋――第1艦橋へ出ると、朝の熱がもう鋼板に回り始めていた。海は青く、空は高く、見かけだけなら何も起きそうにない。だが、喉元の海はいつもそうだと誠二は思った。表面だけを見れば静かで、だからこそ内側で何かがずれても気づくのが遅れる。


 船団は既に動いていた。


 重油を積んだタンカー二隻、その後方に輸送船、近接には英駆逐艦。少し外へ開くように日本側の警戒艦。全部が違う速度と違う性格を持っているのに、無理やり一つの流れへまとめられている。軍事作戦というより、巨大な輸送工程の警備に近かった。


 誠二は艦橋の外へ少し身を寄せ、海面の揺れを見た。

 見えるものは少ない。

 だが、見えないものが多いという事実だけは、はっきり見える。


 航空参謀が上がってきて、山口の横で止まった。


「翔鶴より報告。流星、第三索敵線上で接触維持中」


 誠二はその機種名に、少しだけ意識を向けた。


「流星なんですね」


 山口ではなく、航空参謀の方が答えた。


「はい。艦攻ですが、索敵にも哨戒にも使えます。三人乗りで、長く海を見られる。追尾しながら報告を流すには都合がいい」


「兵装は」


「翼下に六十キロを四発。軽く叩くこともできます」


 そこで参謀は一拍置いた。


「もっとも、今日は目になる方が先です」


 撃てる。

 だが撃たない。

 その前提が最初から共有されていることに、誠二は少しだけ安堵し、同時にそれが人の理解に依存していることにも気づいた。


 通信士官が、更新された接触位置を読み上げる。


「第三索敵線、接触継続。不自然な直線波、油膜少量、進路保持。潜航中の可能性高し」


 海図の一点に新しい印が打たれる。

 船団外縁から少しだけずれた位置。

 近すぎず、遠すぎず。

 一番嫌な距離だ。


「目標らしき変化、船団外縁へ寄る傾向あり」


 山口は双眼鏡を上げたが、そこから直接何かが見える距離ではない。見ているのは海そのものではなく、海図の上に積まれていく報告の確度だ。


 航空参謀が声を抑えて言う。


「流星、軽爆装あり。牽制可能です」


 誠二は、その一言の重さを感じた。

 つまり、選択肢はある。

 日本は、いまこの場で自分の手で触ることができる。


 山口の返答は早かった。


「やらん」


 迷いがなかった。


「接触を渡せ」


「英側へ更新。座標、時刻、推定進路。追尾継続」


「了解」


 艦橋の空気が、そこで一度だけすっと揃った。誰も食い下がらない。撃てるのに撃たない判断が、艦全体の手続きにすぐ変わる。そこに、この艦隊の強さがあった。


 誠二は訊いた。


「ここで日本が叩くと、何がまずいんです」


 山口は海図から目を離さずに答えた。


「戦果の問題になります」


「それだけで?」


「それだけで済まん」


 声は低いが、きっぱりしていた。


「近接対潜は英側が主担当だ。ここでこちらが先に叩けば、責任も報告も回収も線が荒れる」


「うまく当たっても?」


「うまく当たった時ほど、次が荒れる」


 山口はそこで少しだけ誠二の方を見た。


「この海域で勝手に撃つと、次から“どこまでが誰の仕事か”を毎回やり直すことになる」


 その言い方は、軍人のそれであると同時に、制度屋のそれでもあった。

 能力の問題ではない。

 役割の線を維持するために、自分の手を引く。

 その判断ができるうちは共同運用は回る。だが、その線が条文ではなく理解の共有に依存しているのもまた事実だ。


 通信士官が英側へ更新を飛ばす。


 座標。

 時刻。

 推定進路。

 潜航跡の特徴。

 流星追尾継続。


 返答は短かった。


『接触受領。英側で処理する』


 それだけだ。

 短すぎるくらい短い。

 だが、いまこの海では、それで通じてしまう。


「簡単ですね」


 誠二が言うと、通信士官は少しだけ苦い顔をした。


「簡単に見えますか」


「文書の量としては」


「海は紙より速いんです」


 昨日聞いたのと同じ言葉だった。

 速い。

 だが、速さは制度の代わりにならない。

 ただ、制度が追いつかない時に、人は速さと慣れで穴を塞ぐ。第99世界の海は、その応急処置で回っている。


 遠くで、英駆逐艦の一隻が艦首を切った。船団の近接から外れ、接触海域へ向けて速度を上げる。目で見て分かるほど、動きに意思がある。海の上では、一隻の針路変更がそのまま判断の可視化になる。


「英側、接近開始」


 通信士官が読み上げる。


「ソナー接触を試みるとのこと」


 ここから先は、見えない戦いだった。


 誠二は昼戦艦橋から海を見ている。

 潜水艦は見えない。

 英駆逐艦のソナー室も見えない。

 見えるのは、海面の静けさと、艦の針路の変化だけだ。

 だが、それで十分だった。見えない相手を追う報告の断片だけで、緊張は十分に艦橋まで伝わってくる。


「英側、接触探知」


「不安定」


「消失」


「再捕捉」


「推定深度更新」


 短い報告が積み重なるたびに、誠二は海図上の一点へ意識を引き寄せられた。

 相手は見えない。

 それでも、そこにいる。

 そのまま船団へ入れば、原油は止まり、護衛は乱れ、責任が飛ぶ。責任が飛べば、国家の判断が荒れる。第99世界では、その“荒れ”がそのまま次の戦争の起点になる。


「ヘッジホッグ準備」


 その報告に、艦橋の空気がもう一段締まった。

 爆雷ではなく、前方投射。

 “いまここにいる”と見積もった相手の前へ撃ち込む武器。

 見えないものへ先回りするための道具だ。


 山口は何も言わない。

 双眼鏡を持つ手だけが、少しだけ止まっている。


「接近角修正」


「速度保持」


「接触継続」


「投射準備完了」


 海は静かなままだった。

 その静けさの上で、見えないものに対する手順だけが積み上がっていく。

 誠二は、その様子に奇妙な既視感を覚えた。

 見えないものを止めるために、人間は工程を重ねる。

 けれど、こっちは失敗したら死人が出る。

 それだけの違いが、すべてを重くする。


「投射」


 短い一語。


 そのあと、時間が伸びた。

 実際には数秒なのだろう。

 だが待っている人間にとっては、海図の上で針が止まったみたいに長い。


 何も起きない。

 何も起きないから、余計に嫌だ。


 そして遅れて、海面が割れた。


 水柱が細く立つ。

 爆炎ではない。

 海そのものが下から押し上げられたような水の崩れ方だった。

 続いて、黒いものがいくつか浮く。

 油。

 破片。

 そして、人影らしき点。


「命中」


 英側通信。


「目標沈黙」


 それだけで十分だった。


 日本が見つけた。

 英国が沈めた。

 共同運用は、いまこの瞬間だけを切り取れば、綺麗に回った。


 誠二はそこでようやく息を吐いた。

 だが、その綺麗さの中にこそ嫌なものがあった。


「今回はうまくいった」


 山口が言う。


「ええ」


「だが、うまくいった理由が慣れだけなら危ない」


 誠二は少しだけ苦笑した。


「やっぱり、そこですよね」


「役割分担はある」


「でも制度になっていない」


「そうです」


 山口の返しは短い。


「いま回っているのは、同じ景色を見ている者が揃っているからだ」


 それが第99世界の本質に近かった。

 文書ではなく、共有された景色。

 景色が変われば、共同運用も簡単に壊れる。


 その時、見張りが声を上げた。


「海面に生存者らしきもの!」


 終わっていなかった。


 油膜の向こうで、確かに何かが動いている。黒い点が波の上で不規則に上下する。人か、漂流物か、まだ判然としない。だが、“いる”という事実だけで、撃沈は軍の戦果だけでは終わらなくなる。


「英側、救助艇準備」


「船団は維持」


「索敵継続。二隻目に注意」


 命令が一気に増える。

 沈めるまでより、その後の方が忙しい。

 そのことを、海は何一つ隠さない。


「撃つまでより、その後の方が長い」


 山口が低く言った。


 誠二は海面の点を見つめた。

 海軍が沈める。

 そのあとから、海軍だけでは済まなくなる。

 捕虜、引き渡し、報告、責任、外交。

 海面に人が浮いた瞬間、戦術は制度へ引きずり上げられる。


 手続きがあるんじゃない。

 手続きに見える慣れがあるだけだ。


 その認識だけを、誠二は静かに自分の中へ落とし込んだ。


 海は、まだ静かだった。

 そして静かなまま、次の面倒へ進もうとしていた。


 その日の終業扱いは、日が少し傾いてからになった。


 船団は予定どおり北上を続け、英側は救助と回収へ入り、日本側は外縁警戒を維持した。接触は一件で終わったが、それが“一件で終わった”こと自体が幸運なのだと、現場の顔つきで分かる。誰も安堵を大きくは出さない。うまくいった時ほど、気を抜くと次でやられる。そういう海だ。


 神界へ戻る時、誠二はようやく肩の力を抜いた。

 海の上では、抜けない。

 抜いてしまうと、見落とす。


 戻った先は、第七管理区画の報告区画だった。


 石の冷たさ。

 熱の抜けた空気。

 現実とも海とも違う、処理のためだけに整えられた静けさ。


 扉を開けると、リュシアは最初からきっちり座って待っていたわけではなく、椅子の背にもたれて少しだけだらけていた。誠二の顔を見てから、ふっと机の方へ身体を預ける。


「おかえり」


「ただいま戻りました」


「硬い硬い」


 そう言いながら、リュシアはそのまま机に胸を乗せた。神界の執務机はやたら広くて頑丈なので、ああいう使い方をしてもびくともしない。本人も分かってやっているのだろう。完全にいつもの姿勢だった。


「で?」


 短く促されて、誠二も少し肩の力を抜く。


「日本が見つけて、英国が沈めました」


「うん」


「今回は綺麗に流れました」


「うまくいったんだ」


「うまくいったから嫌です」


 リュシアが少しだけ目を細めた。


「制度じゃなくて、慣れてるから回った感じ?」


「そうです。司令官同士が同じ景色を見てるから成立してるだけで、条文の方は薄い」


「うわ、嫌」


「嫌でしょう」


「それは誠二の嫌いなやつ」


「かなり嫌いなやつです」


 リュシアは机に頬まで寄せる勢いでだらっとしたまま、続きを促した。


「それで?」


「沈めたあと、生存者が出た可能性があります」


「あー」


「そうなんです」


「そこから面倒になるね」


「撃つまでより、その後の方が長いです」


「海もそうなんだ」


「海の方が露骨ですね。沈めた瞬間に、軍の話だけじゃなくなる」


 リュシアはふっと息を吐き、胸を机に乗せたまま少しだけ身体の向きを変えた。


「今回の一件、燃えてはない」


「はい」


「でも止まる仕組みは薄い」


「かなり」


「で、たまたま上手い人たちが揃ってたから回った」


「その通りです」


「最悪」


「ええ」


 短いやり取りなのに、かなり本質に近かった。

 今日の一件をきれいに言うなら、共同運用は成功した。

 だが、誠二に見えたのは、成功そのものではなく、その成功がいかに人依存だったかということだ。


「誠二」


「はい」


「今日の顔、けっこう海」


「海ですか」


「乾いてるのに疲れてる」


「良い表現ですね」


「褒めてない」


「でしょうね」


 そこでようやく、少しだけ空気が緩む。


 リュシアは机の端に置いてあった小瓶を指先で押した。


「はい、今日の分」


「飲むんですか」


「軽く」


「軽く、ですか」


「軽く」


「今日は仮眠の方が先かと思ってました」


「沈めたあとの面倒を考え始めてる顔してるから、先に一杯だけ」


「顔に出てましたか」


「かなり」


 リュシアがそう言って、小さめのグラスを二つ出す。

 いつもの流れだ。

 大げさな打ち上げではない。

 一日の区切りとして、報告のあとに少しだけ緩めるための一杯。


 注がれた液体は薄い琥珀色で、神界の酒はたいてい見た目より軽い。誠二が受け取ると、リュシアはまだ机に胸を乗せたまま、片手だけで自分のグラスを持った。


「お疲れ」


「お疲れさまです」


 軽く合わせて、一口だけ飲む。

 熱の中にいた身体には、こういう少し冷えたものがよく染みた。


「で、どこが一番嫌だったの」


 リュシアが聞く。


「全部嫌ですけど」


「一番」


 誠二は少し考えた。


「日本が撃てたことです」


「撃てたのに撃たなかった」


「はい」


「それ、いいことじゃないの?」


「良いことです」


「じゃあ何が嫌」


「それが制度じゃなくて、山口多聞の判断でしかないことです」


 リュシアは頷くでもなく、ただ続きを待った。


「今回の司令官が山口だったから、英側に渡した」

「スマーヴィルもそれを当然のように受けた」

「でも、別の司令官だったらどうなるかは分からない」


「うん」


「流星には軽爆装がある。叩こうと思えば叩ける」

「先に叩いた側が、その後の言い分を持ちやすい」

「それを我慢できる人間が今そこにいたから回っただけです」


「つまり」


「今回は、ちゃんとした共同運用に見えた」


「でも実態は、上の人が賢いから何とかなっただけ」


「そうです」


「うわあ」


 リュシアは本当に嫌そうな顔をした。


「やっぱり嫌いだ、それ」


「でしょう」


「大嫌い」


「俺もです」


 そこで二人とも少しだけ笑う。

 嫌なものが一致している時だけ、変に気が楽になる。


 リュシアはグラスを置き、また机に胸を預け直した。


「生存者、拾われそう?」


「可能性は高いです」


「そっちが本番だね」


「ええ」


「沈めたあとが長いやつ」


「長いやつです」


「しかもドイツでしょ」


「たぶん」


「英国が沈めて、日本が拾って、あとどうするかで揉める」


「そうなります」


 そこまで言ってから、誠二はグラスを少し回した。


「戦争が終わってる世界って、もっと静かかと思ってました」


「静かなのに危ないんだよ」


「ええ」


「それが今回の嫌なところ」


 リュシアのその一言が、今日一日のまとめとして妙に正確だった。

 静か。

 なのに危ない。

 燃えていない。

 でも止まる場所が薄い。


「もう一杯いく?」


 リュシアが言う。


「軽くって言いましたよね」


「軽いよ」


「二杯目が軽いとは限らないでしょう」


「誠二は一杯目でもうちょっと喋れる顔してる」


「顔で判断しすぎでは」


「見る仕事だから」


 それもそうか、と誠二は思った。

 この人は管理者である前に観察者だ。

 見て、拾って、崩れる前に手を入れる。

 だからこそ、自分の疲れ方も先に拾われる。


「じゃあ、半分だけ」


「はい」


 今度は本当に少なめに注がれる。

 飲みながら、誠二は海図の上で見た紅海入口を思い出していた。細い。狭い。だが、その狭さの中へ帝国と国家と原油と艦隊と核保有国の判断が集まっている。喉という表現は、海の形だけでなく、どれほど簡単に詰まるかという意味でも正しかった。


「リュシア」


「ん」


「第99世界って、勝者しかいないように見えますけど」


「見えるね」


「本当は、敗者を処理してないだけですね」


「そう」


「だから静かなんだ」


「うん」


「静かで、嫌です」


「分かる」


 リュシアはそこで、少しだけ顔を上げた。


「でも誠二そういうの拾うの上手いよね」


「上手いというか」


「嫌いだから見える」


「それはあるかもしれません」


「あるよ」


 言い切られると、反論しづらい。

 実際そうなのだろう。

 自分は、制度の継ぎ目で慣れだけが支えているものを見ると、すぐ嫌な感じがする。嫌な感じがするから、そこを言葉にしようとする。第99世界みたいな場所では、それが仕事になる。


 グラスを空けると、リュシアがようやく机から身を起こした。


「はい、今日はここまで」


「追い出されます?」


「仮眠」


「やっぱりそっちですか」


「海の疲れは先に寝た方がいい」


「海の疲れ」


「乾いてるのに重いでしょ」


「そうですね」


「だから今日は素直に寝て」


 その言い方が、管理というより世話に近くて、誠二は少しだけ笑った。


「了解しました」


「了解じゃなくて、はい」


「はい」


 リュシアは満足したように頷いた。


「よし」


 報告区画を出て、仮眠室へ向かう廊下は静かだった。

 神界の静けさは、現実の夜とは少し違う。

 何かが止まっているのではなく、最初から音を立てないように作られている静けさだ。


 仮眠室の扉を開けると、ちょうどいい暗さと温度が待っていた。ここは神界の中でも数少ない、“人間を人間として休ませるため”だけに整えられた場所だと分かる。


 横になる前に、誠二は一度だけ目を閉じた。


 日本が見つけた。

 英国が沈めた。

 今回は回った。

 だが、その成功を支えていたのは、制度ではなく、そこにいた人間たちの理解だった。


 沈めるまでは軍の仕事だ。

 そのあとから、自分の仕事に近づいてくる。


 比叡の昼戦艦橋で見た海は静かだった。

 だが、その静けさはもう朝の静けさではない。

 沈めたあとの静けさだ。


 そして、次に厄介なのは、たぶんそこで拾われた人間の方だろう。


 沈めたことより、そのあとを誰がどう引き受けるかの方が、この世界ではずっと厄介だった。

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