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『人事部長、空き時間でスポットワーク始めました』──英雄も聖女も評価対象です  作者: 月白ふゆ
第4章 第七管理区画・第197世界

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転章 視察再来――区切りの土曜日

 神界仮眠室の朝は、妙に静かだった。


 白い天井。一定の温度。外の気配がほとんどしない空気。神殿の一角のはずなのに、短期滞在用の部屋にも、少し良いビジネスホテルにも見える。その感想は、最初にこの部屋へ入った時からあまり変わっていない。


 ただ今日は、ベッドの広さを先に意識した。


 ダブルベッドの中央寄り。

 昨夜はかなり飲んだ。第197世界の最終終業。少し長めの報告と打ち上げ。区切りができた、とようやく言えた夜だった。

 そのあと仮眠室へ戻り、一人で寝た。何も起きていない。それでいい。

 それでいいからこそ、起きた瞬間に「真ん中で寝たな」と少しだけ照れが残る。


 誠二は天井を見たまま、ひとつだけ息を吐いた。


 広いベッドを広いベッドとして使えるようになった。たぶんそれは、ここを“休む場所”として受け入れたということだ。誰かのためでも、何かの期待でもない。ただ休養のための部屋として使えるようになった。それは悪くない変化だと思う。


 上半身を起こし、顔を洗い、簡単に身支度を整える。

 部屋を出る直前、鍵を指先で確かめる。結晶でできた鍵は今日も冷たい。冷たいのに、もう手に馴染んでいる。


 執務室へ向かうと、リュシアはもういた。


 神々しい姿。眼鏡はない。衣装も現実側とは違う。けれど、何かを直すみたいに指先が一瞬だけ顔の横へ動く癖だけは同じで、その小さな仕草だけで“続き”だと分かる。


 彼女は結晶板から目を上げて、短く言った。


「おはよう」


「おはようございます」


 少しだけ間があってから、リュシアは続けた。


「区切れたね」


「はい」


「ちゃんと終われた」


「終われました」


 それで十分だった。

 何が終わったか、どう終わったかを、もう長く説明する必要はない。第197世界の最後は、派手な勝利ではなく、呼ばれなくていい工程を残して離れる、という終わり方だった。怨恨は消えていない。返せないものは返せない。だが燃やさない形で抱える仕組みが残った。それでよかった。


 リュシアが結晶板を軽く弾く。


「じゃあ、支払う」


 寝起きに言う言葉としては妙だが、神界ではそれが自然だった。仕事が終わればリザルトが出る。リザルトが出れば報酬が支払われる。終わったことを“終わった”と認めるための工程の一つだ。


 結晶板の表示が切り替わる。

 第197世界。

 境界摩耗、収束傾向。

 延焼率、低下。

 制度定着、確認。

 離任条件、達成。


 乾いた文面が並ぶだけだ。祝福もファンファーレもない。だが誠二は、こういう事務的な確認の方が好きだった。大仰な演出より、ずっと信じられる。


「思ったより、あっさりですね」


 誠二がそう言うと、リュシアは結晶板の端を指でなぞりながら返した。


「終わった案件を長く引っ張ると、次が燃える」


「それはそうですね」


 画面が報酬計算へ変わる。

 時給1,510円。

 8時間超過分は1.25倍。

 稼働時間は、12、10、8、10、8、9、11、8時間。

 端数切り上げ。

 最後に表示された数字は、妙に現実的だった。


 119,291円。


 世界ひとつの延焼率を下げ、戦争の記憶を抱えた国家に燃えにくい工程を置いた報酬としては、あまりに生活の匂いがする額だ。もっと神々しくてもおかしくないのに、普通に振り込まれていてもおかしくない感じがする。それが逆に可笑しい。


「やっぱり妙に現実的ですね」


 誠二が呟くと、リュシアは少しだけ口元を緩めた。


「普通じゃない報酬は、人を壊す」


「神様っぽいこと言いますね」


「今さら?」


 言葉は素っ気ない。けれど声音に棘はない。昨夜の打ち上げの熱を完全には切らず、仕事側へ戻る手前の温度だ。その戻り方が、誠二にはありがたかった。


 報酬処理が終わる。

 結晶板が消える。

 それで本当に、第197世界の仕事が一段落する。


 リュシアが言った。


「帰る?」


「一旦帰ります。現実側の雑務もありますし」


「そうだね。土台はいる」


 “土台”。

 良い言い方だと思う。日常とか、本業とか、現実とか、いろいろ言い換えはできる。だが土台というのが、いちばんしっくりくる。土台があるから、異世界で制度を置いても壊れにくい。土台が崩れたまま他人の世界に手を入れると、ろくなことにならない。


 だから帰る。

 帰れるうちに、ちゃんと帰る。

 それもまた、燃えないための工程だった。


 執務室を出る直前、リュシアが短く言った。


「今日は、もう案件出さない」


 誠二は少しだけ笑った。


「宣言が必要なんですか」


「必要。出ると受けるから」


「出ても受けませんよ。たぶん」


「たぶん」


「たぶんです」


 リュシアが小さく鼻で笑う。その笑い方が妙に人間くさくて、誠二はまた少しだけ安心した。


 


 現実へ戻ると、いつもの部屋の匂いが身体に馴染んだ。


 電気ケトル。洗って干したマグカップ。使いかけのメモ帳。乾いた洗濯物の匂い。誰も世界を救っていない部屋の匂いだ。だが、こういう匂いの中にいると、頭のどこかで“いまは判断しなくていい”と分かる。それがありがたい。


 その日は平日だった。

 誠二はいつも通り起き、いつも通り出勤した。


 メールを確認し、採用計画の数字を整え、総務との打ち合わせに顔を出し、備品の見積もりを確認し、勤怠の小さな誤差を修正する。世界の延焼率を下げた翌日に、コピー用紙の発注数や会議室の使用申請を見ていると、少しだけ笑いそうになる。だが、その滑稽さが救いでもあった。


 異世界だけで生きていない。

 現実だけでも生きていない。

 その間に、ちゃんと土台がある。


 昼休み、コンビニコーヒーを片手に、誠二はスマホの報酬画面を見た。119,291円。数字だけ見れば普通だ。普通なのに、その裏にある光景はあまり普通じゃない。銅鏡殿、封鏡室、戦利品の記憶、広場で未遂に止まった暴発、一次と二次、点検会、ローテ、閲覧ログ。全部が妙に遠い。


 遠いから、また行ける。

 全部が現実に食い込んできたら、たぶん壊れる。


 午後も仕事は滞りなく終わった。誰にも第197世界の話はしない。できるわけがない。だが何もなかったわけでもない。会議の進め方、メールの言葉、誰かの小さな不満を拾う速度。そういうところに、異世界での感覚が少しだけ残っている。


 その日は早めに帰宅し、軽く食事をとり、シャワーを浴びて寝た。土曜日の朝をちゃんと迎えるためだ。休める人にしか、育てる仕事はできない。あの言葉を自分にも適用する必要がある。


 


 土曜の朝、まだ少し早い時間だった。


 湯を沸かし、コーヒーを落とし、トースターにパンを入れたところで、部屋の空気がほんのわずかに切り替わる。呼び鈴もノックもない。ただ、いる気配が生まれる。


 振り向くと、黒髪ショートの眼鏡のOLが立っていた。


 今日は前回よりも仕事感が薄い。かといって完全な私服でもない。外へ出れば「視察です」と言い張れる程度には整っている。ただ、前より少し柔らかい色を着ている。たぶん無意識ではない。


「朝からですね」


 誠二が言うと、リュシアは小さく頷いた。


「うん」


「今日は?」


「視察」


「またですか」


「確認」


 それだけ言って、自然にそこに立っている。前回のショッピング視察再来だ。だが空気はかなり違う。前回は“下界の文化確認”が前にあった。今日は“来たかったから来た”がかなり前に出ている。


「コーヒー、飲みますか」


「飲む」


 返事が妙に素直で、誠二は少しだけ口元を緩めた。


 テーブルに向かい合って座り、簡単な朝食を取る。会話は少ない。少ないが、気まずくない。むしろ会話が少ないまま同じテーブルにいられることの方が、前よりずっと大きい。


 コーヒーを一口飲んでから、リュシアが言う。


「今日は、本当に急ぎじゃない」


「はい」


「だから、急がなくていい」


「分かってます」


 それだけの確認で、もう今日の温度は決まった。

 急がなくていい。

 処理しなくていい。

 決めなくていい。

 そういう日だ。


 


 街へ出ると、土曜日の匂いがした。


 平日の街は流れがある。人が何かの方向へ向かって歩く。土曜日の街はその流れがほどけている。向かう先がある人もいるが、急いでいない。店先で立ち止まり、路地へ入って、また戻る。そういう漂い方をする。漂い方をする人間が多い街は、少しだけ優しい。


 前回と同じ繁華街だ。

 だが今回は、人の量も声の高さも違う。

 休日の服屋、雑貨店、小物店、カフェ。

 誰もが何かを買うわけではない。ただ見て、歩いて、気に入ったら立ち止まる。その立ち止まり方が、誠二は好きだった。立ち止まれるだけで、人は少し壊れにくくなる。


 リュシアは前回よりずっと自然に歩いていた。視察、という建前に体を預けていない。単純に“来たことがある場所を二度目に歩く人”の顔をしている。そこが一度目とのいちばん大きな違いだった。


 最初の店で、彼女は薄いグレーのカーディガンを手に取った。

 鏡の前で軽く当てて、振り返る。


「これ、どう?」


 問われて、誠二の処理が一瞬だけ止まる。


「……似合います」


「間があった」


「確認しました」


「確認じゃなくて評価」


「評価も含めて似合います」


 そこでリュシアが少しだけ笑う。

 笑い方が前より自然だ。

 “眼鏡のOL”の役をやっている笑いではなく、その中身の笑いだ。


「……うん。今のは好き」


 好き、が軽く落ちる。

 軽い。

 だが熱はある。

 あるのに危なくない。

 言い方が乾いているからだ。


 別の店ではイヤリングを見ていた。

 神界では使わない。

 使うなら下界の姿の時だけだ。

 それでも本気で見ている。


「使うんですか」


「使うかもしれない」


「下界視察用に?」


「そう」


 少し間が空く。

 誠二が何も言わないでいると、リュシアが視線をずらした。


「……視察って言葉、便利」


「便利ですね」


「誠二もそう思う?」


「かなり」


 その返事に、リュシアはまた小さく笑った。

 笑い方が前より自然になっている。

 前回は“現実で浮かないようにする”笑い方だった。今日は“ここにいたいからいる”笑い方に近い。


 雑貨屋、服屋、小物店。

 歩いて、見て、時々立ち止まる。

 会話は多くない。

 でも、途切れても困らない。

 それがデートっぽい、という単語を誠二は頭の中で浮かべ、すぐに引っ込めた。引っ込める必要はない。だが出しっぱなしにすると少し危ない。危ないけれど、完全な否定ももうできない。


 


 昼は前回と同じ系統のカフェに入った。

 店員が覚えているかどうかは分からない。分からない程度の距離感が、今はちょうどいい。


 窓際の席に座る。土曜の街が見える。買い物袋を持った人々、カップル、家族連れ、一人で歩く人。誰もが自分の休日を持っている。


 リュシアは椅子の背にもたれ、少しだけだらけた。神界ほどではないが、仕事の顔はだいぶ抜けている。


「人間、休日好き」


「休まないと壊れますから」


「知ってる」


 ストローを指先でいじりながら、窓の外を見たまま言う。


「誠二」


「はい」


「前より、距離近いね」


 唐突に落ちた言葉に、誠二はすぐには返さなかった。

 何の距離か、聞き返す必要はなかった。

 神界の打ち上げ。

 下界視察。

 仮眠室の鍵。

 短い好き。

 その全部の距離だ。


「……そうですね」


「嫌?」


「嫌じゃないです」


 ほとんど即答に近かった。

 前なら少しだけ考えたかもしれない。

 だが今日は、考えすぎる方が嘘だった。


 リュシアはストローを回す手を止める。


「私も嫌じゃない」


 それだけだった。

 告白でも確認でもない。

 でもかなり近い。


 誠二は目の前のグラスに視線を落とした。

 冷たい飲み物の表面に、店の光が揺れている。

 言葉にすると壊れそうな温度のものほど、こういう時は別のものを見るに限る。


「慣れました」


 少し遅れて誠二が言うと、リュシアは軽く頷いた。


「良かった」


 その“良かった”の中には、たぶんかなり多くの意味が入っていた。

 来てもいい。

 近づいてもいい。

 ここまでなら大丈夫。

 その全部を一言で済ませている。


 


 夕方の街は、昼より少しだけ落ち着いていた。


 買い物袋が増え、人の足が少しだけ重くなる。

 歩幅も狭まる。

 狭まった歩幅の中で、二人の距離も自然と近くなる。


 肩が触れるか触れないか。

 離れない。

 わざとではない。

 でも偶然だけでもない。


 特に言葉はない。

 何も言わない方が、今の温度には合っていた。


 しばらく歩いてから、リュシアがぽつりと言った。


「次、重い」


 誠二は横を向く。


「案件ですか」


「うん」


「分かるんですか」


「神界ログ」


 少し間が空く。

 夕方の街の音が間に入る。

 信号の電子音、店のドアベル、遠くの車の流れ。


「かなり大きい」


 その言い方に、誠二はすぐに質問を重ねなかった。

 かなり大きい。

 その一言だけで十分に重い。

 重いのに、今日の空気の中で聞くと、少しだけ受け止めやすかった。


「そうですか」


「うん」


 また少し歩いてから、リュシアが言う。


「だから、今日来た」


 それは、たぶん今日の全部を説明していた。

 視察再来。

 朝からの買い物。

 距離の確認。

 全部、“次が重い”からだ。

 重い前に、軽い日を一日持つ。

 その一日を誰と過ごしたいか。

 そういう話でもあった。


 誠二は返事を急がなかった。

 急ぐと熱が上がる。

 上がりすぎると壊れる。


「じゃあ、正解ですね」


「何が?」


「今日来たこと」


 リュシアは少しだけ目を細めた。

 笑っているのか、照れているのか、どちらとも言えない顔だ。


「そうかも」


 


 夜、帰宅してからは、もうほとんど神界の打ち上げと変わらない速度で時間が流れた。


 ただし場所が現実の部屋で、酒がコンビニで買った缶で、テーブルの木目が見慣れているだけだ。

 軽く飲み、つまみをつまみ、ソファに座る。

 リュシアは前回よりずっと自然にだらけていた。

 脚を少し崩し、背もたれに体重を預け、肩の力を抜く。

 神界で机に胸を乗せるのと同じ種類の緩み方だ。

 場所が違うだけで、繋がっている。


「今日、来てよかった」


 缶を持ったまま、リュシアがぽつりと言った。

 言い方が飾らない。

 飾らないから、余計に刺さる。


「そうですか」


「うん。重い前に、軽い日がほしかった」


 誠二は少しだけ視線を落とす。

 それは、たぶん自分も同じだった。


「俺もです」


 それだけ言う。

 それだけで十分だった。

 今日は、言葉を増やしすぎない方がいい。


 缶が一本、二本と空く頃には、リュシアはかなり眠そうになっていた。

 頬に少しだけ赤みが差し、まぶたが重くなる。

 だらけ方があまりにも自然で、誠二は逆に警戒する必要を忘れそうになる。

 忘れると危ない。

 危ないが、もう前ほど怖くはない。

 線が見えているからだ。


「誠二」


「はい」


「眠い」


「そうでしょうね」


「ここで寝る」


「どうぞ」


 リュシアはソファに沈んだまま、少しだけ天井を見た。


「ソファだと首が痛い」


「それはそうですね」


「じゃあ寝室」


 ひどく普通の会話だった。

 だが、その普通さが逆に危ない。

 危ないが、まだ越えてはいない。

 越えないまま進めるなら、それはただの生活の選択だ。


 


 寝室へ入ると、部屋の空気が少しだけ変わる。


 リビングの空気とは違う。

 寝る場所の空気だ。

 寝る場所には、それ以上の可能性が最初から入っている。

 だからこそ、何もしない選択に意味が出る。


 リュシアはベッドの端に腰を下ろした。

 誠二は少し離れた位置で立ったまま、必要以上に動かない。

 動くと、どこかで意識が偏る。

 偏ると熱が上がる。


「誠二」


「はい」


「隣、来る?」


 問い方が静かすぎて、誠二は一瞬だけ返事を失った。

 隣に来る。

 それだけの話だ。

 だが、それだけの話じゃない空気もある。


 誠二は息を整えた。


「添い寝くらいまで、ですよ」


「うん」


「約束です」


「約束」


 そこでようやく、誠二はベッドに上がった。

 距離は近い。

 だが密着しない。

 お互いの体温が分かるくらい。

 それ以上ではない。


 リュシアは枕に頭を沈めると、目を閉じかけたまま言った。


「次、重い」


「案件ですか」


「うん」


 少し沈黙。

 呼吸が近い。

 近いのに、妙に静かだ。

 静かなのは、どちらも今日を壊したくないからだ。


「まあ、来ますよね」


 誠二が言うと、リュシアは少しだけ笑った気配を見せた。


「うん」


 それで会話が終わる。

 終わるのに、空気は切れない。

 それが心地よかった。


 しばらくして、神界ログの通知が誠二のスマホに出た。

 半分眠った状態で画面を開く。

 そこで初めて、数字が見えた。


 第99世界

 大規模戦争終結

 戦後制度未成立

 三極核保有

 外部助言者派遣


 誠二は画面を見たまま、ぼそりと呟いた。


「……地球ですね」


 隣から、リュシアの声が返る。


「そう」


「俺の世界は?」


 そこで初めて、彼女は番号を口にした。


「第100世界」


 短い沈黙。

 番号が付くと、急に現実が“案件の外側から見えるもの”に変わる。

 誠二の知っている歴史を辿った地球。

 そこが100。

 では99は――その一つ手前で、戦後を失った世界だ。


「これは第99世界」


 確認のような声だった。

 確認されると、誠二の中でも理解が固まる。


「戦争は終わってる」


 言葉が落ちる。


「でも、戦後が始まってない」


 それが、この次の世界の要約だった。

 そしてたぶん、自分がそこへ行く理由でもある。


 隣で、リュシアの呼吸が少しだけ深くなった。

 寝入りかけている。

 それを感じながら、誠二は目を閉じた。


 添い寝。

 それ以上は何もない。

 何もないまま、体温だけが少し近い。

 その近さのまま、第99世界の重さが頭の中に浮かんでは沈む。


 次は重い。

 かなり大きい。

 地球規模。

 しかも、自分の世界の隣だ。


 それでも今夜は、考えすぎない方がいい。

 重い案件の前に、軽い日をちゃんと終える。

 それもまた制度だ。

 人が壊れないための工程だ。


 誠二はそう思いながら、土曜日の終わりに沈んでいった。


 区切りの一日。

 視察という名の確認。

 距離を寸前まで近づけて、でも線は越えないまま終わる一日。


 それでよかった。

 次が重いからこそ、それでよかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


第197世界は、戦争の記憶と多民族の正しさが、静かにぶつかり続ける世界でした。燃えているわけではない。けれど、熱だけは確かにある。しかもその熱は、善意でも、秩序でも、保護でも、簡単に別の火種へ変わってしまう。だから今回やったのは、誰かを断罪することではなく、怨恨を消さないまま延焼率だけを下げる仕事でした。


銅鏡は象徴でした。神器であり、戦利品の記憶であり、王位や正統性に結びつきやすい危うい火種でもある。それを“答え”にせず、“警報”として扱う。管理権と統治権を切り分け、公開と封緘の間に工程を置き、一次と二次を回し、強権すら制度に縛る。第197世界は、そうやって「返せないものは、燃やさない形で抱える」ための章だったと思っています。


また今回は、巨人の軍務、獅子の治安、白の内務、黒の法務、悪魔の宰相、そして魔族の女王と、立場も温度も違う者たちが、同じ場で少しずつ言葉を揃えていく過程も描きたかった部分でした。同じ温度にならないからこそ危うい。けれど同じ温度にならないまま、共通語彙と工程だけは共有できる。その形に持っていけたのが、第197世界の着地点です。


そして誠二にとっては、「呼ばれなくていい仕事」をちゃんとやり切った章でもありました。誰かに依存される形で終わるのではなく、自分が抜けても回るものを置いて離れる。派手ではありませんが、この物語ではたぶん一番大事な勝ち方です。


次は第99世界です。


舞台は地球に極めて近い位相差世界。1946年11月ごろ。戦争は終わっているのに、戦後が始まっていない世界です。しかも、ドイツ・日本・アメリカの三極すべてが核を持っている。怖いのは兵器そのものより、それを止める制度が存在しないこと。つまり次は、これまでやってきた「職場」「凍った制度」「若い世界」「多民族国家」を一段引き上げた、地球規模の制度問題になります。


引き続き、お付き合いいただければ嬉しいです。

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