プロローグ ――英雄も聖女も評価対象です
この物語は、剣も魔法も使わない「人事部長」が、異世界に派遣される話です。
勇者でもなく、聖女でもなく、ましてや選ばれし英雄でもありません。
彼が持っているのは、評価基準と会議資料と、少しだけすり減った人生経験だけです。
異世界ものといえば、最強スキルやチート能力で無双する話が王道ですが、
この作品ではその逆をやっています。
英雄も、聖女も、女神ですら「評価対象」に入ります。
感情や信仰や神託ではなく、制度と責任と仕組みで世界を回そうとする物語です。
報酬は時給1380円(危険手当込み)。
そして、働いた分だけ寿命が少し戻る。
若返りというより、「削られた時間を取り戻す副業」です。
これは冒険譚ではなく、
異世界を舞台にした“管理職の仕事”の話です。
誰かを殴り倒す物語ではなく、
組織を壊さずに回す物語です。
派手さはありません。
でも、現実と同じくらい、ややこしくて、やりがいがあります。
少しだけ疲れた大人向けの異世界スポットワーク、
よろしければお付き合いください。
人事部長の仕事は、誰かの人生の“摩耗”を見ないふりできない仕事だ。
採用が遅れた。退職が増えた。評価が不公平だと揉めた。ハラスメントが表に出た。現場は疲弊し、上は数字を要求し、間に挟まれた管理職は「自分が悪い」と思いながら擦り減っていく。
そして、擦り減るのは大抵、声の大きい人間じゃない。静かに踏ん張っている人間から先に折れる。
前原誠二、四十三歳。中堅企業の人事部長。
二十六で結婚し、三十一で離婚した。理由は妻の不倫だった。怒鳴り散らすでもなく、修羅場を作るでもなく、弁護士を入れて淡々と終わらせた。揉めなかったぶん、傷が薄いわけじゃない。むしろ“自分が何を失ったのか”を、ずっと言語化できないまま時間だけが進んだ。
家庭が消え、仕事だけが残った。
そこから十二年。職位は上がり、責任は増えた。笑顔で調整して、丁寧に断って、穏やかに叱る。誰の味方でもないように見せながら、折れそうな人間が折れないように支える。気づけば自分の寿命を削るように働いている――そんな実感だけが、胸の奥に溜まっていた。
その日も、終業後の机を片づける“儀式”をしていた。残務のメモを閉じ、明日の会議資料を整え、頭の中から火種を追い出す。帰宅しても人事部長の顔を引きずらないための習慣だ。
スマホが震えたのは、その時だった。
見覚えのない通知。アイコンは白金の円環に羽根の紋章。アプリ名は短い英字で「TIMIY」。似たサービス名は知っている。だが、これは違う。表示される文面の温度が、冗談のそれじゃない。業務連絡の乾いた温度だった。
《新規案件が発行されました》
職種:人事部長(臨時)
勤務地:異世界 第七管理区画・第27世界
報酬(現実):時給 1,380円(危険手当込)
報酬(異世界):稼働時間に応じた寿命復元(身体的若返り)
稼働条件:派遣中、現実世界の時間停止
付与:業務遂行に相応の加護(派遣時間中のみ)
特記事項:案件終了後の打ち上げまでを業務に含む(費用は当方負担)
受諾期限:60秒
一行目の「異世界」で脳が反射的に拒否反応を起こし、次の「時給1,380円」で別方向に理解が止まった。
安い。高くない。むしろ、妙に現実的だ。
“危険手当込”と書いてあるのも嫌にリアルだった。役所の臨時募集や、夜勤派遣の求人に紛れ込んでいても違和感がない。しかも「派遣中、現実世界の時間停止」。これがないと副業は成立しない。つまりこの案件は、最初から「空き時間のスポットワーク」として設計されている。
受諾期限のカウントダウンが減っていく。五十五、五十四、五十三。
フィッシングにしては手が込みすぎている。悪質な冗談ならもっと煽る。これは“淡々とした業務仕様”だ。人事屋の本能がそう告げた。燃える案件ほど、最初は静かにやってくる。
前原はアプリを開いた。
白い画面の中央に短いテキストが浮かぶ。
《担当世界が燃えています》
《あなたの経験値が必要です》
《受諾しますか?》
下に「受諾」「辞退」。そして、右上のタイマー。
この手の案件は、迷っている時間が一番危ない。
前原は息を吸い、指を落とした。
「……受諾」
画面が一度白く弾け、次に契約条項が流れた。まるで派遣契約の簡易版だ。
《契約確認》
・現実報酬:時給1,380円(危険手当込)
・異世界報酬:稼働時間に応じた寿命復元(身体的若返り)
・派遣中:現実時間停止(派遣終了時に復帰)
・加護:業務に相応の一時付与(派遣時間中のみ)
・業務範囲:案件対応~打ち上げ(費用当方負担)
・帰還保証:有
・死亡回避:合理的範囲で保証
《同意して開始》
同意のチェックボックスの横に、やたらと現実的な注記がある。
《注:寿命復元は“不老不死”ではありません。上限は運用規定に従います》
《注:加護は戦闘用途を想定しません》
……戦闘用途を想定しない。
異世界なのに。
前原は、そこで初めて笑いそうになった。だが、タイマーが残り二十秒を切っている。
チェックを入れた瞬間、スマホが熱を帯び、視界が静かになった。
音が遠のき、空気の密度が変わり、オフィスの温度が消える。落下感はない。ただ、“場所そのもの”が切り替わる感覚だけがあった。
目を開けると、石造りの執務室だった。
神殿のように天井は高いが、宗教施設の湿った匂いはない。むしろ役所に近い。書類の山、封蝋、結晶板のような記録媒体、スタンプ、仕分け棚。実務の部屋だ。
そして机の向こうに座る女を見て、前原は一瞬だけ言葉を失った。
顔も身体も、造形として非の打ち所がない。整いすぎていて、むしろ作り物じみている。肌は滑らかで傷一つない。声は澄んでいて、通るはずだ。
それなのに――疲れている。
瞳の奥に睡眠不足の影があり、肩の力が抜けきっていない。何より、胸元が“豊か”というより“重そう”だった。神々しい衣装に収められているのに、体がどこか窮屈そうで、無意識に姿勢を直す仕草が管理職のそれに見える。
女は前原を見るなり、深く息を吐いた。
「来た。助かった」
神が初手で「助かった」と言う世界は、たぶんまともに回っていない。
前原が名乗ろうとすると、女は先に手を上げた。
「形式は後で。私は担当女神。神界の“世界運営部”で、この区画の責任者。あなたの世界の言い方だと……中間管理職」
中間管理職、という言葉があまりにも現実的で、前原は逆に納得してしまった。
「前原誠二です。人事部長。……すみません、確認します。派遣中は現実が時止め、で間違いないですか」
女神がうなずいた。
「そう。あなたが現実を壊すと困るから。戻ったら、受諾ボタンを押した瞬間の続きに復帰する」
「報酬の“寿命復元”は?」
「働いた時間分、寿命が戻る。あなた、かなり削ってる顔をしてる」
淡々と言うのが嫌に刺さった。図星だったからだ。
「それと加護。業務に相応の分だけ付ける。戦闘はさせない。あなたが剣を振るうと、制度が歪む」
前原は小さくうなずいた。そこは同意だ。人事が武力を持つと、最終的に人の心が壊れる。
女神は机の端に置いた砂時計を弾いた。砂が逆流し、空中に映像を作る。
燃える城塞都市。崩れた門。逃げる人々。兵の悲鳴。魔法の閃光。
そして何より目につくのは、指揮系統の欠如だった。全員が勝手に動いている。勇者が叫び、騎士団が反発し、聖女庁が独自判断で介入し、貴族が権威で割り込む。成果が出る人間ほど暴走し、成果が出ない人間ほど責任を取らない。
「この世界、力は測れる。でも人を評価する仕組みがない。だから成果を出した人間が暴れる。成果の出ない人間が居座る。現場が壊れていく」
前原は、映像を見ながら口の中で結論を組み立てた。
「評価制度がない。役割定義がない。責任境界が曖昧。意思決定の会議体が機能していない。結果、英雄主義で回っている。……そういう状態ですね」
女神の表情が、ほんの少し緩む。
「そう、その言い方。神官も王も、そうは言えない。だからあなたを呼んだ」
机の上に、一枚の“案件票”が置かれた。そこには関係者リスト、苦情一覧、退職者一覧、懲罰記録、治癒ログ、補給損耗、勇者班の戦果報告――異世界版の人事資料が詰まっている。
前原は思わず息を吐いた。
「完全に人事案件ですね」
「人事案件。だから“人事部長”を呼んだ」
女神は机の引き出しから、白金の札を出して前原に渡した。
「直通。困ったら押して。あと、条件に書いた通り、案件終了後の打ち上げまでが業務。費用は私が持つ」
前原は札を見つめた。
「最初から契約に明記されてました。……打ち上げが業務?」
女神は真顔で言う。
「案件の後に感情を置いて帰らせるのは管理として不完全。吐き出して、整理して、区切ってから帰す。あなたも管理職なら分かるでしょ」
分かる。分かりすぎる。
前原は頷いた。
「理解しました。では現場に入ります。……加護の内容は?」
女神は指を折って説明した。
「言語・文書理解。権威耐性。疲労軽減。事故回避。あと“会議室安定化”。会議中に暴力や魔法が発動しにくくなる」
会議室安定化。まるで人事のための結界だ。
女神は最後に、少しだけ声を落とした。
「急いで。今夜、勇者と聖女と王が会議をする。そこで決裂したら、騎士団が割れる。王が判断を誤れば、貴族が反乱する」
前原は短く返した。
「会議体を作ります。結論を出す会議にします。英雄も聖女も評価対象にします」
女神は小さく笑った。疲れているくせに、なぜか嬉しそうだった。
「そういう言い方、好き。媚びない」
「媚びてる余裕がないだけです。現場が燃えてるので」
女神が指を鳴らすと、床の紋が光り、前原の足元の感覚が切り替わった。
城の中庭に立っていた。
煙の匂い、熱、叫び声。焼けた石の赤み。負傷者が運ばれ、兵が走り、魔法使いが水を撒く。戦場と後方が混ざっている。秩序がない。
白い装束の神官が駆け寄り、膝をつきかけたが、前原は手で制した。
「形式はいい。状況を教えてください。今、誰が指揮を取っている」
神官が目を泳がせる。
「……勇者様が……」
「勇者がどこまで指揮している。騎士団長はどこ。補給は誰が見ている。治療は聖女庁か医師団か。意思決定の会議体は存在するか。最終決裁者は誰か」
神官の顔から血の気が引いた。答えがない顔だ。
前原は息を吐き、指示に切り替えた。
「今すぐ会議体を作る。関係者を集めて。勇者、聖女庁代表、騎士団長、補給担当、治療担当、財務担当、王の代理。全員」
神官が駆け出した、その背に、鋭い声が飛んだ。
「お前が神託の者か!」
金髪の若い男が立っていた。鎧が眩しく、腰の剣が格の違いを主張している。周囲の兵が道を開ける。勇者だ。
「随分と地味だな。剣も持たぬのか」
前原は落ち着いて返した。
「持ちません。私の武器は秤です」
勇者が鼻で笑う。
「秤? 戦場で何を量る。敵の首の重さか」
前原は声の大きさを変えずに言った。
「あなたの成果です。あなたが守った民の数。あなたが損なった兵の数。あなたが作った秩序。あなたが壊した組織。英雄は強い。しかし、組織は英雄の強さだけでは守れません」
勇者の眉が動き、剣に手がかかりかける。空気が硬直した。
だが前原の胸の奥は妙に冷静だった。権威耐性の加護が効いているのかもしれない。目の前の“神の加護を受けた青年”が、ただの“成果主義のエース社員”に見える。
前原は続ける。
「斬れます。ですが斬った瞬間、あなたは女神の神託を踏みにじる。王は守れない。聖女庁は恐れる。騎士団は割れる。結果、あなたは孤立します。合理的ではありません」
勇者の指が止まる。理屈が通るタイプだ。なら交渉はできる。
「今夜、会議があります。あなたの意見はそこで聞きます。ただし会議は決裂のためにやるものじゃない。意思決定するためにやるものです。あなたは英雄として戦い続けるために、形式に従ってください」
勇者は歯を噛み、視線を逸らした。
「……勝手にしろ」
完全な合意ではない。だが、引き金は外れた。
夜。城の会議室。
王の代理は青ざめ、騎士団長は苛立ち、補給担当は疲れ切り、治療担当は怒りを噛み殺し、聖女庁代表は清廉すぎる顔をしている。勇者は腕を組んで座った。
前原はまず、会議の“型”を決めた。
「結論から言います。この会議で決めるのは三つ。第一に今夜からの指揮系統。第二に明日の補給計画。第三に聖女庁の奇跡の使用基準。以上です」
反射的に口を挟もうとした王代理に、前原は先に釘を刺す。
「議題追加は緊急性がある場合のみ。感情的な非難は禁止。個人攻撃は禁止。誰が悪いかではなく、何が起きているかを扱います」
騎士団長が噴き上がる。
「勇者殿が勝手に出撃し、部隊を消耗させたのは事実だ!」
勇者が机を叩きかけ、聖女庁代表が眉を寄せる。
前原は淡々と返す。
「事実は扱います。ただし責任追及は後。今は明日を回す仕組みを作る。勇者が勝手に出撃できる状態が問題です。つまり指揮系統がない。そこを直します」
会議室が静かになった。
前原は紙を広げる。
「指揮系統はこうです。戦場の最終決裁は騎士団長。勇者は“特殊戦力”として作戦に組み込む。作戦提案権はあるが単独決裁は不可。聖女庁は治療と士気の領域を担当。奇跡は“治療優先”。攻撃用途は会議体決裁。補給担当は数値で提示し、それに基づいて作戦規模を決める」
王代理が震える声で言う。
「……勇者様の権威が……」
「権威は守ります。ただし権威を守るために兵を死なせない。兵が死ねば権威も死ぬ」
聖女庁代表が、清廉な声で返す。
「奇跡は女神の恩寵。基準で縛るのは不敬では?」
前原はその言葉を待っていた。
「質問します。奇跡を誰に使うか、今は誰が決めている」
「聖女が決めます」
「基準は」
「女神の導きです」
前原は頷いた。
「導きは大切です。ただし“導きの説明責任”がない組織は腐敗します。治療の順番で揉めている。身分の高い者が優先され、兵が後回しになったという苦情が出ている。これは事実ですか」
空気が重くなる。治療担当が唇を噛み、王代理が目を逸らした。
前原は静かに続けた。
「聖女を責めたいのではない。仕組みが悪い。だから仕組みを作る。奇跡の使用基準は治療の緊急度と回復可能性を軸にする。身分は入れない。例外を作るなら会議で記録する。ログを残す」
“ログ”という単語が異世界の会議室に落ちるのを、前原は確かに感じた。改竄不能の記録結晶が机の上に置かれている。女神が用意したのだろう。ここでログが残せるなら、制度が回り始める。
勇者が低い声で言った。
「……俺を縛る気か」
前原は真正面から返した。
「縛るんじゃない。守るために枠を作る。あなたが最強であることは否定しない。だからこそ、あなたが組織を壊さないように評価する」
勇者の顔が歪む。“評価”という言葉が刺さるのは、どこの世界でも同じだ。
前原は最後に、同じフォーマットの紙束を机に置いた。
「明日から成果を見える化する。勇者班、騎士団、聖女庁、補給、治療。全員の成果を同じ様式で記録する。誰が何をしたか。何が改善したか。何が悪化したか。英雄も聖女も、評価対象です」
会議室の外で火がはぜる音がした。城はまだ燃えている。
だが、ようやく“会議”が仕事になった。
三日後。
火は消えきっていない。だが延焼は止まり、補給が繋がり、治療の優先順位が明文化され、勝手な出撃が会議体で止められるようになった。勇者は苛立ちながらも従い、騎士団長はようやく作戦を“数字”で語り始めた。聖女庁代表は、基準ができたことで矢面に立たされにくくなり、治療担当は現場が救われるのを目の当たりにして黙って頷いた。
前原は記録結晶を手に取り、今日のログを封じた。
ここまでが、案件。
そして契約条項には、こう書いてある。
――案件終了後の打ち上げまでが業務。
前原が胸元の札を押すと、空気が澄み、女神の執務室へと“切り替わった”。
女神は、相変わらず完璧な造形のまま、疲れた顔で机に突っ伏していた。胸元の重さを少しだけ腕で支えるような姿勢が、妙に生活臭い。
前原が咳払いすると、女神が顔を上げる。
「お疲れ。……終わった?」
「延焼は止めました。再発防止策はログと会議体次第です。最低限の制度は入れました」
女神は、肩の力を抜くように息を吐いた。
「好き。そういう“最低限”の言い方。過剰に神託を使わなくて済む」
前原は椅子に腰を下ろし、札を机に置いた。
「契約通り、打ち上げですね」
「そう。業務」
女神が指を鳴らすと、机の上に瓶とグラス、つまみの皿が並んだ。神界の経費で落ちるらしい。妙に腹が立つほど合理的だ。
前原はグラスを受け取り、まず確認する。
「費用は当方負担」
「当方負担。あと、領収書いらない」
「神界の経理は楽でいいですね」
女神が、疲れた笑いを漏らす。
「楽じゃない。上がうるさい。飲み代の承認フローは面倒」
本当に中間管理職だ。
前原が一口飲むと、体の芯に熱が落ちた。女神が同じように飲み、ふっと表情を崩す。
「……今日の勇者、めんどくさかった」
前原は頷いた。
「成果主義のエースは、評価される側になるのが嫌いです」
「それ、神官にも言って。あの人たち、勇者を“神の物語”だと思ってる」
「神の物語は大事です。でも組織は物語だけじゃ回りません」
女神がグラスを置き、少しだけ視線を落とす。
「……あなた、どうしてそんなに距離が一定なの?」
前原は一瞬考え、淡々と答えた。
「一度、家庭を壊したので。距離感は学びました」
女神は黙って、もう一口飲んだ。神々しいはずの存在が、ただの疲れた同僚に見える瞬間だった。
打ち上げは、慰労ではない。業務の後処理だ。吐き出して、整理して、区切る。
前原はグラスを置き、ふと自分の手を見る。
指先の皺が、ほんの少し薄くなっていた。肌の張りが戻っている。肩の重さが軽い。目の奥の疲れが、一枚剥がれたように感じる。
寿命が戻る――この副業は、本当にその通りに働いている。
女神がそれに気づいて、当然のように言った。
「働いた時間分、戻ったでしょ」
「……戻りました。こういうの、報酬として強すぎませんか」
「あなたが現実で削られすぎ。神界の福利厚生」
前原は苦笑した。
「時給1,380円の福利厚生が、寿命復元」
「神界の最低賃金がそれなの。危険手当込み」
安いのか高いのか、もう分からない。だが少なくとも、前原の中で“受ける理由”にはなってしまった。
グラスが空になる頃、女神が机の端の砂時計を弾いた。砂が逆流し、前原のスマホに通知が落ちる。
《新規案件が発行されました》
職種:人事部長(臨時)
勤務地:異世界 第七管理区画・第67世界
報酬(現実):時給 1,380円(危険手当込)
報酬(異世界):稼働時間に応じた寿命復元(身体的若返り)
稼働条件:派遣中、現実世界の時間停止
付与:業務遂行に相応の加護(派遣時間中のみ)
特記事項:案件終了後の打ち上げまでが業務(費用は当方負担)
受諾期限:60秒
前原は天井を見上げた。
「……派遣アプリの運用、軽すぎませんか」
女神が疲れた顔のまま、少しだけ得意げに言った。
「だってスポットワークだもの」
前原は、笑うしかなかった。
「受諾します」
押した瞬間、女神が言った。
「次も終わったら飲もう。業務だから」
「了解です。業務なら仕方ない」
世界が白く弾ける。
現実の時間が止まったまま、前原誠二は次の火事へ向かう。
――人事部長の空き時間副業は、今日も“世界の組織”を相手に始まる。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
このプロローグは、「異世界に行った人事部長が何をする話なのか」を先に提示するための導入でした。
剣で戦う話ではありません。
奇跡で救う話でもありません。
評価が曖昧なまま放置されてきた世界に、
「責任」と「仕組み」を持ち込む話です。
英雄も聖女も女神も、
“尊い存在”である前に
“組織の一員”として扱われる。
そこに違和感を覚える人ほど、この物語の読者だと思います。
時給1380円。
寿命が少し戻る報酬。
打ち上げまでが業務。
どれも冗談のようでいて、
現実の労働や管理職の感覚にかなり忠実です。
「削られた時間を、別の形で取り戻す」という発想は、
現代人向けの異世界報酬だと思っています。
ここから先は、
前原誠二が一つずつ異世界の“職場”を整えていく話になります。
派手なざまぁより、
静かな是正と、制度が回り始める瞬間を描いていきます。
そして女神とは、恋愛ではなく
「飲み仲間」「同僚」「生活を共有する相棒」へ
少しずつ関係が変わっていきます。
神と人間の物語ですが、
やっていることは、ほとんど職場改善です。
この先も、
英雄も聖女も、きちんと評価される世界を
一緒に覗いていただけたら嬉しいです。




