白線の扉の数だけ
港の形をした待合所は、戻る予定だけが残っていた。
床の境界線だけが白く、そこから内側は常に動いているのに、どこにも進まない。
天井の梁がゆっくり回り、椅子の影が擦れて音を出す。
出入口は左右に並んでいるのに、数えるたびに数が揃わない。
塩田は、呼ばれた順にだけ動く、と決めていた。
誰が呼ぶのかは関係ない。
呼ばれた、という事実だけを採用する。
呼ばれるまでは座る。呼ばれたら立つ。
立ったら境界線をまたぐ。
たったそれだけで、ここでは十分だった。
隣の椅子にいる女は、呼ばれる前から荷物をまとめ、まとめ終わるたびにほどいていた。
ほどいた紐が床に落ちると、床のほうが先にほどける。
女はそれを見て笑った。
笑い声は反響し、反響だけが遅れて帰ってくる。
奥の壁際では、少年が扉に耳を当てている。
耳を当てるたびに扉は薄くなり、薄くなるたびに少年の耳が厚くなる。
少年は厚い耳で何かを聞き取った顔をして、誰にも告げず、また別の扉へ行く。
係員のような男が、一枚の札を掲げて歩いている。
札には何も書かれていない。
掲げる手だけが疲れていく。
男は塩田の前で立ち止まり、空の札を塩田の顔の高さまで上げた。
塩田は、まだ呼ばれていない、と判断した。
札が空であることは理由にならない。
呼ばれたかどうかだけが理由だ。
そのとき、港の外側に向いた窓のガラスが、内側に波紋を作った。
誰も見なかったことにした。
見なかった、という行為だけが残り、窓のほうが先に静まった。
塩田の名前は、ここでは重さがない。
重さがないものは落ちない。
落ちないものは拾えない。
だから、呼びようがないはずだった。
それでも、正面の扉の上に吊られた鈴が一度だけ鳴り、
音が反響する途中で、塩田、と呼ぶ声が混じった。
塩田は立った。
迷いはなかった。
呼ばれた。
動く。
境界線をまたぐ。
足裏が白線を越えた瞬間、床の動きが止まったように見えた。
止まったように見えただけで、椅子の影はまだ擦れている。
塩田は扉に向かい、取っ手を握った。
握った手は冷たかった。
冷たさは手から取っ手に移り、取っ手のほうが先に震えた。
扉は開いた。開いたはずだった。
開いた先には、同じ待合所があった。
椅子の並びも、境界線も、回る梁も、女のほどける紐も、少年の厚い耳も、空の札も、全部同じだった。
違うのは、塩田が立ったまま、扉のこちら側にも向こう側にもいることだけだった。
女が紐をほどきながら、塩田の両方を見比べた。
見比べた顔は、どちらにも向いていない。
少年は厚い耳で塩田の足音を探し、足音が見つからないまま扉を薄くした。
係員の男は空の札を掲げ直し、札の裏を表にした。裏も空だった。
塩田は、自分の判断基準は壊れていない、と確認した。
呼ばれた。
動いた。
扉を開いた。
出た、という結果がない。出た形跡もない。
出たはずの姿勢だけが、二つに分かれて残っている。
塩田の片方が、もう片方の肩に手を伸ばしかけた。
伸ばしかけた指先は、境界線の白さに触れそうで触れない距離で止まった。
触れるかどうかは判断に含まれない。
含まれないものは決めない。
女が突然、椅子の脚を一本ずつ撫で始めた。
係員の男は、出入口の数を数え始めた。
数えるたびに扉の並びが揃いそうで揃わない。
少年も数えた。
女も数えた。
塩田も数えた。
数える行為だけが一致し、答えだけが一致しない。
最後に、扉の数は一つだけ合わないまま、梁は回り続け、塩田の指先は白線の上で止まったままだった。




