第3章 4つの疑問
」
第3章 4つの疑問
祖母の葬儀もつつがなく終わった。悲しいできごとが続き気持ちが落ち込んでいくのだが、探偵所の新入社員として働くことによって少しずつ忘れていけそうだった。大好きな彼は私を捨ててアメリカに行ってしまった。大好きな祖母は私を置いて天国に行ってしまった。そんな悲しみの中私を救ってくれたのは新しい仕事だった。葬儀が終わるとまっさきに雪野 ひろみ探偵事務所を訪ねた。
「あら?もういいの?ご愁傷さまでした・・・」
「ええ・・・つらいのですが逆にここで働かせていただいたほうが気持ちが紛れるような気がするので・・・。」
「それじゃあ早速履歴書を出して、今日から働いてもらいましょう。」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
そして私の新しい人生は始まった。
この探偵社は雪野 ひろみと、もう一人小早川 あきという知的な女性がいた。彼女も雪野先輩同様私に親切に仕事を教えてくれた。私たちは年も近いこともありすぐ打ち解けられた。人間関係は申し分のない最高の環境だったが仕事は楽ではなかった。遅くまで残業することもあった。その忙しさが逆に失恋の痛手も祖母を失った悲しみも少しずつ癒えていく。
そんなある日雪野先輩から祖母を思い出させる話があった。
「ところですみれさん?咲田警部を知っていらっしゃるの?」
「咲田警部?」
「警視庁の・・・」
「ああ・・・祖母が亡くなったときに担当してくださった警察の方です。知っているというほどでもないですけど・・・あの方警部さんなのですか。」
「一応警視庁では敏腕警部で通っているけどね・・・彼はおばあ様がなくなったときにあなたとお会いしたと言っていたわ。おばあ様のご主人つまりあなたのおじい様、沢崎啓介さん。陸上でならしてきた咲田警部が最も尊敬するランナーだったそうです。」
「雪野先輩は咲田警部とお知り合いですか?」
「そうなの・・・こういう仕事しているでしょ。警視庁のかたとは昵懇にしていればいろいろ情報が得られるしね。むこうも私たちを利用しようとして、私のところにはよく来るのよ。私が警察の情報をいただくよりも私たちが警視庁の捜査に協力する機会の方が多いけどね。」
雪野先輩はニコッと笑った。
「実は私の祖父がオリンピックの補欠選手だったこと、そして私の母が中学まで陸上の選手だったことを母からも祖母からも聞かされていませんでした。それを咲田警部から初めて聞きました。びっくりしました。」
「そうだったの?ところでねえ・・・咲田警部が言うにはおばあさんの死についてだけど事故死じゃないのでは?というのよ。確証はないのだけどどうも事故死にしては滑ったあととか残っていないし疑問が残るらしいわ。」
「それじゃあ、誰かに殺されたってことですか?」
「いや・・殺人の疑いがあるのなら咲田警部が徹底的に調べるわ・・・」
「それじゃあ・・自殺ということですか?」
「そんな気がするって。」警部は言うのよ。
「でも・・・『自殺をする理由なんてない。』母も言っていましたし。」
「そうね、だからこれ以上は警察も手を出せないようなのだけど、あなたが私の部下になったと聞いて『調べてみてはどうかい?』って言ってきました。調べるって言ったって『探偵調査費はだれが出すの?咲田警部が出してくれるのですか?』って聞いたら、『私の感があっているか確かめたいだけだからなあ。まあ調査費の代わりにこれからもいい情報を提供します。それとコーヒー一杯くらいならごちそうします。』まったくそんな調子よ。まあ冗談はともかくあなたがどう思うのか聞いてみようと思って・・・」
そう言われて私は今までの祖母に関することを思い出した。事故とは全く関係ないが私たちの結婚に猛反対したこと、祖父が有名なランナーであり、母が陸上をやっていて中学の時に有名になったのにそのことを私に全く言わなかったこと、そして祖母は事故で川に落ちるような足元がおぼつかない老人ではないこと、いろいろな謎が私を取り巻いておる。
もう失恋の痛手も祖母の死も少しずつ癒えてきている今逆にその謎を紐解いてみたい好奇心があった。もし雪野先輩がこのことをしらべてくれるのなら調べてほしい。こちらから逆に頼みたいくらいだ。
「実は…わたしもたくさん気になっていることがあるのです。」
「気になること?よかったら話して・・・」
私は自分も探偵になったような気持ちで今までのことをまとめていた。探偵になったような気持ちと言ったが実際に「ひよっこ」ではあるが探偵になったのだ。最初の疑問はやっぱり彼とのことだ。元彼女が妊娠したなどとよく考えるとおかしい。そんなだらしないことを彼がするとは思えない。
それに一応お互いに今までのつきあいにいたった彼女の話は聞いている。私も過去の男性遍歴を包み隠さず話した。過去のことは一応話しておいた方がお互いにいいと思って、その時に彼女と別れたばっかりだとは言っていなかった。どうも元彼女の話は作り話としか思えなくなった。そうあのときは怒り心頭で冷静に考えられなかったが今思えば不自然だ。
元彼女の存続が嘘となると何のためにそんな嘘をつかなければいけないのか。何か私と結婚できない事情ができた。ということになる。だからそれを口実に使ったのということでしょう。とすると・・私と結婚できなくなった理由って何だろう?つまりは婚約解消の口実、存在しない元彼女をでっちあげたのだとしたら、彼は今一人暮らしをしていることになる。これはその気になれば調べられる。
2つ目の疑問は祖父のことをなぜ隠していたのだろう?祖母だけではない父も母も一緒になって、私は祖父のことをインターネットで検索してみた。私の祖父の名前は咲田警部が・・・沢崎 啓介と言っていた・・・有名な選手と見えてすぐヒットした。公式マラソン大会で何度か優勝していることがわかった。オリンピックで補欠選手だったがその後けがのために引退、その後は実業団のコーチとして活躍したらしい。その時の選手がなんと祖母だったようだ。
祖母もさほどの成績を残しているわけではないが陸上競技の選手であることが分かった。そして沢崎啓介の娘つまり私の母・・・沢崎 彩は・・・中学時代は県体記録を塗り替えた天才少女と書かれている。そして祖父は母が中学生の時に交通事故で亡くなったらしい。母の記録は中学で終わっている。母の話だとアキレス腱をけがしていい思い出はないと言っていた。
さて疑問なのはなぜこのような輝かしい記録を私に隠していたのだろうか?少なくとも祖父の優勝のメダルなり盾なりはどこかにしまってあるに違いない。なぜ私に見せてくれないのだろうか?私に知られると都合の悪いことがあるのか?
そして3つ目の疑問だが、なぜ祖母は私達の結婚に反対したのだろうか?いくらかわいい孫だからといっても泣き出すほど反対するだろうか?反対するのにはなにか理由があるはずだ。といっても私は祖母に彼を会わせてはいない。名前と年齢と仕事そしてアメリカに転勤になることそれだけしか話していない。反対する理由はやっぱりアメリカの転勤だろう。海外転勤でも永住ではないせいぜい長くて5年くらいの話だろう。そんな大げさに反対することではない。また祖母に報告した3日後くらいで私たちの恋は終わっている。それから一週間くらいにしかたっていないのに祖母は天国に旅立った。
そして4つ目の疑問だが祖母は何で川になんか落ちたのだろう?事故だろうか?祖母は64歳若いころ走っていただけに身軽だ。お酒も飲まないし頭も体も年より若い。咲田警部が言うように事故死ではないような気がする。そうなると自殺ということになる。
私は自分の手帳に今疑問に思うことを書き綴った。この疑問は全部関連するのだろうか?
私はここのところ疑問に思ったことを書き綴ったものを雪野先輩に見てもらった。もう亡くなった祖母は帰ってこない。彼とはもう元に戻ることはない。でも本当のことを知りたいのだ。雪野先輩は一つ一つ「なるほどね・・・」とうなずいていた。そして
「あなたの疑問調べてあげてもいいけど・・・」
「あの?調査料はいくらお払いしたらよいですか?」
「そんな、社員からお金はいただけません。」
「ありがとうございます。でも・・・。」
「気にしないで・・・それよりも、あなたの4つの疑問はおばあさまがあなたに知られたくないことを隠していたのかもしれないわ。聞かない方がよかったという内容もあるとおもうのよ・・・もちろん調べてみなければ何とも言えないけど・・・」
「大丈夫です。もうこどもではないですし、どんな報告でも聞くつもりでいます。」
「わかった。」
それからまたしばらく時が流れていく。
「すみれさん?先日の調査まず大事なことが分かったわ?まだ疑問の究明には程遠いけど大事なことなので先に報告しておきたいのだけれど・・・」
「ありがとうございます。お願いします。」
「何を報告しても大丈夫?」
「ええ・・・彼にも未練はないですし・・・真実を知ること以外私の希望はありません。」
「その真実があなたを傷つけてしまうことだってあるわよ。」
「大丈夫です。どうぞ何でも言ってください。」
「わかりました。じゃあコーヒーでも飲みながら・・・コーヒー入れるわね。」
「ああ・・・そんなこと私が・・・」
「いいの・・・私が入れるから・・・」
雪野先輩は私の分のコーヒーも入れてくれて話し始めた。
「いい・・・驚かないでよ。」
「この新聞記事を見て・・・」
公認のマラソンン大会の記事だった。見ると毎朝新聞の地方版でレースの結果が書いてある。
「ここに注目して・・・第3位・・・」
私はその新聞記事を見る。
第3位は 和泉 彩と書いてある。お母さんだ!旧姓の沢崎でなく和泉 彩の名前だ。中学で陸上をやめたと言っていたのに・・・
第3位ではあるが地方紙だけど新聞記事になっている。すごい・・・
びっくりした?でもこの新聞の日付を見てごらんなさいもっと驚くわよ・・・
「日付ですか?」
この新聞は平成4年3月25日と印字されている!!
「えっ??どういうこと!!」
私はあまりの驚きにその場で気を失いそうになった。
そうこの日の新聞の日付はまさに私の誕生日だ。私が生まれる前日に母はマラソン大会で3位になっている。そんなことがあり得るはずがない。
「私もあなたの履歴書を見ているからあなたの生年月日を知っているの。」
そう・・・・この新聞に書かれている和泉 彩は同姓同名の別人でない限り、私はお母さんの子ではないことになる。
「ごめんなさい。私が調べたのはこれだけなの。」
「あの?この新聞のコピーもらってもよいですか?」
「ええ・・・もちろん。」
「父や母に確認してみます。」
私はその日の夜ドキドキしながら父と母のいる茶の間に行き神妙な顔で父母に話しかけた。
「お父さん・・・お母さん・・・聞きたいことがあるの?」
私の真剣なまなざしにこれは何かあるなと父も母も顔を見合わせて無口になった。
「私もう大人だし何があっても大丈夫だから本当のこと教えてほしいの。」
「・・・」二人は黙りこくった。
私はさっきの新聞のコピーを二人に見せた。
「この女子の部の第3位 和泉 彩ってお母さんだよね。」
二人とも質問には答えずにしばらく黙っている。
「・・・・・・・」
沈黙の後、ついにこの日が来たかと観念したように父と母は静かに口を開いた。
「すみれ・・・あなたはお母さんの子ではないの。」
覚悟はしていたがはっきり言われるとつらいものがある。
「私の本当のお母さんは?」
「・・・おばあちゃんよ・・・」
おばあちゃん?そうか・・・
おばあちゃんは68歳・・・私はおばあちゃんが45歳の時の子・・・
「でも・・・おじいちゃんは私が生まれたときには交通事故で亡くなったと聞いているけど・・・」
すると今度は父が口を開いた。
「すみれのお父さんはお父さんなの。」
ええ!!!!
私はお父さんとおばあちゃんの間にできた子・・・・
「不倫なの?」
すると今度はお母さんが
「ちがうの・・・私が頼んだのよ。」
お母さんが頼んだ?一体どういうことなのだろう。
「実はお母さんね・・・高校生の時に病気で卵巣の摘出手術をして。子どものできない体になってしまったの。お父さんはそれを承知で結婚してくれた。幸せだった。でもやっぱり子どもが欲しかった。だから里子が欲しいって考えていたの。相談所に行って申し込みをしたりしていた。でも心配だった全く自分達とは血のつながっていない子を育てられるだろうかって・・・なかなか決心がつかなかった。そんな時私とんでもないことを考えてしまったの。」
「・・・・」私はこれほど母の話に緊張したことはない。
お父さんとおばあちゃんの間に生まれた子であればお父さんにとってはもちろん実の娘、お母さんにとっては妹になるのよ。そしておばあちゃんにとっては子どもを孫としてかわいがっていればいいの。その子は私たち二人と血がつながる子になるのよ。まったく誰の子かわからない子どもを育てるよりも二人と血がつながっているお父さんの遺伝子を持つ子を育てたかった。
「もちろんお父さんもおばあちゃんも、そんなことできなと拒否したわよ。当たり前だよね。でも何回も説得した。だって・・・そりゃあ本当は自分の子が欲しいわよ。絶対無理なの。だとしたらせめてお父さんのこどもが欲しかった。ほかの女性との間にできた子では嫌だけど・・・・その子私の妹だもの。私の説得で母は承知した。母が承知したらお父さんも承知した。そしてこどもができやすい日を選んでね・・・そうしたら・・・奇跡だった。たった一回の行為で見事にあなたが宿ったのよ。」
私は複雑な思いだった。父にとっても母にとっても祖母にも良い話でも
私にとってはなんと複雑な気持ちになることか…だからこそ今まで隠し続けてきたのだろうけど・・・
「お母さんね・・・高校で重い病気にかかりもう陸上は断念しました。でも遊びで楽しく走っていたの。本格的な陸上競技としてではなく。だから市民ランナーとしては別に大して速くない。そうあなたが生まれる日の前日に大会に申し込んで走ったのね。そうしたらその日に限ってありえないくらい調子が良くて自分でも信じられない速さだった。あっという間にゴールした。後にも先にも起こりえない奇跡のタイムだった。
3位の入って少し気分がよかったのだけど・・・次の日新聞を見たら私の名前が新聞記事に出ている。よりによってあなたが生まれた日の翌日の新聞、地方紙といえども新聞です。もしこの記事があなたの目に留またら大変だということで、それから私は走ることを一切やめました。あなたには一生私たちの子で通そうと思っていたので・・・そこで新聞はもちろん、ランニングシューズ、中学時代の表彰状、全部捨ててしまった。おばあさんがおじいちゃんのメダルや表彰状もすべて処分したほうがいいだろうってみんな処分して、それからあなたには陸上競技の話は一切しないことにしたの。
でもわかってしまった・・・・
「大丈夫…複雑な気持ちだけど・・・お父さんはお父さん・・・お母さんはお母さん・・・
おばあちゃんはおばあちゃん・・・真実を知った今も変わらないよ。」
「ところで・・・おばあちゃんはなんで私たちの結婚に反対したのだろう?」
「そうだったわよね。」
「あなたがアメリカに行ってしまうので寂しかっただけかと思ったけど・・・」
自分が実の母親だからってアメリカ行きを反対するだろうか・・・
「それと・・・おばあちゃん自殺したのかなあ?」
「なんで?自殺する理由なんかないでしょ?事故でしょ?」
「でも・・・おばあちゃんだって陸上競技やっていたのでしょう?」
「確かに身のこなしはよいはずだし、信じられない話だわよね。」
「でも自殺する理由はない…」
「だから私の結婚反対したことと関係があるかもしれないって思うようになった。」
「私たちの知らない何か秘密があったのかしら・・・」
予想もしていなかった真実が分かったが、祖母の死因は今だわからないままだ。
その日の夜は祖母のことばかり考えていた。そういえば…「すみれちゃん」と言って強く抱きしめられたことを思い出す。気持ちのどこかであなたのお母さんは私なのよ。そう私に訴えていたのかもしれない。
ああ・・・おばあちゃん・・・なんで死んでしまったの?・・・会いたい・・・