第1章 突然のさようなら・・・
第1章 突然のさようなら
彼とデートの約束の時は朝から仕事が手につかない。早く時が過ぎて・・そればかり念じているからかえって時間が過ぎるのが遅い。終業の時間になるとまっさきにいつものコーヒーショップに向かう。待ち合わせ時刻の30分も前に行き彼の来るのを待っている。その時の待っている時間は幸せだった。そう私、和泉 すみれ・・23歳・・彼と付き合い始めたのは半年前だった。この人となら結婚してもいい・・・そう思っていた矢先にプロポーズされた。彼は御茶ノ水洋。私より5歳年上の28歳商社マン。その彼からのプロポーズなのだが、それは普通に考えたら尋常ではない。
「実はアメリカに転勤が決まった。海外転勤はぼくにとってチャンスだ。どうだろう一緒に行かないか?これからもずっと君と一緒にいたい。結婚しよう。」
私は海外に行ったこともない、それどころか一緒に暮らしている両親とも別れ、小さいころから私をだれよりもかわいがってくれた祖母ともお別れになる。本来なら
「少し考えさせてください・・・」そう答えるのが普通だろう。しかし何の迷いもなく
「わかりました。あなたについていきます。」との私の即答に彼も驚いていたようだった。
それだけに彼を心から愛しているし幸せであった。
プロポーズされてから、とんとん拍子に話は進む。彼のお父さんお会いし、私の両親にも会ってもらった。もちろん両親は私の背中を押してくれる。両親揃って喜んでくれた。ただ祖母だけが「アメリカに行くのだけはやめて!」と反対をした。よほど自分をかわいがってくれていたし小さい頃は「お嫁に行くときはおばあちゃんも一緒だよ。」とそんなことを言ったこともある。
「大丈夫、アメリカに永住するわけじゃないから。またすぐに日本に戻ってくるから。」と言ってもこどものように駄々をこねて泣いていた。それだけが少し気がかりだが、祖母と言ってもまだ67歳今生の別れになるわけではない。
それから私は職場に退職願いを出した。いわゆる寿退社だ。結婚してアメリカで暮らすのだから誰も引き留めるものはいない。みなおめでとう!と祝福してくれた。
「いいなあ~だれか私をアメリカに連れて行って!」親しい友人からはそんなふうに羨望をこめたお祝いの言葉が出る。それも悪い気はしない。
そして職場ではささやかな送別会が開かれ、私は昨日で仕事も退職して頭の中は彼のことしか考えることはない。生まれて一番幸せの瞬間だった。今日も待ち合わせのコーヒーショップに30分も早く来て、彼のことを考えていた。彼はちょうどの時間にやってきた。私が笑顔で手を振る。
しかし、今日ばかりはいつもと違う様子だった。私を見つけた瞬間に手を挙げてこちらを見たのだが、彼の笑顔はどことなくこわばって見えた。
「お仕事お疲れ様」
「ごめんなさい。ちょっと待たしてしまったかな?」
「いいの?勝手に早く来ているだけだから、別に遅刻したわけじゃないし。でも・・なんか?いつもと違うけど・・・」
あえ、ちょっと大事な話がある。まずは注文しよう。彼はウェイトレスを呼びコーヒーを頼んだ。それと彼女のコーヒーのおかわりをお願いします。と言った。それからコーヒーを運ばれるまでいつもと違った空気だった。
彼が何も話さないので、私もあえて黙っていた。「お待たせしました。」ウェイトレスがコーヒーを2つ持ってくると彼は、いつものようにミルクもさとうも入れずにそのまま一口飲んだ。私はミルクと砂糖を1つずつ入れ一口飲んだ。一体、彼は何を話し始めるのだろう?
いたたまれなくなり私の方から話を切り出した。
「いったいどうしたの?なにかいつもとちがうわよ。」
「・・・・」
しかし彼はうつむきがちに黙っていた。
「何があったの?私たち夫婦になるのよ。何を言われても驚かないから隠さずに話して。」
するとようやく彼が口を開いた。
「すみれちゃん・・・ごめんなさい。本当にごめんなさい。婚約を解消してほしい。」
まさか・・・彼から信じられない言葉が発せられた。
「何言っているの?」
「・・・・」
「わけを言って!」
「・・・・」
「黙っていたらわからないでしょう?」
冷静だった私も興奮気味になる。
「許してほしい。実は・・・僕は君と出会う前にある女性とお付き合いをしていた。でも君と出会ってから僕の気持ちは変わった。『結婚相手は君しかいない』そう思ったのでその女性とは別れた。それから会っていない。しかし・・・彼女が赤ちゃんを身ごもっていた。もうすぐ生まれる・・・・」
私は初めて彼に対して憎しみを覚えた。
「でも信じてほしい。僕が愛しているのは・・・」
私は彼の言葉をさえぎって目の前にあるコップの水を彼にぶっかけた。
「わかった。もうそれ以上聞きたくない。」
周りのお客さんの視線が私たちに集中した。
私はそそくさと帰り支度をし、自分の飲んだコーヒー代として500円玉をたたきつけた。
「ああ‥これは僕が・・・」
「あなたからごちそうしてもらいたくない。」
私の抵抗はその言葉だけだった。
それから怒り心頭で家路をたどる。どこをどう歩いたか覚えていないただいつも一駅電車で帰るところを足早にかけていった。家に帰ると珍しく父が仕事から早く帰ってきていて母と楽しそうにお茶の間で話していた。今の私はその父母の仲の良い姿さえ煩わしかった。帰るなり「おかえり!」と笑顔で迎えてくれた父母だったが、すぐに私のようすがおかしいのを目ざとく察知して聞いてきた。
「どうしたの?何かあったの?」
「夕食はいらない。それと・・・私たちの婚約破棄になった。」
とぶっきらぼうに言ってしまった。それを聞いて当然のごとく父と母はびっくりした。
「一体どういうことなの?」
「私だってわからない。他に好きな人がいたらしいわ。」
「なんだって?」
「婚約したのにほかに好きな人がいたなんてそんなことあるのかい?」
「知らない!ごめんなさい・・・これ以上話をしたくない。」
そう言って自分の部屋にこもってしまった。それから私は一晩中泣き明かした。
仕事もやめていたので彼のことしかなかった私に今はもう何もすることがなくなった。
ただ涙が出るだけだった。それを察してか父も母も私をそうっとしておいてくれた。
それから一週間が過ぎ本来なら私がアメリカに旅立つ日が来た。そうアメリカ行きのチケットと婚約指輪はあの日の翌日彼の家に宅急便で送っている。返信不要と大きく書いて・・・
おそらくそのチケットでおなかの大きな彼女と一緒にアメリカに旅立ったことだろう。
そう日本から彼がいなくなってくれることが私の唯一の救いだった。
終わった・・・私の恋はこれで終わったのだ・・・・