相棒
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンン……………………
目覚まし時計の音――ではない。
しかし、その音で、私は目を覚ました。
目覚まし時計――はやはりない。そこは私の部屋ですらないのだ。
見慣れぬ部屋――静かな静かな薄暗い部屋。
そこにいて、目を見開いて私を見ているのは、他でもない、私の母だった。
「叉雨……私の声が聞こえる?」
「うん」と私が答えただけで、母のまつ毛が、目尻が、唇が、一斉にワナワナと震え出した。
「叉雨! 叉雨! 本当に良かった! ようやく目を覚ましてくれたのね!」
母は、泣き喚きながら、ベッドに横たわる私の身体に顔を埋める。
それは私の身体なのだが、私の身体に見えないほどに痩せ細っている。
そして、私は、見慣れない白い袈裟――病院着だろうか――を身に纏っている。
「叉雨が目を覚ましてくれて良かった! 私、このまま叉雨が目を覚まさなかったらどうしようかって……」
「私、ずっと寝てたの?」
「寝てた……というか、ずっと意識を失ってたんだよ。あの事件に巻き込まれてから」
「あの事件?」
母の身体の震えがピタッと固まった。
顔を上げた母の目からは、涙が引いてしまっている。
「……叉雨、覚えてないの?」
「覚えてないって何のこと?」
「叉雨はオカルト雑誌社に就職して、精神病院の取材をしてて、その途中で事件に巻き込まれて……」
「ママ、何言ってるの? オカルト雑誌社? 精神病院? 一体何の話?」
私が覚えているのは、私が福丸叉雨という名前で、新聞記者の両親から生まれて、でも私自身は劣等生で、就職活動で惨憺たる結果を残して――
「……私、もしかして、就活に失敗したショックで自殺未遂でもしたの?」
母は大きく首を横に振った。
しかし、実際私に何があったのかについては、これ以上は説明をしようとはしなかった。
「叉雨、ちょうど良かった」
「何が?」
「目覚めたタイミングも、それから……記憶を失っているのも」
記憶を失っている?
まさか私は、何かの事件に巻き込まれて、そのショックで記憶を失ってしまったとでもいうのか――
呆然とする私に、母は優しく声を掛ける。
「叉雨、良いんだよ。記憶は無理に取り戻さなくて。それより、良い話がある」
「良い話?」
「お父さんの同期の記者が、独立して、ネットメディアを立ち上げたんだって。元々経済部にいた人で、最新の金融情報や投資情報を発信するニュースサイトを作ったんだって」
「それがどうしたの?」
「やる気のある若い記者を探してて、叉雨もそこで働かないかって」
表情が明るくなるのが、自分自身でも分かった。
母の言うとおり、過去の記憶なんて、どうでも良くなった。
「やったあ!」と私は快哉を叫ぶ。
母も「叉雨、やったね!」と言い、細くなった私の手をギュッと握る。
ひとしきり親子で喜んだ後で、母が、「あっ」と何かを思い出し、声をあげる。
「そういえば、海原さんのことだけど」
「……ウナバラ? 誰? パパの同期の記者の名前?」
「……そうだよね。叉雨は海原さんのことも忘れてるんだよね。海原さんは、探偵さん」
探偵? なぜ探偵の話が急に出てきたのか?
私は疑問に思うと同時に、私の人生と縁遠いはずの探偵というものに、なぜだか懐かしさを感じたのである。
もしかすると、目覚めるまでの私は、長い長い夢を見ていて、その夢はミステリ小説のような、探偵が大活躍する夢だったのかもしれない――
「海原さんは、叉雨と同じ事件に巻き込まれて、叉雨と同様に生死の境を彷徨ってたの」
「え!? そうなの!?」
「でもね、海原さんは、叉雨よりもひと足先に意識を取り戻し、退院したの」
「良かった」と自然に声が漏れ出る。
その探偵のことは思い出せないのだが、なんだかとても安堵したのである。
「海原さんはね、叉雨が目覚める前に何度か叉雨に会いに来て、意識を失ってる叉雨にずっと話し掛けてたの」
「え!?」
当たり前だが、それは気が付かなかった。
意識のない状態の私に話し掛けて、一体何になるのかはよく分からない。
ただ、その探偵が私に何を話し掛けていたのか、私は無性に気になった。
「ママ、その探偵さんは、私に何を話していたの?」
「事件の報告だって。海原さんはこう言ってた。『…………事件が解決したから、パートナーに報告する義務があるんだ』って」
(了)
本作「ドグラ・マーダラー」をお読みいただきありがとうございます。
長かったですね笑
そして、明らかになろう向きではないですね笑
僕は、以前から、なろうにミステリをアップするのは、中華料理屋でパスタを提供するようなものだと言っていますが、本作に関しては、中華料理屋でプラダのバッグを販売するようなもので、全く意味不明だったかと思います。
それでも、この作品を見つけ、読んでくださった方はたしかにおりまして、そのことに感謝が止みません。本当にありがとうございました。
この作品は、文学フリマで販売する同人誌の下書きとして書いたものです(初公開がなろうなのですが)。
そんなこともあり、最初の執筆動機は、5月の文学フリマ東京が終わった直後に、文学フリマ層(文学ガチ勢)に刺さるミステリが書きたい、と思ったことにあります。
その日の「新生ミステリ研究会」の打ち上げの場で、『「ドグラ・マグラ」を題材にする』と豪語していました。
なお、この時点で「ドグラ・マグラ」未読です。
そこから慌てて「ドグラ・マグラ」を読み、「新生ミステリ研究会」のメンバーの一人に、本作の初期構想として、以下のLINEを送っています。
…………
「ドグラ・マーダラー」(仮)
主人公は、記者を目指して大手新聞社の面接を受けたものの、軒並み落ちて、しかし、「志望動機の文体がホラー」という自覚しない理由で、オカルト雑誌の記者として新卒採用された女性。
ホラーやオカルトには興味なし。
(キャラクターイメージは、ぼざろの喜多ちゃん)
右も左も分からぬままに入社したオカルト雑誌社で、主人公は、ある殺人事件の取材を任される。
それは、夢遊病者が、バラバラ殺人を犯したというもので、本人は「記憶がない」と一切否定したまま、責任能力が否認され、医療刑務所(精神病院)送りされたもの。
オカルト雑誌社の社長は、犯人の祖父(先祖)が、過去に同様のバラバラ殺人をしたことを知り、この事件が「心理遺伝」によるものではないかと目を付けたのである。
嫌々ながらも、精神病院に行き、取材をする中で、主人公は、犯人が「胎児の夢」の記憶を持っていることを知る。それは、犯人が決して経験したことがない幼少期の記憶であった。
主人公は、社長から「自称探偵」を紹介され、一緒に取材を進めるも、物語の中盤、何者かに襲われる。
「自称探偵」は死亡。主人公はなんとか一命を取り留めたものの、心臓移植を余儀なくされる。そして、「自称探偵」の心臓を移植される。
心臓移植後より、主人公は、今まで自分が有していなかった記憶を得るようになる(「脳髄は物を考えるところにあらず」)。
「自称探偵の記憶」によって覚醒した主人公は、ついに事件の真相へと迫ることに成功する。
果たして「心理遺伝」「胎児の夢」は実在するのか
…………
まあ、実際に書いてみると細かい設定は変わってしまいますが、最初の構想はこんな感じでした。
要するに「ドグラ・マグラ」の各要素のうち、「心理遺伝」「胎児の夢」「脳髄は物を考える処に非ず」を中心に据えて考えていたということですね。
その意味では、なかなかに「ドグラ・マグラ」を参考にしていて、完全な一次創作ではないと自分では思っているのですが、かといって二次創作慣れしていないので、一次創作感が強く出てしまったかと思います。
「ドグラ・マグラ」は特にファンが多い作品ですので、不用意に扱ってしまったことは後悔している面がありますが、書いていて僕自身が学ぶことが多かったとは思います。
書いていて辛くなったこともありましたが、筆をおかずに書き続けて良かったです。
同人誌にした時の巻末の「後書き」にも色々と書かなければならないので、ここではこのあたりにします。
最後までお読みいただいた方、心より御礼申し上げます。
今作の反動で、次回作はなろう読者層にフレンドリーな作品にしたいとは思ってますので笑、今後ともよろしくお願いします。
ご感想等お待ちしております。