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異音

 オフィスには、我が社の社員が勢揃いしていた。

 そして、私の姿が見えるやいなや、クラッカー代わりの歓声を浴びせる。



「福丸君、おめでとう!」


「おめでとう。叉雨」


「叉雨さん……おめでとうございます」


 私は、口をあんぐりと開けたまま、その場に立ち尽くす。


 そして、声を漏らす。



「……何が『おめでとう』なんですか?」


 賀城が、然も当然かのように言う。



「もちろん。福丸君が事件の謎を解いたことに対する賛辞だよ」



 賀城の態度は、私が腑に落ちていないことが腑に落ちない、と言わんばかりである。


――しかし、やはり腑に落ちない。


 なぜなら――



「賀城編集長、私、事件の謎を解いたことを誰にも言ってません」


 たしかに私は事件の謎を解いた。

 しかし、黒幕である寧々花を警察に突き出したわけではない。

 また、株式会社不可知世界の人間にも、青浄玻璃精神病院の関係者にも、誰にも黒幕や真相を話したわけではないのである。


 それなのに、なぜ我が社の人々は、私が事件の謎を解いたことを知っているのだろうか――


 私は、その理由を知りたくて仕方がなかった――しかし、賀城も、敦子も、木乃葉も、誰も理由を説明してくれなかった。


 ただただ嬉しそうにパチパチと手を叩いているのである。



 オフィスに到着早々、私が疑問に思ったことはもう一つあった。


 三人の背後の壁に、なぜか例の風景画が飾ってあるのだ。

 いつの間に面談室から移動させたのか――何のために絵を移動させたのか――



「福丸君、いつまでそこで突っ立っているんだ。早く座りなさい」


 賀城が、右手で指し示したのは、三人の対面の席である。


 私は、首を傾げながらも、賀城の指示に従う。



「福丸君、心理遺伝の記事が書けなくて残念だったね」


 賀城が残念そうに言う。

 そのことに関しては、私以上に、賀城が残念に思っているのだろうと想像する。



「仕方ないです。巳香月史乃の案件は、心理遺伝とは一切関係がありませんでしたから」


 賀城が、私に史乃の夢遊病殺人を取材するように命じたのは、史乃の事件が、一見すると、心理遺伝によって引き起こされた犯罪に見えたからである。 


 すなわち、先祖である谷之岸沙弥の記憶を有している史乃が、心理遺伝の発作として、谷之岸沙弥の犯罪を再現したのだと。


 しかし、実際には、史乃が見ていた夢は、谷之岸沙弥の犯行風景ではなく、巳香月夫妻の犯行風景だった。そして、それは史乃の中の野茂戸寧々花の人格が実際に見た光景だったのである。


 それだけではない。

 そもそも、史乃は、野茂戸夫妻の子であり、谷之岸沙弥とは血の繋がりがないのである。

 ゆえに、心理遺伝どころか、形質の遺伝すら存在しないのだ。



 要するに、谷之岸沙弥の犯行と、巳香月夫妻の犯行と、史乃の夢遊病殺人とが似通ってしまっていたため、心理遺伝っぽく見えただけなのだ。


 もちろん、それぞれの犯行が似通ってしまったのには、一種の必然性がある。


 史乃の夢遊病殺人は、明らかに巳香月夫妻の犯行を模倣したのだ。それは、巳香月夫妻を自らの両親と同じ目に遭わせたいという寧々花の復讐願望ゆえである。


 それだけでなく、巳香月夫妻の犯行も、谷之岸沙弥の犯行を模倣したものなのだ。

 それは、乳児の死体の入れ替えのために住居放火という手段が便利だったから、というだけの理由に留まらないだろう。


 巳香月夫妻は、夫妻が信じていた谷之岸沙弥冤罪説を、世間に提起したかったのだ。


 そのために、谷之岸沙弥の死後に、わざわざ放火殺人を模倣し、谷之岸沙弥が起こしたとされる一連の犯罪が、谷之岸沙弥の犯行ではない可能性を世間に示したかったのだろう。


 実際には、巳香月夫妻の思惑どおりにはいかず、谷之岸沙弥冤罪説を人口に膾炙することはできなかった。


 とはいえ、少なくとも、史乃に対しては、自らが起こした犯行を根拠とし、谷之岸沙弥冤罪説を伝え、史乃を励ますことができたのである。



 いずれにせよ、史乃の夢遊病殺人は、心理遺伝の発作と結びつけることは断じてできないものであった。


 私の初原稿はお預けである。



「役に立たない取材に長い時間を費やしてしまいまして、すみませんでした」


「いやいや。問題ないよ。仮に今回の件がなくても、私は、いずれは福丸君に青浄玻璃精神病院を紹介したかったんだ」


 賀城のその思惑については、私は薄々勘づいていた。

 賀城が、私に青浄玻璃精神病院での取材を命じたのは、賀城なりの「新人教育」だったのだ。

 

 賀城と青浄玻璃精神病院とのつながり――それもまた、あの法律である。


 どこかの雑誌の記事で、賀城の名前を見つけた。その記事によると、賀城は、優生保護法の被害者支援の団体を立ち上げ、被害者の心のケアを主に行なっているのだという。


 心のケアの最たる方法として、賀城は、青浄玻璃精神病院と連携し、入院を斡旋しているのだろう。


 紙元は、賀城との関係を「院長案件」と言っていた。青浄玻璃精神病院の院長も、おそらく優生保護法の被害救済に強い関心があり、被害者を積極的に受け入れているのだ。


 そうだとすると、羽中が青浄玻璃精神病院に入院していたのも決して偶然ではない。

 また、史乃を例外的に病院が受け入れたのも、史乃と優生保護法との関係に気付いていたからなのかもしれない。


 もしかすると、賀城は、私に、心理遺伝についてではなく、優生保護法について学んで欲しかったのかもしれないな、と思う。


 紛れもなく存在している社会の闇、人間の闇を知らずして、オカルトの領域には立ち入れないのである。



「福丸君はこれからたくさんの記事を書くだろう。最初の取材が空振りでも気にしなくて大丈夫だ」


 「むしろ挫折を味わった方が、その後に良い記事を書けるものさ」と賀城は言う。



「編集長、ありがとうございます。これから精進します」


「君の活躍は、きっと海原君もどこかで見てくれていると思う」


 賀城のこの一言が、私にはサッパリ理解できなかった。



「ウナバラ……それは一体誰ですか?」


「え!? 福丸君、海原君のことを忘れてしまったのかい!?」


 忘れてしまった?

 賀城は一体何を言っているのだろうか?

 私は、ウナバラという名前のものはそもそも知らないのだ。会ったことも聞いたこともない――



「編集長……私、本当に分からないんですけど……」


「福丸君、しっかりしてくれよ! 探偵だよ! 探偵! 探偵の海原君だ!」


 探偵のウナバラ?

 仮にウナバラという人物が「探偵」を名乗る者なのだとすれば、私は、そのウナバラという人物を忘れることは絶対にないと思う。

 

 私の人生は、探偵などという胡散臭い職業の者とは一切縁がないのだ。

 仮に探偵と出会うことがあれば、他の記憶と紛れてしまうことなどないのである。



 私が頭を抱えていると、天井から奇妙な音が聞こえてきた。



…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンン……………………



 過去に一度も聞いたことのない音である。しかし、過去に聞いたことのある音のうち、最も奇妙な音である。


 頭を揺さぶるような、頭を締め付けるような、頭を抉るような、頭を溶かすような――とにかく頭をどうにかさせてしまうような、そんな音である。



「火災報知器の音だ!」


と、賀城は叫ぶ。


 私はそのことの意味を考えるより先に、本当に火災報知器というものはこんな奇妙な音を立てるのだっけかと考え込んでしまう。


 その間、賀城が立ち上がり、敦子も木乃葉も立ち上がる。




…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンン……………………



 奇妙な音が、また鳴った。



「福丸君、何をやってるんだ!? そこでボーッとしてないで早く逃げるんだ! ここにいたらマズい!」


 慌てふためく三人を見て、ようやく私は事態を把握する。



 火事だ――この建物が燃えているのである。


 株式会社不可知世界が入っている本間わだちビルは、老朽化著しいオンボロビルである。

 階段も廊下も狭く、消防法の心得など、どこにもない。


 つまり、絶体絶命の危機なのである。



 しかし――



 私は立ち上がることができなかった。


 先ほど二回も聞こえた奇妙な音のせいで、私の身体はオカシくなってしまったのだ。



 火元から上がってきた煙なのか、オフィスが白いモヤに覆われていく。



 そして、人がバタバタと倒れていく。


 まずは敦子が――


 次は木乃葉が――


 そして最後に賀城が――


 うつ伏せで床に倒れ込み、動かなくなってしまった。



 床に倒れている三人を見ながら、私は思う――この人たちは一体誰だろう、と。



 なぜ建物が燃えているのだろうか。



 誰かが火をつけたということだろうか。



 誰かが火をつけるとすると、その犯人は、やはり、あの、どこかの病院で出会った、あの、「アハハハハ」と笑う、あの……



……一体、誰だっただろうか。



 私は、何もかも思い出せなくなっていた。


 私の頭の中を支配していたのは、あの奇妙な音だ。



…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンン……………………



 次回、最終話です。

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