情念(5)
いよいよ推理も大詰めだ――
「話がだいぶ展開してしまいましたが、元々の話は夢の話でしたね。史乃さんが繰り返し見ていた夢の話です。それは実は『夢』ではなく、寧々花さんが見た『現実』なのだと、先ほど話しました」
ここから先の話は、寧々花自身の過去や現在と密接に関わる話である。
寧々花にとって、笑いながら聞けるような話では、きっとない。
「野茂戸一家の放火殺人事件が起きた際、寧々花さんは、まだ生後三ヶ月でした。物心がつく前です。目の前にある物事をちゃんと理解し、言語化することなどできない年齢です。とはいえ、認識力や記憶力が全くないかといえば、それは違います」
子どもによっては、母親の胎内にいた頃の記憶を持つ者もいると聞いたことがある。
その者によっては、もしくは、その出来事によっては、生後間もない者の脳裏に焼きつく景色はありえる。
これは、心理遺伝のような非科学的現象ではない。
「巳香月夫妻は、寧々花さんを連れ去って我が子として育てるつもりだったのですから、寧々花さんがショックを受けるであろうシーンは、なるべく寧々花さんに見せなかったはずです。野茂戸泰明さんと野茂戸雪音さんの殺害は、おそらく寧々花さんを別の部屋に連れて行った状態で行ったのでしょう。家に火をつける作業も然りです。もっとも、寧々花さんを抱えて家を出る際に、うっかり寧々花さんにある光景を見せてしまったのだと思います」
「それが史乃さんが夢で繰り返し見ていた光景です」と私は言う。
両親二人が血塗れで横たわっている姿。そして、その両親を燃え盛る火炎が包もうとする様子。
寧々花がそれを見たのは、せいぜい数秒程度だったのだろう。
それでも、そのあまりにも衝撃的な光景は、寧々花の脳裏に強く焼き付いたのだ。
「当時の寧々花さんの理解力だと、『両親』のイメージも、『血塗れ』のイメージも、『火炎』のイメージも、そこまでハッキリしたものではなく、漠然としたものだったのだと思います。もっとも、漠然としたものゆえに、それは強い恐怖となり、一生拭えないトラウマになりました」
恐怖心は対象が不明確であるほど強くなる、というのは、紙元が私に話してくれた話である。
「寧々花さんが成長するにつれ、自分のトラウマの中身について理解するようになったのでしょう。つまり、何度もフラッシュバックする光景は、自分の両親を、巳香月夫妻によって殺された時のものだと」
しかし、と私は声を落とす。
「寧々花さん、あなたは『巳香月史乃』として、巳香月夫妻の子どもとして生きなければならなかったのです」
「史乃」という名は、おそらく、野茂戸泰明によって強制堕胎させられた子に付けられる予定だった名前なのだろう。
巳香月夫妻は、偽造した――もしくは野茂戸泰明を殺害する直前に脅して書かせた――「巳香月史乃」の出生証明書を役所に提出し、本当は生まれることができなかった「巳香月史乃」を、生まれたことにしたのだ。
そして、寧々花を「史乃」と呼び、「我が子」として育て始めた。
この歪な「親子」関係が、寧々花の人格を歪なものにしたのだ。
彼女は、普段、巳香月史乃として生活している。
野茂戸寧々花の人格が現れるのは、基本的には、巳香月史乃の睡眠中――巳香月史乃の意識が消えたときだけだ。
もっとも、彼女は、元々は野茂戸寧々花なのである。
その意味では、巳香月史乃という基本人格が、野茂戸寧々花という別人格を作ったという説明は逆なのだ。
むしろ、野茂戸寧々花こそが基本人格で、巳香月史乃の方が別人格である。
野茂戸寧々花は、現実を生き抜くために、現実に合わせた別人格を作り上げた。
そして、自らの本来の人格の方を抑圧し、消してしまおうとしたのである。
なんて不憫な話だろうか――
彼女は、自分の両親を殺した者に従属することでしか、自分の両親を殺した者が与えたものにありつくことでしか、生きられなかった。
そんなのあまりに辛過ぎる。
耐えられるはずがない。
ゆえに、彼女は、自分自身を殺した。
――ちゃんと殺せるのであれば、まだ良かった。
「殺した」はずの自分は無意識の世界で、しぶとく生き続けた。
そして、「巳香月史乃」となった自分に、悪夢を見せ続けた。
それは、現実を直視してはいけない巳香月史乃に対する、野茂戸寧々花からの告発にほかならない。
お前の両親は人殺しだ、と。
そして、お前は「わたし」を殺した、と。
こんなに恐ろしい夢はない――
こんなに恐ろしい現実はない――
アハハハハ――
アハハハハ――
笑えるはずのない話なのに、寧々花は笑い続ける――
アハハハハ――
アハハハハ――
――この笑い声を聞き続けることは、私にはもう耐えられない。
もう、無理だ。
全てのことを――私がやるべき全てのことを、さっさと終わらせてしまおう。
早く――
一刻も早く――