人格(3)
「洞爺さんの真面目な性格が黒幕に利用された――分かった。そういうこともあるとする。でも、福丸さん、さすがに洞爺さんが、ロボットみたいに、命じられたことを何でもするわけじゃないでしょ? たとえば、洞爺さんに『人を殺せ』と命じても、言うとおりに人を殺しはしないでしょ?」
「私もそう思います」
「でも、ミナコは人形だから、話が違うってこと? 『ミナコを殺せ』という命令なら、洞爺さんは抵抗なく応じると」
私は大きく首を横に振る。
「基本的には、その命令には応じないと思います。羽中さんがミナコを我が子同様に可愛がっていたことは、洞爺さんもよく知っています。洞爺さんがミナコを『殺す』とすれば、やむを得ない事情がある場合に限られると思います」
「今回は命令に応じなきゃいけない特殊事情があったってこと?」
私は、再度、大きく首を横に振る。
「いいえ。史乃さん、そうではないんです。そもそも、黒幕は、洞爺さんに『ミナコを壊せ』とは命じていないんです」
史乃が唖然とするのも無理はないだろう。
私も、拘置所で羽中に会うまで、そのようなアイデアには至らなかった。
二重間接正犯説における最大のミスリードが、この点にある。
「こちらをご覧ください」と、私は、史乃に、先ほど洞爺に見せた紙の裏面と同じ情報が書かれた紙を見せる。
‥………
六月十九日 第八病棟 カードキー使用履歴
〇時〇二分 松田
〇時三十四分 松田
五時四十五分 飯倉
六時〇〇分 飯倉
八時二十一分 氷室
八時三十分 氷室
八時五十六分 久野
九時二十二分 飯倉
十一時〇六分 久野
十一時二十分 洞爺
十一時二十四分 洞爺
十二時十三分 飯倉
十二時三十七分 篠田
十二時四十一分 篠田
十四時四十二分 予備(羽中)
…………
「これは事件があった日の第八病棟のカードキー使用履歴です。この履歴自体は見たことはないかもしれませんが、きっと警察からはこの履歴に基づいた説明を受けていると思います。すなわち、羽中が病室ミナコと一緒に昼寝をしていた時刻――ミナコの『死亡推定時刻』には、病院職員は誰も羽中の病室のある第八病棟に立ち入っていないと」
「たしかにそのような説明を受けました」
「あっ」と史乃は短く声を上げる。
「なるほど。洞爺さんも病院職員ですから、ミナコを『殺す』ことはできないということですね」
「そういうことです」
このミナコに対する犯行機会という問題は、二重間接正犯で洞爺を道具に加えたところでクリアすることができないのである。
ゆえに、ここで大胆な発想の転換が必要なのである。
「黒幕は、洞爺さんに『ミナコを壊せ』とは命じておらず、実際、羽中さんが海原さんと私を襲った段階では、ミナコの首は取れていなかったんです」
羽中が私たちを襲った段階では、ミナコの首は取れていなかった――このように考えれば、犯行機会の問題は考えなくてよくなる。
そもそも、ここでいう「犯行」自体が存在しないということなのだから。
「……福丸さん、一体どういうこと? 福丸さんの言っていることは矛盾してると思うんだけど……」
「何とどう矛盾していますか?」
史乃は、至極真っ当な指摘をする。
「だって、警察から聞いた話によると、羽中さんは『お前らがミナコを殺した』と言いながら、福丸さんを刺したんでしょ? その時点でミナコが『生きていた』ならば、どうして羽中さんは『お前らがミナコを殺した』って言ってたの?」
この点が、この事件の最大の肝なのである。
この疑問を解消するためには、羽中の悲惨な過去について知る必要がある。
すなわち――
「羽中さんは、ミナコを『殺された』ことの復讐として、海原さんと私を襲いました。それは間違いありません。しかし、ここで言う『ミナコ』とは人形のミナコではありません。人間の『美奈子』なんです。優生保護法という稀代の悪法がなければ、この世に生を受けるはずだった、羽中さんの実子である美奈子です」