論理(4)
「だとすると、やっぱり黒幕はいないと考えざるを得ないですよね」
洞爺がホッとした顔をしたのは、これで青浄玻璃精神病院病院の平穏が保たれた、と考えたからに違いない。
「洞爺さんの言うとおりかもしれません。ただ、もう少し検証を進めさせてください」
「もう少し検証というと?」
「黒幕が何らかのトリックを使った可能性も否めません」
「トリック?」
洞爺の声に、緊張が込もる。
「福丸様、黒幕はどんなトリックを使ったのですか?」
「分かりません。ただ、何らかのトリックが使われた形跡がないか、一応検証したいのです。その形跡がなければ、間接正犯説は否定され、消去法により、完全なる妄想説が真実となるでしょう」
「なるほど……では、検証にご協力します」
「洞爺さん、お付き合いありがとうございます。時計を少し先に進めます。私たちが襲われたシーンまでいきましょう。十六時ちょうど頃です。この時、洞爺さんはどこにいましたか?」
「受付のある第一病棟にいました。そうしたら、内線が鳴りました。第三病棟で緊急事態が発生したとの連絡があったんです。病院の全職員に対して発せられた内線連絡でした」
緊急事態とは、言わずもがな、私たちが羽中に襲われたことだろう。
「それで私はすぐに第三病棟に駆けつけました。そうしたら、海原様と福丸様が血塗れで廊下に倒れていたんです」
その時のことは、完全に意識を失っていたので、私には分からない。
「羽中さんの状態は?」
「路下さんたち四人の男性職員に取り押さえられていました」
「何も言っていませんでしたか?」
「『あいつらがミナコを殺した……あいつらがミナコを殺した……』と繰り返し言っていました」
私は、否が応でも、襲われた際の光景を思い出してしまう。あの時は「あいつら」ではなく、「お前ら」だったが。
「衝撃的な光景でした。それで、女性看護師の久野さんが、警察に通報をしました」
「洞爺さんは?」
「私は救急車に対応するために、第一病棟の受付に戻りました」
「その後は?」
「その後?」
洞爺が首を傾げたまま硬直してしまったので、私は質問を変える。
「首が取れてしまっているミナコを最初に発見したのは誰ですか?」
「副院長です」
蔵沢刑事の話のとおりである。ミナコの「死体」の第一発見者は、事件後に羽中の病室を訪れた副院長・紙元なのである。
「副院長さんが、首が取れたミナコを発見したのは何時頃ですか?」
「……たしか十七時頃だったと思います」
これもそのとおりだ。紙元は、私たちが襲われた約一時間後に、羽中の病室の点検に訪れ、ベッドの上のミナコの「死体」を発見したのである。
「十六時から十七時までの間、洞爺さんは何をしていましたか?」
「つまり、事件現場を目撃した後ということですよね?」
「そうです」
洞爺は、少し間をおいてから、「先ほど言ったとおりです」と言った。
「私は、まっすぐ第一病棟へと戻り、救急車の到着を待ちました。ここは山奥なので、救急車の到着までは、通報後、三十分くらいかかりました」
「では、だいぶ長い時間、受付で救急車を待っていたんですね」
「そうですね。だいぶ待ちました」
「なるほど。分かりました」
私は、胸を撫で下ろす。
これにて、私が洞爺に話を聞いた目的は、無事に達成された。
「洞爺さん、ご協力ありがとうございました。どうやら何らかのトリックが使われた形跡もないようです。消去法により、私も、警察の結論に同意せざるを得ません。ミナコの首が取れたのは偶然で、羽中さんは、独りよがりな妄想に基づき、私たちを襲ったんです」
「……そうですね」
今度こそ、洞爺は安心し切った表情を見せる。口元が緩んだようにも見えた。これが洞爺でなく、別の病院職員でも同じ表情を見せたことだろう、と私は想像する。
今、青浄玻璃精神病院は、事件を羽中の精神狂いのせいにすることで、事件前の平和な環境を取り戻しているのである。
「ちなみに」と洞爺が切り出す。
「警察のストーリーの中の、『予備カードキーを落としてしまった病院職員』は私なんです」
「え?」
それは初耳だった。
「実は、事件の八日前に、私は第一病棟で保管されている予備カードキーを持ち出したんです。ある患者さんに自分のカードキーを貸してしまっていて、なかなか返って来なかったので」
「事件が発生する前の一ヶ月間、病院内で予備カードキーの使用履歴はなかったはずですが……」
私は、蔵沢刑事からそのように聞いている。その蔵沢刑事の話と、事件の八日前に予備カードキーを使ったという洞爺の話は矛盾しないだろうか――
「結果として、持ち出しただけで、予備カードキーは使わなかったんです。敷地の森の中で、カードキーを貸していた患者さんに偶然会いまして、カードキーを返してもらえたんです。自分のカードキーが返ってきたことで、うっかり、予備カードキーを持ち出していることを忘れてしまいまして……」
「それで、予備カードキーを持ち出したままになっていて、しかも、その予備カードキーを落としてしまったということですか?」
「そうかもしれません。だいぶおっちょこちょいなのですが。うふふ」
洞爺が口を押さえて笑うのを久々に見た気がする。
たしかにかなりおっちょこちょいである。
とはいえ、決してあり得ない話ではないだろう。
「洞爺さん、その話は警察にはしたんですか?」
「はい。警察官の方からいただいた名刺に書かれていた番号に電話をして、話しました。思い出したのがついこの間でしたので、比較的最近ですが」
この洞爺の話を聞いて、私は、私の推理が正しいことをより確信した。
私の推理――それは、完全なる妄想説でも間接正犯説でもない、「第三の説」である。
これでようやく、私は、真犯人に迫ることができる。
真犯人――羽中の事件の黒幕、かつ、史乃の夢遊病殺人事件の黒幕に。