論理(3)
「ミナコの首が取れた時間に、この病院の職員が第八病棟にいないことは私にも分かりました。ただ、福丸様、それがどういう意味を持つのですか? まさか福丸様は、黒幕がいるとすれば職員に違いないと考えていらっしゃるのですか?」
「そうではありません。もちろん、病院職員が黒幕である可能性も考えましたが、たとえば、病院に侵入した部外者である可能性もあると考えています。ただ、カードキーの使用履歴から、部外者が黒幕であるという考えも否定されるんです」
「なぜですか?」
「ミナコの首がもげた時刻に、部外者が第八病棟内にいる可能性がないからです。部外者が第八病棟内に侵入する方法は、二つ考えられます。一つ目は、職員からカードキーを盗む方法。二つ目は、職員が入館するのに乗じて入館する方法。三つ目は、職員と共謀して入館する方法」
ちなみに、これは大前提だが、二重扉以外には、第八病棟の出入口は存在せず、また、全ての病棟の窓は嵌め殺しか、もしくは、数センチしか開かない仕様になっているため、二重扉以外から人間が出入りすることはできない。
なお、これは細かい話だが、羽中の病室に付いている窓は嵌め殺しであり、たとえば病院の庭から糸を使う等何らかの方法でミナコに物理力を行使したということも考えられない。
「まず一つ目です」と言って、私は人差し指を立てる。
「職員からカードキーを盗む方法は、ミナコの首がもげた時刻に、職員が第八病棟内にいないのと同じロジックによって否定されます。分かりますよね? たとえば、黒幕が篠田さんのカードを盗んだ場合を考えましょう。先ほど見たとおり、篠田さんのカードには入館履歴も退館履歴もあります。ゆえに、黒幕も、ミナコの首をもぐ以前に退館しているということになります」
「たしかにそうですね。福丸様の言うとおり、職員にも無理ならば、職員からカードキーを盗んだ黒幕にも無理ですね」
なお、そもそも職員からバレずにカードキーを盗めるのかということと、盗めたとしてもバレずにその職員にカードキーを返せるのかという問題もある。
今度は、私は人差し指と中指を立てる。
「二つ目の、職員が入館するのに乗じて入館する方法ですが、これも否定されます。洞爺さん、なぜだか分かりますか?」
「……そもそも、無理なんじゃないですか? ここの病院の構造上」
「そのとおりです。この病院の建物の扉は、カードキーを用いていることに加えて、二重扉になっているんです。二重扉ゆえに、職員の背後にピッタリと尾いて、職員と一緒に入館するということは困難なんです。まさに、そのための二重扉ですよね」
仮に一つ目の扉で紛れ込めたとしても、一つ目の扉と二つ目の扉との間の短い廊下で職員と二人きりになってしまう。ここで必ず職員に見つかるはずだ。
「最後に」と言って、私は薬指も突き立てる。
「三つ目の病院職員と共謀する方法です。これは、まず、動機の点で難点があります。どういう経緯で病院職員は黒幕に協力したのでしょうか。その動機が一切分かりません」
「私もそう思います」
「それだけでなく、第八病棟は、迷路のような第三病棟とは違い、複雑な構造にはなっておらず、入ると、必ずレクリエーション室を横切ることになります。レクリエーション室は、ガラス張りになっており、そこを横切る際には、レクリエーション室の内部の者から見られることになります。病院の部外者が、レクリエーション室内部の者に見つからずに第八病棟に侵入するということは不可能です」
なお、事件のあった日の午前九時頃から午後十三時頃までの時間、レクリエーション室には、常に誰か一人以上の者がいたことは確認されている。
「この点、仮に黒幕がこの病院の患者であれば、レクリエーション室内部の者に見られたとしても怪しまれないでしょう。しかし、黒幕を病院の患者と仮定すると、別の不都合が生じます」
これまでの論証で明らかになったことは、第八病棟のカードキーの使用履歴から、ミナコの首をもいだ黒幕がいるとすると、それは病院職員でもなく、また、病院の部外者でもないということだ。
つまり、黒幕がいるとすれば、犯行機会の観点から、それはこの病院に入院している患者に限られるのである。
――しかし、間接正犯説で、黒幕を患者と考えるわけにはいかないのである。
「黒幕の標的は、明らかに海原さんと私です。これは間接正犯説の当然の前提です。しかし、犯行機会のある患者さんのうち、そもそも、海原さんと私を知っている人がいないんです」
私は、私のことを知っている患者の名前を四人挙げる。
「柚之原さん、真木島さん、羽中さん、巳香月さん」
私のことは知らないが、海原のことを知っている患者が他にいる可能性は……ないだろう。海原は、重度のコミュ障である。患者とは、一言もコミュニケーションはとっていないはずである。
「羽中さんは、もちろん黒幕候補にはなりません。そして、柚之原さん、真木島さん、巳香月さんですが、それぞれ、十三時から十四時過ぎまでの間に、第八病棟以外の病棟で、複数人から目撃されているんです」
私が、蔵沢刑事から聞いた話によれば、柚之原と真木島は、第二病棟にある食堂で、ともに十三時過ぎに食事をしていたとのことである。史乃は、第三病棟にある談話室で、別の女性患者三名と十三時半頃から三十分程度談笑していたとのことである。
カードキーの使用履歴から、ミナコの死亡推定時刻の間、第八病棟に出入りした者は一人もいないことは明らかなのだから、この間に、一度でも別の病棟で目撃されていることは、確固たるアリバイとなる。
これが間接正犯説をとった場合の最大のハードルなのだ。
犯行機会があり、かつ、私と海原を殺害する動機を持った人間が一人もいないのである。