喪心(1)
拘置所での面会可能時間は、三十分だという。
それが短い、とは私は感じなかった。
事前に警察官からは、会っても五分も話すことはないだろう、と言われていた。それどころか、会う意味もないだろう、と言われていたのだ。なぜなら、会って話したところで一切会話にならないから。
会話にならなくても良い。私が確認したいことは、たった一つだけなのである。それさえ確認できれば、私はすぐに帰って構わない。
果たして、彼女は反応してくれるだろうか――
――反応してくれるはずだ、と私は確信する。それは彼女の魂に深く関わることなのだから。
アクリル板の向こうの鉄扉。そのさらに向こう側から、荒々しい男の声が聞こえる。
「おい! しっかり歩け!」と。
刑務官の声である。
もうそろそろ彼女が私の目の前にやってくる。
――海原を殺し、私を半殺しにした「悪魔」が。
羽中葦蘆――これが警察から聞いた羽中のフルネームである。
入院中の私に会うために、病院に警察が四度来た。これは被害者の事情聴取としては多い方らしい。羽中の事件を担当している蔵沢という名の中年の刑事は、私の供述を何度も求めた理由を、「被疑者から話を聞ける状態じゃなくてね」と苦笑しながら説明した。
あの事件の後――いや、あの事件の最中から、羽中は壊れてしまっていた。
「お前らがミナコを殺した」
これは、私が失血によって意識を失う直前に羽中の口から聞いた言葉である。
一度ではない。
何度も何度もだ。
「お前らがミナコを殺した……お前らがミナコを殺した……お前らがミナコを殺した……」
そう繰り返しながら、羽中は、私のことを、何度も、何度も、繰り返し刺したのである。
――羽中は、完全に壊れていた。あの時の羽中は、人間ではなかった。悪意か、憎しみか、怨みか、そういった何かの塊だった。
蔵沢刑事は「おそらく羽中に刑事責任は問えないだろう」と言っていたが、私も、当然にそうだろうと思う。
羽中は、犯行中、刑法三十九条の「心神喪失」状態であったことは明らかである。刑事責任を問えるはずなどない。
事件後の羽中は、破裂して萎んだ風船のように大人しくなったとのことである。
――ただし、決して元の状態に戻ったわけではない。
留置施設では、常に、両膝を折り曲げ、足とお尻を床にべったりつくようにして座っている。焦点の定まらない目で、じっと壁を見つめているのだという。
誰が話しかけても一切反応しない。
まるで人形になってしまったようだった。
羽中は、文字どおり、心を喪ってしまったのである。
羽中の精神鑑定は、まだ行われていないのだという。とはいえ、結果はやらずとも分かっている。
羽中は、刑法三十九条によって責任能力を否定されて無罪となる。
その代わり、短い余生を精神病院に閉じ込められて過ごすことになる――もしその病院が青浄玻璃精神病院だったならば、これまでと状況は変わらないのだが。
その意味で、羽中を処罰するための捜査は、刑事からすれば、シジフォスの労働のようなものである。張り切って捜査しようがしまいが、羽中を刑法で裁くことはできない。
それでも、蔵沢刑事が熱心に、四度も私の元に通ったのは、羽中を処罰する以外の別の思惑があった。
真犯人――黒幕の処罰である。
この事件には黒幕がいる可能性がある――羽中を利用し、私と海原を殺そうとした者がいる可能性があるのだ。
法律的には、「間接正犯」というらしい。
規範意識のない者を、まるで道具のように利用することで実現する犯罪。たとえば、親が、日頃虐待によって支配している幼い子どもに命じて万引きをさせる場合などが、間接正犯の典型例である。
今回の事件では、羽中の精神が薄弱なことに目をつけ、羽中をコントロールすることで、殺人の道具とした真犯人がいるかもしれないのだ。
仮に黒幕がいるのだとすると、犯行方法は明らかだろう。
手掛かりは、私を刺しながら羽中が繰り返し言っていた「お前らがミナコを殺した」という台詞である。
黒幕は、まず、ミナコを「殺した」。
その上で、その犯人が私と海原である、と羽中に吹き込んだのである。
実際に、警察の捜索によって、羽中が普段寝起きしている病室で、ミナコの「死体」が発見された。
幼児人形であるミナコは、ポロリと首が取れた状態で、羽中のベッドの上で発見されたのである。
羽中は、我が子同然に可愛がっていたミナコの無惨な姿を見て、ショックを受け、我を失った。
黒幕は、その状態の羽中に接近して、「ミナコを殺した犯人は、最近ここに頻繁に出入りしている記者と探偵だ」と虚偽の事実を告げた。
その誣告に騙された羽中は、黒幕の道具となり、レクリエーション室から彫刻用の小刀を持ち出し、第三病棟の廊下で私と海原を待ち伏せし、襲いかかったのだ。
蔵沢刑事に会う前から、私も、この間接正犯説を疑っていた。何らかの事情で、私と海原をこの世から葬りたがっている黒幕がいて、羽中は黒幕に利用されただけなのだと考えていた。
もっとも、蔵沢刑事をはじめとする捜査機関の人間は、現在となっては間接正犯説の線を諦めたらしい。
主に、犯行機会の観点からである。
私も持っている「ある証拠」から、犯行機会があるのは、羽中の病室がある第八病棟にいた患者に限られるのだ。
そして、当時、第八病棟内にいた患者の中には、羽中を除いては、そもそも私や海原のことを知っている者すらいなかったのである。
つまり、犯行機会と動機を兼ね揃えた黒幕が、誰もいないのである。
ゆえに、捜査機関は、この事件は、羽中の「完全なる被害妄想」によるものだと結論づけた。
すなわち、こういうことだ。
ミナコの首は誰かが取ったのではなく、偶然取れてしまった。
それを「誰かの仕業」と解釈した羽中は、最近レクリエーション室で会話をした「部外者」である私が「犯人」である、と一方的に妄想した。
そして、あまりにも酔狂で独りよがりな凶行に至ったというのである。
私としては、この完全なる被害妄想説には一定の説得力があると思っている。
とはいえ、間接正犯説も捨て切ったわけではない。
もっといえば、間接正犯説こそが正しいと思っている。
なぜなら、私は、黒幕の正体に心当たりがあるからである。
最大のハードルは、犯行機会だ。このハードルを乗り越えない限り、黒幕を追い詰めることはできない。
とはいえ――
――それは一旦措くとしよう。
これから私は、羽中との面会に臨む。
羽中の口から、黒幕の犯行手口が明かされることは、ないだろう。
羽中がそれを話せるのであれば、連日の警察の取り調べの最中に、とっくに吐いているはずなのである。
私が羽中から引き出したいのは、そういうことではない。
私が羽中から引き出したいのは――