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直感

「しばらくまっすぐ。それで次の角を……たしか右」


 独特の体言止めも、道案内の場面ではそれほど不自然ではないということが面白いなと思いつつ、私は、先輩である敦子の背中を追う。


 私が入院している間に梅雨が明け、外の気温はだいぶ上がった。近年の急激な地球温暖化のせいで、プールでも入るか、さもなくば外出などせずに家のエアコンで涼むかをしなければ耐えられないような温度である。


 そんな環境の中、見る限り、敦子は一滴も汗をかいていない。アフリカの民族衣装のようなダボダボな布を、頭の先から腕の先まですっぽり被っているにもかかわらず、である。

 やはり敦子は、色々と超越しているな、と私は感心する。



 史乃の事件、それから羽中の事件は、私と海原の事件である。

 ゆえに、これらの事件は私「ひとり」の手で処理すべきであり、同僚のお世話にはならない予定だった。


 しかし、それでは乗り越えられない関所が一箇所あった――海原の家探しである。

 株式会社不可知世界では、海原から履歴書や身分に関する書類を取り付けていなかった。さらに、賀城曰く、「海原君は秘密主義者だったから、住所を聞いても、本当の住所は教えてくれなかっただろう」とのことである。仮に身分証の提出を求めたところで、偽造された身分証が出てくるに違いないとのことだった。


 なお、今回葬儀をするにあたり、賀城が色々と公的な書類を取り寄せたところ、海原は、住民票上は、なぜかイタリアに居住していることになっているらしい。


 それではもう八方塞がりではないか……と思いきや、一筋の光明があった。


 敦子が、昨年一度だけ、海原の家を訪れているというのである。

 その際、部屋の中までは入っていないが、玄関ドアの前にまでは行ったとのことである。


 それは一体どういう経緯によるものなのかというと、去年の我が社の忘年会で、頑なにお酒を飲みたがらない海原の烏龍茶のグラスに、敦子が「つい出来心」で、ウォッカを数滴混ぜてみたらしい。


 すると、海原はひどく酔っ払って、普段の十倍くらいに――つまり常人程度に――口数が多くなり、その三十分後には、口をぱくぱくさせるだけで、自力では歩けないような状態になってしまったらしい。


 そこで、敦子は、自らの出来心の責任を取って、タクシーで海原を自宅まで送ったのだという。


 このエピソードの何よりの教訓は、海原から肝臓を譲り受けた私は、確実に以前より酒が弱くなっているだろうから、なるべくお酒を飲まないようにした方が良いだろう、ということだ。



 それはさておき、敦子は、酔っ払った海原を送るために、海原の自宅に行ったことがあるのである。

 ゆえに、私は、敦子に案内を頼んだのだ。


 しかし――



「次の角も……多分右」


「……敦子先輩、その道、さっきも通ったと思います」


「それじゃあ左」


「本当にそれで合ってますか?」


 私と敦子は、猛暑の中、志茂の住宅街を彷徨い続けているのである。

 要するに、敦子が海原を送った際には、敦子も酔っ払っていて、記憶がハッキリしないのだ。



「叉雨、ここで最終兵器」


 そう言って敦子がカバンから取り出したのは、くの字に曲がった二本の鉄の棒――ダウジングキットだった。



「海原さんの家って地中に埋まってるんですか?」


「地底王国アルカダ。首都は理想郷シャンバラ。地底人は賢く、我々人類よりも長寿。入口はチベット自治区の区都ラサのポタラ宮殿」


……しまった。変なスイッチを入れてしまった。ここから先は敦子には頼るべきではないだろう。


 私は、目を瞑り、お腹に息を溜め込むように大きく深呼吸をする。


 そして、目を開ける。


 

「敦子さん、こっちです」


 私が指差したのは、焼却炉の白い煙突である。おそらくあのあたりに海原の家はある。



 私の道案内など、科学的見地から言えば、ほとんどダウジングのようなものである。私が海原から受け継いだのは、脳ではなく、臓器なのだ。科学的にいえば、記憶は脳に蓄えられるのである。唯物科学的にいえば、だ。


 ただ、私は、そんな「退屈」な考えに縛られるつもりはなかった。敦子だってそうだ。私に黙ってついて来てくれている。



 私たちが求めているのは、再現可能性のある出来事などではない。

 科学的に説明される出来事などではない。


 オカルトだと笑われても良い。結果が出なくたって良い。


 私たちは誰よりも自由に、大胆に、人間の可能性を、世界の可能性を信じ、探究しているのである。



 最初はちっぽけだった白い煙突が、先端を見上げ切れないくらいに近付いて来た時に、敦子が「あっ」と短く声を上げた。


 そして、人差し指で指し示す。



「叉雨、あのアパート。あそこが海原遷斗の自宅」


 敦子の指の先にあったのは、廃墟のようなボロアパートだった。コウモリマントを羽織った探偵の根城に相応しいな、と私は心の中で笑う。



 アパートは四階建てだった。

 使い古した家電やら布団やらのゴミが散乱する、やはり廃墟のような敷地に立ち入った私は、念のため、敦子に尋ねてみる。



「敦子先輩、海原さんの部屋番号って覚えてます?」


「三桁の奇数」


「半分くらいに候補を絞ってくださりありがとうございます」


 私は、一階に設置されていた集合ポストを確認する。

 「海原」と名前が示されているポストは存在しない。秘密主義者なのだから当然だ。


 ただ、「臓器の記憶」に頼らずとも、海原のものらしきポストがどれなのかはすぐに分かった――「四〇一」だ。このポストだけ、ガムテープによって投函口が念入りに塞がれているのである。



「敦子先輩、ありがとうございます。やっぱり奇数でした。四〇一号室です」


 敦子は、私がなぜ海原の部屋を特定できたのかという野暮なことは訊かず、代わりに「あそこが階段」と指し示した。



 株式会社不可知世界のオフィスが入っている「本間わだちビル」の階段同様――いやそれ以上に崩落寸前に感じられる階段を、ミシミシと音を立てながらも最上階まで昇り切る。


 四〇一号室の玄関ドアは、階段のすぐそばにあった。そこにも「海原」の表札は掲げてなかったが、ドアポストにまでもガムテープで厳重に塞がれていることからしても、ここが海原の部屋で間違いないだろう。


 案の定、私がポケットから取り出したシリンダー錠は、鍵穴にスムーズに入った。


 鍵を捻り終えた後、私は敦子に声を掛ける。



「敦子先輩、道案内ありがとうございました。私は、海原さんの部屋で、海原さんが私に託してくれた資料を探すんですが、敦子先輩はどうしますか?」


 近くの喫茶店で待つのであれば奢りますよ、という趣旨での声掛けだったのだが――



「海原遷斗の残した秘宝の捜索」


「……分かりました。それぞれの目的のために頑張りましょう」

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