日常(1)
「……え? 海原さん、今、『全部分かった』って言いました?」
「…………ああ」
史乃との面談を終えた帰り道。第三病棟の薄暗い廊下を歩きながら、探偵は、今日の第一声として、驚くべき発言をしたのである。
その重大発言を受け、私は立ち止まったものの、海原は立ち止まってくれなかった。一定のペースを保ちつつ、ひらひらとマントを靡かせながら、下り階段の方向へと闊歩していく。
色々な意味で唖然とした私は、しばらく間をおいてから、小走りで海原の背中を追う。
ちょうど下り階段に差し掛かったところで、私は、海原の隣のポジションを再確保した。
「海原さん、今、『全部分かった』って言いましたよね?」
「…………なぜ同じことを二回訊く?」
「その『全部分かった』というのは、史乃さんの事件の真相についてですか?」
「…………それ以外に何がある?」
せっかく女の子が目を輝かせて訊いているというのに、あまりにもつれない態度である。
「私に教えてください! 海原さんが見つけた事件の真相を!」
「…………」
え? そこは無視するところではないだろ。どう考えても。
「海原さん、さっき、『全部分かった』って言いましたよね?」
「…………三回目だ。何回同じことを訊く?」
まるでパパラッチのぶら下がり取材にはウンザリ、といった態度である。「協力者」とはなんぞや……?
「『分かった』って高らかに宣言したんだから、ちゃんと私に説明してくださいよ」
「…………その義務はない」
「じゃあ、いつどの場で説明するんですか? 事件関係者を集めて、『さて……』とかやり出すんですか?」
推理小説に出てくる探偵は、大体そういうシチュエーションで自らの推理を披露しているイメージがある。
「…………そんな義務もない」
「じゃあ、真実を墓場まで持って行くんですか?」
「…………ちゃんと依頼主には報告するよ」
「依頼主?」
「…………賀城編集長」
海原は、賀城にだけ報告すれば足りる、と言いたいのだろう。ただ、本当にそうだろうか――
「海原さんって、編集長個人に雇われてるんですか? 法人である株式会社不可知世界ではなく?」
「…………法人の代表は賀城編集長なんだから、いずれにせよ報告の相手は賀城編集長だ」
海原は、契約が法人名義であることを暗に認めた。
「私も株式会社不可知世界の構成員です。私にも説明を受ける権利があります」
「…………僕が賀城編集長に報告した後、賀城編集長から聞けば良いじゃないか」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。海原さん、私たちってタッグなんですよね? 役割分担をしながら、協力して、史乃さんの事件の真相を明らかにしたんですよね?」
「…………」
海原は黙った――いや、私が黙らせたのである。タッグだとか、役割分担だとかを私に熱弁していたのは海原の方なのだ。もう言い逃れはできまい。
海原と私は、階段を全て降りきり、一階へと到達した。出口の二重扉はまだ見えない。ここから五十メートルほど廊下を直進し、突き当たりを左折し、さらに十メートルほど廊下を進んだところを右折したところが、出口へと繋がる通路である。
「海原さん、観念してください。海原さんは、私に説明をする義務があります」
「…………」
「もしかして、本当は事件の真相なんて分かってないんじゃないですか?」
探偵を挑発したいという気持ちはあったが、私の中で、探偵が単なるハッタリを言ったのではないかと疑う気持ちがあったことも確かである。
海原は、本当に事件の真相を突き止めたのだろうか――
「真相」というからには、まさか、裁判所の認定したとおり、史乃が夢遊病状態で両親を殺した、というオチではないだろう。
昨日と今日の史乃の話の中に、事件の真相に繋がるヒントなどあっただろうか――
「海原さん、実は何も分かってないんじゃないですか?」
「…………いいや、分かってる」
「本当はカッコつけてるだけじゃないんですか?」
「…………そんなわけないだろ。僕に喧嘩売ってるのか?」
「じゃあ、賀城編集長に報告する前に、私に話してください。別に減るもんじゃないですよね?」
あと十メートルほどで廊下の突き当たりに着く。ここを曲がり、もう一回曲がれば、第三病棟の出口である。
面会室から出る時に、ナースコールで路下を呼び付けている。すでに路下が出口に着いているどうかは分からないが、もしも路下が待っていれば、海原への追及はそこで打ち切りだ。コミュ障探偵は、情けないことに、私と二人きりでないと口がきけないのである。
「ねえ、海原さん、お願いしますよ。どうして、私に説明できないんですか?」
「…………だって、恥ずかしいじゃないか」
「え?」
恥ずかしい? 推理を披露するのが恥ずかしい? 探偵なのに?
私は、心の中で爆笑する。
事件の真相についての説明はなかったものの、それはそれで海原から面白い発言が引き出せた。
仕方ない。探偵の言うとおり、事件の真相は、追って賀城から聞くことにしよう。
その代わり、この場では、「恥ずかしくて女の子の前で推理を披露できない探偵」という滑稽極まりない生き物を存分にイジリ倒そうではないか――
廊下の突き当たりに到達した時、私は、そんなふざけたことを考えていたのである。
それは、私が、日常というものに関して、慢心をし、大きな勘違いをしていたからにほかならない。
日常の先にはさらに日常が切れ間なく続いており、非日常というものは、日常とは接点を持たない、いわばパラレルな世界なのだと、私は思い込んでいた。
しかし、実際には、廊下の突き当たりが、日常と非日常の交点であった――
――つまり、そこには「悪魔」が潜んでいたのである。




