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科学(3)

 今度こそ、本当の本当に本丸である。ついについに、賀城が、「心理遺伝」とは何か、そして、史乃の夢遊病殺人と「心理遺伝」との関係を説明してくれるのである――



「福丸君、『遺伝』という言葉から、何を連想するかい?」


「……はい?」


 私は肩を落とす。またしても、外堀に関する質問なのだ。

――とはいえ、本丸は近いはずだ。私は、必死で喰らいつく。



「遺伝というと、父や母から特徴を引き継ぐことですよね? たとえば、私で言うと、比較的背が高いのは父からの遺伝で、二重瞼は母からの遺伝です」


 他方、父からも母からも知能を遺伝することはできなかった。それが私である。



「それは『形質』の遺伝だね。メンデルの遺伝の法則でいうところの遺伝はそういうものだし、ダーウィンの進化論もそういう遺伝が下敷きになっている。ただ、『ドグラ・マグラ』で夢野久作が披露した遺伝観は、もっとスケールの大きいものなんだ」


「どういうものなんですか?」


「『ドグラ・マグラ』には、いくつもの作中作が組み込まれてるんだが、その中に正木教授の九州大学の卒業論文の『胎児の夢』というものがある。その論文においては、人間の胎児は、母親の胎内で、単細胞生物、魚類、両生類、類人猿……といった人間に至るまでの進化の過程を再現する。そして、胎児は、そうして姿を変えながら、『先祖』の記憶を夢として見る、とされているんだ」


 似たような話をたしか紙元から聞いた気がする。たしか、人間も他の生き物も大差はない、他の生き物の延長線上に人間はある、という文脈だった。



「つまり、『ドグラ・マグラ』における遺伝観というのは、父親や母親といった直接の血縁にとどまらない、それどころか人間以前の生命体にまで遡る『先祖』からの遺伝であり、かつ、遺伝の対象も形質にとどまらず、記憶という精神的なものまで含んでいるんだ」


 たしかにそれは壮大な話である。

 しかし、恐竜の時代や、さらにそれよりもはるか昔の、何十億年も前の時代から何かを引き継いでいる、という感覚は、私の中には存在しない。



「……それは本当なんですか? 少なくとも、私には、大昔の先祖様の記憶どころか、父や母の代の記憶もないんですが?」


「私は、こう言ったはずだ。胎児は、『先祖』の記憶を夢として見る、と。夢というのは、無意識の世界の表出だ。つまり、福丸君の中に先祖の記憶があったとしても、それは無意識の世界の中にあって、福丸君自身が自覚できるものではないんだ」


 自覚することができない無意識の世界たるものが存在し、しかもそれが私自身の中にあるというのは、私にはイマイチ理解し難いことではあった。

 とはいえ、それはそういうものだと考えないと、この先の賀城の説明についていくことはできないのだろう。

 私は「夢=無意識の世界の表出」とメモを取る。



「さて、ここでようやく『心理遺伝』とは何かということが説明できるね。心理遺伝とは、端的に言うと、先祖の記憶が遺伝することだ」


「……編集長がさっき話していたことですよね?」


「そうだね。ただ、ここで気を付けなければいけないのは、これもさっき話したとおりなんだが、先祖の記憶というのは無意識の世界にあって、通常は外には出てこないものなんだ。ゆえに、心理遺伝の存在を証明するためには、何らかの方法で、無意識の世界にアクセスする必要がある」


 無意識の世界にアクセスする――そんなことは可能なのでだろうか。



「……どうやってアクセスするんですか?」


「暗示だよ。先祖の記憶を持った人に、たとえば、その記憶と強く関連している『ある物』を見せる。それによって、心理遺伝の『発作』を起こさせるんだ」


「『ある物』? たとえばそれはどういう物なんですか?」


「そうだね……たとえば、先祖が農家の人だとする。他方、現代のその人自身は、タクシー運転手でもなんでも良いんだけど、とにかく農業と関わりがない人だとする。その人に先祖が使用していたくわを見せる。暗示が成功し、心理遺伝の発作が出た場合には、その人は、まさに先祖がそうしていたように、その鍬を使って、夢中でコンクリートを耕し始めるんだ」


――なんだそれは。

 とても馬鹿げている――



「そんなことあり得ないと思います」


「もちろん、正木教授も、誰しもが心理遺伝の発作を起こすものとは考えていないと思う。ただ、精神病者のうちの一部に心理遺伝の発作と思われる行動をとる者がいて、そうした者たちを研究対象にすることで、心理遺伝の存在を証明しようとしたんだ」


「そんなの……単なるオカルトです」


「まさか福丸君、自分の立場を忘れたのかい? まさに心理遺伝がオカルト現象だからこそ、オカルト雑誌の記者である君が正木教授に代わり、心理遺伝の存在を突き止めようとしているんじゃないか」


 もちろん自分自身の立場は自覚しているつもりだ。とはいえ、こんな明らかに実在しない「エセ科学」を扱っているという自覚は今日までなかった。

 私は、史乃の夢遊病殺人という、たしかに奇怪ではあるが、現実に起きた、現実の事件を取材しているのである。



「まさか、編集長は、巳香月史乃の事件と、その心理遺伝とやらが関係していると言いたいんですか?」


「最初からそう伝えていたつもりなんだが」


 そうかもしれないが、その頃には、私は何も分かっていなかったのである。



「まさか、巳香月史乃は、何らかの暗示によって、心理遺伝の発作が生じ、先祖の記憶に沿って、両親を殺してしまったとか、そんなとんでもない話ではないですよね?」


「さすが福丸君、よく分かってるじゃないか。まさにそういう話なんだよ」


 そんな破茶滅茶な話、取材するまでもないではないか。UFOや宇宙人同様、単なるホラ。以上……である。



「今まで大事な話を伝え損ねていたが、巳香月史乃の祖母はシリアルキラーなんだ」


「……シリアルキラー?」


「そうだ。民家に侵入し、そこにいた人間を殺害した上、家に火をつけるという犯罪を何度も繰り返していたんだよ。大した動機もなくね。殺害した人数は、延焼に巻き込まれた者を含めると、二十五人」


「……冗談ですよね?」


「事実だよ。当時の新聞でも報道されている。後でスクラップした記事を渡すよ」


 なんてことだ――私は、知らぬ間にそんな凶悪事件に関わる取材をさせられていたのである。取材対象である巳香月史乃は、大量殺人犯の孫だったのである――



「そして、特筆すべきことは、巳香月史乃の祖母――谷之岸やのぎし沙弥しゃみが起こした一連の事件の中には、自らの両親を被害者とするものも含まれていたということなんだ。つまり、谷之岸沙弥は、自らの両親を刺殺した上で、実家に火をつけているんだよ」


 それはまさに――



「巳香月史乃が起こした事件じゃないですか……」


「そうだ。ゆえに、巳香月史乃の夢遊病殺人は、心理遺伝の発作であることが疑われるんだ。巳香月史乃は、無意識のうちに、自らの祖母と同じ犯罪を起こしているんだからね」


 私は、唖然とし、項垂れる。

 その時、先ほど私がメモ帳に書いた「とある書き込み」が目に入った。

 私は、それを平坦な声で読み上げる。



「『夢=無意識の世界の表出』……」


 私の気持ちとは裏腹に、賀城が嬉々として声を上げる。



「そうだ! 福丸君、まさしくそうなんだよ! 巳香月史乃は、幼少期の頃から、祖母の犯行の場面を、夢で何度も見ているんだ! これこそまさに心理遺伝の証左じゃないか! 巳香月史乃の無意識下には、ちゃんと先祖の記憶が遺伝されているんだ!」

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