科学(2)
私は、対面のソファに脚を組んで座った賀城に、単刀直入にお願いをした。
「編集長、心理遺伝について、そろそろ教えてください」
私のお願いに対して、賀城は、うーんと一度唸り、脚を組み替えた。
「……福丸君、『ドグラ・マグラ』は読んでみたかい?」
「いいえ。まだ読めていません」
正直に言うと、金輪際読む気はない。
昨日、紙元が、その「絶対に病む小説」の一節を私に吟じてくれたが、やはり生理的に無理だなと感じたのである。
「青浄玻璃精神病院に出入りするんだったら、ぜひとも福丸君に読んで欲しいんだが……まあ、福丸君が忙しいのは私も知っているから無理強いはしないがね」
残念そうに声を落とす賀城を見て、気の毒だなと思わなくもなかったが、私の精神の健康を保つことが第一である。
紙元は、「精神病は病気じゃない」などと言っていて、説明を聞いている間は、私もなるほどと思った。「精神病者」に対する見方も、だいぶ変わったように思う。
とはいえ、自分自身は決して「精神病者」にはなりたくない。この点は揺るがなかった。
「福丸君の『時短』のために、『ドグラ・マグラ』で描かれている『心理遺伝』というものを簡単に説明してあげよう。メモの準備は良いかい?」
「……あ、はい!」
私は、慌ててスーツのポケットからメモ帳とボールペンを取り出す。史乃の事件の背景にあるとされる「心理遺伝」。オカルト雑誌の記者である私は、この「心理遺伝」について取材するために、青浄玻璃精神病院に出入りしているのである。
本丸に辿り着くまで、なかなかに長い道のりだった――
「『心理遺伝』とは、読んで字の如く、『心理』が『遺伝』することだ。唯物科学の『遺伝』を精神科学に当てはめたものだといえる」
早速私のペンが止まる。唯物科学? 精神科学? 何が何だか分からない言葉である。
賀城は、私の頭の中がちんぷんかんぷんになっていることにすぐ気付き、説明を補足してくれた。
「唯物科学というのは、福丸君が普通にイメージする『科学』のことだと考えてもらえば良い。物理とか化学とか生物とか、そういう学校で習う科学のことだ。ところで福丸君、科学の特徴というのはどこにあると思う?」
「え?」
一方的に説明を聞き、メモを取るだけの立場だと思っていたのに、不意に質問されて私は面食らってしまった。しかも、かなり難しいことを訊かれている気がする。
「科学の特徴ですか?……合理的なことですかね?」
「それはほとんどトートロジーだよ。科学で説明できることが合理的だと考えるのであればね」
やはり私には難し過ぎるようである。
「福丸君、ボールペンを貸してくれないか?」
「え?……分かりました。どうぞ」
賀城は、私が手渡したボールペンを頭上に掲げる。
「もし私がこの状態でボールペンを持つ手を離したら、ボールペンはどうなる?」
「……下に落ちるんじゃないですか?」
「何回やっても? たとえば千回に一回くらいは、ボールペンが落ちずに浮き上がるとかはないかい?」
「……あり得ないと思います」
もしもここが谷で、谷底から突風が吹き上げているとかだったら、話は別かもしれないが。
「そのとおり。手を離せば、ペンは下に落ちる。何回やっても同じ結果になる。それが科学なんだ。科学というのは、同一状況下において、同一の結果が繰り返されるということに特徴があるんだ」
――なるほど。たしかにそうかもしれない。理科の実験では、必ず水は百度で沸騰するし、酸化鉄を作るときは酸素と鉄は必ず三対七の質量割合で結び付く。それは同一条件で同一の結果が繰り返されているということである。
「今回は実験するまでもないね」と言って、賀城は私にボールペンを返してくれた。
「さて、同じ結果が繰り返されることが科学なのだとすると、科学は意外と守備範囲が狭い、ということに気が付かないかい?」
「そうですかね?」
私は、科学は万能とまでは思わないが、この世で生起することのほとんど全ては科学で説明できるのだと思っている。
「だって、福丸君、この世の中には、同一条件下で同一の結果が繰り返されないことなんてたくさんあるだろう?」
たとえば、と言って、賀城が例に挙げたのは「人の心」だった。
「人の心はきまぐれで、同一条件下でも、その時々によって違う動き方をする。そうだな……福丸君、今夜仕事が終わったら、私とディナーに行かないかい?」
「え?」
急な質問の次は、急な誘いである。
「行くか行かないかどっちかい?」
賀城は答えを迫ってくる。
私は、どう答えるべきなのか本当に分からなかった。新入社員という立場上、編集長からの誘いを断ることが許されるかも分からない。かといって、オジサンと二人きりの飲食誘われた場合、若い女性である私には断る権利があるはずだ――
「さあ、福丸君、どっちにする?」
「……行きます」
最終的には、誰とでも良いからお酒が飲みたい、という気持ちが勝った。
「誘いに応じてくれてありがとう。ただ、もちろん、今の誘いは単なる冗談で、実は私には今夜はすでに別の予定がある」
先約があるんかい! と心の中でツッコむ。せっかく今夜はお酒を飲みたいという気持ちになったのに……仕方ないから、帰りにコンビニで缶チューハイでも買って、一人で晩酌しよう。母はお酒を飲まない人だから。
「今、結果として、福丸君は、私の誘いに応じたわけだが、断るかどうか悩まなかったかい?」
「悩みました」
私は素直に答える。
「つまり、私にディナーに誘われるという同一の条件下において、福丸君の心の動きは定まっていなかったわけだ。福丸君の気分次第で、イエスという回答もノーという回答もあり得た。これは人の心というのが、非科学的なことの証明になってないかい?」
「たしかに……」
人の心というのは、理科の実験のように、同一条件下で同一の結果を繰り返すわけではない。当たり前といえば当たり前のことである。
「すると、人の心が絡み合っている社会で起きることというのは、非科学的現象の宝庫なんだ。一度きりの出来事ばかり、と言い換えても良い。それに、人の心が絡まないような分野でも、同様に、繰り返されない、一度きりの出来事があってもオカシくないだろう? そう思わないかい? この世は本当に科学によって説明し尽くされていると言えそうかい?」
たしかにそう言われてみると、世の中には、非科学的な出来事というものもたくさんあるような気がしてくる。逆に、科学というのが、極めて「特殊」な事例のみを対象とした、マニアックなもののようにさえ思えてくる。
「ちなみに、人の心が絡んで生まれる非科学的なことの一例が『心霊現象』で、人の心が絡まないところで生まれる非科学的なことの一例が『怪奇現象』だと整理すると、案外、世の中はオカルト案件で溢れているだろ?」
たしかにそうかもしれない、と思わされていることが、如何にも賀城の掌の上で転がされている感じではあるが、悔しいが、少なくとも一理あるように思える。
「さて、話を戻そう。たしか唯物科学の説明をしていたんだったね。『唯』というのは『ただそれだけ』という意味の漢字だから、唯物というのは、『ただ物質だけ』という意味になる」
「そうすると、唯物科学というのは、物質世界で繰り返されること、という意味でしょうか?」
「そうそう。そんな感じ。唯物に対応する言葉で『ただ心だけ』という意味の唯心という言葉があるが、こっちは人の心を世界の本質と見る見方だ」
「だとすると、『唯心科学』というのは全然成り立たない感じですよね。人の心は、繰り返されない、非科学的なものですから」
「福丸君、理解が早いじゃないか。さすが我が社のエースだ」
詭弁耐性がないことで、どんどんイケナイことに染まってるだけのような気もするが、顔がニヤけてしまうのは止められなかった。
「『ドグラ・マグラ』において、天才精神医学者である正木教授は、『唯心科学』ではなく、『精神科学』という呼称を用いた。ただ、その意味内容は、今福丸君が指摘したもので大体合っているよ。正木教授は、精神病の根本的な治療法を見つけるために、精神科学――人の心の分野における科学――を探求しようとしたんだ。別の言い方をすれば、人の心においても、同一条件下で同一の結果を生じる場合があることを突き止めようとしたんだ」
「そんなことあり得るんですか?」
「そんなことがあり得るかあり得ないかは、ある現象が立証されるかどうかにかかっていた。その現象こそが『心理遺伝』なんだ」