親子(2)
「叉雨、昨日の夜、すごく魘されてたよ」
「え!?」
「本当は起きてるんじゃないかってくらい、ベッドの中で手足をジタバタさせながら、ウーンウーンって唸ってた」
自覚は全くなかった。悪夢を見ていたかどうかもよく思い出せない。
「叉雨があまりにも苦しそうだったから、私、起こそうかどうか悩んだんだから」
母とは寝室は別である。
それにもかかわらず、私が魘されていることに母が気付けたということは、それくらいに私が大きな呻き声を上げていたということなのかもしれない。
というか、まるで史乃の病気が伝染ったかのようではないか。私自身が夢遊病者となろうとしているかのようではないか。
精神病というのは伝染するものなのか。さすがに連日精神病院に出入りをしていると、無自覚のうちに精神が蝕まれてしまっていくということかもしれない。
――ただ、それがなんだというのだ。たとえキチガイになろうとも、私はこの仕事を続けなければならない。
「ママ、心配しないで。多分悪い夢を見てたんだと思う。子どもの頃からそういうことはよくあって」
「叉雨、無理しないで良いんだからね」
また母の手が私の肩に伸びる。今度はゆっくり優しく私の肩を撫でる。
「叉雨はいつも無理してばかりだから私は心配なの。思ったとおりの仕事じゃなかったら、別に辞めても良いんだからね」
私は、俯き、黙り込む。
「記者という仕事にこだわることもないからね。パパもそう思ってるはずだから」
私は、もう何も喋るまいと決めた。
ただ、目には涙が滲み出た。
福丸清三――私の父である――は、大手新聞社で記者をやっている。今は、花形の政治部のうち、さらに花形であるワシントン特派員を務めている。
私が幼い頃から、父は国内外への単身赴任を繰り返していて、一緒に暮らした時期は、ギュッとすると五年にも満たないと思う。ちょっと時代錯誤なくらいに厳格な父である。
そして、母も、父と結婚し、寿退社をするまでは、父と同じ新聞社で記者をやっていた。エース扱いで、政治部で当時の首相の番記者なども務めていたらしい。退社する際には、社長がわざわざ訪れて、必死で慰留されたとか。
要するに、私は、二人の優秀な記者の間に生まれたサラブレッドなのである。
ただし、私は、父と母の良い部分を引き継ぐことができなかった。
元々は、教育熱心な家庭だった。
学習塾には、小学校に入る前から通わしてもらい、小学校に入ると二つ掛け持ちで通わせてもらった。中学校ではさらにもう一つ掛け持ちを増やした。
それにもかかわらず、勉強は少しも頭に入らなかった。私自身には、勉強ができているという感覚はあったが、模試では、採点ミスを疑いたくなるくらいに、毎度悲惨な結果だった。
要するに、私は、自分自身が勉強をできていないことを理解できないくらいにバカだったのである。
高校受験を失敗した時、両親は、私に対する「見方」を変えた。
少なくとも表面上は、私を見放したわけではない。
ただ、両親は、私を「私たちとは違う存在」と考えるようになったのだ。
誰しもが勉強ができるわけではなく、両親がエリートだからといってその子まで優秀なわけではないということを、私の母と父は肝に銘じるようになったのだ。
高校に入ってからは、両親は、私に勉強を強要しなくなった。学習塾も続けても続けなくても良い、叉雨の好きなように生きて良い、と言ってくれた。
――それが何よりも悔しかった。
私は、両親に期待されたかったのである。一人娘として、両親の期待を一身に背負いたかった。そうしないと、私は、二人の子どもとして「失格」なのではないかと思った。
私は、高校に入っても部活には入らずに塾通いを継続し、自分の意思で勉強を継続した。
とはいえ、筋金入りのバカなので、大学受験は第六志望のFランにギリギリ引っ掛かっただけだった。
両親のようなエリートコースはもう望めない。
それでも、せめて両親と同じ仕事――記者の仕事に就きたかった。
それが、私が二人の子どもでいられる最低限の「条件」のように感じるのだ。
果たして、オカルト雑誌の記者が、その「条件」を満たしているのかは分からない。私自身も半信半疑である。ゆえに、私は、米国にいる父には「記者」とだけ伝え、何を扱う記者なのかを伝えないようにしている。母にも、決して父に本当のことを話さないように口止めしている。
それでも、私には、もうその道しかないのである。私のこの執着は、母のようなエリートには理解できないのだろう。私は、母や父とは違うのだ。ゆえに、記者で在り続けなければ、私は何者でもなくなってしまう。
「……叉雨、泣いてるの? 今日はお仕事休みなよ」
「ううん」
私は、スーツの袖で涙を拭う。泣いている場合ではない。
「ママ、行ってくるね」
私は、母の手を肩から振り払う。そうするほかない。
私は、カバンを掴み、立ち上がると、今度はもう引き留められないように、母の方には振り返らず、急いでドアノブに手を掛けた。
私の覚悟は、母にも十分に伝わっていた。
ゆえに、母は私を引き留める代わりに、私の背中へと声を掛けた。
「いってらっしゃい。気を付けてね」