惰性(2)
「……私、読みたくないです。その奇書。健常者でいたいので」
「あんなに面白いものを読まないなんて勿体ない!」と賀城は声を上げたものの、私の潤んだ目を見て、賀城は、ハラスメント黄色信号が灯っていることに流石に気付いたようだ。
コホンと一度咳払いをすると、「読むかどうかは福丸君に任せるよ」と声のトーンを落とした。
「そもそも、我が社が福丸君に期待しているのは、座学じゃないんだ。昨日、沖縄居酒屋で話したようなオカルト雑誌には『惰性』がある。福丸君には、その『惰性』を打ち破って欲しいんだ」
「ダセイ……」
「昨日話しただろ?」
「そうでしたね! ……あれ? そうでしたっけ? えへへ」
私は、可愛らしく頭を掻いた。どうか恨まないで欲しい。私は、酔いも記憶も、翌日には持ち越さないタイプなのである。
「福丸君も、我が社の発行する雑誌――月刊チャーチワードは何冊か読んでるだろう?」
「もちろんです!」
正確に言うと、書店に並んでいた一冊のみを、内定が出た直後に、パラパラっと立ち読みしただけである。
その結果、この本を読むことは、内定がもらえたことによる幸福感を台無しにするものであり、私の精神衛生上良くない、と考え、ページを閉じ、そっと棚に戻したのである。要するに、入社日までの期間、現実逃避して楽しむことを選んだのだ。内定祝いの金沢旅行、楽しかったなあ……
……あれ? 何の話をしてたっけ? そうだ。オカルト雑誌の「惰性」の話である。
「福丸君もチャーチワードを読んだなら気付いたと思うのだが、オカルト雑誌というものは、基本的に昔の記事の焼き直しなんだ」
「はあ」
「たとえば、一九四七年の七月にアメリカで起きたUFO回収事例であるロズウェル事件。これはもう半年に一度か三ヶ月に一度くらいの勢いで記事になっている。発生してからもう七十年以上経つというのにだ。他の記事だって大体そう。人魚のミイラだってツチノコ発見だって、何十年も前の事件を、手を変え品を変えつつも、何度も何度も繰り返し記事にしてる。そんなの他の雑誌だったらあり得ない。福丸君も違和感を覚えるだろう?」
「はあ……まあ、たしかに」
本屋で月刊チャーチワードを立ち読みした時には、それ以前の違和感で頭がいっぱいだったので、事件の発生日にまでは意識が回っていなかったが、指摘されると、たしかにそのとおりである。
雑誌は、その時々の事を伝えるからこそ意味があるのだ。
とはいえ――
「でも、編集長、しょうがないんじゃないですか? だって、UFOの回収とか、ツチノコの発見とか、そう滅多に起こることじゃないじゃないですか。過去の記事を転用しないと、即ネタ切れになっちゃいますよね?」
私の指摘に対し、賀城は、腕を組み、うーんとしばらく唸ってから、「福丸君、それが『惰性』なんだよ」と渋い声で言った。
「私が思うには、ネタはいつでもどこにでも転がってるはずなんだ。だって、日本には一億二千万人以上の人がいて、世界には八十億人を超える人がいるんだ。怪奇現象というのは、人の数だけ存在しているはずだろう? 福丸君もそう思わないか?」
正直、同意はできない。
怪奇現象というものは、限られた人、言ってしまえば、一部の頭のオカシイ人とその周辺にだけ起こるものである気がする。普通の人は、お化けも見えないし、宇宙人の声を聞くこともないのだ。
怪奇現象は、所詮、キチガイたちの妄想の産物に過ぎないのである。
とはいえ、賀城があまりにも熱心に語るので、私は、「……そうですね」と曖昧な相槌を打った。
賀城は、私の反応に満足したと言わんばかりに、ニンマリと笑った。
「そこで福丸君の出番なんだ。福丸君にこの業界を変えて欲しいんだよ。福丸君はこの業界にはかなり珍しいタイプの人材だ」
自覚はある。私は、この業界には珍しい、頭のオカシくない人間である。
とはいえ――
「私、そんな大それたことできないです。私は、ただ普通なだけなんで……」
「普通で良いんだよ。むしろ普通が良いんだ。普通に現場に行って、普通に取材をして、普通に記事に書く。それで良いんだ。その普通こそが我々の業界に決定的に欠けているマナーなんだよ」
そう言って、賀城は、まさに先ほど私が背表紙のタイトルを読み上げた「横浜市夢遊病殺人事件関連新聞報道」のファイルを、私に正対する向きで開いた。
それは、タイトルが示すとおり、新聞の切り抜きをまとめたもののようだ。
賀城は、パラパラとページをめくると、某大手新聞社が一面でその事件について紹介している新聞記事を私に示した。
見出しはこうだ。
「横浜市夢遊病殺人事件、被告人の責任能力を否定」
私がその記事を読み始める前に、賀城は、私の顔を見て言う。
「福丸君、君にはこれからこの事件の被告人に会って、話を聞いてもらいたい。普通の記者の、普通の取材だ。この事件の背景にある『心理遺伝』については、その後に改めて私から説明をするよ」