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鈍感(2)

「…………まず、就寝時間と起床時間だけど、巳香月史乃は、午後十時頃に寝て、午前九時頃に警察に起きたと言っていた。まさか、このことに何の違和感も感じないというわけじゃないだろ?」


 挑発的な質問に、私はさらに歯を食いしばる。



「えーっと、そうですね……少し寝過ぎですかね」


「…………少しどころじゃない。だいぶ寝過ぎだ。成人の平均睡眠時間は七時間台だろ? それに対して、巳香月史乃は、事件があった晩、十一時間も寝てるんだ」


 たしかに十一時間睡眠というのは、幼児ならともかく、大人にしてはかなりの長時間睡眠である。

 とはいえ――



「海原さん、史乃さんは、この晩、夢遊状態で、部屋を脱出して、両親を殺害して、家に灯油をまいて火をつけて、家から歩いて三十分もある公園まで移動してるんですよ。その時間っていうのはどう考えるんですか?」


 その間、史乃は眠っていて、意識はないのだという。

 とはいえ、史乃の身体は動いているし、その複雑な動作をするために、メカニズムはよく分からないが、きっと史乃の脳も動いているのだと思う。


 私には、その時間を単純な休息時間として捉えて良いのかよく分からない。



「…………君の指摘したいことは分かるよ。ただ、犯行に使った時間は一時間からせいぜい二時間程度だろう。長めにとって二時間と考え、そこを『覚醒時間』としてカウントしたとしても、史乃は九時間寝ていることになる」


「九時間睡眠はたしかに長いかもしれないですけど、なんというか、あり得る長さじゃないですか?」


 私も、休みの日はそれくらい寝ているときがある。



「…………睡眠時間だけを見ればね。ただ、状況も考えて見て欲しい。事件があったのは十二月で、凍える寒さだ。深夜から早朝にかけては一番冷え込むだろう。巳香月史乃はそんな中、『パジャマ姿』でベンチの上で寝てたんだ」


 しかも、と海原は続ける。



「警察官は、巳香月史乃を揺さぶり起こしたという。血塗れでベンチに横たわってる人間に対して、まず声掛けをしないなんてことは考えられないから、巳香月史乃は、声掛けにも応じないくらいに熟睡していたということになる」


「言われてみると、だいぶグッスリという感じですね……でも、そのことに何か意味があるんですか?」


「…………何者かが巳香月史乃に睡眠薬を飲ませた可能性がある」


「え!?」


 あまりにも唐突な指摘だった。もしかすると、論理は飛躍していないのかもしれないが、話としてはあまりに飛び過ぎている。



「つまり、海原さんは、史乃さんは殺人を行ってなくて、真犯人が、史乃さんに罪をなすりつけるために、史乃さんに睡眠薬を飲ませた可能性があるということですか?」


「…………僕は如何なる可能性も排除しない」


 なんだか煮え切らない答えであるが、海原の言いたいことはそういうことに違いない。

 横浜市夢遊病殺人事件が、にわかに探偵小説のような謎を帯び始めたのである。



「…………それから、精神科への通院履歴だけど、まさか君は気にならなかったのかい?」


 またもや挑発的な質問である。

 「気にならなかった」と素直に認めるのはあまりに悔しいので、私は頭を回転させて、海原が考えている「答え」を探そうとする。

 しかし、何も思いつかない。



「…………気にならなかったら気にならなかったと認めれば良いのに。正直さは君の長所なんだからさ」


 ムカつく。これが敗北の苦渋を飲まされるということか――



「…………君も新聞記事は読んだだろ? そこにはこう書いてあるはずなんだ。『これまでの被告人の診断歴を踏まえても、被告人が詐病を用いているとは断言できず』って」


 たしかにそのような記載を見かけた気がする。たしか裁判所が、検察官の主張を否定し、史乃に責任能力を認めなかった際の判示だったと思う。



「…………ここで『診断歴』という言葉が出てくる。だけど、巳香月史乃は、夢遊病では病院に行っていないと言っていただろ? だから、巳香月史乃には、夢遊病以外での精神科の通院歴があるはずなんだ」


「なるほど……」


 私は、思わず感心してしまう。海原は腐っても探偵だ。



「…………巳香月史乃は、自分は鬱病だと答えたけど、ここは疑ってかかった方が良いと思う。鬱病での診断歴と夢遊病での責任能力の否定は直接的には結びつかないからね」


「つまり、史乃さんは、私たちに嘘の病名を伝えたということですか?」


「…………それは僕には分からない。次回面会以降の課題だ」


 そうか。私は今度また史乃に会うときも、この男を連れて行かなければならないのか。私は鬱病ではないのだが、気分が激しく落ち込む。



「…………最後に、巳香月史乃が普段見ている夢だけど、僕は逆に君に質問したいよ。どうして君はその質問をしなかったんだ?」


 煽り度マックスである。なぜこの男はこうも憎たらしいのだろうか。



「だって、夢の話なんてどうでも良いじゃないですか。夢はただの夢で、現実とは何の関連もないんですから」


「…………巳香月史乃の回答を聞いてもなお、君はそう思っているのかい?」


 そう言われると、認めざるを得ない。

 史乃の回答は、衝撃的なものだった。

 史乃が幼少期より繰り返し見ている夢の内容は、まさしく今回の夢遊病殺人の場面なのである――



「……でも、海原さん、これって単なる偶然なんじゃないですか? そんな正夢みたいに夢の内容がそのまま現実になるだなんて……」


「…………あれ? 君は賀城編集長から『心理遺伝』の話を聞いていないのかい?」


 心理遺伝……ああ。そういえばそんな単語は、賀城の口から聞いたことがある。

 しかし、その内容についてはまだ聞けていない。たしか、私が史乃に事件の話を聞くのが先決だと言われ、説明を後回しにされてしまっているのだ。



「海原さん、『心理遺伝』って一体何なんですか?」


「…………僕はもう話疲れた。賀城編集長から聞いてくれ」


 たしかに元々悪い海原の顔色が、さらに悪くなっている気がする。

 海原にしては、ここまでよく話してくれた方だろう。

……というか、海原はなぜ私にだけはこうペラペラも喋ることができるのだろうか。

 やはり、海原は私のことを「人間」とみなしていないからだろうか。


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