鈍感(1)
「え!? 私が院長との面会をセッティングしなくちゃいけないんですか!?」
第三病棟の廊下で、私は叫んだ。
今、私がいるのは面会室のある階からは一つ階段を下ったところなので、おそらく史乃の耳には私の叫び声は届いていないだろう。とはいえ、病棟にいる誰かの耳には届いていそうだ。
史乃との面会を終えた私と海原は、面会室の壁に設置されていたボタンを押し、ナースコールで看護師の迎えを要請した。カードキーで、出口の二重扉を開けてもらうためである。
看護師控え室でナースコールを受け取ったベテランの看護師は、「出口まで迎えを寄越します」とのことだったため、私と海原は、最上階の面会室から、一階の出口に向かっていたのである。
その最中、海原は、またもや私を使役しようとしたのだ。
「…………院長の話を聞く必要があるんだ」
「私はそこの必要性云々を議論したいわけではなくて、なぜ私がセッティングしなくちゃいけないのかを問いたいんです! 海原さんがアポを取れば良いじゃないですか!」
「…………そんなこと、僕ができるとでも思ってるのかい?」
正直、微塵も思っていない。海原は、図体だけが大きくなった子どもで、対人的なことは何もできないということは分かっている。
かといって、開き直られてしまうのは、違うと思う。
「そういう問題じゃなくて、私は海原さんの助手じゃないのに、どうして海原さんの偉そうな指示を受けなきゃいけないんですかってことです」
「…………偉そうに? 僕は偉そうにしてるかい?」
「はい」
「…………待ってくれ。それは君の思い違いだよ。君の偏見と言っても良い。君は、なぜだか、提案する方が偉くて、実行に移す方が卑しいという、そういう偏見を持ってるんだ」
「偏見? 事実じゃないですか」
「…………もしかすると社会においてはそうかもしれない。でも、それは社会が偏見によって支えられているからなんだ。少なくとも、僕と君との間では、偉い偉くないの問題じゃない。僕が提案する役割で、君が実行する役割。それは役割分担の問題であって、二人の関係は対等だ」
言われてみると「なるほど」とも思うが、なんだか胡散臭い議論でもある。海原の屁理屈によって、私は言いくるめられそうになっているだけなのではないか――
「…………それに、今のところ、二人の役割分担は成功しているじゃないか。君が愚かにも質問を打ち切ろうとしたところで、僕は君に最良の質問を提案した」
「海原さん、今、『愚かにも』って言いましたよね? やっぱり海原さんは私のこと見下してますよね?」
「…………僕は君のことを愚かだと言ったわけじゃない。質問を打ち切ろうとしたことが愚かだと言ったんだ」
一緒じゃないか。屁理屈男め。偉そうにしやがって。
「それと今、海原さん、『最良の質問』って言いませんでしたか?」
「…………言ったよ」
「私にはそうは思えないんですけど……」
海原が私に「提案」した質問は、事件が起きた日の就寝時間と起床時間、精神科の通院歴、それから、普段見る夢の三つである。
実直な史乃は、それぞれの質問について真面目に答えてくれた。
しかし、そこで明らかになった事実が、事件の「真相」とやらとどう絡んでくるというのだろうか――
私には、単に、海原が、悪趣味にも、史乃のプライバシー関わる事項を曝け出しただけに思えたのである。
「…………巳香月史乃の回答を聞いて、君は何もピンと来なかったのかい?」
「何にピンと来るべきだったんですか?」
「…………協力者が鈍感だと困るな。仕方ない。あまり趣味じゃないんだけど、説明するよ」
海原は、今、間違いなく私のことを「鈍感」と評した。
ただ、ここでそのことを指摘しても、無駄なやりとりが生じるだけである。私は、歯を食いしばり、大人しく説明を聞くことにした。