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記憶(4)

「一応、事件の話はこれで終わり。中身の無い話でごめんなさい」


「いえいえ。ありがとうございます」


 史乃に気を遣ったわけではない。本当に、中身の無い話などではなかった。

 たしかに事件そのものに関しての話は抜け落ちていた。しかし、新聞報道からは分からなかった、事件以前の史乃の病状について聞けたことはありがたかった。


 それに何より、史乃の心境について知れたことは、私にとって、大きな価値のあることだった。


 私は、手元のメモ帳に目を落とす。私の人生初の取材メモは、細かい字でビッシリ埋まっていた。


 それに対して――


 私は、目線を変え、海原の前に置かれたルーズリーフを確認する。


 史乃の話を聞いている最中、海原の手は一切動いていないように見えていたのだが、やはりそのとおりだった。ルーズリーフには、一文字たりとも文字は書いていないのである。


 史乃の話に相槌を打つのも専ら私だったし、果たしてこの探偵は何のためにここにいるのだろうか――

 帽子を目深に被っているため、瞼を閉じているかどうは確認できないが、もしかすると座ったまま寝ているということだって考えられる。


 私が、ボールペンのペン先で、海原の肩のあたりを突き刺そうと構えようとしたタイミングで、史乃が「福丸さん、何か質問はある?」と問い掛けてきた。

 私の探偵への攻撃は、史乃によって、偶然、阻止されたのである。



「……質問ですか?」


「はい。私の説明はだいぶ拙かったと思うから」


「えーっと……」


 訊きたいことや気になる点が全く無いわけではなかった。

 しかし、今回の話をしたことで、史乃は自らの神経をだいぶ擦り減らしてしまっているはずである。思い出したくないことを思い出させてしまい、話したくないことを話させてしまっているはずなのだ。これ以上、史乃に辛い思いをさせるということは、とてもではないが忍びない。


 ゆえに、私は、



「大丈夫です」


と答えた。


 次の瞬間――



 バンッ!!


という大きな音が、すぐ近くで鳴った。



 海原が、平手で机を叩いたのである。



 あまりにも突然のことで、私も、史乃も、目を見開いてしまっている。



「……海原さん、いきなり何ですか?」


「…………」


 重度のコミュ障男は、私の質問には答えなかった。

 その代わりに、史乃の話を聞いている間には指一本触れなかった机の上の万年筆を拾い上げると、ガリガリと嫌な音を出しながら、ルーズリーフに文字を書き始めた。


 そして、書き終えたルーズリーフを、私に手渡す。

 縦に潰したような特徴的な筆跡である。それを目を細めながら読み解くと、「事件の日の就寝時間と起床時間」と読めた。



「え? 海原さん、私がこれを史乃さんに訊けってことですか?」


 私が海原の耳元で尋ねると、海原は、うんと頷く。


――この男は、私のことを一体何だと思っているのか。私はお前の秘書でも助手でもない。

 というか、ルーズリーフに私への指令を書いている手間を掛けるくらいならば、自分自身で口頭で史乃に質問すれば良いではないか。

 なぜこの男はこうも寡黙なのか。それでいて、机を叩いて衝撃音を出すことには躊躇はないのだ。あまりにも常軌を逸している。重度のコミュ障? いや、重度のコミュ障の風上にも置けない――



「……あの、私どうすれば良い?」


 このまま海原と取っ組み合いの喧嘩を始めそうなところである。しかし、そんなことになってしまえば、最も迷惑を被るのは、部外者である史乃なのだ。内輪揉めに巻き込むわけにはいかない。


 そこで私は、苦々しく思いながらも、仕方なく海原の指示に従った。



「やっぱり質問させてください。事件のあった日の晩って、史乃さんは何時くらいに寝ましたか?」


「事件のあった晩ね……いつもどおりだったよ。だから、夜の十時頃には眠りに就いてた」


「なるほど。それじゃあ、起きた時間はどうですか?」


「起きた時間?」


「えーっと、警察に起こされた時間です」


「正確には分からないけど、たしか逮捕された時刻が九時半くらいだったから、九時過ぎくらいかしら」


「なるほど。ありがとうございます」


 私は、メモ帳の新しいページに、史乃の答えをスラスラとメモする。



「福丸さん、私が寝た時間と起きた時間をどうして知りたかったの?」


「いやあ、それは……」


 私は、首を振り、海原の顔色を窺う。この史乃の質問には、私は答えられない。


 しかし、海原は、私に助け舟を出す気など毛頭ないらしく、私の視線を完全に無視している。


 仕方なく、私は、史乃の方へと向き直り、苦笑いをする。



「なんとなく聞きたかっただけですから、気にしないでください。ご協力ありがとうございました。私が訊きたいことはこれで以上で……痛っ!」


 今度は、海原は、机を叩くのではなく、私の足を思いっきり踏みつけたのである。



「福丸さん、大丈夫? どこが痛いの? 看護師を呼ぶ?」


「いやいや、それには及びません」


 私は、作り笑いを史乃に向けながら、海原の足を仕返しで踏みつける――はずだったのたが、踏みつけたのは床だった。海原に避けられてしまったのである。


 せめて睨みつけようと海原の方を向くと、海原はまた万年筆でルーズリーフに何かを書きつけていた。

 そして、書き終えたルーズリーフをまた私に手渡す。


 そこには、やはり癖のある読みにくい字で「精神科の通院歴」と書かれていた。

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