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記憶(1)

……といっても吾輩は別に奇矯な言辞をろうしているのではない。そうした事実を断言し得る相当の理由があるから云うので、何を隠そう吾輩の「精神病研究」の第一歩はこの「地球表面上が狂人の一大解放治療場になっている」という事実に立脚していると云ってもいいのだ。

 それは何故かというと、元来この地上に生み付けられている人間は、身分の高下、老若男女の区別を問わず、指一本でも自分の自由にからぬか、又はどこか足りないか、多過ぎるかした人間を発見すると、すぐに「片輪かたわ」という名前を附けて軽蔑したり、気の毒がったり、特別扱いにしたりする事にきめている。同様に、頭のハタラキが本人の自由にならぬか、又は、頭の働きのどこか足りないか、多過ぎるかした人間を見付けると、早速、精神病患者、すなわちキチガイの烙印やきいんを押し付けて差別待遇を与える事にきめているようである。禽獣きんじゅう、虫ケラ以下の軽蔑、虐待を加えてもいいものと考えているらしく考えられる……が……しからばその精神病者を侮蔑し、冷笑している所謂いわゆる、普通の人間様たちの精神は、果たして、何もかも満足に備わっているであろうか。すべての人々の脳髄は、隅々までも本人の意思の命令通りに、自由自在に動いているであろうか。

 吾輩はあえて云う。公平、つ厳正な学問の眼から見ると、決してそうは思えない。それは手足の曲ったのや、眼鼻の欠け落ちたのと同様に、外から肉眼でも見わける事が出来ないだけで、実際のところをいうとこの地球表面上に生きとし生ける人間は、一人残らず精神的の片輪者かたわものばかりと断言して差し支えないのである。曲ったり、くねったり、大き過ぎたり、小さ過ぎたり、又は智慧や情慾が多過ぎたり、足りなかったりする、所謂、精神的の片輪者ばかりで、押すな押すなの満員状態を呈していると考えても、断然間違いはないのである。


夢野久作「ドグラ・マグラ」より




…………




「こんにちは。今日は二人なんだね」


 私と海原の顔を確認するなり、史乃はニッコリと愛想良く笑った。


 その笑顔を見て、私は、心底ホッとする。


 出会って以降、海原は、一度たりとも表情を変えず、ずっと無表情だったからである。

 第三病棟の廊下で海原と会話をしていた時間は十分にも満たなかったものの、私の心は限界まで消耗していた。

 状況に応じて表情を変えられ、相手の目を見て話せる――そんな当たり前の人間を、私は切望していたのである。



「二日連続でお時間をいただき恐縮です」


「福丸さん、そんなにかしこまらないで大丈夫。私、福丸さんと話すの好きだから」


「ありがとうございます。私も、史乃さんと話すの好きです」


 そんな言葉を掛け合いながら、私と史乃はペコペコとお辞儀をし合っているというのに、我が協力者といえば、ただただ部屋の入り口付近で棒立ちしているだけなのである。私は史乃に対しては笑顔を作りながら、海原に対しては心の中で舌打ちをした。



「ぜひ座って。椅子はちょうどあるから」


「ありがとうございます」


 私は、一礼してから、パイプ椅子を静かに引き、ゆっくりと腰掛ける。

 他方、海原は、一礼などせず、ガガガと音を立ててパイプ椅子を引き、乱暴に腰掛けた。


 椅子に座ると、私は、スーツの胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出す。

 私の右隣に座った海原を横目で見ると、彼も、私と同様に、マントの奥から万年筆とルーズリーフを取り出した。

 

 探偵もメモは取るらしい。



「史乃さん、昨日は色々と楽しいお話を聞かせてくださりありがとうございました」


「いえいえ。滅相もない。こちらこそありがとう。話し相手になってもらって」


「恐縮です。それで、今日なんですけど……」


「事件の話だよね」


 私の話したいことを史乃が察したのは、おそらく、私がメモ帳を取り出したからだと思う。昨日はメモを取ることなく、ひたすら雑談をしていたのだった。



「すみません」


「いえいえ。なんで謝るの。謝らないで。それが福丸さんの仕事なんだから」


 史乃は、自分の半分くらいしか生きていない小娘に対しても、物腰が低く、矢鱈親切である。



「むしろ私の方が謝っておかなきゃいけないんだけど、私、事件のことに関しては本当に何も覚えてないの」


「夢遊病状態でしたもんね」


「そうなんだけど……」


 史乃が声を落とす。


 首を沈めるように俯く。


 そして、黙り込む。



 その態度だけで、史乃が、世間で思われているであろう――そして、私も実際に出会うまでにそう思い込んでいたような――狂った殺人者でないことは明らかに思える。


 史乃は、無意識下の殺人だったからといって、決して開き直ってはないのだ。


 裁判では責任能力が否定されていても、史乃自身は、自らが行ったことに対して重い責任を感じているのである。



「史乃さん、やっぱり事件のことは無理に話していただかなくても……」


「……ううん。気を遣わないで。全部私がやったことなんだから」


 史乃は、俯いたまま、病院着のダボついた袖で、零れ落ちそうになっている涙を、すんでのところで拭き取る。



「福丸さん、私の記憶している限りのことは全部喋るね。でも、大事なことは全部抜け落ちてると思う。それは本当にごめん。それも含めて、全部私のせいなの」

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