奇人(4)
「福丸様、本当に私はここまでの案内で良いんですね?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございました」
「この建物から出るときにもカードキーが必要ですので、面会が終わりましたら、部屋にあるナースコールで誰か看護師を呼び付けてくださいね」
「分かりました。ありがとうございます」
私は深くお辞儀をして、二重扉の向こうの森の方へ消えて行く洞爺の背中を見送る。
我ながら、洞爺のことを振り回し過ぎてるなと、反省する。
元々の来院時には、私は、洞爺に面会室まで案内をしてもらえるように釘を刺していたのである。
それにもかかわらず、わずか数分後に、「第三病棟のカードキー操作だけしたら、洞爺さんは受付に戻ってください」と、私は前言を翻したのだ。
そんな私の身勝手な態度にも、洞爺は嫌な顔一つせず、笑顔で応じてくれたのである。まさしく天使の包容力である。
洞爺に対する感謝の気持ちがやまない一方、私は、隣にいる大男に対する強い苛立ちを感じていた。
洞爺を早めに帰さざるを得なくなった原因はコイツにあるはずなのに、コイツは、洞爺に、お辞儀さえせずに、ただ呆然と突っ立っているだけである。
もしかすると、遠目から見ると、お辞儀をしているように見えるかもしれないが、それは単に酷く猫背なゆえでしかない。
二重扉のうち、手前の扉が完全に閉まり切ってから、私は、苛立ちを隠すべく、なるべく声色を変えないように気を付けつつ、自称「探偵」に問い掛ける。
「あのお、海原さん、どうしてさっきから一言も喋らないんですか?」
「…………」
返事がない。ただの屍のようだ。たしかにこの男の不気味な見た目はきっとアンデッド系に属する。
……いや、待て。そうやって茶化している場合ではない。
私は、一刻も早く、この屍のような男とコミュニケーションを取らなければならないのである。
「えーっと、海原さん、私の声って聞こえてます? もしかして、耳が不自由だったりします?」
「…………いや、聞こえてるよ」
ようやく海原の声が聞けた。感動で涙が出そうだ。
「良かったです。だとしたら、海原さん、どうして先ほどは一言も喋らなかったんですか?」
「…………」
「私の声って聞こえてるんですよね?」
「…………さっき答えただろ。聞こえてるって」
なぜこの男は不機嫌そうなのだろうか。先ほどから無礼をはたらかれてるのは、むしろ私の方ではないのか。
「海原さん、だとしたら……」
「同じことを三度も訊くな。答えずとも、分かるだろ? 僕はコミュ障なんだ」
たしかにそれは分かっている。第一印象でもそう思ったし、今ではその印象はさらに深まっている。
そして、コミュ障の人間が、複数人いる場で一言も会話に参加しないことがままあることは、経験上分かっている。
しかし――
「この病棟に辿り着くまでの道で、私も洞爺さんも、何度も海原さんに話しかけましたよね? 『海原さん、今日はバスで来られたんですか?』とか、誰でも即答できるような質問もしましたよね? それなのにどうしてずっとダンマリだったんですか? それってコミュ障って概念で説明できますか?」
私が捲し立てると、海原は、真下の床を見ながら、
「…………僕は極度のコミュ障なんだ」
と答える。
「それで探偵が務まるんですか? 海原さん、私の協力者なんですよね? 会話もままならないのに、どうやって私に協力するんですか?」
「…………今、君と会話してるじゃないか」
「むしろ重度のコミュ障なのに、どうして私と二人きりだと会話できるんですか? コミュ障って対人恐怖症のことですよね? 私、人間としてみなされてないってことですか?」
「…………君がそういう風に言うなら、もう喋るのをやめるよ」
「ええっ!?」
海原は、宣言どおり、口を噤んだ。
――なんて難しい男なのか。
普通の人間なら、気を利かせて「僕はコミュ障だけど、君となら話しやすいんだ」とか、正直に「洞爺さんみたいな可愛い子の前だと上がっちゃって」とか言う場面ではないのか。
……いや、後者はダメだ。私だってそれなりに可愛いんだから。
「海原さん、最低限、私とは話してくれなくちゃ困ります」
「…………じゃあ、話すよ」
「お願いします」
「…………」
「何か海原さんから話すことはないんですか?」
「…………」
……はあ、なんだコイツ。
「そういえば、海原さん、スマホは家にお忘れですか?」
「…………いや、持ってるよ」
「私、海原さんに何度か電話しましたよね?」
「…………ああ。そうかもしれない」
「どうして出られなかったんですか?」
「…………知らない番号からの電話には出ないようにしてるんだ」
「賀城編集長から事前に私のことは聞いてたんですよね? 同じ番号から四回も電話があって、事前に聞いていた福丸とかいう新人記者からの電話だと気付かなかったんですか?」
「…………四回じゃなくて五回だ」
「じゃあ、なおさら気付けますよね? 探偵って、そういうことに人一倍想像力がはたらくんじゃないんですか?」
「…………一回目から気付いてたよ。でも、面識のない人からの電話に出るのが怖かったんだ」
まるで小学生と話している気分である。賀城は、私に協力者を紹介したのではなく、私に子守を押し付けてきたのではないかとさえ思う。図体がデカく、ちっとも可愛げのない子どもを。
「もしかして、私が病院前のロータリーで電話を掛けたとき、海原さんも同じロータリーにいたんじゃないですか?」
「…………ああ。いたよ」
「もしかして、木の後ろに隠れてたとか」
「…………よく分かってるじゃないか」
――やはりそうか。
洞爺と一緒にいる時には質問をシカトされたのだが、海原がバスで病院に来たことはほぼ間違いない。なぜなら、病院のロータリーのそばに一般来客用の駐車場があるのだが、そこには一台も車が停まっていなかったからだ。
青浄玻璃精神病院まで行くバスは、一時間に一本ほどしかない。
私が乗っていたバスには海原は乗っていなかったから、海原は、遅くとも、一時間以上前に病院のロータリーに到着していたということになる。
そこで、海原は、洞爺のいる受付にも行かず、ロータリーの木の裏に隠れ、私をずっと待ち伏せしていたのだ。
そうでなければ、あのタイミングで、海原が、私と洞爺の目の前に出現できるはずはないのである。
――いや。待てよ。
「私、ロータリーで海原さんに電話しましたよね」
「…………ああ。二回も」
「私が電話をしてる様子を目撃してたんじゃないんですか?」
「…………見てたよ」
「じゃあ、どうしてそのタイミングで私に声を掛けてくれなかったんですか?」
百歩譲って、面識のない人からの電話に出られないのは分かる。賀城から私のことを聞いていて、私からの電話であることに気付いていたとしても、私がどんな人物かも分からないし、もしかすると、私以外の見ず知らずの者からの電話かもしれないからだ。
しかし、私が電話を掛けてる姿を目の前で見ていたのであれば、それはもう、話しかける以外の選択肢はないはずなのだ。
電話に出た上で、「すぐそばにいる」と、手を挙げてくれても構わない。
私は二度も電話を掛けているのだから、うっかり出損ねたということもないはずだ。
しかし、実際には、海原は、二度も私の電話をやり過ごしているのだ。
自分に電話を掛けている私の姿を、声を掛けなければならないと思いつつ、木の裏からじっと見ていたということになる。
なぜそのような行動をとったのかという理由において、考えられることは一つしかないのではないか。
――それは、実際に目撃してみると、私が想像以上に可愛い女の子で緊張してしまったから、である。
海原もさすがにそう答えるしかないだろう。さあ、そのように答えてくれ――
「…………だって、僕が木の裏から突然現れたら不自然だろ?」
……たしかにそのとおりである。