憂鬱(2)
株式会社不可知世界が発行するオカルト雑誌の名は「チャーチワード」。
昨日、私が賀城から直接聞いたところによれば、チャーチワードというのは、ムー大陸を発見した者の名であり、賀城が最も尊敬する人物の名なのだということだ。
私は、チャーチワードという名は聞いたことはなかったが、他方で、ムー大陸についての最低限の知識は有していた。すなわち、後世その存在が明確に否定されている、と。
要するに、チャーチワードは、稀代の大ぼら吹きなのである。
そんな稀代のほら吹きを崇拝する編集長。そして、そんな稀代の大ぼら吹きの名を冠する主力雑誌。
それだけでもう、我が社がまともでないことは証明完了(Q.E.D.)であるはずだ。
にもかかわらず――
「日本で有名なUFO遭遇事件といえば、一九七五年の甲府事件と一九七二年の介良事件。いわゆる『日本二大UFO事件』。両事件ともUFOを見つけたのは子ども。甲府事件では、宇宙人が小学生の方に接触。介良事件では、中学生が小型UFOを確保。日本で宇宙人に攫われた事例もなくはないけど、報告は事件の数年、数十年後。理由は宇宙人による記憶の抹消」
新古今和歌集でもそうそう見ない体言止めの連続。発話者は、私の上司の一人――行方敦子。……ヤバい。私にまで体言止めが伝染ってしまっている。
敦子の視線は私の方には無く、彼女の目の前に置かれた旧式のラジオに向けられている。ビルの廊下にまで漏れていた音は、このラジオから流れていたものなのだ。
敦子は、黒い機体にいくつもついたツマミを両手で同時に回しながら、ラジオのチャンネルを調整している。まだ本人から直接確認はしていないが、おそらく、今まさに話題に上がっている宇宙人の通信電波を傍受しようとしているのだと想像する。
そんな感じなので、ラジオから流れているのは、ザーッという砂嵐の音だったり、もしくは何語か分からない異国の言語だったりする。
私の職場には、そんな意味不明なBGMが流れ続けているのである。
敦子は、決して悪い人ではない。
とはいえ、決してまともではない。
「叉雨が宇宙人に攫われる方法。まず、子どもに戻ることが必要」
「敦子先輩、私、どうすれば子どもに戻れるんですか?」
「ブリキの太鼓の音」
「え? 太鼓?」
「それから、記憶消されても大丈夫なように、監視カメラを身体に埋め込むことも必要。できれば頭部」
言ってることが滅茶苦茶である。
しかし、賀城は、「なるほど。その手があったか」と繰り返し頷いている。
敦子のような奇想天外な人が在籍することを許されるどころか、「ブレーン」として重宝されていることが、我が社がまともでないことのさらなる裏付けなのだ。
しかし、傍証はそれにとどまらない――
「……叉雨さん、大変言いにくいのですが……」
私のもう一人の上司――三好木乃葉が震える声で言う。
木乃葉は、私の方をまっすぐに見ている……ように見える。
木乃葉の視線の方向について断言ができないのは、彼女のヘアスタイルのせいである。長髪、しかも、顔全体にかかる長髪のせいで、ご尊顔に謁見えることができないのだ。
――そう。「リング」の貞子状態なのである。
「……木乃葉先輩、どうかしましたか?」
「叉雨さんの背後に、何か黒いものがいます」
――どうやら私の見立ては外れたようだ。木乃葉の視線は、私に向いていなかった。私の背後の「何か黒いもの」に向いていたのだ。
「……木乃葉先輩、それって幽霊ですか?」
「……そこまでは分からない。輪郭がボヤけてて」
でも、と木乃葉は言う。
「とても深刻に思い詰めているように見える。叉雨さん、今日、死にたくならなかった?」
「えっ!?」
「たとえば、駅のホームから衝動的に飛び降りたくならなかった?」
額からスーッと雫が流れるのが分かった。冷や汗である。
木乃葉の言っていることは、完全に図星なのだ。
私は、実際に、今朝、駅のホームから飛び降りたいという気持ちでいっぱいだったのである。
ただし、それは、木乃葉が指摘する「何か黒いもの」の仕業ではない。
株式会社不可知世界のせいである。
私は、わずか一日で、この会社に入社したことが間違いであったことを悟ったのだ。
私は、記者になりたいという一心で、就職活動を行い、採用面接で大連敗を喫した。
そして、本来の採用スケジュールよりかなり遅れたタイミングで、この雑誌社に拾われた。
採用時期の遅れから、入社時期は、六月の半ばであり、桜はとっくに散り、ジメジメと厭な雨の降る時期である。まさに今日のように。
私は記事を書きたい。ただそれだけ。それだけの志を持った「まともな人間」なのである。
しかし、この会社にいる面々はといえば、稀代の大ぼら吹きを崇拝している編集長だったり、学習を誤ったAIのように怪しげな情報を体言止めで吐き出す上司だったり、自分自身が幽霊のような風貌をしながら幽霊が見えちゃう系の上司だったり、百歩譲っても、決して「まともな人間」ではない。
私の大学四年間の努力の行き着く先が、この百鬼夜行の現場だなんて、そんな惨めな話があるだろうか。
幼き頃より「元気印」と言われ続けた私のカラ元気も、ついにこれにて枯れ尽きたのである。ここが私の人生の終着点だ。
そんな私の気持ちがちっとも見えていないのは、木乃葉だけではなかった。
「たしかに福丸君の顔色は悪いようだが……二日酔いじゃないのか?」
白髪の紳士の口ぶりからは、加害者意識は微塵も感じられない。
「私、お酒は翌日に残らないタイプなんです」
「本当か? 昨日はあれだけ酔い潰れてたから、私はてっきり、福丸君は今日は出社できないものかと……」
「編集長、ご冗談を。あはは」
私は乾いた笑い声を上げる。
私の初勤務日であった昨日は、私の歓迎パーティーが催された。
昼間の勤務ですでに絶望に陥っていた私は、オフィスのすぐ隣にある、やはり古ぼけた沖縄居酒屋において、現実逃避を図り、ヤケ酒を実行したのである。
今私の目の前にいる奇妙な同僚たちは、平場で会うと耐え難いものがあるが、お酒の席においては「愉快な仲間たち」とも言えた。
陽キャは、酒さえあれば、誰とでも打ち解けられるのである。
ゆえに、昨夜は楽しかった――気がするが、断言はできない。私は、翌日に酔いも残さないが、記憶もあまり残さないタイプなのだ。
「まあ、ともかく、福丸君が来てくれて良かったよ」
賀城は、ガハハと豪快に笑った後、すぐに真剣な表情へとスイッチした。
窪んだ目が、私をまっすぐに捉える。
「福丸君、早速だが、君に任せたい仕事があるんだ」
「私に仕事……ですか?」
「ああ。働きたくてウズウズしてるだろう?」
賀城が白い歯を見せる。
ウズウズしているというわけではないが、たしかに仕事は早く振って欲しかった。
第一の理由は、不可知世界の変人たちと話しているよりは、仕事に打ち込みたかったから。
第二の理由は、仕事に打ち込むことによって、不可知世界に巻き込まれた自分の哀れな境遇についてしばし忘れられるだろうから。
昨日の勤務時間は、自己紹介とオリエンテーションのみであったから、私に具体的な仕事が振られることはなかった。
これが私の最初の仕事である。
「福丸君が入ってきたら、まずはこの仕事を振ろうと、私は心に決めていたんだよ」
「一体どういう仕事ですか?」
遅れてだが、少しずつワクワクしてきた。不可知世界は、腐っても雑誌社なのである。主題はともあれ、取材や執筆という記者っぽい仕事はさせてもらえるはずなのだ。
賀城が、私のために用意してくれていた仕事とは、どういうものだろうか――
「福丸君、『心理遺伝』は聞いたことがあるか?」
「……え? 何ですかそれ?」
シンリイデン? 全く聞いたことはなかった。
「福丸君には世にも不可思議な『心理遺伝』の世界に飛び込んでもらいたいんだ。きっと最高に楽しいよ」
「……はあ」
「世にも不可思議」とは、やはりそっち系の色彩が強い仕事か……。うーん……。
私が次の言葉をどう継ぐべきか悩んでいると、ゴロゴロゴロッと雷の落ちる音がした。
天候が悪化したのではない。
敦子のラジオが、どこからかその音を拾ってきたのである。