内実(2)
第三病棟の前に来るまでに森の中を七、八分ほど歩き、横目にいくつかの病棟を見てきたのだが、おそらく第三病棟は、受付のある第一病棟に次いで大きな病棟である。高さ的には、五階建てほどの高さがあり、遠くからでもよく見えた。
ただ、第一病棟と違い、今風の、普通のビルなのかといえば、そうではなく、どこかチグハグな、ツギハギだらけの建物なのである。
三階部分や四階部分で、横に部屋が飛び出ていて、よくもまあ倒れずにバランスを取っていられるなと思うような構造である。
まさかこんな奇怪な設計を最初から施すわけがないので、おそらく増築や改築を繰り返した結果のこの構造なのだろう。
とにかく、青浄玻璃精神病院の中で、最も混沌とした、ある意味では「らしい」建物がこの第三病棟だといえそうだ。
第三病棟の入り口に、例の白光りするテカテカの扉を認めた私は、震えた声で、路下に尋ねる。
「……この病棟もやっぱりカードキーがないと入れないんですよね?」
「ええ」
「出るときも?」
「ええ。そうです」
「二重扉なんですよね?」
「そうですが、福丸さん、それがどうしたんですか? 涙目になってますけど」
泣いてしまっていることは自覚していた。私には、二重扉を恐れているのである。それは病院の暗部を象徴しているに違いないのだ。
「……だって、二重扉は精神病の患者さんを監禁するためなんですよね?」
目をウルウルに潤ませている私を嘲るように、路下はフッと鼻で笑う。
「別に患者さんを病棟に閉じ込めるために二重扉を設置しているわけではありませんよ。監禁しないといけないような患者さんは当院には一人もいませんから」
「……でも、柚之原さんは、悪魔の声を聞いて、暴れて、アパートの部屋を破壊したんですよね……?」
「それは過去の話です。当院に来てから、柚之原さんは一度も暴れたことはないです。他の患者さんも、過去はどうあれ、当院で暴れ回るようなことはありませんよ」
私は、路下の話をにわかに信じることができなかった。
「それは、この病院に来ると、精神病がすっかり治るということですか?」
我ながら挑発的な質問である。精神病がそう簡単に治るはずはないし、そもそも、仮にこの病院に来たら精神病が治るのであれば、すぐに社会復帰ができるのだから、誰もこの病院に入院する必要はないのである。
しかし、意外なことに――
「そうです。治ります」
と、路下はハッキリと断言したのである。
「え? 本当ですか? それはどうしてですか? どうして治るんですか?」
私は、まるで記者のように、路下に喰らいついて質問を被せる。
実際に、記者なのだが。
しかし、路下は、薄い眉を顰め、少し困ったような顔をしながら、
「その点に関しては、俺も門外漢なので、上手く説明できません。当院の医師に尋ねてください」
と、回答を拒絶したのである。
……あれ? 待って。
「あれ? 路下さんって、この病院のお医者さんじゃないんですか?」
私はてっきり、路下は、医師なのだと思っていた。なぜなら、白衣を着ているし、態度も尊大だから。
「違いますよ。俺はただの看護師です」
「え? 看護師? 看護師って男性もいるんですか?」
「もちろんです。このご時世、ちっとも珍しくないですよ」
思わぬところで無知を晒してしまった。
「それに、男性だからこそできる仕事もありますので」
「それはどういう仕事ですか?」
「たとえば、そうですね……」
二人は、第三病棟の入り口の扉の前に来ていた。路下は、白衣の胸から名札の入ったバッジを取り外す。
「暴れている患者さんを力で取り押さえるとか」
「え?」
ピッ――
白い扉がウィーンと開く。
「もちろん冗談です」
「ですよね……」
「実際は、看護の世界で男手が必要になることなんてないですよ。男の看護師は、女中心社会の中でひたすら虐げられているだけです。まるで奴隷みたいな扱いなんですから」
「そうなんですか!?」
「冗談です」
「はあ……」
私は、路下に涙目を見せたことを後悔する。一度弱みを見せたせいで、私は完全におもちゃとして弄ばれてしまっているのである。