天使(4)
第八病棟は、株式会社不可知世界が入っている本間わだちビルほどではないが、それなりに歳を食っており、白いコンクリートの壁は、黒ずんで、ネズミ色になっていた。
他方、その入り口の扉は、テッカテカに白く輝く金属でできており、病棟の建物と不釣り合いに見えた。
扉だけが、明らかに新しいのである。
そして、その扉はツルツルの平面で、ノブのようなものはなく、かといって、私が前に立っても自動で開きはしなかった。
「ちょっと待っててください」
そう言って、洞爺は、自らの胸の膨らみの方へと手を遣る。
そして、「洞爺」と書かれた名札の入ったバッジを外すと、それをそのまま、扉の横に付いていた装置に翳したのである。
ウィーンと滑らかな音を立てて、真ん中で割れた扉が左右にスライドする。
「名札がカードキーになってるんですね」
「はい。第一病棟以外の外扉は、基本的に職員しか開けられないようになってるんです」
なるほど。それで洞爺は、わざわざ病棟内まで私に付き添ってくれていたのか。先ほどは、案内はここまでで良いなどと気遣ったつもりだったが、まさに無駄な気遣いであった。私一人では病棟内に入ることはできないのである。
扉の先は、薄暗く、短い廊下だった。
短い。あまりにも短い。
なぜなら――
「……あれ? 扉がありますね」
先ほど扉を開けたばかりなのに、また扉があるのである。それは背後の扉と同じく、真っ白な、金属製の扉だった。
「二重扉になってるんです。ここも名刺のカードキーで開きます」
二重扉――
その言葉を聞いて、私がまず思い出したのは、北海道などの雪国にある二重扉である。あれは外があまりにも寒いため、部屋の暖かい空気を外に逃がさないために二重になっているのであった。
もっとも、ここは雪国ではなく、神奈川県である。山奥であり、標高が高い分、平地よりは若干気温は低いのかもしれないが、扉を二重にしなければ耐え難いというほどのことはないだろう。
すると、別に思い当たる二重扉の例といえば、動物園にある、カンガルーやリス、はたまた野鳥などの解放展示スペースである。あそこも扉が二重になっている。
このことに思い当たった途端、私はゾッとした。
当然ながら、病棟に入るときにもカードキーが必要だということは、病棟から出るときにもカードキーが必要だということだろう。この精神病院の病棟の扉が二重扉となっているのは、動物園の動物同様、入院患者が逃亡してしまわないための措置なのではないか。気が狂った精神病者を確実に監禁しておくために、職員の出入りの際に紛れてキチガイがここから飛び出してしまわないために、二重扉を設置しているに違いないのだ。
この病院では、キチガイを、動物園の動物と同じように扱っている、ということである。
私は、バスに乗っていた時と同様、東京に引き返したい気持ちになったが、不安な気持ちの私とは裏腹に、平然と、洞爺は、名刺のカードキーを、扉横の装置に読み込ませている。
そして、ピッと音が鳴ると同時に、
「二回も扉を開けるなんて面倒ですよね。うふふ」
と、カードキーを持っている手とは逆の手で口元を押さえて笑うのである。
私は、この小柄な女性が、天使なのか悪魔なのか分からなくなってしまった。