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天使(3)

 少し急な階段を下り、山峡に降りた後も、私はまるで夢を見ているかのような気分だった。

 「ファンシー」という表現は、決して精神病院には似つかわしくはないし、きっと私が見ているものを言い表すのにも適切ではないのだと思う。しかし、私は、それをファンシーだと思ったのだ。

 言い換えると、それは現実離れしている、と感じているのである。


 森の中の病院、というよりは、森と一体となった病院という印象である。

 ここから見渡せる病棟は三棟ほどであるが、そのいずれも整然とした位置にはない。

 まるでそれ自体が巨大なキノコか何かのように、木々の間に、不規則に建っているのである。

 それぞれの病棟の形も均一ではなかった。あるものは縦に細長く、あるものは平べったく、あるものは楕円形のような形をしている。

 壁も、レンガ模様だったり、まるで軍艦のような黒鉄色だったりするのである。


 その多様性からして、一つの病院というよりは、一つの集落という印象なのである。上から見下ろした時に感じた「エルフの村」という比喩は、我ながら的を得ていたなと思う。



「私たちが今から向かうのは第八病棟です。そこにある病棟ですね」


 そう言って、洞爺が指差したのは、手前にある、平屋の病棟だった。一見すると、最も病院っぽい、普通の建物である。



「洞爺さん、もう大丈夫です」


「大丈夫って?」


「案内はここまでで大丈夫です。洞爺さんは、早く受付に戻った方が良いと思います」


 洞爺は、青浄玻璃精神病院のたった一人の受付嬢なのである。私のエスコートのために、そんなに長期間持ち場を離れるわけにもいかないだろう。



「お気遣いありがとうございます。ただ、大丈夫です。今日予定されているお客様は福丸様だけなので」


「飛び込みで誰か来るかもしれないじゃないですか」


「来ませんよ。この病院は、今は外来をやっていないので」


 洞爺は、カラッとした表情で説明する。



「福丸様も見ましたよね。伽藍堂のスペースを。福丸様も訪れた受付のある病棟――あそこが第一病棟なんですけど――あそこは『病棟』とは名ばかりで、ただ私が一人で受付をやっているだけの所なんです。受付と言っても、今日の福丸様みたいに、事前に予約をいただいた方しかいらっしゃらないですが」


 私は予約はしていないので、賀城が、私に代わって予約してくれていたということで間違いなさそうだ。



「じゃあ、何のためにあんなに広いスペースが必要なんですか?」


 もっと言えば、第一病棟は、外見からして五階建てだか六階建てだかの建物なのである。第一病棟には受付機能しかないのだとすれば、上層階も一切不要だということになる。



「昔はもっと色々とあったそうです。普通の病院みたいに、待合用の椅子だったり、精算用のカウンターだったりが。上の階には、診察室だとか、病室とかもありました。ただ、今はそういう『病院らしいもの』が無くなってしまったんです」


「どうしてですか?」


「決して当院が廃れたとか、人気が無くなったとか、そういうわけではないんですよ。むしろ入院を希望される方はたくさんいるんです。だからこそ、余計な機能は削ったというのが正確なところです。入院される方も、基本的には、他の病院からの紹介状を必要とさせていただいています」


 イメージとしては、一見さんお断りの会員制のバーみたいな感じだろうか。

 たしかにそういう店の店構えは、シンプルで、普通の人家と区別しにくいことさえある。

 この病院も同じように、選ばれた患者だけを受け入れるため、賑やかさを廃したということだろうか。


 それにしても――



「あのスペースはさすがに無駄じゃないですか? 洞爺さん、あんな広い所にポツンと一人でいて寂しくならないんですか?」


 洞爺は、いつものように、上品に笑う。



「うふふ。福丸様、面白い質問ですね。寂しい……そうですね。寂しさを感じることはあります」


 ただ、と洞爺の小さな唇が言葉を継ぐ。



「仕事は仕事なんです。病院の顔である受付機能は削るわけにはいかないですし、私がそこにいることで安心してくれる患者さんもいるので。寂しいからといって、私がいなくなるわけにはいかないんです」


 洞爺は、背が低く、見た目も幼く見えるが、おそらく私よりも年上で、社会人の先輩なのである。

 洞爺のプロ意識に、私は心より敬服した。やっていることが怪しい、とか、同僚がみな怪しいとか、自らの仕事に対する不平不満ばかりあげつらっていないで、私も洞爺を見習わなければならないな、と心から反省したのである。

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