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ペアチケット(2006)  作者: 瑞城弥生
9/11

 何とか落ち着いた千尋には一度家に帰るよう薦めて駅の改札まで見送った。それから僕は一人で先日オープンしたパソコンショップに立ち寄った。アニメキャラクターのコスプレをした女の子が店の前でチラシを配っている。それは数日前の新聞に入っていたものと同じだった。特別ほしいものは無かったし、先立つものも当然無い。とは言えこの店はオープンしてから一度も来たことが無かったから、気分転換を兼ねて入って見た。


「いらっしゃいませ」


 元気よく挨拶している女性店員のレベルはまずまずよし。まだオープニングセール期間中だから平日だというのに店内は人で一杯だった。

 一階は消耗品がメインである。先ずはプリンターのインクをチェックする。値段はいつも使っているお店といい勝負だった。こっちの店の方が地理的に言えば便利である。急いでいるときにはいいかもしれない。

 二階は本体・周辺機器のフロアになっている。最新機種であるトーカ製タイプ五は、部室にあるタイプ四の上位機種だったが、多機能性を売り物にしているだけに不安定だといううわさがあった。それでも最新機種だけに店内には大きな看板が掲げてあり、コンパニオンのお姉さんが、サラリーマンを捕まえては新機能の説明を繰り返していた。

 三階のソフトコーナーはさらりと流して一気に四階へと向った。大抵のユーティリティーソフトは自分で作ってしまったし、お金を出して買うべきソフトはすでにある。興味を引くものが三階には無さそうだった。

 増設パーツを中心に展示されている四階のフロアーは、開店セールで大放出中の格安パーツを獲得しようとパソコンオタクたちが群がっていた。その集団を避けるようにゆっくりと店内を見て歩く。品揃えは豊富だし値段も手ごろである。近くにこういった店が出来たのはうれしかった。そのまま店の奥へ進んで行った時、エスカレーターの反対側に、例の制服を着た女をみつけた。


「また西岡か」


 如月女学院の生徒だってパソコンショップに立ち寄る事もあるだろう。普段はこのあたりであの制服を見かけることは無かったから、きっと大会参加者に違いない。よく見るとその後姿には見覚えがあった。


「すいません。通路をあけていただいてもよろしかったですか」


 僕はその姿に気をとられて通路を占有している事に気づかなかった。謝りながら道を空けるとそこにも如月女学院高等部の生徒がいた。


「西条直子?」


 初日の朝に郁美と一緒に歩いていたのを思い出して、思わず名前をつぶやいた。西条家と言えば貴族であり、革命前はこの辺一帯を統治していた領主の家系である。彼女は如月女学院の隣にある大豪邸に住んでいて、西岡の中でもさらにレベルの違うお嬢さま、いやむしろお姫様だった。


「あの、どなたですか」

「えーと……」


 郁美を探していたときに会場の控室前で会ったことを彼女は覚えていなかった。彼女にとっての僕は、ただの高校生ですらないのだろう。そういう状態で、どう説明したら良いか迷っていると僕の後ろから声がした。


「西条さん、どうかしました」


 それは聞き覚えのある声だった。振り向いた先には郁美がいた。


「あら、星野さん。奇遇ですね。これが運命というものでしょうか」


 昨日の事もまだ自分の中で整理されてはいなかったし、千尋とあんな事になった直後だったから、本当はこんなところで郁美に会いたくなかった。でも、逢ってしまったものは仕様がない。何とか理由をつけて逃げ出そうと考えた。


「あら、三浦さんのお知り合いですか」

「ええ」


 美女二人に挟まれた状態は人が思うほど居心地の良いものではないと分かった。とにかく一刻も早く抜け出そうと後に一歩下がった時、直子に腕をつかまれた。


「よかったらご一緒にお茶でもいかがです」

「すいません持ち合わせが……」


 相変わらず自分の分を払うだけのお金も無かった。いつもの癖でそれを理由に断ろうとしたが、相手が悪かった。彼女は街一番の金持ちなのだ。


「私がお誘いしたのですから、今日は私にご馳走させてくださいな」


 郁美よりさらに素敵な笑顔に圧倒され、逃げ出すのは無理だとあきらめた。ここまで言われて断ったりしたら後が怖い。仕方なく五階にある喫茶店にお供した。

 その喫茶店はパソコンショップに同居しているとは思えないほど上品な店だったが、特別な人種の利用が多かった。ウェートレスがメイド姿なのはさておき、店に入ったとたんお帰りなさいと言われて正直困った。直子はそう言ったのにはなれているようで、ご苦労さまと返事をしていた。自宅には沢山の召使がいるのだろう。


「メイド喫茶というらしいですね。これの何が楽しいんでしょうか」


 いつもメイドに給仕されている直子には珍しくも何とも無いのだろう。そうでなければ単なる天然系だと思ってしまう。


「ところで、お二人はもうお付き合いしていらっしゃるんですか?」


 やっぱり天然系なのだろう。聞き方も直球だった。


「いいえ、まだなんですよ」

「ではいずれ?」

「はい、そのつもりです」


 二人は勝手に話を進めていた。さっきの二人とくらべたらとてつもなく上品だけど、僕にとっては同じ状態に変わりがなかった。


「いや、あの、三浦さん?」

「はい、なんでしょう」

「その、返事はまだ……」


 その言葉を西条がさえぎった。


「あら、それは一体どう言ったことでしょう。三浦郁美より素敵な女子高生は、他にいないはずですよ。もちろんこの私の次にですけど」


 やっぱり西岡の生徒には想像を絶する癖があり、一筋縄ではいかない相手だ。でもそれが第三者から見ても自信過剰とは言えないあたりが、彼女たちのすごいところであると言えた。


「そうではなくてですね。まだ出逢ったばかりで三浦さんのことをよく知らないから、まずは友達からということなんですよ。第一私にはもったいないです」


 それは本音だった。でも言い訳としては実に陳腐に聞こえただろう。


「そうですか? でも、三浦さんのことはわたしが保証しますし、貴方だってとても素敵な男性だと思いますよ」


 まずは何を根拠にそう思ったのかきちんと説明して欲しいと思った。郁美のことは良いとして、会って数分しか経っていない相手のことがどうして分かると言うのだろう。人を鑑定する目を持っていたとしても、見間違いも甚だしい。それでも今までそんな風に言われた事が無かったから、誉め言葉そのものは嬉しかった。


「まあ、あせることもありませんわね。私たちはまだ若いですから」


 正直言えば、彼女たちの世界にいる人たちとまともに付き合う自信が無かった。彼女と付き合うことになればいろいろ面倒なことが多いだろう。庶民は庶民らしく生きていくのが、僕自身のモットーだった。

 結局二人のお嬢様はケーキのついた紅茶セットと注文し、自分も同じくアップルパイのセットを頼んだ。こういう店だからあまり味には期待していなかったけれど、アップルパイはおいしかった。


 しかし悪いことは重なるもので、居心地の悪い喫茶店を出て四階に戻ったとき、今度は香澄とばったり出くわした。


「あら、香澄さん」

「郁美、さん?」


 香澄はこっちを見たとたん思ったとおり固まった。反応してしまった以上、気付かない振りも出来

ないのだろう。何とかこの場を切り抜ける方法は無いかと色々考えてはみたけれど、やっぱり逃げ出すのが一番早いようだった。


「ではこの辺で失礼します。今日はご馳走様でした」


 挨拶もそこそこに、僕は香澄を連れてその場を逃げた。エスカレーターを駆け下りて店を飛び出し、駅を通り過ぎて反対側にある公園に走りこんだ。


「いや、危なかった」

「なんなのよ」

「一触即発ってやつ?」


 郁美が切れることは無いだろうが、香澄のほうは自信が持てなかった。あの場を離れたのは良い判断だったと確信していた。


「どうして星野があの人といるわけ」

「別に三浦さんと一緒だった訳じゃないんだよ。たまたま西条さんに誘われたんだ」

「じゃあ姫とは何処で知り合ったの」

「姫って、おまえ彼女を知っているのか」


 香澄はしまったと言う表情をしてからスカートのままジャングルジムに足を掛け、一気にその頂上まで駆け上った。


「おい香澄」

「大丈夫、中に履いてるから」


 香澄はスカートのすそをめくって、中の短パンを見せびらかした。見てはいけないものじゃないはずのに、何だかかえって照れくさかった。


「星野もおいでよ」


 そう言われて香澄の後に続いて登った。ジャングルジムなんて何年ぶりだろう。昔はあんなに大きく感じたのに、今では簡単に登れてしまうほど小さく感じた。塗装がはげたところから錆びくさい臭いがし、手は赤錆で真っ赤になった。頂上で香澄と同じように腰をかけると、心地よい風がほんのりと潮の香りを運んできた。


「ほら」


 いつの間にか夕方になっていた。太陽が水平線にかかって、オレンジ色の空とオレンジ色の海が輝いている。


「きれいだな」

「ここはね、郁実のお気に入りスポットなんだ」


 香澄の髪が、オレンジ色の夕日に輝きながらゆれていた。


「ごめん知らなくって」

「いいって別に」


 夕日の光に照らされた香純は何時に無く綺麗に見えた。その横顔をどこかで見たような気がしてきた。香純はしばらく黙って海を見ていたが、小さく笑ってから話を始めた。


「わたしには母親がいないんだ」


 香純がぽつりとつぶやいた。それは本人からではなく彼女と同じ中学からきた男子から聞いたことがあった。


「母親はね、保坂香織っていうの」


 香純が誰に似ているのかその名前を聞いて思い出した。保坂香織は北山知佳と一緒に南高校電算部の記念写真に写っていたプログラマーの一人である。


「だから本当の名前は保坂香澄というの。今は訳があって名字が違うんだ」


 郁美の時に比べたらそれほどの衝撃は感じなかった。保坂香純は五人の中で最も目立たない存在だったし、彼女の記録はどう言う訳かほとんど残っていなかった。香澄はその後深田家に養子として入ったそうだ。深田家は西条家の分家だったから、香澄は小さいころから直子のことを姫と呼んで育ったらしい。


「殺されたのよ」


 たいした考えもなしに、事故にでも遭ったのか聞いてしまった。その答えはあまりにも僕の生活と縁の無い言葉だった。


「あの人にコンピューターを教わってすぐに分かったの。私の母親を殺したのは北山知佳だったのよ」

「殺した?」

「実験の犠牲になったと言う方が正確かな。別に殺意があった訳じゃないんだし。でも私にとっては同じことだから」


 北山知佳らが開発した基幹システムを始動した時、多くの優秀なプログラマーが消息を断ったと言われていた。保坂香織もその一人であり、香澄が言っているのは多分そのことなんだろう。


「でも、あれは事故じゃないのか」


 公式には事故だと発表されていたし、彼女たちの遺体も発見されていない。正式な発表では行方不明だった。国が絡む大事業だと裏があったりするのかもしれないから、真実は案外違うのかも知れないと思った。


「でもさ、彼女は関係無いんじゃないのか」


 北山知佳の信者としては、香澄の発言をそのまま受け入れることは出来ないから、無意識に知佳を擁護するようなことを言ってしまった。


「そんなこと分かっている。北山知佳だって被害者だよね。それはよく分かっているの。分かっているけど抑えきれないの。あの人――北山郁美と一緒にいると怒りがこみ上げてきて抑えきれなくなってしまうの。ただの八つ当たりだってことも分かってる。言いがかりだってことも分かってる。分かっているけど……」


 彼女は泣いてはいなかった。

 でも僕に何が出来るというのだろう。

 両親も健在で何一つ苦労をしていない自分が、彼女に掛けていい言葉なんか無いような気がした。それでも彼女をこのまま放って置くことは出来なかった。


「勝とうか」

「え」

「あいつらに勝とう」


 香澄は声を上げて笑った。


「無理よ」

「そう思わなければ勝てないんだろう」


 それは昨日香澄が言った言葉だった。


「私ね、あの人のことが好きだったの。本気で好きだったのよ」


 夕日は既に沈み切って、青く染まった空に月が出ていた。


「本当はまだ好きなんだろう」


 香澄は何も言わなかった。


「勝とうぜ。そうすればきっと……」

「そうよね」


 香澄は涙が落ちないように空を見上げた。

 月は今日も綺麗だった。

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