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ペアチケット(2006)  作者: 瑞城弥生
3/11

 バスに揺られてたどり着いた大会会場の公共施設は、電算機普及センターという三階建ての建物だった。一階には最新型コンピューターの並んでいる電算機室が一般市民にも開放されていた。二階には大中小の会議室がいくつかあった。一番上の三階は講堂になっていたけれど、雛壇上の客席があるわけではなく、少し天井が高いだけのただの大きな部屋だった。統計上、中学生以上なら一人一台はコンピューターを持っているはずだから、いまさら「普及」だなんて言葉は陳腐だったけど、この建物はかなり昔からある施設だと聞いて納得した。

 大会参加者は先ず講堂に集合する事になっていた。退屈な開会式が終わると、参加する競技ごとに組み合わせ抽選会が行なわれる。じゃんけんで負けた僕が南高校の代表として前に出た。負けた人間が都合のよい当たりくじを引くとは思えなかったけど、香澄は黙ったまま、千尋は陽気に僕をステージに送り出した。

 僕たちの参加する競技の出場校は全部で十二校だった。去年優勝した如月女学院と準優勝の商業高校はそれぞれが別のグループのシードだと決まっている。残り二つのシードのどちらかを引けば一回戦は不戦勝だ。別に体力を使ったり、妙な策を駆使したりする協議ではなかったけど、できれはシードがほしかった。信じても居ない神様に祈りながら札を引くと、微妙なカードを引き当てた。結果から言うならば、如月女学院と同じブロックのシードじある。シードになったのはうれしかったけど、決勝のひとつ前で西岡と当たるのはかなり気の重い結果だった。西岡とは決勝で会うのが自分の中ではベストだと思っていた。嫌いな物は最後に食べるのが僕の信条だった。


「二回戦が西高校で、準決勝は西岡と対戦ですか。最強のくじ運ですね」


 千尋は賛美とも嫌味とも取れる中途半端な言葉で迎えてくれた。

 南高校電算部が参加するのはフリーキングマッチと言う競技である。もちろん優勝候補は西岡こと如月女学院高等部パソコン同好会だ。これで決勝に進めないことは事実上確定した。でも僕は優勝を諦めては居なかった。


「一回戦は不戦勝って事ですよね。なんかつまらなくないですか」

「そうね。でも、勝ちは勝ちだから」


 シードになったことに、千尋は何故だか不満があるようだった。だけど次にやるべきことは西高校(あるいはその対戦相手)に勝つことである。とりあえず偵察に言って来いと千尋を一回戦の試合会場に送り込んでから、僕は一人でマシンの調整に取り掛かった。西高校の試合を見たいと思わなかったからだけど、昨晩のうちに改良したプログラムが正常に動くか確認をしておきたかった。防御ソフトのプログラミングは香純に任せてあったけれど、攻撃用は千尋との合作だから、最後のチェックは自分でやっておきたかった。


 両親の仕事の関係で僕は小さい頃からコンピューターをおもちゃ代わりに遊んでいた。プログラミングは早い時期から独学で勉強し、中学に上がる頃にはメール送受信のプログラムぐらいは作れるようになっていた。それでも本格的にプログラミングの勉強をはじめたのは中三の秋からだ。

 その日ゲームに疲れて牛乳でも飲もうと台所に降りてきた僕は、珍しく早く帰ってきている父親と鉢合わせた。久しぶりに言葉を交わしたあと、彼はお土産だと言って雑誌をひとつ僕にくれた。それは業界紙と言うより社内報のようなものだった。内容はと言えばコンピューター関係の論文がメインで、中学生の僕にはさっぱりわからない言葉ばかり並んでいた。中でも伊集院博士のユキシステム理論は全く理解できなかった。その中でただ一つだけ僕の興味を引いたのは北山博士の記事だった。第一に彼女はとても美しかった。その雑誌には彼女の書いたプログラムの一部が紹介されていたのだけれど、それを見た瞬間に僕はものすごい衝撃を受けたのだ。そのプログラムは彼女の容姿と同じように美しかった。当時の僕には、プログラムが只のアルファベットの羅列にしか見えなかったのに、それを美しいと感じていた。そして何故だか、その感情に疑問を感じることは無かった。

 だから僕は、彼女の事をもっと知りたいと思った。


 北山知佳、四十二歳。彼女は高校在学中に博士号を取ってしまうほど優秀なプログラマーであり、この国の重要な基幹システムを設計した五人の女性エンジニアのリーダーでもあった。現在彼女は開発途中の月にいる。肩書きは月面開発局長。月への殖民計画に関する国の最高責任者である。これまでの彼女の業績は覚えきれないほどで、だからこそ異例の若さでその地位に抜擢されたと言えるだろう。

 しかしその美しさ無しに彼女を語る事など出来なかった。若い頃にはモデルとして活躍し、あらゆる媒体に登場した。今ではメディアに出ることもほとんど無く、当時の写真が載っている雑誌や情報誌なんかはかなりの高額で取引されていた。能力と美貌を兼ね備えた北山知佳の熱心なファンは、プログラマーを中心に数多く存在する。彼らはみな彼女に憧れ、そして恋した。そして彼らは例外なく、若い頃の彼女の写真をお守り代わりに持ち歩いているのだった。

 その北山知佳が区立南高校電算部の出身だと知ったのは、今年の春に部室の片づけをしていた時のことだった。古いダンボールから出てきた昔の部員名簿に彼女の名前を見つけて興奮した。一緒に残っていた写真に優勝トロフィーを掲げた彼女と、四人の仲間の姿があった。全員見覚えのある顔だった。彼女たちは国の基幹システムを開発した五人のプログラマーに違いなかった。そして今生きているのは月にいる北山知佳一人である。

 彼女が南高校の出身だとは知っていた。だからこの学校に進学したのだ。だけど電算部の先輩だったと知ったとき、今年の電算大会では絶対に優勝しよう心に誓った。

 あの日、あの雑誌で北山知佳を知ってから、僕は彼女に会う事だけを夢見ていた。嫌いな勉強も沢山した。そして寝る間も惜しんで今回のプログラムを作ったのだ。

 彼女に少しでも近づく為に……。


「終わりましたか?」


 最終チェックが終わって後片付けを始めたところに、風呂敷を抱えた千尋が現れた。


「ちょうど終わったところ。何かあった?」

「お昼ですよ。一緒に食べましょう」


 部屋の時計を見上げると、既にお昼の時間だった。

 建物の裏にある区立公園は、広大な芝生があり弁当を広げるのにはもってこいだ。ちょっとした木陰に、千尋が持参した大き目のシートを広げ、その上に三人で座った。千尋は抱えてきた風呂敷を解いて弁当を取り出した。いまどき風呂敷に弁当を包んでくるそのセンスがおかしかった。


「変ですか」

「変じゃないけど、面白い」


 香澄が珍しく声を上げて笑った。千尋はそれでまた少し不機嫌になったけど、風呂敷のことには動じないで重箱をその上に並べていった。弁当はかなりのボリュームだった。縁起を担いだつもりなんだろう。メインのおかずはとんかつである。きちんと縁起を担ぐのならここはカツどんにすべきであって、とんかつでは中途半端だ。まあでも、作ってくれた人にそんな些細なイチャモンをつけるほど僕の心は狭くなかった。


「これ全部自分で作ったのか」


 香純は会場で買ったやきとり弁当をつついていた。ご飯の上に、串に刺さった豚の生肉がのっている名物弁当だ。この地方では豚の精肉を使ったものをやきとりと言う変った習慣があった。


「もちろんです」

「意外だな。じゃあ遠慮なく、いただきます」


 僕は最初に卵焼きを口に入れた。心配そうに覗き込んでいる千尋を横目に、ゆっくり味わってから飲み込んだ。


「どんなもんでしょう?」

「いや、おいしいよ。これならいいお嫁さんに成れるんじゃないかな」


 予想外と言ったら失礼だろうが、はっきり言っておいしかった。いままで彼女がお弁当を持ってきたのを僕は一度も見たことが無かったし、大体見た感じの印象からして料理が上手とは思えないのだ。だから余計おいしく感じたのだろう。


「そうですか、いやあ、先輩にそう言ってもらえると嬉しいです。すごく自信が出てきました。私がんばりますから」


 千尋は喜んでガッツポーズをしていたが、僕は軽くそうだねと受け流した。千尋の顔が引きつって見えたのは気のせいに違いない。


「本当に自分で作ったの?」

「そうですよ」

「こいつはお世辞が上手いからな」


 言葉だけでは信じられないと言って、香純は食べ終わったやきとりの串をとんかつに突き刺した。


「どれ」

「だめですよ深田先輩。これは星野先輩の為に作ってきたんですから」

「そうなんだ」


 偶然僕と目が合った千尋が、顔を真っ赤にしてうつむいた。それに気づいた香純は二切れ目のとんかつを大げさに千尋の前で振り回してから口に運んだ。


「あ、また!」

「いいじゃない、減るもんじゃないし」

「減ってますって」

「そうか?」


 三切れ目に手を伸ばした香澄に対して、千尋はグーで応戦した。しかし香澄はそのこぶしをひらりとかわして、難なくとんかつをゲットした。


「先輩勘弁してくださいよ」


 千尋はもう泣きそうになっていた。二人のやり取りを冷静に眺めながら、僕はおにぎりを頂いた。中身はシンプルに梅干だったけれど朝食べたコンビニのおにぎりなんかよりずっとおいしかったと思う。


「本当は一回戦もやりたかっただろ」

「いえ、まあ……」


 かなりの量のお弁当をあらかた食べ終えてから、僕は千尋にそう尋ねた。初参戦だしやる気はあるから、一回戦が不戦勝なのは彼女にはとって不本意に違いない。組み合わせが決まったとき、千尋が少し残念そうな顔をしていたのを思い出した。


「そうか関根は戦うのが好きなのかぁ」

「深田先輩、なんですかそれ。それじゃわたしが戦闘オタクみたいじゃ無いですか」


 千尋は必死になって抗議をしていた。


「違うの?」

「違います」

「でも、モビルスーツとか好きでしょう」

「うぐっ」

「あれ、戦闘アニメだし」


 香澄に痛い所を突かれたようだ。千尋の好きなアニメの事は香純でさえ知っていた。部室の壁にはポスターが張ってあり、棚の上はプラモデルが並んでいる。別の競技に参加している南高校の電算部長とアニメについて熱く語り合っている姿はいまも強く印象に残っている。


「でも二回戦は宿敵の西高だし、準決勝の相手は優勝候補ですよ。相手にとって不足はないですよね。星野先輩!」

「あ、ああ」


 千尋は上手い事話題を変える事に成功した。


「ところで西岡に勝てると思いますか?」


 その質問は非常に答えにくかった。冷静に考えてみれば西岡に勝てる確率など一パーセントもありはしない。それでも勝負はやってみるまで分からないと思いたかった。

 それに僕は、優勝すると決めていた。

 だから――。


「勝てるさ」


 そう言い切った。

 そう信じる事にした。


「ですよね。がんばりましょう」


 軽いのりでそう答えた千尋にとっては、勝ち負けなどさほど深刻な問題では無いようだった。

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