第二話 〈燕の羽休め〉亭
すみません、冒険者になる予定でしたが、思ったより宿で文字数が取られてしました。その代わりに冒険者登録所では大暴れしてもらう予定ですので、もう少しお待ち下さい。
「お待たせしました。やっと解放されましたよ」
台詞とは裏腹な明るい声で言いながら、先ほどの入国審査官が小走りで向かってきた。
城門近くのカフェで時間を潰していた俺とジィは、その場で立ち上がって彼を迎える。後で聞いた話だが、治癒魔術を掛けたとはいえ、一応彼は自宅安静となった。ただしその前に、今回の襲撃に関することを衛兵に色々聞かれていたらしい。
「気にしないでほしい。改めて自己紹介させてもらう。クリム・ロンガルソだ。こっちはジィ。今日からお世話になる」
「初めまして、ジィと申します。不束者でございますが、どうぞ宜しくお願い致します」
「いえいえ、命の恩人は大歓迎ですよ。あっ、まだ名乗っていませんでしたね。私はアトラ。アトラ・ベイブスと申します」
そう言って、人の好い顔をした男は笑った。
彼は軽い足取りで歩きだし、俺とジィはそれに倣う。馬車が横並びで五台ほど通れそうな幅の大通りを、多くの人々がせわしなく行き交っている。その中には、屈強な体躯の大男や、重い鎧に身を包んだ人間の集団なども混ざっていた。
大通りの並びには、宿屋に食事処、銭湯などの他、武器店、防具店、魔術液瓶店のような、戦闘に大いに関わりそうな店も並んでいる。
「アトラ殿か。今日は災難な日だった」
「全くですよ。まぁ、死ななかっただけ良かったですけどね。これからはあの席に座るたんびにあの光景を思い出してしまいそうで、今から気が気でないですよ。あぁ、それと殿付けはいりませんよ、ロンガルソ様。助けて頂いたのは私ですから」
「それは無理だ、アトラ殿。俺はアトラ殿の宿屋に泊まるのだから」
「正確には、主人は私の妻ですがね。ナハと言います。働き者ですよ、少々慌て者なきらいはありますが」
「宿屋を経営しているのだ、慌て者でも賢い方なのだろう」
「えぇ、その通りです。いつだって、大切なところで鋭いやつですし。あいつは昔……」
アトラ殿の妻自慢は、聞いていて微笑ましかった。ここのところ、話らしい話はジィとしかしてなかったから、こういうのは実に久しぶりだ。心地よい人々の喧騒の中、幸せそうなアトラ殿の声が俺の脳に染み込む。
「…少々、不躾なことを聞いてもよろしいですか、ロンガルソ様」
「どのような、アトラ殿?」
アトラ殿は少しの間逡巡したあと、「誠に失礼極まりないのですが」と前置きしてから言った。
「ロンガルソ様は、敬語をお使いにならないのですね」
「あぁ…。それは誠に申し訳ない。どうしても、敬語は苦手なんだ」
「いえいえ、私なんかに敬語を使えなどと言いたいわけではないのです。ただ、使えるのに使わないのではなく、使えないのではないかという気がしたものですから」
「…すまない、説明してもらってもいいか?」
「構いませんとも。とても私などが言える筋合いではありませんが、ロンガルソ様の話し方は、礼儀と敬意に溢れていると感じられたのです。きっと、敬語ではなくてこの話し方でずっと過ごしてきたのではないかと。あ、下手な敬語で話すより、私は丁寧だと思っております。本心から」
なるほど、感覚か。それだけでそれを見抜くとは、鋭い勘の持ち主だな、アトラ殿は。
「そうか。確かに敬語を使ったのは数えるほどだ。そして、そういってくれると俺もありがたい。敬語じゃないと話せない場など、行きたくないからな」
「それなら残念かもしれませんが、きっと今にロンガルソ様は、そのような場所に呼ばれるような方になりますよ。このミラストリアの王城などでは、まだ足りないかもしれません」
「あり得ないさ、アトラ殿。俺はまだ冒険者ですらない」
「冒険者ではないのですか!? あれだけ強いのに!?」
「流石に勘違いだ。俺より強い奴なんか、探せば星の数ほどいる」
それこそ、俺のすぐ後ろを歩いているこの執事とかそうだしな。
現に今だって、しれっと《上位気配隠蔽》使ってるし。
「まぁ、星の数はないでしょうが…。…あっ、そうだ、それなら冒険者登録はなさりますか?」
「あぁ、明日するつもりでいる」
実は今日入国直後にするつもりだったのだが、冒険者登録が午後三時までという規定を知らなかった。だから、予定を明日の朝に変えたのだ。
「実は、私の娘も冒険者なのです。まだ〈銅の称号者〉ですからロンガルソ様の実力には遠く及ばないでしょうが、明日冒険者登録所まで案内させるぐらいなら出来ますよ。娘はそういうことが大好きですしね」
「そういうことなら、娘殿にお願いしてもいいだろうか」
「分かりました。娘はカンナと言います。ナハの奴に似て、いつでも明るい奴ですよ」
「それはきっと、話していて楽しそうだ」
そんな会話をしていたら、アトラ殿が歩く速度を緩める。そして、一つの宿屋の前で足を止めた。
「ようやく着きましたね。私の実家、〈燕の羽休め〉と言う宿になります」
そういったアトラ殿の右手が示すのは……
煩雑とした大通りからは浮いた、こじんまりとした宿屋だった。
「これは……」
これまで一言も発さず静かに後ろを歩いてきたジィですら、思わず感嘆の声を漏らしている。俺に至っては、驚く言葉すら失ってしまった。
決して大きな宿屋ではない。むしろ、大きさで言うなら小さい類だろう。だが、その格の違いは、素人の俺にも見て手に取るように分かる。上品な色合いで整えられた外観に、丁寧で芸術的な造り。白色の木を主にしたその宿には、看板の隅から引き戸の持ち手など、細かいところにまで凝った意匠が彫られていた。決して主張が激しいわけじゃないが、見れば見るほど魅入られていく、まるで幻想のような宿屋だった。
「外観にはご満足いただけましたか?」
「満足も何も…本当に良いのか、アトラ殿?このような宿には、むしろ金を払いたいぐらいなんだが」
「その必要はありませんとも。さぁ、中へお入りください」
そういってアトラ殿は、大地竜――ジィが言うにはこの国で〈戦神〉とされている竜族だ――の意匠が施された持ち手を引いて、真っ白い扉を開いた。
「アトラ!?」
そしてその瞬間、俺らを押しのけてアトラ殿に飛びついた人影があった。
「アトラ!アトラなのね!!良かったぁっ!!」
言うまでもなくこの女性が、アトラ殿の妻――〈燕の羽休め〉亭主、ナハ殿だろう。どうやら夫婦仲は良好らしい。…いや、良好すぎるくらいか、これは。
「落ち着けナハ、お客様だ」
「いや、気にしないでくれて構わないが」
「はっ!いけない!初めまして、〈燕の羽休め〉にようこそ。亭主のナハです!主人を助けて頂いたというのは、もしかして貴方様でしょうか?」
「まぁ、一応そうなる」
その俺の台詞に、ナハ殿は感極まった様子で顔を緩めた。
「本っ当にありがとうございます!!私の、私の夫を救っていただいて!」
そういうナハ殿の笑顔からは、感激と安堵が溢れ出ている。きっと衛兵本部からでも連絡があり、今こうしてアトラ殿が帰ってくるまで、どうなったか気が気でなかったのだろう。あの時、ジィと交わした約束を破って銀色の魔狼を追い払い、アトラ殿を治療して正解だったと、この笑顔を見て思った。
「この宿最上級の部屋を準備しております!どうぞ上がってください!」
そういうナハ殿の言葉に甘えることにして、俺とジィは〈燕の羽休め〉亭の門をくぐった。
入ってすぐ右手に、宿泊費の清算などを行うカウンターがある。そして反対側は、席が二十ほどある食堂だった。ふんだんに使われた白樺と、それに施された竜などの意匠がやはり目を引く。
「おい、あいつらがあの噂の…」
「一人だけで〈白金の称号〉パーティの実力を持つバケモンか」
「うわ、俺より若ぇぞ。あと後ろの老人はなんだ?」
「付き添いとか、荷物持ちかもな」
そして、まだ夕方でない午後でも関わらず、食堂に人はいた。右手奥の隅らへんの四人パーティが、俺らを見ながら何かを話してるのが聞こえる。
「部屋はそちらの階段を上がっていただいて右手になります。
夕食は午後五時から九時の間でしたらいつ来ていただいてもご準備出来ますから、お好きな時間に後ろの食堂に起こし下さい。
朝食も同じ形式で、時刻は朝五時から九時となります。
昼食はありませんが、もしご注文いただければ別料金でお作りすることは可能ですよ。弁当をご所望の際にも、量と時刻などをお申し付けいただければ対応いたします。
本宿は申し訳ございませんが露天風呂がついておりませんので、大通り出て右に一分ほど歩いたところにある銭湯をご利用いただけると幸いです。その際、この宿屋の部屋の鍵を持っていくと入湯料が半額になりますので、是非お忘れなきよう。はい、こちらが部屋の鍵になりますね。
そして、クリム様とジィ様は、昼食料と入湯料は全て無料になりますから、お気軽にご利用ください!」
俺とジィは右手のカウンターで、宿屋についていろいろナハ殿から聞く。鍵を受け取って、俺はナハ殿とアトラ殿に頭を下げた。
「よく分かった。本当にご配慮、感謝する」
「もちろんです、夫の命の恩人ですもの!これぐらい当然です!
それとみなさーん!今日の夕食は仔竜のステーキにしまーす!夫を救っていただいた救世主様の感謝祭です!」
「うおぉぉお!!仔竜のステーキ!」
「振るうねぇ、ナハさん!」
「期待してますぜ!」
「救世主殿は俺らの腹も救ってくれたか!」
「「「ははははははは!!」」」
ナハさんの宣言を聞いて後ろから、さっきの男たちの歓声と笑い声が飛んできた。
取り敢えず、階段を上がって右手の部屋の扉を開ける。その部屋は決して大きいとは言えなかったが、確かに配置されている家具などは最高品質のものばかりだ。こじんまりとではあったが、食堂の隅に〈白金の称号〉宿屋の証明書を飾っていただけはある。上品な印象を与えるその部屋に、俺は背負っていた荷物を投げ出した。
「ジィ」
「いかがなさいましたか?」
「ずっと、謝らねぇとと思っててな。アトラ殿の件、悪かった。俺が言い出したのに」
ジィとした約束。
それは、「ジィを極力目立たせない」、というもの。
ジィは強い。余りにも強い。冗談もお世辞も抜きに俺は、ジィが本気を出せば、アトランダ皇国の天皇直属軍や、マトガイン帝国正規軍をも壊滅させられると思っている。
国家の軍隊を一つ丸々壊滅させた上で、その領土を全域、焦土に変えられるような力。
それは、災害指定なら第Ⅴ級災害指定匹敵――古竜はおろか、〈龍〉とさえ単体で戦えるような力。
それを、男竜人でも、女竜人でも、ましてや変異者でもないただの老人が持っているとなれば、それは間違いなく国を超えた大問題となる。
だから、何があってもジィは目立たせず、仕方のない時には俺がやったことにする。そうすれば第Ⅴ級災害指定ということにされた俺はすぐに何かを失敗し、失望される。そのような考えで俺がジィに言って決めたルールだった。
だが、俺はそれを入国する前から破ってしまった。それを、今ジィに謝ったのだ。
「お気になさる必要はありませんとも、坊ちゃま。私は坊ちゃまの「治してくれ」という命に従ったまででございます」
「つまりは俺の自分勝手じゃないか」
「人の命を救おうとすることの、一体何が勝手でございましょうか」
「俺だってあれぐらいの治癒魔術なら使える。俺がやれば良かっただけの話だ」
「しかし、坊ちゃまは自分の治癒魔術より私の治癒魔術の方が適切だと判断した。それは坊ちゃま御自身のことを考えての行動ではなく、アトラ殿のことを考えての行動です。他人のことを考えて取った行動が、悪い理由など何処にもございません」
「…ジィがそう言うのなら、そういうことにしておこう。ただ…ありがとう、ジィ」
「感謝されるような謂れはありませんとも、坊ちゃま」
そのジィの返事を聞いてから、俺は近くのベッドへ倒れ込む。
「全く坊ちゃま、着替えもせずに…」というジィの呆れ声は、ありがたく無視させてもらった。
今回の剣技・魔術・その他です。
上位気配隠蔽
《気配隠蔽》の上位魔術。上位看破魔術を使われない限り、近くにいても気配を読めなくなる。
お読み下さり、ありがとうございます!
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