set.3 黄金の騎士
清月の都、フラン。この都市の夜は宴が開かれる方面と、暗闇の下町に分かれる。後者の方にて英雄王ウィルはある建物に入る。部屋に入ると一人の男が待ちわびていた。
「英雄王様、お待ちしておりました。どうぞ」
ウィルは椅子に座る。
「私は学者のオスニエルと申します。貴方については部下から聞きました。診察に移りますのでそこのベッドで横になさってくだされ」
ウィルはマントと鎧を脱ぎローブの状態で仰向けになる。
「呪術の印は…右肩、な、これは!?」
オスニエルは絶望した。
「…英雄王様…これは…し、『死の宣告』の呪術方陣!まさか貴方様が…」
ウィルは驚いていない。オスニエルに聞く。
「この印について知っているんですね」
「おお、神よなぜ彼を見捨てたろうか」
オスニエルは汗を流す。気持ちを押し通して告白していく。
「この呪術の解き方は、その呪術を使ったものを討ち倒す他に、解明されていないのです。もって一年でしょうか、この方陣が肉体を急に蝕んでいきます。私にはどうしようもございません…」
「教えてくれただけでも感謝しています」
「勇者連合に明日、私が報告しますので貴方は自分の時間を大切にしてくだされ。また会いましょう」
「ありがとうございます。では」
ウィルは退出した。薄暗い廊下を歩いていると人が待っていた。
「…呪術…治らないそうだね」
右目は紅く、左目を髪で隠す、灰色の装束の童顔の人がウィルに近づいてきた。悲しげな表情を浮かべると、ウィルから話してきた。
「君か…なんでここに」
「依頼でちょっと無理しちゃってね。でも、三分の一が医師に持ってかれただけで数日は何とかなる…と、思う…かな?」
「僕については心配要らないよ。君は君や皆のために生きていくんだ。僕のために心配する必要はないから」
紅き目の子はウィルに顔を近づけ、目を潤わせて下から上目遣いで言い放つ。
「せめて、せめて僕が英雄王になるまでは…待っててくれないかい?」
ウィルは微笑み、言葉を交わす。
「分かってる。君もまた英雄王の素質がある剣士の一人。君がトーナメントを見事に勝ち抜くことを期待してるよ。今回は負けたけど、来年までに優勝するんだ。約束だ」
「…ありがとう。少し励みになったよ」
「こちらこそ…んじゃ」
軽く握手をし、ウィルはこの場を去る。
(あともう少しで届くんだ。諦めないで…)
密かにそう思い、満天の空を眺めた。
朝の日差しの中、カザは鏡の前に立っていた。腕の皮は剥がれていき、顔の赤みも無くなっている。魔法薬を顔や首や腕に広げるように塗る。
「しかし、こういう薬があるんだったら最初っから言いやがれってんだ。おかげで赤っ恥かきながらもう四戦しちまったじゃねぇか」
淡緑色の瓶に塗り薬があった。これは市販のもので日焼け止めとしてよく売られる商品で、通称『クリキ』。女性のみに関わらず、遠征でも兵士達がよく使う魔術薬品だ。
「しかし、まぁ昨日は良かったな。あんな宴するんだったらもっと前から来てりゃ良かった」
居間に入る。まあ少し小さいが、カザには十分らしいのかすごく寛いでいる。
(…とりあえずは五勝したし、新人戦の申し込みもしたはずだ。借金も無理矢理押し通したが確かに払ったはずだ)
「あぁカザさん、シャワーから上がっていらしたのですか」
「まぁな」
オリヴァーの顔にハリが生まれ、腕にも力が入っている。だが、心までは治らない。
「…オリヴァーさんよ。ここまで豪勢にする必要は無いぜ」
オリヴァーは初めて、トーストと嗜好品のコーヒーを持ってきていた。しかもただのトーストではない。いかにもふんわりとしたような見た目で湯気が甘い匂いを運んでくれる。今にも頭が蕩けそうで狂いそうだ。カザは冷静を保とうと必死だった。
「全て貴方のおかげですよ。私達の借金を返済して、その後も私達を手助けしてくださったので…お礼しようとしても、しきれないです。せめて貴方の手助けをしてお礼にしたいと思います」
カザは何も反論できなかった。いや、話など聞けない領域だった。カザにとって未知の悦楽が目の前にあるからだ。
(これ、食べたらどうなっちまうんだ?この上ない幸福を覚えて頭が爆発して死んじまうんじゃねぇのか?)
いざ、ナイフを右に、フォークを左に。
「朝から何やってんの?」
セルマが居間に入り、苦悩するカザに呆れる。
「セルマ、起きたか。今日は工具を新調するから店番をしてくれないか?」
嫌な予感しかしない。
「まさか…コイツと一緒?」
「お前さぁ、一ヶ月前から全然変わんねぇな」
今日は彼らと会ってから丁度一ヶ月である。二戦目で借金を返済したので、三戦目に彼らを観戦させた。そして一気に予定を詰められて二日連続の試合を行い、今に至る。
「ではカザさん。娘をよろしくおねがいします」
オリヴァーは店を出ていく。セルマははしゃいで皿の前の椅子に座る。
「えぇ!?今日はフラントーストなの!?」
「フラン…トースト?」
「あんた世の中を歩く勇者なのにそれも分からないの?」
「うるせぇよ。こう見えてランクAだっちゅうの」
「ふーん。ま、教えてあげるわ。このトーストは結構砂糖とかミルクとか使うのよ。だから貧乏だった家ではあまり作れないんだ」
「ふーん」
誰のおかげだと思ってんだよと言いかけたが、それはあまりに無慈悲だ。カザは聞き流しておいた。
「ところで、試合負けた?」
コーヒーを噴いた。
「なんで俺に対してはそう隅から隅まで否定的なんだよ!絶対わざとだろ!」
「負けたの?」
「負けてねぇよ!!五戦五勝だ!」
「負けたら同情して、抱いてやろうと思ったのに」
(つくづく嫌な奴だ…)
「ごちそうさま」
セルマは居間を出ていった。朝のティータイムも台無しだ。
カザは外で店番をしていた。素人が何かをしても逆効果であるため、商品には手をつけない。
(まぁ、外で見張っていりゃコソ泥も入って来れねぇだろうし、人が来たら案内するだけだ)
カザは目で周辺を見た。
「全然人いねぇな」
客は誰一人として、来なかった。何が原因だろうか。やはりこの加工屋は小さ過ぎたのだろう。
(…門番の気持ちが分かってきた気がする)
何かある時のために居るのに、なにか起きなかったら起きなかったで暇である。カザの瞼はとうとう全て下がってしまった。
その時だった。
「あの…」
カザは寝ついていて、返事もできない。
「あの…」
カザは寝ついていて、返事もできない。
「あの」
カザは寝ついていて、返事も
「いつまで寝てんだ!!」
連続ビンタが襲いかかる。セルマに起こされた。目の前には黄金の鎧を纏った一人の男が素顔を見せて立っていた。
「オリヴァーさんはいらっしゃらないでしょうか」
「父上は工具の調達のため、不在ですよ」
(やけに親切じゃねぇか…少しくらい俺に分けたっていいだろ)
カザの目つきが変わる。
「あぁ、そうでしたか。では…」
「中に上がってもよろしいですよ?」
セルマが親切にしているのを、カザはそっぽ向く。鎧の男はカザに尋ねる。
「貴方は…」
「まずお前から名乗れ。趣味の悪い鎧着やがってそう簡単に名乗ってたまるかってんだ」
「これは失礼。申し遅れましたが私、シュヴァイン王国の一兵、セリオ・ジョンパルトと申す者です。さて貴方のお名前もお聞きしてよろしいでしょうか?」
「…そうか、お前があの黄金の騎士か。だからと言って俺は名乗るつもりはねぇよ」
カザは断る。
「そうですか」
「いや、そこは名乗れよ意気地無し」
「カザだ。苗字は無い」
セリオはその名を聞くと不意に笑いだした。
「君は確か五戦五勝の戦績で新人戦に出場するんだろう?奇遇ですね。私も同じなんですよ」
「知ってたなら名乗らせなくとも呼べば良かっただろうが」
「生憎、そこまでできるような度胸はないですからねぇ。いずれ敵になるだろう人が目の前にいて」
「トーナメントのことか?俺は決勝でしか待たねぇからな。度胸が無いなら辞退しな」
「いえ、そうでなく」
カザは疑問に思った。
「新人戦トーナメント前の調整として貴方と戦えることを」
カザはあまりの急展開に動揺してしまった。
「何の事だ?」
「今日の掲示板見なかったんですか?カザさん対私。試合の日は明日で場所はフラン国立円形闘技場。貴方は今五勝していますが、全員奴隷と戦ってたんですよね?降参するなら今の内ですよ」
「一度口を開かせたらこうか。その減らず口を徹底的に叩き込んでやるよ。明日な」
二人は顔を向き合い、眼光を光らせる。
「二人で何やっているんですか?」
オリヴァーが帰ってきた。
「まぁ、用を済ませたら帰りますんで」
カザは因縁をつけられ、退く気にはならなかった。
「確実に負けフラグじゃん」
セルマが要らないことを言う。
翌日。闘技場は人で騒がしかった。カザの評判は悪くは無いが、黄金の騎士に比べると天と地の差ほどあるぐらいすごかった。
(本当に負けそうだ)
勝負の前にこのざまである。外に出ても良いことがないので即刻控え室に向かった。初戦とは違い、中から様子は見られない。一人だ。寂しくなんてなかった。
(…旅の時だっていつもそうだったからな)
歩く速さは遅くなっていた。牛にも劣るような遅さで進む。
「…」
奥から声が聞こえてくる。カザを呼ぶように近づいていく。
「疲れたぁぁぁ!全く休みの日ぐらい休ませて欲しいものだよ」
灰色の装束を着た赤目の者が目の前に現れた。
「お、お前…その声は!」
「気づいた?」
「知らねぇ」
赤目の者はコケる。
「分からないか。まぁ知らない地域だってことで紹介しておくよ。僕は巡風。一刀軽量級の一位さ」
「一刀軽量級はともかく、一位ってなんだよ」
「さすがにそれは酷いよ!」
「だってまだ分かんねぇんだよ。ランク分けとかあんのかよ」
巡風はまあそれをさて置いて、説明する。
「まあね。ランクは百位からはじまって、今の君はランク外だから関係ないけどね。でも新人戦で良い成績を勝ち取ったら、最高でも五十位ぐらいにランク入りできるから英雄王目指すなら新人戦は落とせないね」
「そうか、親切にありがとな」
カザは笑みを浮かべる。
「待って」
巡風はカザの胸に羽根を飾る。
「何すんだよ」
「おまじないさ。この試合は捨てられないからね。じゃ」
巡風は走り去った。カザはようやく控え室に入る。そこには役員と思われる女性がそこに居た。
「予定ピッタシですか。せめて三分前には来てくださいよ」
「まぁ待たせて悪かったな…ってあれ?俺一人か?」
「一対一の場合は選手のみ入れます。一人につき一部屋となっておりますので。ではこのままお待ちください」
女性は控え室を出ていく。カザは考えていた。
(アイツの使う武器は、スタンダードな剣だったな。それなら、剣を弾かせて一気に叩き込めば…)
「いつも通り…か」
手に汗握る。闘士が燃えたぎる。鎧がなくともまるで己自身が肉の鎧と化しているかのようだ。
「ではカザさん。よろしくお願いします」
「分かった」
控え室を出て奥の方に入る。段々と暗くなっていき、光が見えてくる。
「こちらが模擬剣になります」
しかと受け止めた。彼女の顔を見て、次に光のある方に自分の顔を向けた。心の準備が整ったら、走って外へと出る。
観客席からの大歓声、今までとはわけが違った。この試合は文字通り、格が違う。外は夕焼け、てっぺんに灯された猛火の中に十字架がある。それは雨や風、火などのあらゆる自然の洗礼に屈せず、一切欠けることの無い十字架。この闘技場を象徴するフラン王国最大で最高のシンボルだ。正しく戦士達の不屈の闘志が具現化された姿とも言ってよい。
(…この試合、勝ってやる。選手としても、元勇者としてもだ)
祭壇を見てから、後ろの方を見ると、黒い線の向こう側にセリオが居た。剣は想定通りで、上半身のみを黄金の鎧で覆った姿だ。そして喧嘩腰でこちらを見てくる。それはこちらとて同じだ。すぐに祭壇を上る。祭壇も今までとは違い、円形であった。その上広く、逃げ回るには十分だ。
すぐ横にはセリオが目を輝かせている。
「舐めんな」
「てめぇこそ」
両者、構える。客席は全て静まる。
「…レディ」
ゴングが鳴らされた。音にはもう慣れ、スタートダッシュも速くなる。それは両者一緒だった。両者の一撃には互いに同程度の威力を持っている。
しかし、同程度の威力を同じ割合で放つとき、確実に分が悪い方がある。
「ハァ…ハァ…こんな…はずは」
セリオはバテてきた。剣術格闘技のルール上、外部の鎧は一部分のみの着用可とされている。セリオは胴の部分に着用し、カザはどこにも着ていない。前者は防御力を高め、後者は重量の軽減と機動力の増加を促進する。
(攻撃、効いてんのか?)
カザにも違和感が出てくる。剣で頭部を狙うのは至難の技。股より内側に攻撃するのは反則。足を狙うにも狙えない。頭部も剣が邪魔してまた然り。胴と胸部は大半の選手が一気に防御し、決定打が狙えず、一番厄介な部位だ。
カザのペースだが、反撃しようと、セリオも踠きながらカザに攻撃を当てようとする。
(だったら…)
カザは剣で鎧を押して相手を後退させ、鎧に攻撃を当て続けた。
「ふん」
セリオのカウンターショットがカザの胴に直撃する。脚が蹌踉けるところをセリオは逃さない。そこに漬け込んでカザは頭部を直撃させた。
(ようやく届いた!)
剣を含めた長いリーチが不意にセリオを襲う。
「ゴルァ!!」
剣が退くことを許さない。燃える闘志が、止まることを知らない。
カザは鎧に焦点を当てつつ、頭部を的確にぶっ飛ばしていく。セリオはとにかく当てる。頭、首、肩、脇、胸、胴。セリオは重量が確実に上がっており、頭部だけは絶対に避けなければならない。カザは剣で受け止めつつセリオに攻撃していく。
「…かっ…は…」
とうとう鎧の上からも同等のダメージを受けるようになった。カザは追い討ちをかける。腰も回り、狙いも定まっている。
「うおらぁぁぁぁぁっ!!!」
「死ねぇ!!」
セリオの一撃がカザの顔に入る。同時にカザの攻撃もセリオの顔に入る。
両者共に倒れる。
「こ、こいつは一体…」
「二人共倒れたぞ!」
観客がざわつく。同時に倒れるのはランク外同士の戦いでは、まずありえない。
(…勝つ…アイツを…倒して…)
引き分けの場合、勝利の判定にはならず、両者共に新人戦から脱落してしまう。そう、だから
(私が…)
意地でも
(俺が…)
ここで
((勝ち取ってやる!!!!))
立ち上がる。
両者、極限の状態に陥っている。先に攻めたのはセリオだ。
(…まだこんな力持ってんのか…)
カザもどんどん攻め込む。セリオも攻め込み、互いに全力を振り絞る。
黄金の鎧に、傷跡が更に増えていく。黄金の輝きが徐々に失われてきた。
(クソが!)
セリオは頭を打たれる。顔が血塗れになる。
「うらぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「…ぅぅおおおおおおおおッッッ!!!!」
刹那、全重量を乗せた渾身の一撃がカザの顔に命中する。カザは退き、足がふらつく。セリオの追撃。重撃がカザを喰らい尽くす。
(…)
カザは何も考えられなかった。そして、セリオの全身全霊の一撃が目の前に。剣は出遅れ、防御できず、カザは崩れ落ちる。
「…フゥ」
セリオは呼吸を整え、落ち着いた。
「舐めんな」
最初と同じ台詞をカザに捨てる。審判が祭壇に上り、カザに近づく。
(…勝ちてぇ…こんな野郎にやられてる自分が情けねぇ…勝ちてぇ、勝つんだ、勝って、勝たなきゃなんねぇ!!)
闘魂がカザに力を与えた。立ち上がり、セリオを睨みつける。
「…死に損ないがァ…!」
セリオは全力を出していた。本気でやっていた。だが、立ち上がる。
カザの目は本気だ。セリオは頭を混濁していた。それでも前に進んだ。止めを刺しきれなかったからか、セリオは焦っていた。カザは右手で剣を軽く握り腰を速く回す。その瞬間に剣を強く握っていく。
「ぶち抜けぇぇぇぇぇ!!!」
セリオは剣を手放され、顔に的中、そして血の雨を降らす。剣が今あるところよりもずっと遠くに飛ばされ、地面に乱雑に着く。
魔笛が吹かれた。観客が一斉に叫ぶ。
「…おっしゃあああぁ!!!」
カザも思わず叫ぶ。彼の目には涙の跡がみられる。しかし、血と混ざり合い、血涙を垂らす。
(勝った…)
日が落ちたにも関わらず、体中に熱が籠る。
「…クソ…クソッタレ…」
セリオもまた、血涙を流す。同じ涙でも違う。悲しみに満ち、寒さが体中を覆う。
(…まだだ、まだ終わってねぇ)
セリオは膝を立たせて、復帰しようとしていた。
「…!?」
カザは驚く。燃え尽きぬ闘志を見せられることで仰天した。セリオは立ち上がる。
セリオはシュヴァイン王国の軍兵で、成果も人一倍よく上げていた男だ。そんな中、この国は社会的地位が小国のため低く、ある企画を立てる必要があった。それは『英雄王育成プロジェクト』である。未来の英雄王を自国で作ろうと、国中で力を注ぐという内容だ。
彼もそれに参加した。その企画にてトップに立ち、英雄王の道を歩むホープとして注目された。次々と剣士達を倒し、勝ち続けて成果を上げた。
彼の心は、勝利こそ幸福と知り、勝利こそが人生と実感して日々戦いに明け暮れていた。本来の目的も忘れるほどに。
控え室に戻る。彼にとってはこれが初めての敗北である。血も拭かずに、ただ抜け殻になって座っていた。
「…」
彼もまた独りであり、誰かが助けてくれるということも無い。当然である。必要なのは勝敗。敗者に慈悲など無い世界なのだから。
黄金の鎧を纏う。体中が染みるように痛む。兜も被る。涙を見せないために。セリオはここから去る。
扉の先には一人、女性が居た。カザの案内をしていた女性であった。
「ビックリした!そろそろ退室をお願いしようと思って来ました」
「大丈夫だ。今出る」
「…あの」
「何だ」
「今日も…すごかったですね」
「…」
兜を横に振る。
「酷い負け方だったがな。そりゃそう簡単に上手くいくわけもないな…世界は無慈悲だよ」
「…諦めないでください」
女性の一言がセリオの胸に刺さる。
「たったの一敗、チャンスはまだまだありますから。新人戦に出られなくても、勝ち続けてランカー達と戦って…いつか英雄王になってください…いつまでも…待っていますから…」
彼女は優しく、深く、セリオに話した。セリオは仮面の中から涙を流し、金色の涙が滴る。ただ静かに片側から流れる。
「…いつまでも待たせてたまるもんか」
彼の口にはまだ熱がある。まだ戦える。ここで終われるはずがない。それは自分を決める片道切符なのだから。
「おめでとう。君が勝つと思っていたよ」
巡風が廊下で待っていた。
「これも『おまじない』のおかげか?くだらねぇこと言うんじゃねぇよ」
「いや、君の闘志がこの戦いを制したんだ。君の勝利は君のもの。他の誰の物でもないよ」
「それよりもだ、何の用だ」
「次の週から新人戦は始まる。今回の試合をもって、最初の試練は見事勝ち抜いたということになる。でも、また強敵達が君に勝って踏み倒そうとする」
カザは難しい気持ちになる。巡風は右手を上にしてカザに一つ要求する。
「ランカーになるってことは僕の敵になるという事さ。そのお守りは、本当に幸運を引き寄せる羽根さ。僕だって英雄王を目指す一人。そのためにも、さっき貰った羽根を返してくれないかい?大切なものは君だけが持っているわけじゃないんだ」
「これの事か…なるほど」
カザは自信を持って巡風に渡した。
「余計な世話だ。俺は俺自身で価値を決めるって決めてるから心配する必要は無いぞ」
「…君の名前は」
カザは微笑み、躊躇わずに言う。
「カザだ」
「カザ君…応援してるよ」
カザはこの場を去った。大金の入った包を提げているところ、今回はすごく上々らしい。
フランの表街はもう夜になっていた。さすが一番のシンボル、遠くから見ても見劣りすることの無い迫力だ。それでも、カザはむつかしい表情をしていた。
(先が思いやられるな…あんな奴が新人戦にはごまんといるってことになるからな。あいつも強い。今も戦闘本能が消えてないだろうよ)
頭を掻いて少しだけ台に休む。体中が軋み始め、体の熱が外の寒気に放出し始めた。
「おっそい!」
聞き覚えのある忌々しい声。セルマとオリヴァーの二人組だ。
「またお前か。包帯巻くのに時間かかったんだよ。それぐらい考えておけよ」
「何よ偉そうに!こっちから迎えに来たというのに!」
「カザさん、折角ですから一緒に飯屋に行きませんか?借金返済とカザさんの新人戦出場を祝しましょうよ」
「ソイツが静かにしてくれるなら別にいいが」
「ソイツって何よ!軽く見ないでよ!」
「あと、飯屋に行くとか言ってるけど、オススメの場所とか知ってんのか?」
オリヴァーは言う台詞が無かった。実際オリヴァーはずっと前から加工屋の中で娘と共に外も出ずに過ごしていた身である。周囲はともかく、都市についてはあまり知らないはずである。
「…しゃあねぇな。連れて行ってやらぁ。俺の行きつけだった場所に」
「行きつけ…」
セルマが嫌な顔をする。
「あのよぉ、一体俺を何だと思ってんだ」
それは都市の中心部にあった。噴水広場に面する小洒落た看板を持つ店『Nicoullaud』であった。
セルマの目にようやく希望が見えてきた。カザは扉を開ける前に、手でベルを揺らして待つ。するとあちらから開けてきた。
「…勇者のカザさんですね。お待ちしておりました。中へどうぞ」
「連れもいるんだが、入れさせてもいいか?」
「構いません。こちらへ」
中に入れば暖かな色の燭台が店を照らす。
「うわぁキレイ!」
「夢なのか?」
二人は店内の装飾に魅了した。
「席はこっちだぞ」
三人とも席に座った。カザは店内の様子をチェックし、女性に一つ尋ねた。
「…アイツはどこにいる」
「夫ですか?武者修行すると言って東の方に出ましたよ」
「また修行かよ!もう三度目だぞ!!あんさんも寂しくないのかよ」
「いえ、全く」
「まぁそれはいいとして、いつ帰ってくるんだよ?アイツに会いに来たのに」
「おおよそ一ヶ月後だと思いますね」
「一ヶ月か…んだったら、奴に言っておけ。
『剣術格闘技の新人戦があるから見に来い』
ってよ!」
「分かりました。ではそろそろメニューの方を」
二人は戸惑っている。
「あの…金額が書かれていないのですが」
「人数計算だからそこは大丈夫だ。でも一セットしか頼めないからメニューを見とけよ。そろそろ腹も慣れてきた頃合だろ?食いきれるって」
オリヴァーは息を飲み、店員に頼む。
「『賢者』のメニューで」
「私は『女神』ので!」
「俺はいつもの」
「分かりました、お飲み物は」
「ビールで」
「ビールで」
「うわ、二人も異臭野郎が…」
この一言でカザとオリヴァーは打ちひしかれる。
「…やはり私はお冷で」
「俺もお冷…」
「かしこまりました」
三人だけになる。オリヴァーが聞く。
「あの…一体誰に用事があるのですか?」
「元々は旅の仲間だった奴だ。いっつも美味しい料理をみんなにやってたからな。忘れたくとも忘れられねぇよ」
「ふ~ん。どうやらアンタよりかはマシみたいね」
「俺のどこが変って言うんだよ」
「存在」
引っぱたきたいと思うと、女性がまずは二つ、大きなお盆を手に乗せて、カザとセルマの前に置いた。
「大体こういう感じのやつだ。盆の上にド派手な肉を豪快に乗せ、炒飯をお椀にそしてバードスープ等々、計六品を食すことになる満腹セットだ」
『女王』の定食は天津飯にバードスープ、壺漬け肉やロブスターの丸焼き、そして副菜二種という贅沢版。またオリヴァーの頼んだ『賢者』の定食は獣肉の丸焼きにスクランブルエッグ、副菜三種に唐揚げ。
「めちゃくちゃ美味しい!!」
「すごい…こんなもの初めてだ…」
オリヴァーとセルマがそういう内にカザはどんどん食していく。
「な、なぜそんなに早く食べれるんですか?」
「いつも通りだよ。腹が減っている上に過度な運動の後だからな。それに勇者は馬車の時間やらに間に合わせなきゃなんないし」
「わ、私だって早食いになら、自信あるわ」
「…」
カザは心の中で嘲り、本気を出す。オリヴァーはセルマに止めるように言おうとしたが、熱が入っているのか、言うことを聞かない。
数十分後、セルマは見事完食するも沈む。
「ほら言わんこっちゃない」
十数分くらい前から完食していたカザの快勝。オリヴァーもようやく完食。
「ごちそうさまでした。非常に美味しい料理をありがとうございます」
「いや、まあな」
オリヴァーはセルマを背負ってこの店を出る。カザは支払い、店の外へ出る。
「そういえば、カザさんの生まれ故郷ってどこなんですか?」
「ブリテン地方の農村で小麦を植えている。手紙で聞いたが、あそこら辺一帯開拓するらしいんだ。技術革新の為に。だから一旦帰省するつもりだったけど、もう遅いと思うぜ」
「遅いなんてことは無いですよ。革新には何年も時間がかかりますからね」
カザはフランに来た後、一泊して船で戻ろうと思っていたが、もはやそれどころではない状況まで来てしまった。
「自分を知るための片道切符さ」
あの言葉の本当の意味を理解できてきた。戻るべき場所に自分から戻らないことを、あの時の自分は決意していたのだ。その自分を裏切る訳にはいかない。
(…新人戦、絶対に勝ち残ってやる)
そして、その自分と向き合い、戦い続けることを誓約として心に秘めておいた。